1
合宿2日目、修威達は早速“魔法を鍛える”という目的のために武野澤教諭から与えられた課題をこなすことになった。合宿所としている山小屋を出発して山道をしばらく登り、途中にある2か所の祠に置かれた目印を取って戻ってくる、というオリエンテーリング形式の課題である。それにしてもチェックポイントが祠というのは何やら肝試しじみている。
勿論これは肝試しではなく魔法を学ぶための課題だ。だから学校での課外授業のように魔法を使って障害を排除しなければ進めない状況がいくつか登場する仕掛けになっている。その仕掛けを作ったのは勿論武野澤教諭であり、さらにジョージも一枚噛んでいるようだ。これはなかなか手強いことになりそうである。
さて、その手強そうな課題に挑むにあたり、修威達は二手に分かれることになった。メンバーは合わせて6人いるが、全員で山道を進むのは非効率的だと梶野が言ったためである。部長である雄也もその意見に同意し、修威達はそれぞれに拳を固めながら円陣を組む。音頭をとるのはやはり雄也だ。
「ぐーとぱーであったひと!」
「……ぶふっ」
グーを出しながら舟雪が吹き出した。どうしたの? と梶野が問えば彼は「いや、部長がこの手の掛け声を掛けるのが何だか意外で」と答える。当の雄也は涼しい顔で開いた右手をひらひらと振った。
「地域によってはぐーとちょきだったり色々だと聞いた」
「あ、うちんとこは大体グッチーだった」
「あたしの地元はパーだったけれど、あたしはいつもチョキを出したわ」
「寧子ちゃん、それって君だけ外れちゃうんじゃ……」
修威はグーにした手を開きながら、寧子もまた握った拳で梶野を軽く小突きながら組分けじゃんけんの掛け声についてひとしきり盛り上がる。真奈貴がパーの形にした手を掲げ、それを見た梶野も同じように開いた手を挙げた。
「とにかく、決まりだね。僕と雄也と真奈貴ちゃんで1チーム、寧子ちゃんとしゅいちゃん、ふなくんで1チーム。これでそれぞれチェックポイントを目指そう」
「うっす」
修威は開いた右手を再び握り締め、開いた左手にぱしんと打ち付ける。課題として仕掛けられた障害がどのようなものであるかは全く分からないが、やってやれないことはないはずだ。梶野がそんな修威を見てわずかに目を細め、それから寧子へと視線を向けた。
「寧子ちゃん、しゅいちゃんとふなくんを頼むよ」
「あら、あたしが保護者役?」
「君は2人の先輩だからね」
「先輩は後輩を踏んでもいいかしら」
「それは2人と相談して決めて」
寧子はにこにこと笑いながらとんでもないことを言っている。修威と舟雪はそれに一抹の不安を覚えながらも、拳が決めた組分けに従って課題に挑むことになったのだった。
今日も昨日と変わらず空が青い。森の切れ間から差し込む刃のような陽射しを片目で見上げ、修威はううと小さく呻く。麦わら帽子がなければ灰になってしまいそうだ。
「あんたはヴァンパイアか」
「こうじりじり焼かれると人間だって燃えたり溶けたりするぞきっと」
「しねぇよ」
寧子の後について歩きながら修威と舟雪はそんな他愛のないやり取りを交わす。今のところ登山道に変わったところはない。舟雪は起動したゲーム機を手に辺りに何か不審な物がないかサーチしつつ進む。
「それにしても、ワンちゃんのゲーム機はすごいわ。見えないことも分かるのね」
「ワンちゃんはやめてください先輩。……何でも分かるってわけじゃないですけど、こういう山ん中とかなら結構使えます」
「ゲーム、昔から好きなのかしら」
「……まあ」
「好きなものがあるのはいいことよ。きっとそれも魔法の力の源になるんだわ」
寧子は舟雪の手の中にあるパープルの携帯ゲーム機を指差し、いつもよりも少しだけ柔らかく微笑む。舟雪ははあ、と頷きを返しながら寧子の脚を見ていた。彼の視線の先にあるのは赤いミニスカートから伸びるすらりとしながらも適度に肉のついた魅力的な脚、ではなくおそらくその下にある真っ赤なハイヒールブーツである。山を歩くにあたっては邪魔としか思えないそれを履き、寧子は踊るような足取りで道を登っていく。
「ツッコんでいいのか分からねぇ」
「おう、ワンコ。俺もだ」
「ワンコって呼ぶんじゃねぇ」
「では雛摘先輩に倣って」
「ワンちゃんとも呼ぶんじゃねぇ。つうか犬じゃねぇ」
