2
「来たな」
修威が指定された体育倉庫に着くと、そこにはすでに雄也が来て待っていた。技術室にいたときには着ていた作業服の上着を脱いで、赤いTシャツと作業ズボンという出で立ちである。確かに空調の効いた教室と違って倉庫は暑い。修威はワイシャツの胸元を緩めながら「来たっすよ」と答えた。
「終業式は第1体育館で行われる」
「そうですね。……さすがに知ってます」
「ここでサボるのもいいが、それよりもっと風通しのいい場所に行こうと思う。どうだろうか?」
「はあ」
蒸し暑い体育倉庫の中でそう言われれば修威の答えはひとつである。
「とりあえずもうちょい涼しいところがいいです」
「よし」
雄也は何やら満足そうな笑みを浮かべ、何を思ったのか倉庫の中に積み上げられた体操マットをかき分け始める。彼の意図が分からない修威はただ黙って見ているだけだ。そのうちに雄也はマットの後ろに隠れていた壁をトントンと叩いて何かを確かめている。そして彼は修威に手招きすると、もう片方の手で壁に取り付けられた取っ手をくいと横に引いた。すると壁に人ひとりが何とか通れるくらいの入り口が現れる。
「わお。何すか、これ」
「体育館のステージに物を運び込むための搬入通路だ。普段はあまり使われないが、たとえば学校祭の出し物でステージから消えた役者が体育館の入り口から現れる……といった仕掛けにも利用されたりする」
「ほおー」
ということはこの通路の先は体育館の正面に設えられたステージへと繋がっているのだろう。そこでは終業式らしく校長のスピーチが行われるはずだ。まさかそこへ乗り込む、というわけではなかろう。確かに風通しはいいかもしれないが間違いなく教師に見付かって大目玉をくらう。さて、では雄也はここからどうしようというのだろうか。疑問を顔に出す修威を見ながら雄也はついてこいと言って搬入通路にその身体を滑り込ませる。修威もひとまず後を追った。
搬入通路は体育館の基礎部分をそのまま利用しているらしく、壁はコンクリートが剥き出しでところどころから外の光が差し込んできており、床には砂利が敷き詰められている。上靴で踏むとじゃっじゃっと鳴るそこを、雄也はどういうわけかとても静かにすり抜けていく。修威だけがじゃっじゃっと靴を鳴らしながらついていく。そのうちに2人の頭上でがたがた、ばたばたと大きな音がし始めた。他の生徒達が体育館に集まってきたらしい。これなら多少砂利を鳴らしたところで誰にも気付かれることはないだろう。
やがて薄暗い通路の先に取っ手のついたドアが見えてくる。雄也はそこで一度立ち止まると、音を立てずにほんの少しだけドアを開けた。様子を確認した雄也がドアを半分だけ開けて、修威を手で招く。彼に従ってドアから外に出ると、そこはステージの下手側の袖だった。暗幕に隠れて下からは見えないそこから雄也は舞台裏へと入り込む。
舞台裏には資材置き場と、ごく狭い階段がある。階段の上にはスポットライトを設置するための狭い空間と窓があるだけで他には何もない。ましてや2人が長い間留まっていられるような場所があるはずもない。しかし雄也はするすると階段を上ると、スポットライト台の真上の天井に手を掛けた。なんとそこにも取っ手があり、横にスライドさせて開けるタイプのドアがついていたのだ。そろそろぽかんと口を開けるよりほかなくなってきた修威の手を引いて、雄也は天井裏へと上がる。
ひゅっ、と一瞬風が吹き抜けた。
「……っ!?」
修威は危うく声を出しそうになり、思わず両手で口元を覆う。ほんの少しだけ漏れた声は足元で生徒達が立てるざわめき声にかき消された。雄也が軽く声を立てて笑う。
「はは。少しぐらい声を出してもばれやしないぞ」
「……そりゃまぁ、そうかもしれねっすけど……」
正直なところを言うと、修威は少しどころでは済まない声を張り上げそうになったのだ。それも仕方のないことである。スポットライト台の天井にあるドアを抜けた先は体育館の高い窓の位置にある狭い通路に繋がっていたのだ。薄緑色のペンキが塗られただけの簡素な通路の向こうにバドミントンのシャトルがひとつ、ぽつんと転がっていた。そしてそのすぐ下にはすでにほとんどの全校生徒が揃って終業式が始まるのを、あるいは始まる前から終わるのを待っている光景がある。
