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お祝い、と修威は授業中に携帯電話が鳴ったときよりさらに不審そうな顔をしてその単語を繰り返した。何の、と改めて問うのも無粋だろうということは分かっている。しかし色々と物申したい気持ちも勿論あり、どうしたものかと考えているうちに梶野がするりと真奈貴の後を引き取って口を開く。
「大和瀬先生は魔法理論のオブザーバーだし、課外授業での負傷の治療の関係でも色々と関わりが深いからね。今回、しゅいちゃんと真奈貴ちゃん、ふなくんが4階への階段を突破したこと。それともうひとつのことも合わせたお祝いっていうことでくださったんだ。そしてこっちは部費から調達してきたお菓子と飲み物ね。あ、机の上を片付けてくれる? 今日はミーティングという名目のお祝いパーティだ」
そう言いながら梶野はあれよあれよという間に技術室の大きな机の2つをお菓子で埋め尽くした。校舎内にある売店で買ってきたのかと思いきや、そうとは思えないものも多くある。例えば街で評判のチーズケーキが1ホール、さらに同じ店のシュークリームが人数分とさらにいくつか、加えて上等のお茶と老舗の羊羹。これには寧子が目をきらきらとさせて飛びつく。
「梶野! 気が利くわね。このお店のお菓子、あたし大好き」
「前にそう言っていたもんね。しゅいちゃんとふなくんは? 和菓子とかどう?」
笑顔の梶野に問い掛けられて修威達はそれなりの返事をする他ない。課外授業に対する疑問や、発言を無視されることに対する怒りも何もかもを押し流そうとでもいうかのように次々と並べられるお菓子と飲み物が修威達の思考を甘い匂いと共に麻痺させていく。
「これ、わざわざ買ってきたんですか。授業終わってから?」
舟雪がどういうわけか紙コップにオレンジジュースを注ぎながら梶野に尋ね、梶野はごく自然な調子でうんと頷きを返す。
「武野澤先生が車を出してくれたんだ。あ、知っているよね? 魔法理論担当の武野澤泰地先生。それで、街の駅前まで行ってきたんだよ」
「へえ」
「それでね、今度から武野澤先生がこの部の顧問をしてくれることになったんだ」
「へえ。……え?」
そのまま受け流しそうになった舟雪がはっと気付いて顔を上げる。手元がわずかに狂ってオレンジジュースが零れそうになるのを梶野がすかさず押さえた。彼は穏やかな笑みを浮かべたまま楽しそうに頷く。
「裏部活動として顧問もなく、部費も実費で立て替え払いだった木人部に顧問の先生がついてくれることになったんだよ。そして部費も他の部と同じように予算を組んでもらえることになった。これもふなくん、君達1年生が3人も入部してくれたおかげだよ!」
「……オレ、まだ入部届出した覚えねぇんですけど」
「それは僕が代わりに出しておいてあげたから大丈夫」
「はい!?」
素っ頓狂な声を上げた舟雪の手から今度こそずるりとオレンジジュースのボトルが落ちる。横でやり取りを聞いていた雄也がそれを受け止め、ほんの少しだけ零れたジュースは梶野が抜かりなく布巾で拭った。木人部3年生のコンビネーションは強力だ。
舟雪の入部についてはどうやら色々と裏事情があったようだが、本人も諦め顔でジュースを飲み始めたので最早反論する気力もないということなのだろう。そもそも修威もまだ彼が入部届を提出していないとは知らなかった。あまりにも普通に作業を手伝っていたのでてっきりとっくに入部したものと信じて疑っていなかったのである。というよりも、そもそも梶野達は初めから舟雪に入部届を出させる気がなかったのかもしれない。つまり、逃れる術など最初からない罠だったということか。
「いやあ、本当に嬉しいな。こうやって部費でパーティができるなんて夢みたいだ」
「七山先輩。そりゃこういうのは愉快っすけど、そもそも部費って資材の調達とかに使うんじゃないんですか。無駄遣いして大丈夫なんすか」
どうにも浮かれた様子の梶野に思わず修威がそう言うと、梶野は一瞬だけ真顔に戻ってそれからすぐに頷いた。
「いいじゃない、今日くらい」
