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S・S・R  作者: 雪山ユウグレ
第32話 お呼ばれのルール
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 夏休みの贅沢は学生寮の共用ホールにある。修威(しゅうい)は小雨の降る静かな午前をホールのソファにごろりと横になって過ごしながらそんなことを考えていた。

 修威は人ごみが好きではない。しかし駅前のショッピングモールのように人々が一箇所に留まることなく過ぎていく場所であれば特に苦手ということもない。全校集会や通学バスのように一定時間は出られないことが確定した場所で多くの人間と共に過ごすことがどうにも嫌なのだ。肉体的にも精神的にも息が詰まる。だから寮の食堂も混み合う時間帯に利用することはしないし、入浴は消灯直前に大浴場へ行くかシャワーで済ます。共用ホールも基本的にはよほど人の少ないとき以外は使わない。

 ところがそうかといって自室で独りきりでいるのも何とはなしに不快なときがある。人間の気分というのはままならないもので、鍵を掛けた部屋に閉じこもっているとだんだんと妙な恐怖を感じ始めるのだ。そんなとき修威はのそのそと自室から出て意味もなく階段を昇ったり降りたりを繰り返してみる。寮では学生の多くがエレベータを利用するが、2階分程度であれば階段を利用する生徒もいる。だから階段を歩いていると知らない誰かとすれ違うこともある。そのくらいの遭遇が、独りでいる恐怖感を紛らわせてくれるのである。

 夏休みの今、学生寮に残っている生徒はとても少ない。長期で里帰りをしている者も多く、需要が減ったためか食堂で用意される食事も簡単なものしかなくなっている。学期中であれば高校生をたっぷりと詰め込んではちきれんばかりの建物も今は乾いたスポンジのようにすかすかだ。それが修威にとってはちょうどいい。

 寮の中にいる人の数そのものが少なければ共用ホールを利用する生徒の数も当然少なくなる。今日は端の方で静かに本を読んでいる見知らぬ女子生徒が1人いるだけで、修威が二人掛けのソファをひとつ占領してごろごろしていたところで誰の邪魔にもならず、誰に文句を言われることもない。耳に入る音は少なく、近すぎる距離に人もおらず、それでも自室にいるときのような孤独感はない。贅沢だ、と修威はこの季節にしては暗い空を覗かせる窓の方を見るともなしに見ながらにんまりと笑って、目を閉じる。穏やかな微睡みが波のように寄せては返しを繰り返して、だんだんと深い眠りに誘われていく。

 とても静かな眠りだった。いつも何かに追われるような心持ちで、しかしそうとはっきり意識する暇もないままに眠りに落ちてしまう修威にとっては珍しいほどに柔らかく、安らかな眠りだ。ところが遠くなる雨音すらも消えかけた頃、突然修威はすぐ近くに人の気配を感じて目を開けた。

「あ、起こしちゃった? もうちょっとくらい寝ていてもよかったのよ」

 雨音と同じ程度には空気に溶け込み、それでいてよく鼓膜を刺激する声が聞こえる。耳障りではないが無視することもできないその声の主は、いつもの白衣を着ていないジョージ・大和瀬(やまとぜ)だった。修威は友人の父親を前にして寝転がったままでいるわけにもいかず、身体を起こす。

「どうも、おはようございます」

「おはよう。悪いね、せっかくのうたたね中に」

「いや……何か用、っすか?」

 不審を隠しもせずに修威はジョージへと問い掛ける。いつのまにかホールには修威とジョージ以外誰もいなくなっていた。雨は先程より少しだけ強くなっている。

「いやあ、本当は歳沖(としおき)くんに会いに来たんだけどね。受付で呼び出してもらおうとしたら留守みたいで」

 そう言いながらジョージは手元の鞄からつるりとした木肌をもつ何かを取り出した。それが何であるか気付いた修威は思わず目を丸くし、ジョージはそんな修威の反応を横目で見ながらそれをソファの前の小さなテーブルの上に置く。取り出されたそれ、いつもは技術準備室か雄也の元にいる木人のぽくじんは黙ったまま座って微動だにしない。置物のようなぽくじんの目はただの黒い穴で、修威が見つめてもやはり何の反応もない。修威は少しの息苦しさを感じながらジョージに尋ねる。

