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また山道をしばらく行くと、先程とよく似た鉄柵と鉄の扉に行きあたった。武野澤教諭の先導で扉を抜けた修威達はいよいよこの山の魔法区域に入ったことになる。目的の山小屋まではもうあと少しだ。
「そういや、その山小屋って魔法区域の中にあるんすね」
ふと思いついて修威は誰に言うともなく呟く。変なの、と。
「変?」
真奈貴が苦笑がちに問い返す。修威はうーんと一度唸ってから答える。
「だって山小屋って言っても無人じゃないんだろうし。それとも人はいないのかね?」
「さあ。でもいたっていいんじゃないの」
「魔法区域の中で生活すんの? その人」
「それこそ管理人がいた方がいいんじゃない?」
「でも、それじゃあその人はずっと魔法使いってことになるぞ」
くるり。修威は頭にかぶっていた麦わら帽子を取り上げると手の上で軽く回してみせる。それだけで帽子は修威の手の平に収まる程度の大きさにまで縮む。まるで人形用の帽子だ。
「お、本当に使える。四六時中魔法が使えるって、なんかそれも妙だと思うんだけどなぁ」
「……言われてみればそうかもしれない」
真奈貴は言われて初めて気が付いたという様子で頷いた。でしょ、と修威は少しだけ得意気に真奈貴を見る。今日はうなじの辺りでひとつに結わえている長い黒髪を揺らし、真奈貴は「そうだね」と言ってもう一度頷いた。
魔法区域に入ったといっても辺りの景色に特別変わったところはない。課外授業の時間になっても3階の教室や廊下がいつもと変わらないことと同じなのだろう。4階はジオラマを投影しているために荒野となっているのであって、魔法が使えるからというだけで環境が変化することはない。もしも修威達が自分に魔法を使うための能力があると知らなかったなら、たとえ魔法区域にいたとしてもそれに気付くことはないのだろう。
修威は帽子を元の大きさに戻してかぶり直す。つばの広い麦わら帽子を深くかぶると一瞬だけ視界が遮られた。編み込まれたわらの隙間から微かな光が目に入る。森の匂いと、そしてここまで歩き通しだったためにうっすらと汗ばんだ修威自身の匂いが混じり合って伝わってくる。修威は深呼吸をしようと顔を上げた。
「あれ?」
立ちくらみでもしているのだろうか。顔を上げたはずなのにまだ視界が暗い。修威は不調をやり過ごそうとただその場に立って時が過ぎるのを待つ。しかしよく考えてみれば頭はすっきりしているし、暑さと足の疲れ以外に体調のおかしなところもない。だというのに視界は暗い。
生い茂る木々の間から見える空は黒っぽく、とても真夏の空とは思えない。今日は雨の予報だっただろうか、と修威はぼんやり考える。いや、出掛けに見たテレビの天気予報では今日明日は快晴が続く見込みということだった。街は暑くなるだろうから山の中の方が涼しくていいかもしれない、と真奈貴と言葉を交わして出てきたのだ。その後合流した梶野も同じようなことを言っていた。
確かに涼しいと感じる。陽射しが遮られているせいか空から伝わってくる熱がない。しかしどういうわけか時折ぬるい風が山の上の方から吹いてくる。嗅いだことのない匂いの混じった風だ、とそこまで考えて修威は気付いた。ここは火山だという話ではなかったか。
魔法区域は火山の噴火の後にできる。この山の魔法区域も2年前の噴火によってできたものだ。どうして火山が噴火すると魔法区域ができるのかはまだ解明されていない。そこに因果関係があるかどうかもはっきりしていない。あるのはただ、火山が噴火した後に魔法を使うことのできる場所ができることがあるという、それだけの事実だ。
ぼうっとその場に立ち尽くしていた修威の肩を後ろから叩く者があった。梶野辺りだろうか、と思いながら振り返った修威はそこに見たことのない大きな人影を見る。見上げると日に焼けた厳つい顔が、やけに上機嫌な眼差しで修威を見下ろしていた。他には誰の姿も見当たらない。
「お嬢さん、この山は初めてですね?」
厳つい顔の大きな人影は少しざらついた声で紳士的に問い掛けてくる。茶色く焼けた髪を少し長めに伸ばして首の辺りでくくり、いかにも山男らしいチェック柄のシャツを着込み、しかしリュックサックは持っておらず腰に大きめのウエストバッグを巻き付けた壮年の男性だ。山男然とした出で立ちと裏腹に、彼はまるで大きなホテルの客室係のように優雅な様子で修威を手招く。