「……後で足りなくなっても俺は知らないっすよ」
「ええー? しゅいちゃんつれない。そのときは皆で連帯責任だよ」
「冗談じゃねっすよ!」
修威の声も梶野につられて少しずつ大きくなっていく。そのことに修威自身は気付かない。真奈貴が彼女の父親であるジョージからの差し入れを机の上に広げ、そこに現れた色とりどりの洋菓子の詰め合わせに歓声が沸き起こる。寧子などはすぐに手を伸ばしてきらびやかな苺色のゼリー菓子を取り、その形の良い唇の間に放り込んだ。
「美味しいわ、大和瀬先生ってセンスがいいのね」
「職業柄お土産を持っていく機会が多いもので、色々と調べてあるらしいです」
「そうなの。真奈貴、今度ここのお店を教えてもらえるかしら?」
「はい、父に聞いておきますね」
そうして皆がそれぞれに好きなものを好きなように腹に入れているところへ、今日から木人部の顧問となった武野澤教諭が仕事が一段落したからと技術室に顔を出す。すると自然に誰からともなく拍手が湧き起こり、教諭は元々の人のよさそうな笑い顔をさらにくしゃりと崩して笑った。
お菓子と飲み物で和んだ場において、今後の木人部の活動についての話も少しずつまとめられていく。まずは今日修威達をここへ呼び出した例のPHLという連絡手段については学校側から試験的に運用が許可されたものだということで、校内放送での呼び出しができない裏部活動ならではの特別措置なのだという。通常のメールと異なる点としては通信にかかる費用が木人部の経費という名目で学校負担になること、外部からのアクセスが完全に遮断されていることなどがあり、その仕組みは全て雄也が独自に開発して前々から学校に運用を打診していたそうだ。ちなみに受信時のアラーム音は消せないらしい。緊急の場合もあるからなと雄也が言い、修威や舟雪も特に文句なくそれを受け容れる。なるほど、授業中に音が鳴っても教師が咎めなかったのはその辺りが理由だったようだ。
他に、顧問教諭が配置されたことにより学校側との連携がこれまでよりも密になり、また校外での活動や休日の教室利用申請についてもこれまでできなかった部分ができるようになったらしい。この辺りは修威達1年生にとっては目新しいことではないのだが、梶野達の反応から察するにかなりの境遇改善になっているようだ。嬉しそうな梶野達を見ながら武野澤教諭が言う。
「1年生のみんなも4階に進んだってことだからねー。木人部は校内のホープ選抜組っていえるかもしれない。どうせだったら夏休みに合宿でもするかい? 課外授業の充実のために、それとそれぞれの魔法を鍛えるために」
教室内の空気がふっと変わる。ぽくじんが小さな顔をくるりと動かして教諭を見た。教諭の赤みがかった茶色の目と、ぽくじんの顔に穿たれた黒い穴との間で視線が通う。
合宿か、と修威は羊羹を口に入れながらぼんやりと考える。多少面倒ではあるが、真奈貴や梶野、他の面々と行動するのは修威にとってもそれなりに楽しい。武野澤教諭がついてくれるのなら魔法について実践的に学ぶ機会もあるだろう。そして何より、この学校が取り組むS・S・Rという制度の中で行われている課外授業。それを攻略する糸口が掴めるかもしれない。
修威の胸に今日の課外授業での苦い思いが蘇る。校舎の4階に出現した見たことのない荒野の景色と、突然の地割れ。深い亀裂に落ちていく舟雪に対してただ意味もなく手を伸ばすことしかできなかった悔しさが修威の背中を押す。より修威自身の魔法を知り、使いこなすことでもしも何かが変わるなら。
「いいっすね、合宿」
ぼそりと言った修威の声は意外なほどに大きく技術室の中に響いた。全員の眼差しが、ぽくじんの黒い穴からの視線が、修威に集まる。修威は構わずに皿に残っていた羊羹の最後の一切れを口に入れ、寧子から非難の声を浴びた。しかし彼女も修威がその味を褒めるところりと態度を変える。どうやら自分のお気に入りのお菓子が褒められたことですっかり気分を良くしたらしい。
いいのか、と喧騒に紛れる程度の声で雄也が尋ねる。隣でそれを聞き取った梶野は小さく肩をすくめ、笑顔で答えた。
どうかな、と。
執筆日2015/01/15




