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S・S・R  作者: 雪山ユウグレ
第21話 不運な日のルール
42/102

2

 学生寮まではもうあと2分もあれば着く。修威の目の前にそびえる2本の塔、あるいは高層建造物は“魔法使いの塔”の異名に相応しい威容を青い空へと突き上げている。その頂はこの距離からではよく見ることができない。修威は一瞬だけ足を止めて寮の建物を見上げ、それからまた歩き出した。熱せられた歩道が剥き出しの片足を焼く。熱い熱い、と修威は顔をしかめて呻く。

 そして修威はその人影の前を通り過ぎようとした。陽射しを避けるように、街路樹が作るわずかな木陰に隠れて立っていたその人影は微動だにしない。だというのに修威の足はどういうわけかその1歩手前で止まって、それ以上は前にも後ろにも動かない。

「……あ?」

 修威は不審に思って顔を上げた。歩道につけたままの片足が熱い。微動だにしなかった人影がだるそうに首を動かして修威の方を向いた。

 その人はレーネ大和瀬(やまとぜ)高等学校のものと思われる制服のズボンと半袖のワイシャツを身につけている。しかしその首元には、思い切り緩められてはいるものの鮮やかな朱色をしたネクタイがしっかりとその存在を主張している。指定制服が学生服であるレーネ大和瀬高等学校の生徒は普通、ネクタイなどつけない。その中で朱色のネクタイを着用している生徒を、修威は1人だけ知っていた。ひよこのような才女、芝津えるむ。雄也が作り出した木製のドラゴン、プラテュスに単身挑んでいた少女。だというのにその小柄な身体と自信なさそうな振る舞いからひよこのような印象を受けてしまう、その少女は雄也の話によれば自治会という組織に所属しているのだという。

 朱色のネクタイを目にした修威はすぐにそれだけのことを思い出した。頭の奥が鈍く痛み、暑さに揺らぐ路上で大柄な人影が近付いてくる様子を目で捉えていても動くことができない。いや、動けないのは修威の身体のせいではない。

「どうしてだ」

 修威は小さく口を動かして早口にそれだけを言った。それだけの動きで頬の筋肉にぴりぴりとした痛みが走る。するとその声を聞き取ったらしい目の前の人影が不満そうに口元を歪めた。その下唇のさらに下、顎の右側に目立つホクロがひとつある。

「1年4組、明園修威(あけぞのしゅうい)……で間違いねぇか」

 ぼそぼそとした低音が面倒くさそうに尋ねる。修威はそのまま頷く気になれずに黙っていた。するとその大柄な人影は無造作に伸ばした手で修威のTシャツの胸倉を掴む。

「答えろ。手間ぁかけさせんな」

「カツアゲっすか。財布ならポケットん中ですけど」

「わざわざ名指しでカツアゲされる覚えでもあんのか」

「ねぇけど」

「今は金に用はねぇ。用があるのは“明園修威”だ」

 ふと気が付くと長い前髪の陰から黒々とした鋭い瞳が大層機嫌の悪い様子で修威を睨みつけている。これはあまりはぐらかしていると殴られかねない。修威は鈍い頭痛をやり過ごしながら「ああ、はいはい」と投げやりに答える。

「なんだよ用事って。俺が明園修威で間違いねぇから、用があるなら早くしてくれ。俺はとにかく早く手を洗いたいし片足裸足だからそれも何とかしたい」

「はあ?」

「ついてねぇんだよ、今日は。アイスの棒はすっぽ抜ける、手を洗おうにも水が出ねぇ、挙句にお犬様の落とし物を踏んづけて悲しみのあまりにサンダルぽーんだ。けっ」

「……はぁん、そうか。そいつはついてねぇな」

 修威の胸倉を掴んでいた手が少しだけ緩む。それにしても大きな手だ、と修威は見るともなしにその手の甲を見ていた。よく日に焼けた手は関節がぼこりと盛り上がり、特に中指の辺りの皮膚が硬く強張っている。喧嘩慣れした手なのだろうか、と痛む頭で考えながら修威はふうと息を吐き出した。

「で、俺に何の用。つうかそもそもお前誰だよ、うちの生徒なのか」

 剥き出しの足の裏が痛い。頭痛も変わらず居座っている。用があるなら早く終わらせてほしいと修威はわずかに苛立った声で訴えた。しかし相手はそんな修威の言葉に対してひどく面倒くさそうな顔をするばかりで何も言わない。陽射しが修威の背中を焼いていく。

