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S・S・R  作者: 雪山ユウグレ
第32話 お呼ばれのルール
64/102

2

「ぽくぽくぽくぽくぽっくじーん」

「やめれっつってんすよ、勘弁してください」

「何も恥ずかしがることはないだろう。キミのその見掛けによらずお茶目なところはとてもボク好みだ」

「会長さんの好みはどうだっていいっす」

「なるほど、確かにキミにとってみればそうか。うん、これが梶野先輩の言う“しゅいちゃんつれない”というやつなのだねぇ。実に、いい」

 自治会長、金北誉(かなきたほまれ)はとても上機嫌な様子でそんなことを言いながら修威の少し前を歩いている。真夏だというのにワイシャツの上に学生服をマントのように羽織り、小雨の降る中を大きな傘を差して進む誉はとても楽しそうで、修威は片手にぽくじんを抱えたままその少し後ろからついていく。

 暇をしているのかね、と誉は寮の共用ホールにいた修威に尋ねた。修威は軽い調子で「まあそうですね」と答えたのだ。するとどういうわけか誉の中で話が勝手に決まったらしく、修威は彼によって寮の外へと連れ出された。淡い灰色の空はさらさらと雫を落とし、木製のぽくじんが濡れるのはよくないかと修威も寮の玄関にあった貸し出し用のビニル傘を差している。一方の誉が使っているのは随分と丈夫そうなオレンジ色の傘で、本人の話によれば晴雨兼用なのだという。

 飴色のレインブーツで黒いアスファルトの上を歩く、そんな誉の足取りは軽くて楽しそうだ。何がそんなに楽しいのかと修威は不思議に思ったが、敢えて問うこともしない。

「いやいや、実にちょうどよかった。ボクも退屈していたところだったんだ」

「はあ」

「諒はお盆を挟んで10日間は実家に帰っているし、えるむも今日明日は帰ってこない。自治会執行部としての仕事は全く進めようがない」

「はあ」

 そもそも夏休みの今、自治会にどの程度の仕事があるのか。学生がほとんど学校にいない時期に自治も何もあったものではないのではないかと修威は思う。誉は修威の淡白な反応にも特に不満な様子を見せることなく話と足を進める。

「そこでぶらりとホールに降りてみたら修威サン、キミがぽくじんクンを相手に退屈そうに喋っていたというわけだね。いや、歌っていたのかな?」

「そこは放っておいてください」

「しばらく陰から見ていたけれど、なかなかにシュールで楽しい光景だったねぇ」

「悪趣味っすね」

「キミはとっても楽しくて面白いのだよ。もっとその愉快な気質を誇りたまえ」

「馬鹿にしてんすか」

「とんでもない」

 オレンジ色の傘を手に、誉はくるりと振り返って修威を見る。雨はもうほとんど降っていないが、彼は傘を閉じようとはしない。淡い色の目を少しだけ細めた彼は心から楽しそうな笑顔で修威の名前を呼ぶ。

「修威サン、キミは他人に無関心を装いながら、その実とても敏感だ。けれども肝心の自分自身に対しては極めて鈍感で、関心の寄せようを失っているように見える。キミはあまり1人でいるべきではないと、ボクは思うのだけどねぇ」

「……はあ?」

 言うだけ言って、誉はまたくるりと前を向いて歩き出す。修威は彼が何を言っているのか理解できないながらも黙ってその後についていった。やがて誉は学生寮から歩いて10分程度の距離にある古いアパートの前へとやってくる。元は淡いクリーム色だったと思しき壁はところどころが剥がれ落ちて灰色のコンクリートが見えている。それでもアパートの入り口の辺りはいくらか改修をしたらしく、煉瓦を模したタイルで何とか体裁を整えている。入り口のドアを引いて中に入ると左手にレターボックスが8つ。正面にはインターホンがあり、右手にはロックされた自動扉があった。誉はそれを持っていたカードキーで解除して修威を建物の中に招く。

 言わずもがな、ここは誉が会長を務める自治会室が存在するアパートである。2階の北側の角部屋がそうで、修威がここを訪れるのは2回目だ。ただし前回は気絶させられて連れてこられたのでこうして自分の意思と足とで部屋に踏み入るのは初めてのことである。

