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武野澤泰地は魔法理論の教師である。そして彼が今語った“魔法の始まり”は魔法理論という分野の中でも魔法史という名で分類されている。さらに言うなら、詳細はともかく“10年前に火山が噴火してから魔法が使えるようになった”という物語は修威達の世代の常識だ。当時まだ幼児だった修威に記憶はないが、今でもテレビの特集番組などでそのときの映像が流されることがある。だからその話それ自体は何も難しいものではない。
では武野澤教諭の問いに対する答えとは一体どういうことになるのだろうか。修威はんー、と小さく唸りながら教諭手製の資料に目を落とす。深緑の山は美しく、涼しげな滝の印象もあって非常に穏やかな様子に思える。しかし山の形を見ればその稜線は綺麗に左右へ広がりながら平野へと下り、こんもりと盛り上がった頂上付近には白茶けた地面が剥き出しになっている。ああそうか、と修威は声に出さずに納得した。これは、火山だ。
「2年くらい前でしたね、ここの山が噴火したのは」
真奈貴が静かな声で切り込んだ。うん、と武野澤教諭が頷く。真奈貴はそんな教諭を見て少しだけ目を細め、そしてさらに言う。
「魔法の始まりは火山の噴火でした。ということは、地中深くにある何かが魔法と関連していて、それが噴火で地表に出てくるとその近くで魔法が使えるようになる……ってことですね」
「はい、正解。大和瀬さん、もしかして知っていたのかな」
「父から聞いたことがあります」
「あー、やっぱり」
真奈貴の父親である養護担当教諭のジョージ・大和瀬は魔法理論教諭の資格も持っている。それならばその娘である真奈貴がこの答えを知っているのも道理だ。
「まー、どこの火山でもそうってわけじゃあないみたいだけれどね。噴火の規模とか、種類とか、その辺りは僕も詳しく知らないから何とも。それに火山噴火でできた“魔法区域”は長くても数年で消えてしまうことが分かっている。課外授業みたいに魔法が使えるかどうか操作することもできないし、今のところうまく産業に結びつけたりってわけにもいかないみたいだねー」
「そりゃあ勿体ねぇ話ですね」
わずかに身を乗り出しながら話を聞いていた舟雪がそう言って溜め息をつく。
「大和瀬が言った、魔法が使えるようになるための地中にある何か、ってのは詳しく分かってないんですか」
「その辺りは二学期に授業でやるよー」
「いや、今聞きたいんですけど」
「んー。答えから言うと、そう。何かっていうのが何なのか、形があるものなのかそうでないのか、それすらまだ解明されていない。だから火山の噴火で魔法区域ができるっていうのも起こった現象からの推測にすぎないんだ。研究の待たれるところだねー」
武野澤教諭は苦笑いで話を締めくくった。とにかく、2年ほど前に噴火したその山には魔法を使うことのできる場所、教諭の言うところの魔法区域がまだ残っているらしい。真奈貴によればそういった場所があることはジョージに聞いて知っていたが、その山がそうであるとは知らなかったということだった。魔法の使用を政府が管理している現在、発見されている魔法区域は当然政府の管理下にある。立ち入りには制限が設けられ、許可を申請しなければ中に入ることはできない。
「うちの学校はS・S・R指定校だから、前から打診はしてあったんだ。特別講習とかで使いたい、って。それにあそこの山は僕もよく知っているから」
山をよく知っているとはどういうことか。舟雪が素直に尋ねると、武野澤教諭もまたあっさりと答える。なんでも彼は大学時代にワンダーフォーゲル部に所属しており、あちこちの山や渓谷などを歩き回っていたらしい。今はもうほとんど山には縁がなくなっちゃったんだけどね。そう言って教諭は昔話を終えた。
大方の説明が済んで、夏休みに山で合宿を行うということに関しては皆が了承した。あとは日程についてだが、これはそれぞれに帰省の予定もあるだろうからと武野澤教諭が全員の希望を尋ねる。修威はすぐにひょいと手を挙げて発言した。
