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緑である。いやがうえにも緑色である。つばの広い麦わら帽子に長袖シャツと長ズボン、それに荷物がそこそこに詰まった大きなリュックサックを背負い、修威は眼前に広がる緑を眺める。目を凝らしてよく見れば黄緑や黒に近い色も混じり合うその森の景色の中に一筋、茶色く踏み固められた道があった。道の先はどうなっているのか、森に紛れてよく見えない。ただしそこが決して街の舗装道路のように歩きやすくないことだけははっきりしている。
「まさかこのご時世にこんないかにもな山道がまだあったとは……」
「修威ちゃん、山登りなんだから当たり前」
戦々恐々といった調子で呟いた修威に対して真奈貴がこれまた決して元気いっぱいとはいえない声で冷静なコメントを返す。そうだよね、と頷いて修威は後ろを振り返る。そこには木人部のメンバーが、どういうわけかぽくじんも含めて勢揃いしていた。勿論顧問である武野澤教諭も一緒である。
「先生、なんで木人部の合宿で登山しなきゃなんねぇんすか」
「明園さん、今更何言ってるの。さあ登るよー!」
「うわ、聞く耳なしだ」
大学時代はワンダーフォーゲル部だったという武野澤教諭はさすがに装備も本格的なものを揃えている。通気性と断熱性を兼ね備えた薄手の上着に、リュックも背中の部分が立体的なメッシュ構造になっていて汗を逃がせるよう作られたものを背負い、足元は当然のように頑丈で歩きやすそうな登山靴だ。そして何より意気揚々と山に挑もうというその表情が本格的である。
『タケノサワ先生は自分が登りたくてこの山での合宿を計画したんでしょうネ』
雄也の背負うリュックの中から顔を出したぽくじんがそんなことを言い、後ろにいた舟雪から「一番楽してるくせに偉そうなこと言うな」とツッコミを受ける。そうは言うものの、ぽくじんの短い脚では一緒に山道を行くことは難しい。
「ってか、ぽくじんは連れてきちゃってよかったんすか?」
修威が雄也に問い掛けると、雄也は何でもないことのように軽く頷く。
「学校に置いておくより俺達と来た方がいいだろう」
「はあ。そういうもんっすか」
『アケゾノ、ワタシと一緒は嫌ですカ』
「嫌じゃねぇけど、そうやってリュックの中で楽して登れるのはうらやましい」
『ではアケゾノはカジノに背負ってもらえばいいでしょウ』
「ぽくじん、無茶言わない」
突然引き合いに出された梶野がそう言って笑い、そこへ寧子が「あら」と意外そうな声を上げる。
「梶野、いつもはしゅいちゃんしゅいちゃんってうるさいくらいなのに、背負ってあげないの?」
「うん、寧子ちゃん。僕がしゅいちゃんを可愛がっているのは事実だけど、さすがに背負って山を登るのは無理だよ。怪我でもしたなら話は別だけど、しゅいちゃん歩けるでしょう」
「そうっすね。……つーか俺はむしろ雛摘先輩の格好にツッコミ入れたいんすけど」
「あら、何かおかしいかしら?」
「……」
修威は呆れた目で寧子を見る。彼女の格好は一行の中で盛大に浮いていた。足元こそ歩きやすそうなスニーカーだが、彼女の着ている服は山歩きにはまるで相応しくないひらひらとした可愛らしいワンピースで、日除けのために羽織っている薄手のパーカーも街で着るようなものだ。梶野が困ったように笑いながら寧子を見る。
「一応、僕も昨日言ったんだよ。山を歩くんだったらもうちょっとちゃんとした格好がいいよ、って」
「だって登山用の服はあんまり可愛いものじゃないんだもの」
「本格的な登山ってわけじゃないから大丈夫だとは思うけどね……。最近の登山用品って結構可愛いものも多いような気がするけど、寧子ちゃんのお気に召すものはなかったの?」
どうやらそうらしい。寧子は梶野の言葉にへそを曲げたのか、彼の足をぎゅっと踏みつけてさっさと歩き出してしまう。悲鳴を上げた梶野の横を通り過ぎながら雄也が薄く微笑んで言う。