「おい、頼むよ……お前は木の下にいるからそんなでもないだろうけど、こっちはめちゃくちゃ暑いんだよ……」

「そうか。だったら冷房の効いた部屋に場所を移すか」

「うわなんだそのろくでもねぇ誘い。冗談じゃねぇ」

「そう言うと思った」

 普通はそうだよな、と朱色のネクタイを揺らして大柄な影は言う。そのごつごつとした腕が急に素早く動いたかと思うと、次の瞬間にはどういうわけか修威の身体はその腕に首を挟まれる形で宙吊りになっていた。

「ん、っかっ!?」

「騒ぐなよ。騒ぐとマジで落とすからな」

「用があるならこの場でさっさと済ませろよ。おい、離せよこら」

「こうるせぇガキだな」

 影の姿は修威の背側にある。よって修威からはもうその姿を見ることができない。ただ日に焼けたたくましい腕から加わる圧力が次第に強くなっているのを感じるばかりだ。そしてぴりぴりとした痛みが修威の首元、その腕によって締め付けられている辺りで絶えず生まれる。

「なんっか、びりびりする……お前静電気か何か溜め込んでんのか」

「……だったら何だ? 明園、さっきからくだらねぇことばっかり言ってねぇで少しは抵抗してみたらどうだ。できねぇのか、階段突破の木人部員」

「あ?」

 耳元で告げられた単語が修威の意識をわずかに目覚めさせる。どうしてこの相手は修威が木人部に所属していることを知っているのだろうか。そもそも木人部の存在は隠されており、公式の部活動とは区別されている。木人部のことを知っているのは当の部員と教師達くらいのはずだ。

 修威は宙吊りにされたままそっとポケットに手を入れた。そしてその中で財布の口を開け、中から一番小さくて軽い硬貨を1枚つまみ出す。これならば。

 その力は昔話に語られるような呪文を使って呼び起こすものではない。キーワードを口にすることで思考を整理するという方法はあるが、それは決して必要なわけではないのだ。計算をするのにただ暗算をするのではなく数字を口に出したり、あるいは指を使ったり紙に書いたりするように、それを使うにもただ頭の中で考えるだけでなく単語を呟いたり指で印を結ぶように形状を思い浮かべる助けにしたり特定の紋様を描いて魔法陣と呼んでみたりする。そして修威の魔法は暗算型だ。

 取り出した硬貨を指の先から手の平へ。するりと伸びるように大きくなったそれは金属の円盤となって修威を拘束する腕の持ち主の顔を強かに打つ。ぱあん! と景気のいい音がして、それでも腕の力は全く緩まない。

「くっそ、この! つうか、なんで魔法が……」

「この程度か」

 ふう、と呆れたような疲れたような、あるいは馬鹿にしたような溜め息が修威の頭の上から吐き出される。かと思ったら次の瞬間には修威の手にあった硬貨がぼろりと崩れた。そう、その金属の円盤が形を失って崩れ落ちたのである。

「えっ、ちょっ……俺の金ぇえ!」

「そのくらいで騒ぐんじゃねぇよ」

「馬鹿野郎! 小銭を笑う者は小銭に泣くんだぞ! 何てことしやがるんだよてめぇ!」

「俺相手に金属なんて使うからだ」

「はあ!?」

 思わず目を剥いた修威の首がぎゅうと強く締め付けられる。さすがに息が苦しくなり、修威は口をぱくぱくと動かして何とか肺に空気を取り込もうとする。そんな修威の背後で低い声が囁く。

「物質の構造、1年の化学でやっただろ。金属は原子の外殻電子の中に自由電子となるものを持っている。だから金属は電気をよく通す。その金属の構造の中から自由電子を抜き取ってやればどうなる」

「は……はい?」

「金属の元素間を繋ぐのは自由電子の動きによる静電気力だと言われている。それが本当かは知らねぇが、そう考えれば自由電子を失った金属原子は陽イオン化して金属そのものとしての性質を失う」

「うぐ……」

「展性と延性。金属の金属たる性質をなくしたそいつはただの元素砂だ。分かるか? 金属は一番電子を操りやすい物質なんだよ」

 さっぱり分からない。修威にとって化学の話はもうすでに終わった過去のことである。試験が終われば試験勉強の内容など忘れる。覚えているのは寧子講座による頬の痛みだけだ。そして今、それも意識と共に遠のいていこうとしている。

 それでも修威はひとつの疑問だけを何とか忘れずにいた。それは課外授業でもない、ましてや学校の中ですらない休日の街でどうして魔法を使うことができたのか、という疑問である。ただそれだけを脳内に残して、修威の意識はぱたりと途絶えた。

執筆日2015/02/24

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