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当然のことであるが、技術室は技術科担当教師の管轄である。部室というものを持たない木人部は活動場所としてこの技術室を間借りしているのであって、つまり天口教諭は大家のようなものらしい。教諭自身が言ったことなのでその言い方が合っているのかどうかは分からないが、少なくとも彼女の中ではそういう認識なのだろう。そして今日は彼女もここでやらなければならない作業があるため、仕事をあらかた片付けた今になって技術室を訪れたのだという。
「先生も何か作業するんすか」
やっと額の痛みが引いてきた修威が木人修復に取り掛かりながら天口教諭に問い掛ける。うん、と教諭はとても気軽な調子で頷いた。
「まあ普段はね、あんまりないんだけど。そう、滅多にないな。でもたまにあるんだよねえ、私の作った箱庭が壊されちゃうことがさ」
「箱庭?」
「そう、見る?」
そう言うと天口教諭は技術室の奥にある棚の一番上の扉を開け、さらにその奥に腕をぐいと差し込んで何かがさがさと音を立てた。するとどういうわけかその隣の何の変哲もない壁がぱかりと開く。作業をしていた舟雪がぎょっとしてその光景を見た。
「は? 何そのからくり」
「普通は生徒に見せないものだからねえ。でも木人部諸君になら見せても大して問題ないでしょう。それに君達はもう4階に行っている」
ふふ、と笑って天口教諭は開かれた壁の隠し扉の中にあったものを取り出してみせる。それは透明なアクリルケースに収められた精巧な模型だった。ジオラマと呼ばれる風景模型である。天口教諭は一辺の長さが1メートルより少し長いくらいの正方形をしたその模型を木製の机の上にどんと置いた。修威達は思わず近付いてそれを覗き込む。そして声を上げた。
「は!? これ……これって」
「マジかよ。これが正体なのか……?」
「ああ、それで今回は修理が必要になったんですね。修威ちゃんが地割れに消しゴムを埋め込んじゃったから」
そうなんだよねえ、と天口教諭は楽しそうに頷く。そのジオラマは修威達も見覚えのある景色を模していた。いや、そうではない。これがその景色そのものだったのだ。
一面に広がる土色の荒野と、その中央付近にある蛍光色のテントの群れ。そしてそのテント村から一番近い辺の端にぽっかりと口を開けている下り階段。荒野の中にそれらだけが異質なものとして存在している。そしてさらにテント村と階段の間に一筋の白い線が、まるで凍った川のように硬く埋め込まれているのだった。ああ、と修威は首の後ろを掻きながら目を細める。
「そういや授業の後で消しゴム回収すんのすっかり忘れてたわ」
「つうか、これじゃ回収できねぇだろ。あーあ、完全に土台の中に埋まっちまってるじゃねぇか」
舟雪が指摘する通り、川のように見える白い消しゴムは土色の土台に埋まっていて簡単には取り出せそうにない。それはまさしく今日の課外授業で修威が地面にできた亀裂を埋めるために使った消しゴムだった。そしてそのことがこのジオラマが取りも直さずあの課外授業のステージそのものであることの証明になる。
「ジオラマを巨大化させて課外授業に使っているんですか」
修威が尋ね、天口教諭は「ぶー」と口先をすぼめながら否定する。
「そんなことしたら学校が壊れてしまうよ。それにものの大きさを変える魔法はかなり珍しいし、難しいんだ。今うちの学校にいるのも明園ちゃんくらいだと思う」
「へー」
「へー、か。んー……じゃあ明園ちゃん、問題です。ジオラマそのものの拡大じゃなかったら、どうやってこれを課外授業のステージとして使用しているんでしょうか」
「なんで先生って問題出したがるんすか」
「いや、そりゃ先生だからだろ」
隣で舟雪がツッコミを入れ、天口教諭は苦笑しながら頷く。
「他の先生がどうかは知らないけど、私は生徒が問題を自力で解いてくれるのが好きだな。勿論、教える側だから知識は伝えるよ。でもその問題を解くのにどういう知識が必要なのか、その知識をどう使えば解くことができるのか考えるのは生徒であってほしい。手取り足取り教えたって、その生徒は同じ問題を1人で解けるようにはならないよ。一通りのやり方を覚えるだけじゃ現実には対処できない」