「お茶でいいかね? 楽にしてくれたまえ」

「あー、別に飲み物とか今いらねっす。……で、何か用ですか」

「寮よりはここの方がボクの自由が利いて居心地がいいからねぇ。キミとお喋りをするにはこちらの方がいいと考えた。それだけのことだよ」

 修威が断ったにもかかわらず、誉は冷蔵庫から作り置きしてあったらしい麦茶を取り出して2人分の湯呑に注ぎ分ける。修威がこれまでに見たことのない鈍い緑色の冷蔵庫はなんだか妙に角ばっていて、時折ぶうんと低い唸り声を上げていた。

「はい、麦茶」

「……どうも。会長さん、あの冷蔵庫ってなんか見たことないっすね」

「そうだろうねぇ。あれは80年代のもので、さすがに内部がいかれていたからそこだけ修理に出したものだ。上の小さい扉が冷凍室で、下が冷蔵室だよ。面白いだろう、冷気は下に溜まるものなのに、より冷えていなくてはならない冷凍室が上に配置されている」

「……はあ」

 部屋の窓際ではボタンの壊れた扇風機がそよそよと弱い風を送っている。誉の趣味はこういった古い道具を集めることなのだと、そういえば以前聞いた気がする。

「一見理に適っていないことにも源を辿ればそのときにそうしなければならなかった必然という理由があるものだ。昔の道具は、そういった時代の思惑を想像させてくれる。これだからやめられない」

 熱く語る誉は自分の分の麦茶を手に部屋の中央にあるパイプ椅子に腰を下ろした。そこが彼の指定席らしい。修威は以前も世話になった3人掛けのソファの真ん中に軽く座り、ぽくじんを自分のすぐ横に置いた。相変わらずうんともすんとも言わないぽくじんはやはりただの木人にしか見えない。修威は少しばかりの不安を感じながら麦茶を口に含む。

「木人部は夏休みを木人と過ごすものなのかい?」

 誉が尋ね、修威ははっと鼻で笑って肩をすくめる。

「んなわけねぇでしょう。何の意味が」

「そうだよねぇ。じゃあその木人はどうしたんだい」

「あー。歳沖部長のなんすけど、色々あって大和瀬先生が預かってたのをさっき返しに来てて、でも歳沖部長がいなかったから俺が代わりに預かることになったんです」

「なるほど、雄也先輩の私物というわけか」

 ふむ、と頷いて誉もまた麦茶を飲む。外の雨脚はまた少しだけ強くなった。ところで、と誉がなんでもない調子で口を開く。

「魔法区域で合宿をしたらしいじゃないか。どうだったんだい。是非感想を聞きたいね」

 するりと切り出された話題に修威は黙って誉の表情を盗み見る。彼は左右の目を細めて笑っている。黒縁の眼鏡の奥で今日も左の瞼が少し腫れていて、持ち上げられた口角もまた少しだけ歪んでいる。

 自治会は木人部を調査対象として見ているらしい。学校側が最も力を入れて取り組む“課外授業”に協力するという活動を他の生徒に公表せずに行っていることを危険視しているのだと、以前誉自身から説明を受けた。修威は決して記憶力に自信のある方ではないが、自治会と木人部の間にはあまりよくない空気が流れているという意味でその辺りのことを覚えている。

「合宿のこと、調べたんすか」

 裏部活動である木人部の合宿は、学校側からの承認を得ているとはいってもやはり公表はされていない。

「わざわざ魔法区域での合宿だなんて、木人を作るのに必要なことかね?」

「そりゃあ俺達の方が聞きたいっす」

 木人部の合宿と銘打っていたものの、あれは実質的には課外授業とそう変わらない、魔法実践の演習を目的とした合宿だった。修威もあの合宿について何をどう説明していいものか全く分からない。

「大和瀬先生も参加したそうじゃないか。面白い土産話があれば是非とも聞かせてもらいたいね」

 誉はにこにこと笑いながら気さくな調子で言うが、修威は溜め息だけを返す。あの山で見たもの、体験したことはそう簡単に言葉にできそうにないと感じた。

 修威の手が無意識のうちに隣のぽくじんの頭を撫でる。つるりとよく磨かれた木の感触が心地良い。

「興味があるんなら、会長さんも行ってみりゃあいいんすよ」

 ぶううん、と緑色の冷蔵庫が鳴いている。扇風機は時折不規則に回転を止める。あれらが作られたのは10年以上前のことだろうから、つまり魔法のない時代からずっとこの世に存在しているということになる。今降っている雨は10年前まで降っていた雨とどこか違うのだろうか。

「百聞は一見にしかず。道理だねぇ」

 誉はそう言って麦茶を飲み干し、一度目を閉じた。それからはもう、彼は合宿のことを話題にしなかった。

執筆日2015/06/20

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