ぼそぼそぼそと囁き合う修威達をよそに寧子は土や小石で歩きにくいはずの道をまるでなんでもないかのようにするすると進んでいく。修威達は彼女に置いていかれないよう必死で後を追った。寧子の赤みがかった茶色い髪が跳ねるように揺れ、ふと気付いた様子で彼女が修威達を振り返る。
「ええと、疲れていないかしら?」
ハイヒールブーツ着用の寧子に尋ねられ、修威達は一瞬戸惑いながらも大丈夫だと答える。登山道とはいえこの辺りは傾斜も緩やかで、運動靴を履いて歩く分にはそれほど大きな負担はかからない。修威達の答えに寧子は「それならいいわ」と少しだけいつもの笑みを深くする。再び進む先を向いて歩きながら、彼女はふふっと小さく笑い声を漏らす。
「なんだか可笑しいわ。あたしの後についてきてくれる子達がいるなんて。まるでお母さんになったみたい」
「お母さんって」
随分と若い母親がいたものだ、と修威は思わず苦笑する。すると寧子は「そうね」と笑いながらこう言った。
「小さい頃読んだ絵本にね、お母さんになりたがった女の子のお話があったの」
山道を軽い足取りで歩きながら、寧子の声音は少しばかり時を遡っているようだった。
「勿論本物のお母さんじゃなくて幼稚園のおままごとの話よ。でもその子にはお母さんになれない理由があったの」
「お母さんになれない理由?」
「そう。その子はみんなと違ったのよ、少しだけね」
くすっ、と笑って寧子はそれ以上絵本の話をしようとはしなかった。修威と舟雪は怪訝そうに顔を見合わせながらも黙って彼女についていく。歩くことに集中しなければ置いていかれそうなほどに寧子の足は速いのだ。まるでこのような荒れた道を歩くことに慣れているかのように、彼女の歩きづらいだろう靴はどんどんと先へ行ってしまう。
無言の道行きがどれほど続いただろうか。不意に舟雪の手にあるゲーム機が聞き慣れない音楽を奏でた。修威は横目でその画面を見る。そこには森の中の一本道と、道を移動する3つの点。そして道に沿うようにして森の中を進んでいるらしい1つの大きな点が表示されていた。
「出たぞ」
舟雪は緊張を滲ませた声で短く言う。修威は何も言わずにポケットから取り出した竹串を槍の大きさに拡大して構えた。昨日ジョージが持ってきた食料の中にあった焼き鳥のものである。
「……明園、タレ臭ぇ」
「ちゃんと洗ってはきたよ」
「なんで串なんだよ! いつもの鉛筆でいいだろうが!」
「山ん中で鉛筆も変かと思って」
「無駄なとこにこだわってんじゃねぇ!」
舟雪のツッコミもまあまあもっともではあるのだが、竹串は鉛筆よりさらに構造が単純でかつ先端が尖っているため修威が武器として扱うには好都合なのだ。むしろ学校内で普段から竹串を持ち歩いてもいいくらいである。ただし確かに少々タレの匂いが漂う。
「この匂いに何か誘われてきたりしてな」
「そんな冗談みたいな間抜けはやめてくれ」
修威と舟雪がそんな言葉を交わしたそのときだった。3人の右手の森から俊敏な何かが飛び出してくる。咄嗟に竹串槍を構えた修威の前に飛び出した寧子が、現れた何かに痛烈な蹴りを見舞った。ぎゃん、とぎゅお、の中間くらいの悲鳴を上げてその何かは道の先に転がる。かと思いきやすぐに体勢を立て直して四つ足で立ち上がった。あら、と寧子が愉しそうな笑みを浮かべる。
「見たことがあるわ、躾のなっていないワンちゃん。舟雪の方がずうっと可愛いわね」
「先輩……いやもういいや」
何か言おうとした舟雪が諦める。実際、寧子の言動などこの状況では些細なことに過ぎない。修威達の前に現れたのはいつぞやも対峙した黒い獣だ。もじゃりとした硬そうな毛をまとわりつかせ、4本の肢と2つの耳と、そして1つの口に2つの金色の目を持つ犬のようで犬ではない奇妙な獣。それがどういうわけか今また目の前にいる。
「なんだよこれ、先生の仕業か?」
「だとしたら随分と嫌味なことしやがる」
「大丈夫よ、あたしがついているわ」
にっこりと笑う寧子の足元、その赤いブーツは最早ただの靴ではない。鋭利な凶器だ。修威と舟雪は課外授業を思い出しながら陣形を組み、2人の前で寧子が高らかに言う。
「さあ、かかっていらっしゃい!」
そして戦いの火蓋は切って落とされた。
執筆日2015/05/09




