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『おはようございます。今日最初のニュースは、先週から相次いでいる各地への隕石落下と野犬の出没に関する速報です。この事態に対して政府は緊急の対策会議を招集し……』
学生寮の共用ホールに置かれた大型テレビが先日の事件に関する報道を流している。そう、事件だ。あの課外授業の日、レーネ大和瀬高等学校の校舎内に野犬が侵入した。その野犬は定期考査の初日に街の近くに落下した隕石の影響により狂暴化しており、生徒や職員を襲った。修威以外にも何人か怪我をした生徒がいるらしく、学校側の対応に問題がなかったかなど色々と面倒な調査を行うことになったらしい。そして不思議なことに、その日以降街の中で魔法が使えるということはなくなっていた。
報道は全国的に隕石落下と、それと時を同じくしての野犬の出没が相次いでいると伝えている。しかし街の中で魔法が使えるという話題はこの街についても、また他の場所についても一切報じられていない。妙な話だ、と修威は画面の向こうで神妙な面持ちをしているコメンテーター達を睨み付けるように見ながら思う。
宇宙物質の研究をしているというどこかの大学教授がスタジオに招かれて意見を求められている。教授は難しい顔をしながら、隕石に含まれていたホルモン様の化学物質が野犬に影響を与えたという見解を述べている。修威はふんと鼻で笑う。
「野犬? んな馬鹿な。あんな犬がいるかよ」
そのとき修威の学生服のポケットが震えた。正確にはその中に入っていた携帯電話がぴろりろと音を立てて震えた。朝から何だ、と思いながらも着信を確認した修威は「ん?」と声を上げる。着信は通常のメールや通話ではなく、PHL……“ぽくじんホットライン”という木人部専用の連絡ツールからのものだったのだ。普段は昼休みなどに部活動の予定を伝えてくるそれが、今日に限っては朝食中のこの時間に連絡を寄越した。何事だ、と思いながら内容を見た修威はこきり、と音を鳴らしながら首を傾げる。
「“緊急ミーティングのお知らせ”……終業式が終わったら魔法理論科準備室に集合?」
いつもの技術室ではなく魔法理論科の講義資料などが置かれた準備室への呼び出しだ。それはともかく、修威はこの連絡によって今日が終業式であることを思い出す。いや、正確には朝から当然知っていたのだが、忘れようとしていたのだ。全校集会などの場はどうにも苦手な修威である。
「まー、式は寝てても別にいっか。ミーティングあるってんならー、サボらないで学校行きましょうかねー」
そうぼやくように言いながら修威は座っていたソファから立ち上がり、大きく伸びをする。テレビはまだ隕石落下と野犬の出没について伝えていたが、修威はリモコンを操作するとばちりと画面を消した。沈黙したテレビに背を向けてもう一度伸びをすると、修威は今度こそ共用ホールを後にする。
それから少しして、朝食を終えた生徒達が出掛ける前に一休みしようと共用ホールへとやってくる。誰かがテレビのスイッチを入れたが、すでに報道番組は終わっていた。
いつものように他の生徒達より早く登校した修威は慣れた足取りで技術室へと向かった。朝の技術室に何があるわけでもない。しかしこれはもう修威の習慣になっているのだ。そして木の机と椅子が並ぶその独特の空間でしばらくゆるりと過ごし、ときにぽくじんや雄也と短い会話を交わしてから教室に向かう。そうすると少しだけ、修威の気持ちは落ち着くのだった。
さて、今朝の技術室には誰かいるのだろうか。そう思いながらドアの取っ手に手を掛けた修威の耳に聞き慣れた声が聞き慣れない調子で届く。修威は思わず手を引き、耳をそばだてた。
『お前の言いたいことは分かる』
『そう。いや、僕は何もお前を疑っているわけじゃない。ただ』
『……梶野』
雄也の声が静かに会話の相手の名前を呼んだ。気付かれたと気付き、修威は大人しくドアを開けて中に入る。
「おはようございやっす」
「ああ、おはよう明園」
「……っ。おはよう、しゅいちゃん」
梶野の表情が一瞬だけ強張り、そしてすぐにいつもの柔らかな笑みを取り戻す。修威は一度軽く目を閉じて、それから改めて2人の3年生を見やった。
