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いわゆる主要5科目と呼ばれる科目の中でどれが最も眠くなりやすいかと問われれば、修威は迷わずこう答える。「全部まんべんなくとにかく眠い」と。
そんな修威だったが、今日の数学は珍しく眠気を感じることなく臨んでいた。ただし起きているからといって授業を聞いているかといえばそんなことはまったくない。修威の手元に広げられたノートにはこれまでの課外授業で知ったその仕組みが箇条書きで記されている。修威は自分でメモをしたそれらの文字を眺めながら考え込んでいた。だから校内放送用のスピーカーが課外授業の開始を知らせる警告音を鳴らしたときも、まるでそれが当然来たるべきものであるかのようにするりと席を立ち、ペンケースを手に教室を飛び出したのだ。一拍遅れて真奈貴がついてくる。
「修威ちゃん、起きているなんて珍しいね」
「虫の知らせとかいうやつかもしれんね。まあ別に何か予感があったとかそんなことは全然なかったんだけどたまたま起きててラッキーだったよ。真奈貴ちゃん、ワンコ連れて4階に行こう」
「うん、苗田くんね」
どういうわけか廊下の木人達は修威達を素通りしていく。舟雪の教室へ行くと、やはり廊下に出ても木人に襲われないことに気付いたらしい舟雪が怪訝そうな顔をしながらも携帯ゲーム機を手に修威達を待っていた。
「ようワンコ、4階行くぞ!」
「ワンコって……ああいいやもう。これってあれか、3階までのステージをクリアしたらもう木人とは戦わなくていいってことなのか」
「おお、ゲーマー苗田の分析。まあそういうことなんじゃねぇ? とにかく時間が惜しい」
修威はそう言うと口元にほんの少しだけ笑みを浮かべて駆け出す。舟雪はそんな修威の表情を見て一瞬目を逸らした。そして彼が視線を戻したときにはもう修威は5メートルばかり先へと進んでいる。舟雪はちらりと真奈貴を見やり、声を掛ける。
「大和瀬、明園のサポート……頼む」
「ん?」
「あいつ気にしてんだろ、この間の。オレがドジ踏んだから……だせえ話だけどさ、まさか地面が割れるとは思わなかった」
「ああ。うん、少し気にしていたみたいだけど。でもきっとそのことなら心配要らないよ」
そうなのか? と舟雪は信じがたいという様子で眉根を寄せながら尋ねる。真奈貴は軽く笑いながらうんと頷いた。そしてそれ以上のことは何も言わなかった。
4階へと続く階段では番人たる巨木人が待ち構えていたが、修威達を見ると何も言わずに道を開けた。どーも、と軽く呟いて修威は階段を駆け上がる。舟雪と真奈貴がそれに続き、巨木人はぎい、という音を立てて3人の背を見送った。そしてまた元の位置へと戻る。新たな挑戦者はまだ来ない。
課外授業の開始から3分程で修威達は4階へと到達した。以前に来たときと同じように視界は一面の荒野である。薄曇りの青みがかった灰色の空の下、乾燥した大地がどこまでも続いている。まばらに生える草を風が揺らす以外、そこが生きた世界であることを示すものは何もなかった。修威はさくさくと5歩程前へ進んで、そこで腕組みをしてふんと鼻を鳴らす。
「で、ここで何をどうしろっていうんだよ」
「さあ」
真奈貴が短く答え、舟雪は沈黙を返す。前回修威達が3階の階段番を突破した後、翌日の魔法理論の授業で例によって講評が行われた。勿論昇段もあり、さらには第一関門突破の証として簡単な証書も与えられた。しかし担当の武野澤教諭も、その後ちらりと姿を見せたジョージも4階での行動や目的に関しては何も言っていなかったのだった。
3階までは廊下に明らかな敵と思しき木人がいて、4階へ続く階段を塞ぐ巨木人がいた。見ただけで何をすればよいのかを判断することができたのだ。しかしここからはどうやらそうもいかないらしい。
「目的捜しが先決、か。RPGだったらひとまずフィールド探索ってやつですか」
溜め息混じりに言う修威に舟雪が「新フィールドで探索したら強敵に出くわして全滅ってのがよくあるパターンだけどな」と余計なことを言う。修威はじろりと舟雪を睨んだ。