「雛摘なら問題ない」
「ゆっ……雄也がそう言うなら大丈夫なんだろうけ、どっ……痛い」
「……」
「雄也、なんでうらやましそうに僕を見るの?」
全員集合した木人部は相変わらずにぎやかだ。修威は自分と同じような山歩き用の格好をした真奈貴と目を見合わせて肩をすくめ、先を急ごうとする寧子を追って歩き出す。武野澤教諭が寧子に追いつき、そして後ろを振り返る。
「七山くん、しんがりは任せたよー」
「あ、はい。じゃあふなくん、僕の前を歩いて」
「うっす」
武野澤教諭の指示で梶野が最後尾を歩くことになり、ようやく一行は登山道へと足を踏み入れた。登山といってもこの道はそれほど険しいものではない。教諭の説明によれば地元の小学生が遠足で登る程度の山道だということで、危険な箇所や登るのに技術を必要とする場所もないそうだ。目的地である山小屋までは5キロメートル程度と、それほど距離があるわけでもない。
2年前に山頂付近で中規模の噴火が起きて以降、この山は山小屋のある7合目から先が立ち入り禁止になっている。登山道は今修威達が歩いているこの道も含めて3つのルートがあるが、他の2つは落石や道自体の崩落で通行止めになっているらしい。鬱蒼とした緑に包まれた山道を歩きながら、修威は時折森の奥へと目を凝らしてみる。しかし見えるのは木々とこんもり茂った下生えの草ばかりで他に目につくものは何もない。
「リスとかいないんかね」
「修威ちゃん、よそ見してると転ぶよ」
「うひゃがっ!?」
真奈貴が忠告した直後、修威はまるで図ったかのようなタイミングで足元の石につまずいてバランスを崩す。後ろを歩いていた舟雪が咄嗟に修威のリュックを掴み、修威は何とか転ぶことを免れた。
「うおお……お、ありがとうワンコ」
「礼を言うときくらいワンコって呼ぶんじゃねぇ」
「ありがとう、ワンコインザハゲ」
「ザって何だよ! つうかそれが礼を言う態度かよ!」
今日も舟雪はよく吠える。その反応がいつも予想通りで面白いので修威もつい彼を軽んじる態度を選んで取ってしまうのである。それに気付いているのかいないのか、舟雪は悔しそうにしながらも本気で怒ることはない。
進む先に道以外の人工物が見えてくる。それは鈍い銀色をした鉄柵で、上部には有刺鉄線をも張り巡らせた厳重な囲いだった。道に合わせて途切れた柵の間には頑丈そうな鉄の扉がある。のどかな山の景色を一変させるそれらの前で立ち止まった武野澤教諭が修威達の方へと振り返った。
「みんな、この向こうにあるもうひとつの扉を抜けたらそこはもう魔法区域だからね。事前に配った資料にも書いたけれど、魔法区域の中では当然魔法が使えるから気を付けて。合宿のプログラムに関係のない魔法は使うな、とまでは言わないけれど危険なことや公序良俗に反したことはしないように」
武野澤教諭はにこやかな表情と穏やかな口ぶりでそう言いおいて鉄の扉を開ける。見ると扉の横にはセンサーらしき青色のランプが光っていて、そこを人が通るたびにパチ、パチ、と明滅を繰り返しているのだった。教諭によれば、これで魔法区域に立ち入った者の生体データをスキャンして管理機関に自動送信する仕組みになっているらしい。そしてこの先にあるもうひとつの扉を通るまでにその人物に対して魔法区域への進入許可が下りているかどうかが照合され、予め申請しておいた進入許可が下りている者だけが扉を通って中に入ることができるのだという。勿論修威達については事前に武野澤教諭が申請手続きを終えてくれている。
「こんな山の中なのにすごい設備ですね」
舟雪が感心した様子で言うと、彼の後ろを歩く梶野がふっと笑みを漏らしながら答える。
「魔法区域だからね。課外授業もそうだけど、基本的に魔法は全部管理されていなければならない、っていうのが今のこの国の法律だから」
僕はそれには概ね賛成だよ。そう言って梶野は少しだけ下がっていたリュックサックを背負い直した。
執筆日2015/04/18