「もう少し上に行こうか」
そう言って雄也は通路の脇にある緑色の梯子を指差した。
「え、上れるんですかこれ」
「ああ。落ちるなよ」
「う、うい」
運動神経には負の自信しかない修威だが、ここは大人しく雄也についていくことにする。身軽な木人部部長は作業服の動きやすさも活かしてやはりするすると梯子を上っていく。修威はおっかなびっくりその後について上っていった。
梯子を上ると、そこは体育館の天井近くに架けられた頑丈な梁の上だった。一応人が上ることを想定して造られているようで、両側には鉄柵がある。しかしその幅は1メートルと少しあるかないかといったところで、高さを考えると非常に心許ない。修威は緑色の鉄柵をがっちりと掴みながらそろりと梁の下を見る。高い窓から吹き込む風が修威の短い髪を揺らし、その下では制服に身を包んだ生徒達がそれなりに綺麗に整列している。
「ひいえぇえ……すっげぇえ……」
「なかなかいい場所だろう」
「そうっすね……」
思わず正直に頷いて、しかし修威はふと気付いて雄也の方を振り返る。
「って、歳沖部長。せっかくサボりに来たのにここじゃ終業式丸見えじゃないですか」
「ああ。だが俺達はそれに参加しているわけじゃない。あくまで見物しているだけだ」
「見物」
「“高みの見物”ってやつだ」
言葉通りだと言って雄也はまたにっと笑ってみせる。初めて会った頃には表情らしいものさえまともに見せることのなかった彼だが、いつしか修威の前でもこうして笑うようになっていた。あるいは、修威が彼の微かな笑顔に気付くことができるようになったということなのかもしれない。
司会役を務める教師がステージの脇に立って終業式が始まる。全校生徒が一度に、しかしよく見るとてんでばらばらに礼をして、その光景が滑稽で修威はくふっと笑い声を漏らす。全校集会をこうやって天井から見る日が来るとは夢にも思わなかった。
「見物、ってんなら結構面白いっすね。歳沖部長、ありがとうございます」
「気に入ってくれたなら俺も嬉しい。ところで明園、こういう高いところにある狭い通路のことを俗に何ていうか、知っているか?」
「ふい?」
雄也の指が体育館の天井に架けられた長い緑色の梁を示す。修威は素直に首を傾げた。
「キャットウォーク、だ」
ふっ、と笑って自身を野良猫とたとえた部長が言う。まるで子どもがとっておきの秘密を明かすかのようなその口振りに修威は可笑しくなって「ふひゃひゃ」と笑った。
2人の足元では校長がステージ中央の演台に立ってスピーチを行っている。その中で校長は先日の課外授業中に起きた“野犬の侵入”についても触れ、学校側の安全対策を強化することを約束した。修威はそれを真上から眺め、少しだけつまらなそうに口を尖らせる。そんな修威を見ていた雄也がふと静かな声で尋ねた。
「明園。俺に何か聞きたいことはないか」
修威は顔を上げて雄也を見る。青灰色の眼差しが真っ直ぐに修威を見ていて、修威はその視線を受け止めきれずに少しだけ下を向く。雄也が何について言っているのかは分かっていた。
以前、修威と舟雪があの通称“野犬”という金色の瞳の獣に出くわしたその後のこと。雄也は獣の絶命した場所に花を手向けていた。その理由を尋ねたときに彼は野良猫の習性だと答えたのだ。
疑問がないわけがない。
しかし、それを今ここで雄也に問い詰めてみようという気にもならない。
「今はいいです」
修威は特に取り繕うことなくそう言った。
「もし聞きたいと思ったら聞きますけど、そしたら答えてくれるんすか」
問い掛けはほんの少し挑戦的に響いたかもしれない。修威はその一瞬だけ雄也の目を真っ向から見ていた。雄也の瞳はわずかも揺れなかった。
「ああ」
約束する。気ままな野良猫にも似た部長はそう言って強く頷いた。
執筆日2015/03/25




