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レーネ大和瀬高等学校学生寮はその愛称を“既望寮”という。どのような由来があってそう名付けられたのかは10年前に寮を開いた当時の人間に尋ねなければ分からないところだ。そしてその愛称は実際ほとんど使われることはなく、街の人々からはこう呼ばれることが多い。
“魔法使いの塔”と。
「まぁ、確かにこうやって見ると塔のようではあるよな」
高架の上をゆっくりと走る電車の窓から寮の建物を眺め、修威はぼんやりとそう呟く。そうだね、と向かいの席に座る真奈貴が応じた。今日は土曜日で授業も部活動も休みであるため、たまには遊びに出掛けようかと寮近くの駅から電車に乗った2人である。学生証があれば休日でも市内の公共交通機関を無料で利用することができるため、レーネ大和瀬高等学校の生徒はこうして気軽に街の中を動き回ることが多い。寮の近くにはあまり遊びに適した施設がないということもある。
車窓から見える寮は淡い茶色の外壁を持つ正多角形のビルだ。それが男子用と女子用というように2棟並んで立っている。生徒に宛がわれる部屋は全て個室で、それぞれにトイレとシャワールームが完備されているためそこそこの床面積を持っている。故に部屋の数は合わせて1000を軽く超えており、当然のごとく階数も多くなる。生徒の居室は2階より上の全てのフロアにそれぞれ12ずつあり、修威の記憶が確かならエレベータの階数ボタンは確か53まであったはずだ。街にある他のビルのようにガラス張りの面が多くあるわけでもなく、また他の高層マンションのように洒落たバルコニーやサンルームがあるわけでもないその建物は一見するとどこか古めかしく、灰銀に光る街並みの中で奇妙に浮いて見える。魔法使いの塔と呼ばれるのも頷ける話だった。
そうは言っても住んでしまえばただの寮である。入居した当初は新生活に多少なりとも浮かれていた修威だったが、入学して2か月が過ぎた今ではすっかりその生活に慣れて新鮮味は薄い。しかしこうして外出した際に改めて寮の外観を見ると不意に違和感を覚えたりもするのである。
「真奈貴ちゃんてさぁ、大和瀬先生がうちに赴任してきた頃からこの街に住んでんの?」
修威が視線を正面へと戻しながら尋ねる。白地に細い青色のストライプをあしらった夏らしいワンピースにふわりとしたライトグレーのボレロを重ねた真奈貴はうんと何気ない様子で頷いた。ふうん、と修威もまた何気ない相槌を打ってまた窓の外を見やる。寮の高い建物は電車が走ってもどこまでもついてくるかのように車窓に居座っている。
「真奈貴ちゃんの今日の服すっげー可愛い」
「ありがとう」
修威がニッと笑いながら褒めると真奈貴もにこりと微笑んで答える。そういう修威の服装はといえば、ゆったりとしたオレンジ色のチュニックシャツにざっくりとした白のニット。ボトムスは青緑色の綿パンツという実に身体に楽な格好である。短い髪の上にぽてりと載せた臙脂色のベレー帽が唯一のおしゃれといったところか。
「もうじき暑くなってきますなぁ」
雨続きの季節も過ぎ、ここのところ快晴の日々が続いている。蝉の声にはまだ早いが陽射しは確実にその強さを増してきている。窓の外で寮の外壁を照らしている光が眩しい。
「そうだね。今年も暑くなりそう」
真奈貴もまた窓の向こうに目をやりながらそう言う。規則的だった電車の揺れが一度わずかに大きくなり、それから電車は徐々に減速を始めた。車窓の景色がコンクリートの色に遮られる。
街の中央駅は人と物の集まるこの街の中心街だ。駅前にはありとあらゆる種類の商品を扱う店が寄り集まったショッピングモールと大衆食堂からカフェ、高級レストランまで幅の広い層に対応した飲食店街、さらにはプールや映画館、ボウリング場にゲームセンター、公共図書館や行政の窓口までも兼ね備えた超大型複合施設がある。街の中で済む用事のほとんどがここの施設ひとつでこなせてしまうため、まるで街の中にもうひとつ小さな街があるかのようだ。そこは通称を“かぜらば”といい、とりあえず遊びに行くといえば大概目的地はここになる。