「ようこそいらっしゃいました。私はこの山で山守をしています、ヤマヒロと申します」
「やまもり、やまひろ?」
「はい。ここはこの通り長閑な山なのでございますが、何年かに一度は噴煙を上げ、灰を降らせることでも知られた山なのです。なものですから、私のような山守が常駐して山の様子を観察し、訪れるお客様にお知らせしているのです」
はあ、と修威はヤマヒロの言葉に生返事をする。山守とはまた古風な響きだが、つまりこの山の監視人ということなのだろう。公的なものなのか、それともボランティアか何かなのだろうか。国で立ち入りを制限している魔法区域の中で活動しているということは怪しい人物ではないはずだ。ヤマヒロについてとりあえず危険はなさそうだと判断したところで、修威は改めて今置かれた状況に気付いて彼に質問する。
「……あの、もしかして今この山噴火してるんですか」
恐る恐る尋ねた修威に対してヤマヒロは優しく首を横に振った。
「いいえ、お嬢さん。今この山はとても静かで、真夏の避暑にはもってこいでございます。この景色はいわば昔の名残。何しろここは魔法区域ですからね、ときには奇妙なことも起こります」
「昔の名残……?」
「人に記憶があるように、木や土地にも覚えていることというものがあるのでございます。この山は何百年も昔から噴火を繰り返して、その度にその記憶をこの地面に焼き付けてきました。記憶はやがて新たに芽吹いた草木に伝えられ、こうして時々花を咲かせるのです」
花と言われても修威にはよく分からない。黒ずんだ空と薄寒い空気、鈍い緑色をした森の奥から吹いてくるぬるい風。もしもこれを花と呼ぶのならそれはひょっとすると“死に花”といわれるものなのではないだろうか。そんなことがふと修威の脳裏をよぎる。
「縁起でもねぇ」
ふるり、と頭を振って修威は一度「はふっ」と強く息を吐いた。そして改めてヤマヒロの方へと向き直る。
「さっきから真奈貴ちゃん達が見当たらないのも、花の魔法のせいなんすか」
「ええ、おそらくそうでしょう。お嬢さんが今見ている景色はこの山が過去に経験し、覚えている景色です。眠っていた記憶が何かの拍子で花を咲かせたに違いありません。なら、花の魔法を閉じれば現実の光景が戻ってくることでしょう」
芝居がかった語り口で言うとヤマヒロは長い腕を大きく広げた。さあ、と彼はどういうわけか修威に微笑みかけ、そして促す。
「レーネ大和瀬高等学校の魔法使いのお嬢さん。あなたの魔法でこの花を閉じてください。そうすればご友人達のいらっしゃる景色が戻ってきますよ」
「……なんで学校のこと知って……?」
不審に思って問い掛ける修威に対してヤマヒロはただにっこりと、いやにっかりにやりと微笑んでみせる。にっこりと形容するには顔が厳つすぎるのである。そしてどうやらその辺りの質問に答えてもらうためにはまずこの景色、彼の言うところの“花の魔法”を何とかしなくてはならないらしい。
「山守さん、俺は魔法使いっていったってまだ学校入って4か月しか経ってねぇんすよ。そんな大層なことできるわけないですって」
「習ったのは4か月でも、お嬢さん方は10年選手でございます。あなたの得意の魔法で構わないのですよ。この山の記憶を感じて、その花を見出してくださればいい」
「うーわ……駄目だ、何言っても勘弁してもらえねぇ……」
左様でございます、と言ってヤマヒロはまたにっかりにやりと笑ってみせる。
「山では山守に従っていただきます。その上でしたら私はお嬢さん方のために心ばかりのおもてなしをしましょう。そういう決まり……ルールでございます、お嬢さん」
「山守のルール、か」
ふん、と修威は口先を尖らせつつヤマヒロの顔を見上げる。やはりどう見ても顔は厳ついが、細められた目は驚く程に優しい。そして修威はそれに気付く。
ヤマヒロの目の奥に小さな花のような形をした光が見えた。とても現実のものとは思えないそれはおそらく魔法の産物なのだろう。修威は右手を伸ばしてヤマヒロの顔にかざす。修威の魔法に呪文は要らない。
小さく小さくなってしまえ。
そう念じて軽く睨んだだけでその花のような光は砂粒よりも小さくなり、そして風に吹かれて呆気なくどこかへと消えていったのだった。
執筆日2015/04/18




