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「皆、山に行こう!」
子どものように目をきらきらと輝かせて、その年若い男性教諭は天井へ届けとばかりに拳を振り上げた。対してその場に集まった修威達はただ沈黙して彼のその眩しい姿を眺めるばかりである。それもそのはずで、呼び出しに応じて魔法理論科準備室にやってきた修威達木人部の面々が揃うなり顧問である武野澤教諭は何の説明もなしにいきなりはしゃいだ声を上げたのである。10代の冷静な視線を集中的に浴びた武野澤教諭は心なしかしゅんと肩を落とした。
「のりが悪いなー」
「乗る乗らないの前に話が唐突すぎるんですよ、先生。もしかして前に言っていた夏休みの合宿の話ですか?」
梶野が苦笑しながら助け船を出すと武野澤教諭は「うんそう」とこれまた子どものようにこくりと首を折って頷く。今日の教諭は何やら童心に帰っているようだ。
「僕の知っているところでよさそうな施設があってねー。試しに聞いてみたら高校生の合宿も受け容れるって言ってくれたから。みんながいいっていうなら本格的に準備しようかなーと思って」
そう言って武野澤教諭は魔法理論科準備室にある彼自身の机の引き出しから何やら資料らしき紙束を取り出す。律儀に人数分印刷されたそれはフルカラーで、まず1枚目に“第1回レーネ大和瀬高等学校木人部夏季休暇特別合宿”というタイトルがでかでかと踊っていた。この文字だけを見ても教諭の力の入れようが分かるというものである。この資料を受け取ったら最後、嫌とは言いがたい雰囲気のものだ。そうは言っても内容を見てみないことにはいいも悪いも判断のしようがない。修威は少しばかり怯えつつも資料のページをめくった。
武野澤教諭が開口一番に言った通り、そこには深緑も鮮やかな夏山の写真が大きく貼り付けられている。隣には白い糸のような水を落とす滝の写真もあり、夏の最中に涼を求めて行くのであれば確かに気持ちがよさそうだ。ふうん、と頷きながら修威は次のページをめくろうとする。しかしそのとき、梶野が少しだけ強い語調で武野澤教諭に意見した。
「先生、よろしいですか? 修威ちゃんはこの間の課外授業……正確に言えば課外授業中に起きた謎の獣の襲撃で大怪我をしています。この夏休みは休養に充てた方がいいのではないかと」
「え、俺は別にだいじょぶっすよ」
まさか自分のことを話題にされると思っていなかった修威は驚いて口を挟む。教諭が梶野と修威を交互に見た。
「明園さん、怪我の方はどうなの?」
教諭はまず修威にそう尋ね、修威はありのままを答える。あの襲撃で修威が負った怪我は主に脇腹の打ち身と右太腿の噛み傷だった。報道されているような“狂暴化した野犬”とは到底思えないほどの大きく鋭い牙によってつけられた右太腿の傷は深かったが、幸いすぐに病院に搬送してもらい丁寧に縫い合わせて止血と輸血の治療を受けることができたため大事には至らなかった。脇腹の打ち身は内臓の損傷にまでは至っておらず、それもまた幸いだった。
「もう抜糸も済んでるし、よっぽど激しい運動じゃなきゃ大丈夫だって医者も言ってました」
「そう、よかった。そんなに激しい運動をさせるつもりはないよ。何しろ木人部の合宿だしねー、運動部とはわけが違う」
武野澤教諭は笑顔でそんなことを言うと、改めて梶野の方へと向き直った。
「明園さんは聞いての通り、大丈夫だって。体調には配慮するし、無茶なことをさせるつもりもない。七山くん、僕はあなた達に怪我をさせたいわけじゃあないよ」
「……そう、ですか」
梶野はまだ何か言いたそうにしていたが、そのうちわずかに表情を変えて頷く。
「分かりました。それならもう僕からは反対意見はありません」
ぺらり。修威は教諭の用意した資料をめくり、新しいページに目を落とす。合宿所として“山洋荘”という山小屋を使うと書かれている。そして修威はふと先程の梶野の態度について思いを巡らせる。
