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少女の魔法は“演算”と呼ばれるものらしい。彼女には周辺で生じている科学的な現象と、その元になる原子の運動や時間の経過などが“視える”のだという。だからドラゴンの口内で光を生み出す魔法が発現しようとしていることも、その前脚が修威を狙って動こうとしていることも、空気を焦がす息が吐き出されようとしていることもその科学的な兆候から読み取ることができる。
しかしせっかく少女が辺りの状況を分析して敵の動きを読んでも、それを味方同士で共有できないことにはあまり役に立たない。そしてたとえ共有できたとしても、修威のようにあまり身体能力が高くない者がその情報を活かすのはときに難しいものである。
「明園さん、右斜め前方から尻尾攻撃来ます! 半歩下がってから右を意識してバックステップ!」
「へ、いえー!? できねぇえ!」
少女の声と共に動こうとした修威だったが、その足は脳の指令に追いつくことができずにもつれる。結果、木製ドラゴンの長い尻尾が修威の胴をしたたかに打った。
「うっ、がっ……」
「修威ちゃん、大丈夫?」
跳ね飛ばされた修威は鉛筆槍を支えにして起き上がる。しかしその長く大きな鉛筆は中程からばきりと折れて地面に転がった。よろめく修威を真奈貴が支える。
「あ、あの、ごめんなさい! 私の指示が遅かったせいで……」
「いや、俺がどんくさいだけっすから」
ほとんど泣き顔になりながら頭を下げる少女にひらひらと手を振って、修威はもう一度立ち上がろうと身体に力を込めた。しかしその目の前に巨大なドラゴンの顔が迫る。開かれた口の中に見えるのは黒々と燃える奇怪な炎。
「っ、何か来ます。ただの火じゃない……何か!」
「はい!?」
少女の指示が初めて具体性を欠いた。ドラゴンの背後に立つ舟雪がゲーム機を操作して修威達の周りに何か見えない障壁のようなものを作り出す。視界がわずかに曇った、そう思った次の瞬間にドラゴンの攻撃が修威達を襲った。
ごお、という風の音と共に高く耳障りな何かが鼓膜を震わせる。舟雪の張った障壁の向こうは土煙と黒い炎に閉ざされて何も見えない。勿論、その向こうで舟雪がどうなっているのかも修威達からは見ることができない。やがてめりめり、めきめきと嫌な音が聞こえてくる。もちません、と残念そうな声で少女が告げた。
「ここまでかっ……」
痛む脇腹を押さえながら修威が呟く。こおお、とドラゴンの吼える声が障壁の外から聞こえてきて、少しだけ視界が回復した。修威は地面に膝をついたままじっと様子を窺う。その手には新たに取り出した鉛筆が1本。
せめて一太刀、修威はそう考えていた。ドラゴンの動きは速く、そしてその場から動かない階段番の巨木人と比べて自在に動き回ることでさらにその攻撃が多彩になっている。挙句に目くらましの閃光や炎の息まで吐くというのだから始末に負えない。それでもこれが課外授業である以上、何か対抗する方法はあるはずなのだ。もしくはこのドラゴンからは逃げることが正解なのかもしれないが、それも戦ってみなくては分からないところである。何より、このままただやられたのでは修威自身が納得できない。
「真奈貴ちゃん、サポートお願い!」
「“挑む、そう決めた勇者の心には熱く燃える意志が宿っていた。それは眼前に迫る敵が操る炎を超えて熱を増し、ついに勇者の刃が敵を捉える”」
「うぉあっ、たー!」
ばりばりと音を立てながら舟雪の作り出した障壁が砕け散った。迫り来る黒い炎をその身に受けながら、修威は鉛筆をその場で巨大化させる。真奈貴の唱えた一節がわずかの間だけ修威をあらゆる炎から守る。その隙に修威は鉛筆槍の先をドラゴンの喉元目掛けて突き上げた。
あと数センチメートル、届かない。
修威は鉛筆槍の先、黒く尖った芯を睨む。せめてあの綺麗なドラゴンの木肌に黒々とした印を刻みつけてやりたかったものを。あとわずか、もうわずかだけ届かなかった。
そして課外授業の終わりを告げる校内放送が辺りの景色を塗り替える。広がる荒野は壁に挟まれた廊下へ。薄曇りの空は白茶けた天井へ。修威を睨んでいたドラゴンは跡形もなく消えてなくなる。ぐう、と呻いて修威はその場にしゃがみこんだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
