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レーネ大和瀬高等学校は全寮制の仕組みを採用している。これはS・S・R指定校の先駆けとしてこの学校が創立された際に、生徒の生活をある程度観察し管理する必要があったためといわれている。魔法という新しい技術を生徒に扱わせるにあたり、身体面・精神面での影響がどれほどあるのかを見極めなければならなかったというわけだ。今では魔法の使用による人体への影響に関するデータも蓄積され、全寮制という形で生徒を管理する必要性はほとんどない。しかしレーネ大和瀬高等学校では生徒を学力面・生活面など多方面から包括的に指導し教育するためとして全寮制を続けている。
さて、その学生寮だが意外と校舎そのものからは離れたところに建てられている。校舎は最寄りの街からバスで20分程走った郊外にあり、周辺には広い土地を活かして研究林や野外演習場なども整備されている。ならば学生寮もその辺りに建てればいいように思われるが、それに反対したのが最寄りの街だった。せっかく新しい学校が設立されてたくさんの学生が訪れるというのに、郊外で生活が完結してしまっては街の利益にならないではないか、という言い分である。結局生活の利便性を考慮するという名目で学生寮は街の中心に近い住宅地の外れに建てられた。そして生徒達は毎日学校と街が共同で運用しているバスに乗って寮と校舎とを行き来することになったのだ。
放課後、部活動などで校舎に残る生徒のためにバスは1時間に2本の割合で午後8時まで運行している。修威は真奈貴と共にバス停まで来て、そして腕時計と時刻表を見比べた。
「げ、出たばっかじゃん」
「しばらく来ないね」
折悪しく、バスは2分程前に発車してしまったばかりで次の便が来るまで30分近くある。真奈貴はバス停に設置された屋根つきのベンチに腰を下ろして、いつものように本を読み始めた。修威は肩掛けの鞄を一度よいしょと担ぎ直し、それからふんと鼻息荒くその場に仁王立ちする。虚空を睨んでもバスはやってこない。
「待つのめんどくさい」
ぼそり、と修威が呟くも真奈貴は特に反応しなかった。修威は一度友人の方を振り返り、彼女が実に優雅な様子で読書に熱中しているのを見て溜め息をつく。残念ながら修威は何もないところで時間を潰す有効な方法を知らない。
「真奈貴ちゃん、俺歩いて帰るわ」
「そう。気を付けてね」
「おー、まった明日ー」
「多分寮で会うけどねー」
「それもそうだー」
徐々に遠ざかる友人の声を背に、修威はからからと笑う。そして普段はバスで通う道をのんびりとした足取りで歩き始めた。
寮と校舎を結ぶバスは1時間に2本だが、もう少し街に近付けば普通の路線バスや地下鉄も運行している。一番近いバス停で、校舎から歩いて20分程度の距離だ。散歩と思えばそれも悪くない。そして恵まれたことに、レーネ大和瀬高等学校の学生証を見せれば最寄りの街の公共交通機関は全て無料で利用できる。同じ無料ならば30分黙って待つより20分歩いてそれからバスに乗った方が、少なくとも修威としては退屈しなくて済む。
校舎は周辺より少しだけ低い窪地に建っている。街へと向かう道は林に挟まれた上り坂で、修威はそこをてくてくと歩いていく。空は青く、5月の爽やかな風が頬に心地いい。もう少しするとこの風に湿った水の匂いが混じり出すのだろう。
1人で歩いていると、修威はここへ来たばかりの頃を思い出す。中学校までは地元の公立校へ通っていた修威にとって、全寮制の高校というのは未知の世界だった。元々人の輪に馴染む性格でないことは自分でもよく分かっていたので、孤独に過ごす時間が増えるのだろうとぼんやりと想像していたものだ。しかし意外と修威は本当に独りにはならなかった。課外授業を通じて梶野と知り合い、真奈貴に話し掛けられ、今日は雄也という新しい先輩にも出会った。修威は人の輪に馴染むことが苦手であるが、他人との交流を嫌っているわけでもない。向こうから伸びてきた手を取って繋がることはごく自然で、修威にとっても悪いものではなかった。