そう、先程の梶野はいつも余裕の笑みを浮かべておどけてみせる彼とはどこか雰囲気が違っていた。修威のことを引き合いに出したのはどういう考えからなのか。そして彼もまたあの獣のことを“野犬”とは言わなかった。修威達が獣と戦ったとき彼はその場にいなかったはずだが、あるいはどこかで彼もあれを見たのかもしれない。
「先生、いいかしら」
ふと寧子がどこかふわふわとした様子で声を出す。ん? と武野澤教諭が応じる。
「はい、雛摘さん。何?」
「山小屋で木人部の合宿、というのは分かったわ。でも私達、そこで何をするのかしら。木人作りなら学校でやった方がいいでしょう?」
それはもっともな話だ。わざわざ山まで行って木を切るところから始めるというわけでもなかろうし、修威達木人部が山にこもって何をする必要があるというのか。一同の視線を浴びながら武野澤教諭はうんうんとふたつ頷いてから答える。
「前にもちらっと言ったけれど、1年生のみんなも4階に進んで、木人部は校内のホープだ。二学期からの課外授業の充実のために、それとそれぞれの魔法を鍛えるために、この合宿を計画した」
「魔法を鍛える、ですか」
真奈貴が教諭の言葉を繰り返す。そして「どうやってですか?」と尋ねた。
「山では魔法は使えませんよね」
「そう思うでしょう? でもそれが……使えるんだよ」
「えっ」
真奈貴が彼女にしては珍しく動揺を顔に出す。修威達は彼女以上に驚きを露わにしていた。そして武野澤教諭は一瞬だけ廊下へと続くドアへと視線をやり、それから再び修威達へと目を戻して話し始めた。
10年前、この国に魔法が現れた。
きっかけはひとつの火山の噴火だった。当時大学生だった武野澤教諭はそのニュースをテレビで見たという。大きな火山が黒煙と石を噴き上げ、山肌を赤く溶けた岩が流れ下った。それから少し経ったある日、この国に魔法が現れた。
手で触れていないのに物が動く、想像しただけで目の前の土がその形になる、双葉を出したばかりの植物がたった数時間で2メートルも育つ。そのような常識では考えられないことが国のあちらこちらで起こった。各地で起きる小さな事件は初め、ただの奇妙な事件だと思われていた。俗に怪奇現象と呼ばれるような突拍子もない話、つまりはどこかの誰かが吹聴したでたらめだと。しかしそんな矢先にこの国の政府が、国民の誰も信じられないようなことを公式の場で発表したのだ。
「この国に魔法が現れた」と。
発表後数日の間、人々はそれを信じなかった。信じることなどできなかった。当時の人々にとって魔法などというものは子どもじみた空想の産物で、実在するはずのないものだったのだ。古くから人知の及ばない謎というものはいくらでもあったが、それがたとえ魔法だったとしても自分達には関係のない話だ……誰もがそう思っていた。魔法は人々の現実からはとても遠い存在だった。
しかしそれから数日のうちに世界のいくつかの国でやはり火山の噴火が起きた。そしてその後、現場周辺でまるで魔法のような奇妙な出来事が起き始めた。報道がそれらの現象を結び付け、さらに各国政府による公式発表が相次ぐ。“魔法”が世界の常識を瞬く間に塗り替えたのだ。
それから10年の時を経て、今となってはもう魔法の存在を疑う者はいない。世界では一時は使えた魔法が消失したところもあるという。しかしこの国ではどういうわけかずっと魔法の力が消えなかった。そしてその使用を政府が管理することで魔法を利用した救命活動や警備活動が普及し、さらにはS・S・Rという形で教育現場にも魔法が取り入れられている。
最早この国にとって魔法は現実であり、一種の資源でもあった。
「さて、ここで問題だ。どうして合宿地の山では魔法が使えるのでしょうか?」
武野澤教諭はそう言って少しだけ意地悪そうに微笑んだ。
執筆日2015/04/02