「俺、いつでもいっすよ。帰省とかしないんで」
「え? そうなの? おうちの方の都合がつかなかったとかかな」
「それもあるし、第一面倒だし。だから俺の予定は気にしないでいいですから」
言うだけ言って、修威は座っていたソファの背もたれにぐにゃりと寄り掛かる。魔法理論科準備室に備え付けられたソファはお世辞にも上等とはいえないものだが、程よく硬い座面と柔らかな背もたれのクッションがなかなかに修威好みだ。
ソファに寄り掛かってぐもぐもと動いている修威をちらりと見た真奈貴が少し間を置いてから教諭に向かって「私も大丈夫です」と言う。
「実家は寮のすぐ近くですから」
「ああ、そっか。大和瀬さんは大和瀬先生の家があるもんね」
「ええ」
残る4人のうち、雄也を除く3人がお盆に合わせて帰省したいと希望を言う。少しぼうっとしている雄也に対して梶野がにこりと笑い掛ける。
「雄也、予定がないならまたうちに来るかい」
「ああ……七山の家に迷惑でないなら、お邪魔させてもらおうか」
「はは、その辺りは心配ない。じゃあそういうことで」
こうして木人部の夏季休暇特別合宿はお盆を外して決行されることとなった。詳しい日程はこれから先方と連絡を取り、学校とも相談して決めるということなので今日のところはこれで解散となる。詳細が決まったらPHL……ぽくじんホットラインを使って知らせるから、と武野澤教諭は言った。
寮へと帰るバスの中、修威はぼうっと窓の外を見やる。街までの道は林に挟まれた上り坂で、今は深い緑に覆われた木々が茂って何やら山の中のような雰囲気になっている。山か、と修威は誰にともなく呟いた。
「しゅいちゃん、山登りは初めてなの?」
前の座席から梶野がそう声を掛けてくる。終業式後に校内に長く残っていたのは修威達くらいのものだったようで、バスは木人部の貸し切り状態だ。こうなると遠慮も秘密も何もないので話題は自然と夏合宿に関するものになっていく。
「そうですね、山ーっていうほどの山に行くのは初めて、だと思います」
「そうなんだ。じゃあ出発前に色々準備しないとね」
「七山先輩は山詳しいんすか。ああ、七山だから詳しいんすか」
「うん、しゅいちゃん。苗字は関係ないよ」
そっすね、と修威は素っ気ない相槌を打つ。梶野が何か言いたそうに振り返って修威を見ていたが、やがて彼も諦めたように視線を前に戻した。
「しゅいちゃん」
「うい。何ですか、七山先輩」
「もう付き合いも長くなったし、そろそろ梶野お兄様って」
「呼ばないっすよ」
「そう。じゃあ代わりにお盆になったら君もうちに来ない?」
「……はあ?」
突拍子のない提案に修威は思わず呆れ返った声を出してしまう。がたん、と音がした。見れば通路を挟んだ向こうの座席で舟雪が荷物の入ったリュックを取り落としたところだった。
「ふなくん、そんなに大袈裟に反応しなくてもいいよ」
「いや、いいよじゃなくて。先輩、どさくさに紛れて何言ってるんですか」
「だってしゅいちゃん、帰省しないんでしょう? お盆の時期は寮も人が少なくなるよ。寂しいんじゃないかなと思って」
「明園が寂しがるタマですか」
そう言ってから舟雪はそろりと窺うように修威を見た。修威はそんな彼に向かってとりあえず少しばかり面白い顔をしてみせる。白目を剥いて口をへの字に、そして鼻の穴を大きく広げ。
「おいやめろ明園」
「しゅいちゃん、やめて」
「明園、それは駄目だ」
「しゅーいくん、ひどい顔よ」
「……恥ずかしいからそういうことしないで、修威ちゃん」
「総攻撃!?」
さすがの修威も5人から一斉に非難の声を浴びせられれば大人しくなるしかない。座席の上で小さくなりながら「うー」と唸る修威に、梶野が軽やかに笑いながら告げる。
「もし気が向いたら本当に来てよ。そしてあとは山での合宿を楽しもう。いい夏になるよ」
「だといいんすけど」
「しゅいちゃんも協力してね」
「うーい」
一斉攻撃を受けた後ということもあって修威は素直にそう返事をしたのだった。
執筆日2015/04/02