「冗談じゃねぇよ、そういう罠なら叩き潰して先へ進むだけだ」
「分かってるよ、だから慎重に行こうとか……そういう話だよ」
「慎重っつてもな、俺にできることはこれだけだ」
修威はいつものように大きくした鉛筆を構え、真奈貴も青と黄緑の2冊の文庫本を手にうっすらと微笑んでみせる。ああ、と舟雪は2人に対して頷いた。
「基本はそれでいくしかねぇ。階段番とやり合ったときと同じ、明園が前衛で大和瀬がサポート。オレはあんたらが戦いやすいように場を整える」
「頼むぜ、ワンコ。俺も真奈貴ちゃんも、自力以上の力を出すにはお前の策が必要なんだ」
「お、おう」
舟雪が力んで頷いた、そのときだった。地面が揺れ始め、地鳴りと共に修威達の足元に亀裂が生じる。来たか、と修威がペンケースを開けた。
「落ちるなよ、ワンコ!」
「同じトラップに2回引っ掛かってたまるか! って、明園、あんた何して」
「見りゃ分かるだろ……消しゴム出してんだよ!」
ペンケースから取り出した真新しい消しゴムを、修威は割れて左右に開いていく地面のひびの間に放り投げ、自分は揺れる地面に足を取られながらも何とか安全な場所へと移動する。そして修威は大きく両手を振り上げた。
「うおらぁ!!」
勢い任せの掛け声と共に修威の魔法が発現する。亀裂に投げ込まれた消しゴムがその場でむくむくと巨大化し、亀裂の広がりに合わせてその隙間を埋めていく。やがて地震が収まり地面の亀裂もそれ以上広がらなくなったところで、修威はすいと手を下ろした。そこには白いゴムの地面が荒野の亀裂を塞ぎ、まるで凍った川のように長く長く続いているのだった。
「おお、消しゴムすげー」
「いや、やったのあんただろ」
目の前の光景に感心した声を上げる修威に対して舟雪が横からそっとツッコミを入れる。対岸にいた真奈貴が消しゴムの地面を踏んで修威達の側へとやってきた。
「何か起きてもこうやって対処していけばいいのかもね」
「そうだなー。あとこんな何もねぇとこで起こるようなことっていったら何がある? とりあえず進んでみるか」
荒野には目印になるようなものも何もなく、周りに注意を払いながら進む以外にできそうなこともない。修威達は些細な変化も見逃さないように気を付けつつ歩いていく。それにしても他に生徒の姿が見当たらないのはどういうことだろうか。1年生で4階に辿り着いたのはまだ修威達だけだということだが、2年生や3年生ならすでに4階を攻略している生徒もいるはずだ。だというのに出会わないというのは一体何故なのか。修威達が不審に思い始めた頃、進む先に何か人工的な色をした塊が見えた。
一面の土色の中で一際鮮やかな色彩が目を引く。曇り空の下でも輝く蛍光色のそれらは、近付いてみるといくつものテントであることが分かった。さらにテントの近くまで行くと、そこに数人の生徒が集まっている様子が見える。修威達は何だかよく分からないながらも彼らの方へと近付いていった。するとそこにいた女子生徒の1人が修威達に気付いて片手を挙げる。
「見ない顔だね、新入り? あ、もしかして1年生!? うわあすごい」
わざとらしい程に驚いてみせたその生徒は上靴の色から察するに3年生である。彼女は汚れるのを防ぐためなのか、制服の上に学校指定のジャージを羽織っていた。黒い髪をばっさりとおかっぱにして少し吊り気味の茶色い瞳をくるりと動かし、手には何やら細長い板状の工具……恐らくはやすりと思われるものを持っている。彼女が周りにいる生徒達に合図をすると、生徒達はそれぞれに支度をしてテント地帯から散り散りになって出ていく。
さて、と言いながらジャージの女子生徒は改めて修威達の方へと振り返り、そして芝居がかった様子で両手を広げてこう言った。
「ようこそ“荒廃の庭”へ。歓迎するよ、エリート1年生!」
修威と舟雪は露骨に、真奈貴は一応隠しながらも隠しきれないといった調子の胡乱な目つきでその女子生徒を見やったのだった。
執筆日2015/01/27




