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S・S・R  作者: 雪山ユウグレ
第31話 花園のルール
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2

 翌日、修威は何事もなかったかのように山小屋の部屋で目を覚ました。昨夜の出来事は記憶に残っていたが、だからといって敢えて話を蒸し返す気にもならない。魔法は嫌いだと言った梶野の声は重かった。

「今日は滝を見に行こう」

 朝食の席で武野澤(たけのさわ)教諭が楽しそうにそう言ったので、今日の予定は滝までのハイキングと決まった。昨日の課題で心身共にくたびれていた修威達にとっては願ってもない気楽な道行きである。

 この合宿の話を最初にしたときに武野澤教諭が持ってきた手製のパンフレットには確かに白い糸のような水を落とす滝の写真が添えられていた。教諭がいうにはそこがこの山の中で最もよく知られた景勝地であるらしい。山小屋に残るというジョージと山守のヤマヒロに見送られて登山道を登り始めた修威達はほどなくして二股に分かれた道に行き当たる。そこには立て札が設えられており、右には“白蜘蛛の滝”、左には“山頂・噴火口”と書かれている。武野澤教諭は迷うことなく右の道へと修威達を導いた。

 20分程歩いただろうか。修威の耳に水の音が聞こえてくる。同時に雨降りの日の空気と似た匂いを感じて、修威は辺りを見回した。行く手の左に静かに水を落とす滝の姿が見付かる。着いたよ、という武野澤教諭の声を合図に皆は足を止めた。

 滝は思ったよりも大きいものだった。さらさらという軽い水音しか聞こえない割に、岩肌の切れ間から幾筋か噴き出している水の量は少なくない。それがだんだんと集まって1本の白い流れとなって、切り立った山肌を滑り落ちている。

 滝壺の水は澄んで、周りの緑を映し込んでエメラルドのように輝いている。登山道は滝壺の上に少しだけせり出すような格好になっていて、転落防止用の柵も設けられていた。修威はその柵に手を掛けながら、山小屋から持ってきたペットボトル入りのスポーツドリンクを口に含む。柵のあるぎりぎりのところに立っているとほんのわずかに滝の飛沫が飛んでくるようだった。

「涼しいわー」

「ね。昨日は暑くて寝苦しかったなあ」

 いつの間にか修威の隣に立っていた真奈貴がそう言って、修威と同じようにペットボトルに口をつける。今日の彼女は長く豊かな黒髪をうなじの辺りでくるりとまとめ、残りを背中に垂らしていた。さらにその上に日除けの帽子をかぶった彼女のこめかみ辺りにじんわりと汗が滲んでいる。

「真奈貴ちゃん暑そう」

「うーん、この髪がね」

「俺みたくばっさり切っちゃう?」

「えー」

「えー、って言われた」

 修威は自分の短い髪をつまみながらかっかっと笑い、真奈貴もまた楽しそうに笑い声を立てる。こうしている分には火山も魔法区域も関係なく、まるでただの美しい自然の中にいるような気分に浸ることができた。来てよかった、と修威の胸に少しだけ切ない思いがよぎる。

 修威達から少し離れた場所では雄也と寧子が仲良さそうに何か語らっている。途中で二度、寧子が雄也の足を靴の上から踏みつけるのが見えた。それもわざわざ踵の高い靴のその尖ったヒール部分でぐりぐりと抉るように踏んでいる。しかし寧子は勿論雄也もどこか嬉しそうにしていたので、修威は何も言うことができなかった。あの先輩達は分からない。

 梶野は武野澤教諭と静かに並んで景色を眺めている。2人の立っている脇には丸太を削って作ったらしいベンチが置かれていて、それを見付けた真奈貴は「私あそこで休むね」と言って黒髪を揺らしながら歩いていった。ベンチに腰を下ろした彼女は案の定、荷物の中から文庫本を取り出して読み始める。

 平和だね、と修威は声に出さずに胸で呟く。いいんじゃねぇの、と。そして再び滝を眺め、湧水がもたらす涼しい風に顔を晒した。目を閉じるとささやかな水音が身体の中を流れていく気がする。身体中を巡る血液の流れと滝の水が一体となって、澱んでいた何かを押し流していくように感じられた。ふう、と修威は大きく息をついて目を開ける。

「よう」

 そんな軽い挨拶の声と共にぽん、と肩を叩かれた。見れば舟雪(ふなゆき)がどことなく手持ち無沙汰な様子で修威の横に立っている。おうっ、と声を上げて修威は少しだけ大袈裟にのけぞる。