だから教師は問題を出すんだ。天口教諭はそう言って、そして修威が何か言うのを待つ姿勢に入る。修威はふーんと頷きながらジオラマを眺めた。
見れば見る程よくできた模型である。雄也の木人やプラテュス・ドラゴンにしても同じことがいえるのだが、どうして課外授業に関わるものはこれ程緻密にできているのだろうか。このジオラマは一見するとただの土色を敷き詰めただけの荒野だが、よく観察するとそこに生える草の1本や小石のひとつに至るまで丁寧な彩色が施され、たとえばこれにレンズを近付けて写真を撮ったなら本物の景色とまったく見分けがつかなくなることだろう。そしてそれ程の出来だからこそ、課外授業のときに広がる4階の景色もあれだけ現実感を伴って目の前に迫ってくるのだろう。あれはまるでこのジオラマが現実の世界に映し出されたかのような光景だった。
そうか、と修威はそこで気付いて呟く。このジオラマそのものを拡大することができないなら、たとえば修威達を本人も気付かないうちに縮小してこの中に放り込むといったことも不可能であるはずだ。そもそも修威とて生命あるものを拡大・縮小することはできない。ならば残る手段として考えられるのは、ジオラマという架空の世界を現実の景色の中に映し出すことくらいではないか。
「“仮想実転移”」
「正解」
ぱちぱち、と天口教諭が拍手をする。修威は舟雪を見て、舟雪もまた大きく頷きながら「ああ」と声を出した。
「そういうことか」
「いやー、ワンコが同じ魔法使えるんでなかったら分からなかったわ。ワンコのはゲーム画面だけど、仮想空間っていう意味じゃジオラマも同じようなもんってことな」
「ワンコって呼ぶんじゃねぇ」
いつもの調子で応じる舟雪だが、いつものように噛み付く程の語調ではない。彼自身、自分が使うことのできる魔法と同じ種類の魔法によって課外授業のステージが作られていたという事実に少なからず衝撃を受けているようだ。つまり、どうして自分も同じ魔法を使うことができるのにそのことに気付かなかったのかという悔しさである。
「いくら模型っていっても、これだけ細かく丁寧に作られていたら本物と変わらないですね」
真奈貴がそんなことを言いながら改めてジオラマを覗き込む。天口教諭は得意気に胸を反らすが、その直後にはああと大きく溜め息をついた。
「これ作るの結構大変だったんだ。4階のステージはある程度クリア者が出たら設問がばれるのを防ぐために内容を差し替えるんだけど、ひとつ作るのに半年はかかるんだよ。それをこうもまあぱっくりばっくり壊してくれちゃって。明園ちゃん、やってくれちゃったよねえ」
「えー……地割れは勝手に起きたんすよ」
「そういう仕様だからね。でも時間が経てばちゃんともとに戻る設計なんだよ。だけどこれじゃ戻りようがない」
「だって落ちたくなかったんですよ」
「だからって消しゴムは、ねえ。普通やらないよ」
「手元にあったもので一番使えそうだったのが消しゴムだったんすよ」
「その後の授業で困らなかった? 消しゴムなくて」
「その後の授業は保健室で寝てました」
「あららー、そっかー」
天口教諭は吊り気味の目をくるりと動かし、それをきゅっと細めて笑った。そこへ1人黙々と木人の修復作業を続けていた雄也が、一段落したのか立ち上がってジオラマのある机へと近寄ってくる。
「これ……明園がやったんですか」
「お、歳沖くん。そうなんだよ、明園ちゃんがやってくれちゃったんだよ」
「ひどい」
「でしょ? だよね? ひどいよね。いくら課外授業だからって私の力作をこんなにしてくれちゃって」
「ああ、これはひどい。明園……お前は何てことをしたんだ」
「ちょっと待ってくださいよ歳沖部長。なんか目がいつもと違う」
雄也の鋭い眼差しに、修威は顔を引きつらせて後ずさる。その肩を真奈貴がぽんと叩いて言う。
「この人達は芸術家……職人だから。職人が作品を壊されたらそりゃあ怒るよ」
「壊されたくなかったら課外授業に使わなけりゃいいのに」
修威はげんなりと言ったものの、結局雄也と天口教諭によるしつこい嫌味はその日の部活動が終わるまでずっと続いた。そのためあのひよこ少女、芝津えるむと自治会に関する話をそれ以上聞くことはできなかったのだった。
執筆日2015/02/03