「不思議なもんだねぇ……」
木漏れ日の煌めく坂道をゆっくりと歩きながら、修威はどこか面白がる調子で呟く。ついひと月前から修威の日常となったこの環境は、思っていたよりも修威の性に合っているようだった。ただし、授業中の居眠りだけは修威自身にもどうしようもないのだが。
眠いものは眠いし、退屈なものは退屈なのである。
やがて道の脇の林が切れ、ぽつりぽつりと住宅が増えてくる。合間にコンビニエンスストアを挟んでもう少し歩けばバス停がある。その途中で修威はふと足を止めた。
「んむぅ、そういやあれもう出てるんだっけか」
見上げる修威の視線の先にあるのは大型の書店だった。1階が雑誌や一般の書籍、2階には専門書の売り場とリユース商品の取り扱いコーナーがある。中学生の時から愛読している漫画の最新巻が発売になっていることを思い出した修威は道を逸れて書店へと入っていった。
魔法がこの国に出現したのはほんの10年ばかり前のことである。それが瞬く間に全国に浸透し、今や誰もが自分になにがしかの魔法があることを知っている。それは例えば中学校の入学時に行われる特殊適性検査であったり、成人であれば保健所や保健センターで簡易的に受けることのできる検査で判明するものなのだ。修威達の年代にとって魔法とは身体能力の一種と捉えて差し支えないものになっている。
そんなわけだから当然のようにそれらについて様々な解説を綴った書籍も刊行されている。内容は学説として確立されているものから巷間の噂を集めたようなものまで様々で、結局どれを手に取っても魔法について分かることはあまり多くない。何しろ世に知られてまだ10年という短い時間しか経過していない事柄なのだ。情報は氾濫すれどどれも信憑性に欠ける。信じていいのは自分の魔法と自分が見た魔法だけだよ、というのは梶野の言葉である。
「そしてなんで俺は魔法関連書籍コーナーに立ち寄っているんでしょうか」
独り呟く修威の鞄にはすでに購入済みの目当ての漫画が入っている。用事は終わったはずなのに何故かぐるりと店内を見て回ってしまう。それが書店の罠である。
修威は棚に並んだ本の背表紙をざっと眺め、興味の湧きそうなものを探す。『初めて魔法が分かったら』『魔法属性タイプ別相性』『魔法と誕生日は関連しているか』『魔法殺法』。
「殺法って物騒だなおい!」
ツッコミの言葉を放ちつつ、修威はその隣にあった『珍しい魔法いろいろ』という薄めの本を手に取る。値段は700円と手頃である。
学校で梶野に言われた言葉が頭に引っかかっていた。正確には梶野が真奈貴に対して言った言葉であるが、修威についてのことであるのは間違いない。彼は修威の持つ魔法を珍しい属性だと言っていた。
「俺の魔法、珍しいんかね?」
鉛筆を槍のように巨大化させる、というのが修威の魔法である。別に鉛筆でなくても、普段使うようなものであれば何でも大きくすることができるし、それを縮めることもできる。勿論、元の大きさに戻すことだってできる。ただ、テレビやパソコンのような電子機器や人間、動物の大きさを変えることはできない。それが今まで色々と試してみて分かった修威の魔法の特性だった。
中学校の入学時検査で修威は自分の魔法を一通り試させられた。その結果、何ができて何ができないのかがある程度分かった。テレビは無理でも懐中電灯は大きくできる。ただ中の電池が小さいままであったために大きくなった電球はただのガラス玉でしかなかった。当時愛用していた軸が太いシャープペンシルを大きくしてみたところ、重すぎて持つことができなかった。だから高校でも課外授業で用いるのは軽い鉛筆なのである。
「まぁ、珍しかろうが何だろうが、どう役に立つのかが重要なんだろうけんども」
ぶつぶつと呟きながら修威は速いペースで本のページをめくっていく。その手があるページでぴたりと止まった。
執筆日2014/11/09