「うおお、すげぇ。俺実はここ初めてなんですよ」
駅から“かぜらば”への連絡通路を抜けてホールに降り立った修威は高い天井を見上げて目を見開く。吹き抜けのホールは広く、コンサートなどのイベントも頻繁に開かれているという。ぽかんと口を開いて辺りを見回す修威の姿は完全におのぼりさんのそれで、真奈貴はそうっと修威から視線を逸らしつつ呟く。
「修威ちゃん、せめて口は閉じよう」
「お、おう!」
それから2人はひとまずお茶でもしようかとホールに面した喫茶店に入ることにした。そこは学生でも気軽に入ることのできる簡素な店構えをしている、修威も地元で時々利用していた比較的廉価なチェーン店だ。店を選んだのは真奈貴で修威はそれにひょこひょことついていくだけだったが、注文をする頃には大分落ち着きを取り戻していた。
それぞれに好みのケーキを紅茶と共に楽しみながら、2人は今日の予定について話をする。生活用品を揃えたい、と修威は真面目くさった顔で言った。
「せめて部屋にポットが欲しい」
「なかったんだ」
「おう。今ある私物はスーツケースと、寮近くのスーパーでちょろまかしてきた段ボール箱がいくつかって程度です」
「ちょろまかすな」
「いや、ご自由にお持ち帰りくださいって書いてあったやつ」
つまりは大量の買い物をした客に対するサービス用の段ボールを持ってきて物入れとして使っているというわけである。真奈貴は「うわあ」と声に出して言い、修威は「だってさぁ」と口先を尖らせる。
「いくら寮っていっても独り暮らしなんて初めてでさー、何が必要かも暮らしてみなきゃ分かんねぇんだもん。家から持ってくるものったって大したものないし。家の電子レンジかっぱらってくるわけにもいかないしさ」
「そりゃあお家の人が困る」
「そうなのさ。まぁ食堂に共用レンジもポットもあるけど、いちいち下まで下りるのめんどくさいんだよ」
「それも分かる。私は部屋に小さいポット置いてるよ」
「真奈貴ちゃんは紅茶派かな?」
「うん」
「ほうほう。いや、七山先輩はコーヒーメーカーを置いてるって言ってたから。俺はやっぱポットだなー、カップ麺も食いたい」
「七山先輩とそういう話もするんだ」
取り留めのない話は尽きない。差し当たってここを出たらショッピングモールのエリアにあるキッチン用品の売り場に行こうということで話をまとめつつ、残ったお茶を飲みながら2人はしばらくおしゃべりを続けていた。
「あー、なんかこういうのすげー久しぶり」
修威はそう言うとふへっへと機嫌よく笑う。真奈貴も自然に頬を緩め、最後の紅茶をすすった。その真奈貴がふと店の外、“かぜらば”のメインホールを歩く2人連れに目を留めて小さく首を傾げる。彼女は静かにカップを置くと「先輩達だ」と呟いた。修威はふぇ、と声を出しながら真奈貴の視線の先を追う。そこにはつかず離れず、友人同士にしてはやや近い距離を保って並んでいる若い男女の姿があった。男の方は寝癖のついたようなぼさぼさの黒髪に紺色のジャケット姿で地味な黒縁の眼鏡を掛けている。女は赤みがかった茶色の髪をポニーテールに揺らしながら楽しそうにヒールを鳴らしていた。服装は花びらのような鮮やかな赤のミニワンピースにレースをあしらったロングカーディガンという気合いの入りようだ。修威はそんなややちぐはぐな2人をしばらく眺め、それからやっと「ああ!」と叫ぶ。
「歳沖部長と雛摘先輩!」
「今気付いたんだ……」
だって私服姿初めて見たし、と言い訳をする修威に対して真奈貴が溜め息を返す。2人がそうしていると、やがて雄也がふと顔を店の中にいる修威達へと向けた。
執筆日2015/01/21