「それ、歳沖部長の。なんで大和瀬先生が連れてんですか」

 それに対してジョージはんー、と笑みを浮かべながらさらりと答える。

「ほら、この間の合宿のときに歳沖くんが連れてきていたでしょ。でも山小屋に置いておいたらなくしちゃったんだって。せっかく頑張って作った木人なのにそのまま行方不明じゃあ可哀想だと思って、合宿が終わった後にもう一度あの山に行って探したの」

「……」

 そういえば初日に雄也のリュックサックの中にいるのを見て以降、合宿中にぽくじんを見掛けたことはなかった。雄也が何も言っていなかったので今まで気にも留めなかったが、行方不明になっていたとは思わなかった。そしてジョージはどうやらぽくじんをただのよくできた木人だと思っているらしい。

 当然といえば当然だ。課外授業の間や魔法区域の中でならともかく、普段から動いて喋る木人などいるはずがない。雄也がどのような方法でぽくじんを動かしているのか、修威も知らないのだ。

「で、運よく見つかったんすか」

「うん。だから歳沖くんに届けに来たんだけど」

 ジョージはそこで言葉を切り、腕に巻いた時計に目を落とす。

「歳沖くん、どこに行っちゃったのかね。俺今日午後から出張なのよ。修威ちゃん、もしよかったらこの子を歳沖くんに届けてくれない?」

「はあ」

 断る理由はなかった。特に文句もなく頷いた修威にぽくじんを預け、ジョージはじゃあねと軽い足取りでホールから出ていく。青みがかったピンストライプのスラックスにごく薄いグレーのワイシャツという取り合わせは落ち着いていてかつ涼しげだが、癖の強い黒髪は相変わらず高い位置でくくられており、まるでちょんまげのようだった。よく磨かれた黒い革靴がライトブルーのタイルカーペットの上で軽い足音を響かせながら遠ざかるのを最後まで見送った後、修威は目の前のぽくじんへと視線を移す。

「……ぽっくじーん」

 呼び掛けてみた。しかし返事はない。

「ぽくぽくぽくぽく、ぽっくじーん」

 少しふざけてみた。やはり返事はない。ジョージはもうおらず、ホールには他に誰もいないというのにぽくじんはじっと黙ったままぴくりとも動かない。これではまるでただの木人ではないか、と修威は少しばかり不安に駆られてぽくじんに触れてみる。

 硬い木の感触と共にぐらりとぽくじんの身体が傾いた。それでもぽくじんは自ら動こうとはせずにテーブルの上に転がる。あまりにも無力なその様に修威はただぽかんと口を開けてぽくじんを眺めることしかできない。むしろこれは本当にぽくじんなのか、別のただの木人なのではないかという疑いすら湧き出してくる。

「……まあいっか。歳沖部長に渡せば分かることだろうし」

 喋らないぽくじんを相手にしていても何も得るところはない。修威は早々に見切りをつけ、テーブルの上にぽくじんらしき木人を置いたまま再びソファに寝転がった。まだ昼食を取るには早い時間だ。

「……ぽっくー、ぽっくぽくぽっくーぽっくじーん」

 周りに誰もいないのをいいことに、修威は小さくない声で珍妙な節回しの歌を歌う。歌というよりは独り言の延長のようなものだが、しかしそれも徐々に興が乗ってくる。

「ぽくっとぽくじん、ぽくぽくぽっくー。ヘイ! ぽっくじーん!」

「ぷっ」

 はっ、と修威は歌うのをやめた。今確かに笑い声が、というよりも可笑しさに耐えかねて吹き出したような声が聞こえなかったか。がばり、と勢いよくソファから身を起こした修威の視界の端で黒縁眼鏡を掛けた男子学生が薄い色をした目を細めながら肩を震わせて笑っている。一体いつから見られていたのだろうか。あまりのばつの悪さに修威が何も言えずにいると、やがて相手の方から軽い調子で声を掛けてきた。

「やぁ修威サン」

「……自治会長さん、とりあえず聞かなかったことにしてください」

 久しぶりに見る長袖ワイシャツに朱色のネクタイをそろりと見やりながら修威は低い声で頼んだのだった。

執筆日2015/06/20

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