「驚かせんなよワンコ。全然気付かなかった」

「悪い。……なんかさ、昨日あれだけ必死に課題こなしたのが冗談みてぇだ」

「ひひゃっ、そうだなー。昨日は疲れたわ」

 な、と相槌を打って舟雪は高い背を縮めるように肩をすくめた。夏の陽射しを受ける灰色の髪は空の色を透かして青みがかって見える。少し長めの横髪の隙間で銀色のピアスがちかりと光る。

「あれ、ピアスいつもと違う?」

「あ? あー、休日用」

「学校用と休日用があるのか」

「まあな。学校にあんまり派手なのつけていっても仕方ねぇし」

 そう答えて舟雪は左耳のピアスのうち下から数えて2番目のものに触れる。銀の台座にとても小さな船の錨があしらわれたそれは長年愛用されているのか少しだけ歪んでいるように見えた。

「ふーん、ワンコ案外おしゃれしてんのなあ」

「あんたは飾り気ねぇな。アクセサリーとか興味ねぇの?」

「ない」

「あっさりしてんな。別にいいけど」

 舟雪はピアスに触れていた手を離して柵を掴む。そして少しだけ滝を睨むように見た後、何か思い切った様子で修威に「なあ」と改めて話し掛けた。

「昨日の夜変な夢見た」

「夢? どんな」

「なんか、光る花畑みたいなとこに連れて行かれる夢。水色の花がいっぱい咲いてて」

 舟雪はそこで言葉を切り、流れ落ちる滝の上をぐいと見上げる。長身の舟雪が顔を上げると修威には彼の表情を見ることができない。まあいいか、と修威は目の前にある滝の細かな飛沫を顔に感じながら相槌を打つ。

「ピンクじゃねぇんだ」

「は?」

「いや。連れてかれたって誰にだよ」

「……」

 少しの間があった。そして舟雪は修威の質問には答えずにぽつりと「珍しいな」とだけ呟く。何が、と問い返した修威に対して舟雪は高みから見下ろす視線だけを投げて寄越した。

「そうやって人のこと聞いてくるの、珍しいなって思った」

「……流れで聞くのは普通だろうが」

「そうだな。けどあんたはその流れをぶった切ってでも他人との間に線引くような感じかと思ってた」

「……」

 そうだっただろうか。そうかもしれない。

「聞いちゃまずいことだったか。そりゃあ悪かった、忘れてくれー」

「まずくはねぇよ。聞かれたことに驚いただけだ。連れて行かれたってのは、オレの兄ちゃんに」

 なんでもないことのように言う舟雪に修威は「そか」と素っ気ない相槌だけを返す。舟雪の兄というのがどんな人物か、修威はまるで知らない。しかしそれがこの合宿に参加していないこと、そして魔法区域の中である山小屋の周辺にいるはずのないことは分かる。ならば昨夜舟雪が言う夢の中で彼を連れ出した兄というのはおそらく。

「苗田にとっては悪い夢じゃなかったのか」

 修威がそうぽつりと呟くように言うと舟雪はこれまた意外そうに目を見開いて、それからくしゃりと表情を崩して笑った。修威はそんな彼の笑顔にこそ驚く。

「そうだな、悪い夢じゃなかった」

「……そか。なら、いんでねぇの」

「うん。なあ明園(あけぞの)

「んー?」

「案外面白い合宿だったな」

 舟雪は滝ではなく修威の方を見ながら穏やかな顔をしている。修威は彼を横目で見ながら顔を滝の方へ向け、んーと唸ってから「くはっ」と吹き出すように笑った。

「そうだね、悪くねぇ合宿だった……勉強になりましたわ、色々とな」

 明日修威達がここを離れた後、この山の魔法区域はどうなるのだろうか。発端となった噴火から2年が過ぎ、魔法区域の消滅も近いのだろう。山守のヤマヒロや、あの花園もその役目を終えることになるのだろうか。そして全ては山の記憶が起こした魔法として夢の中に消え去ってしまうのだろうか。

 白い糸のような滝の流れが夏の陽射しを反射して辺りの緑に光の粒を投げかける。冷たい水が周りの空気を冷やし、滝の周辺だけは夏の暑さから守られた心地良い空間になっている。それもまた一種の魔法のようだった。

 修威は柵から身を乗り出して滝へと手を伸ばす。決して届くことのない距離だと分かっていても、少しでもその流れの近くに寄りたいと思った。隣で苦笑する舟雪の気配を感じながら、さらにその後ろで呆れ顔をしている真奈貴の視線も感じながら、光と風に包まれた修威は「ふひひ」と声を漏らして笑うのだった。

執筆日2015/05/31

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