「何か話してたんですか。邪魔なら俺は消えますけど」
「邪魔なんかじゃないよ、大丈夫。しゅいちゃんは毎朝ここに来ているの?」
「まぁ、大体?」
「そうなんだ。雄也、抜け駆けかい? それも二股だなんて感心しないな」
梶野はそう言って雄也を見るが、雄也は表情を変えずに修威の方を見ている。梶野は何となく気まずそうに雄也から視線を逸らすと、背後にある窓枠に寄り掛かった。
「一学期も今日で終わりだね。しゅいちゃん、この学校での4か月はどうだった?」
そう言って梶野は目を細める。修威はんー、と首を傾げながら「割と面白かったです」と答える。すると梶野はこらえきれない様子で吹き出した。
「面白い、って。そんな……しゅいちゃんらしい、のかな」
「特に七山っていう先輩が色々おかしくて面白いっすね」
「しゅいちゃんひどい」
「貶してるわけじゃないですよ」
むしろ修威としてはそれなりに褒めたつもりである。あくまでそれなりにではあるが。梶野は参ったなと言いながら笑って、それから不意に沈黙する。修威はそんな梶野から視線を外し、机に寄り掛かっている雄也に声を掛ける。
「そういや歳沖部長。今日の放課後って魔法理論科準備室でミーティングなんすよね」
朝に来た連絡について軽く確認しようと問い掛けると、雄也は「ああ」と特に気にした様子もなく頷く。それから彼は少し考えて「武野澤先生は魔法理論の担当だからな」と付け加えた。修威はすっかり忘れていたその事実にぽんと手を打って納得する。
「あ、なるほど」
「詳しい話は放課後になるが、先生から提案があるそうだ」
「へえ? んじゃまあ何となく楽しみにしておきます」
「ああ」
雄也の表情が柔らかい。初めて出会った頃はどこか警戒するような眼差しをよく感じたものだが、近頃はもうそれもなくなった。雄也という人は他人との距離を随分と慎重に測っている。簡単には懐へ踏み込ませず、少し離れた場所からしばらく相手を観察しているのだ。その様は野良猫を思わせるもので、修威はいつか彼自身が自分をそうたとえていたことをふと思い出す。
「ところでしゅいちゃん、そろそろ朝のホームルームが始まるけどいいの?」
梶野が言って、修威は技術室の壁に掛けられた時計を見る。ホームルームの開始まではあと10分少々というところだ。修威は少しだけ顔をしかめ、むうと唸る。
「なんか面倒くさい。ホームルームはいいんすけど、その後終業式でしょ。あれ、ああいうの俺なんかこう……居心地悪いんすよ」
「中学の頃とかはどうしていたの?」
「さあ、忘れたっす」
肩をすくめ、両手の平を上に向けておどけてみせると梶野は困ったように微笑む。そこへ雄也がふと思いついたように言葉を挟む。
「明園、もし式に出るのが嫌なら俺と一緒にサボらないか」
「雄也」
梶野がたしなめるように友人を見て、雄也はそれを全く意に介さずに修威を見る。修威は彼からそのような提案をされたことに少しばかり驚きながらも何となく頷いてしまう。
「はあ。ってか、歳沖部長はサボるんですか」
「俺もああいった場は苦手だ。それに俺がいなかったとして式には何の影響もない」
「まあ、そりゃそうっすね」
終業式など単なる学期の節目である。メインとなるのは校長のスピーチなのだろうが、それも特に面白い内容を期待できるようなものではない。そして生徒の1人や2人が出席しなかったところで、1学年10クラスもある学校の式典が成り立たないわけもない。
「どうだ、明園」
雄也が少しだけ悪戯めいた笑みを浮かべて言う。青みがかった灰色の瞳が修威を捉え、その瞳孔がきゅ、と細くなった。修威は彼と同じような笑みを返しながら答える。
「いいっすね」
「決まりだ。ホームルームが終わったら第1体育館に一番近い体育倉庫に来てくれ。ああ、分かっていると思うが、先生には見付からないように」
「ういっす。ひしし、なんかちょっと面白そうですね」
修威が笑うと、窓の傍に立つ梶野がやれやれと言いたげな視線を雄也へと送る。雄也は悪びれた様子なくにっと微笑んだ。梶野は「もー、お前って奴は……」と苦笑いしながら言い、そして大きな溜め息をついたのだった。
執筆日2015/03/25