少女が修威に駆け寄って焦った声を出す。平気っす、と答えながらも修威は身体を起こすことができない。舟雪もまた心配そうに修威へと近付いてくる。
「だいじょぶだから、来るなっての……あー、格好悪ぃ」
杖代わりにもなる便利な鉛筆槍も今はただの筆記用具だ。魔法の時間が終われば修威はただの高校生でしかない。それなのに、ドラゴンの尾に打ち据えられた脇腹は熱を持ち、ずんと鈍い痛みを伝えてくる。魔法は消えても傷は残る。課外授業は決して安全でもなければ、勿論幻でも何でもない。それは身の程をわきまえない生徒の思い上がりを打ち砕く厳しさをもって修威を叩きのめしていた。
「……次の授業、俺サボるわ」
修威はそう言って大きく溜め息をつきながら目を閉じた。
誰かの話し声が耳に届く。折れてはいないみたいだから大丈夫だよ、と聞き覚えのある声が柔らかく告げている。でも、と答える声はとても不安そうで、おどおどと何かに脅えながらそれでも言葉を継ぐ。
「私が、足を引っ張ったんじゃないかって……」
「えるむちゃんが? それはないよ」
ふふ、と余裕を持って笑う声は梶野のものだ。彼は小柄な少女を目の前に、困ったように笑いながら言う。
「プラテュスは強敵だからね。しゅいちゃんなら出会えば挑むと思う。そういう子なんだ……多分本人もあんまり意識してはいないんだろうけど。修威ちゃんはすごく、自分の魔法に執着している」
梶野の語る内容が少しだけ、修威の意識を揺り動かす。目覚めていく感覚が辺りの様子を捉える。ぼんやりと霞む視界で淡い青色のカーテンが揺れている。窓が少し開いているのだろうか、この部屋独特の消毒液の匂いは薄い。
「執着、ですか……」
「君はどう? えるむちゃん、“演算”の魔法は君の役に立っている?」
分からないです、と自信のなさそうな声が答える。そっか、と梶野は少し笑った。修威の耳は梶野と話している少女の声が先程まで課外授業で行動を共にしていた2年生のものだと気付く。そういえば名前を聞いていなかったが、梶野が呼んでいるものを聞く限りでは“えるむ”というのがそうらしい。ふうんと内心で頷きながら、修威は「いや」と小さな声で呟く。
「俺としてはこう、ひよこ先輩って呼びたい」
「しゅいちゃん、起きて早々何言ってるの?」
カーテンの向こうで修威の声を聞き取った梶野が律儀に答えを返す。開けてもいいかと問われ、修威は「別にいいっすよ」と返事をして梶野にカーテンを開けさせた。生憎身体を起こすにはまだ脇腹が痛むので、修威は保健室のベッドに横になったままで見舞いらしき声の主達を見やる。やはりというべきかそこには梶野ともう1人、前髪の短い2年生の女子生徒がいた。背が低く華奢な体躯にどこか不安そうな色を浮かべた丸い瞳がどうにもひよこを思わせてとても印象的である。さらによく見ると彼女が身につけている制服は他の女子生徒のものと少し異なる。真奈貴や寧子、それに修威のクラスの他の女子は胸元に青いスカーフタイプのリボンをつけているのだが、この少女は代わりに鮮やかな朱色のネクタイを締めているのだ。どうやら最初に彼女を見たときの違和感の正体はそれだったらしい。修威はそんな彼女を見てどうもと声を掛けた。
「なんかお世話になりました」
「い、いえ! あの、私の方こそ、その、ごめんなさい……巻き込んで……それに、あの、役に、立てなくて」
「んなこたぁないでしょう。ひよこ先輩の指示はすっげー的確でした。ただ、俺は指示聞いてぱっと動ける程俊敏じゃあねぇんですよ」
「あ、う……」
少女は修威が発した妙なあだ名には特に反応することなくただただ身を小さくしている。修威としては今回の失敗はあくまで自身の動きの悪さが原因であり、彼女に非はないと思っていた。しかしそれを伝えようにもあまりうまくいきそうにない。少しばかりの頭痛を覚えながら、修威はこれだけを告げることにする。
「ありがとうございました、ひよこ先輩」
「……えっと、あの……芝津です。芝津えるむです……」
あ、名前。そう思いながら修威の意識は再び眠りの中へと引き込まれていく。薄れる意識の中で思い出される少女のくりくりとした目はやはりどう考えてもひよこによく似ているのだった。
「……ひよこ……先輩」
「しゅいちゃん……」
寝言でそう言い残した修威を前に梶野が軽く頭を抱え、何故か隣のえるむがごめんなさいと謝った。梶野はますます困った様子で肩を落とした。
執筆日2015/01/29




