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ぴろりろ、ぴろりろ。
授業中だというにも関わらず、修威の携帯電話が聞いたことのない音を鳴らす。教師は気にせずに授業を続けたが、他の生徒達はいかにも迷惑そうに修威を睨んだ。そのような視線を向けられても修威にはまったく身に覚えがない。当然のことながら携帯電話はマナーモードにしてある。つまりこれは修威自身が設定した音ではないということで、不審に思った修威はこっそりと携帯電話を開いて何事が起きたのかを確認し、さらに不審そうに顔をしかめた。
修威達が階段番の巨木人を倒して4階に進んだ。ニュースはその日の内に学年中に広まり、どうやら他学年にまで届いたらしい。放課後、ややふてくされた顔をしながらも技術室に向かっていた修威の後ろから楽しそうな声を掛けてきた女子生徒がいた。寧子である。
「今日は大活躍だったようね、しゅーいくん」
「ああ、雛摘先輩。お疲れ様です」
軽く振り返りながら挨拶をする修威の横に並び、寧子はうふふと眉尻を下げて笑う。
「不満たっぷり、って顔をしているわ」
「先輩も4階に行ってるんすよね?」
「3月の最後の課外授業でやっと。2年でもまだ階段でもたついている子は多いのよ。でもその方が幸せかもしれないわ。分かる、って顔をしたわね?」
色素の薄い瞳で修威を見て、寧子はほんの少しだけ溜め息をついてみせる。珍しいな、と修威は声に出さずにわずかに目を見開くことで驚きをやり過ごした。思えば寧子と2人で話をする機会など今まで一度もなかったのだ。修威がこれまで目にしてきた寧子の姿といえばそのほとんどが部室の中で作業をしていたり、作業のついでに雄也を踏んでいたり、作業に関係なく雄也を踏んでいたりといったものだった。彼女とこうして会話が成り立つということがすでに修威にとって驚きに値するものなのである。
「あたしは今日も4階の攻略に失敗。正直なところを話せば少し怖いわ」
「雛摘先輩の口から怖いとかいう言葉が出るとは」
「あら、あたしには怖いものなんてたくさんあるのよ。そうね、きっと怖いものの方がそうでないものよりもずっと多いわ。でも魔法が使える間は少しだけ、それに立ち向かっていける気がするの。あたしにもできることがあるって錯覚するのよ」
錯覚? と修威は思わず聞き返した。何が錯覚だ。寧子は以前、修威と舟雪が苦戦した避難訓練の敵を相手に格の違いを見せつけた。格好こそアニメから出てきたような奇妙なものだったが、その力は本物だ。錯覚などであるはずがない。しかし寧子は小さく首を振ると「そういうことじゃないの」と口元を歪めて苦笑してみせる。
「うまく説明できないのだけどね。あたしは何か、とてもひどい間違いをしているの。だからどこにいても、何をしていてもあたしっていうものはそこにいないみたいなものなのよ。魔法を使っているときにはそれがほんの少し変わって、あたしがこの世界に馴染むような気がするっていうこと」
「……はあ」
修威は生返事をすることしかできず、寧子もそれ以上彼女自身について話そうとはしなかった。長い廊下を歩いて技術室のドアを開けると、そこにはすでに雄也と舟雪が来ており何やら雑誌を挟んで話し込んでいる。修威達はそこへ割って入った。
「おつっす。何熱心に見てんすか、エロ本とか?」
「あんたな、そういうベタなネタ振っても面白くねぇぞ」
舟雪の反論に修威はえー、と口先を尖らせる。
「だってお前が読みそうなのって他にゲームの本しか思いつかねぇし」
「他にって何だよ、誰が学校でエロ本とか見るかよ!」
「寮では見んの?」
「見ねぇよ!!」
噛み付く舟雪の頬がほんのりと赤い。修威はそこには気付くことなく話を切り上げて雄也の方へと視線を振る。木人部の部長は相変わらず紺色の作業服を着ており、寝癖の取れないぼさぼさの黒髪の間から青灰色の目を覗かせている。
「歳沖部長、今日は何の呼び出しっすか」
携帯電話の不審な音は雄也からの、というよりは木人部としての呼び出しを告げるものだった。それならばいつものように梶野を経由してメールをすればいいものを、と思った修威であるのだがそこは口に出さないでおく。その辺りも含めてまるごと雄也に聞く方が早い。
授業中の教室で気の抜けるような軽快なメロディと共に携帯電話に表示されたのは“PHL”という見慣れない文字だった。そして修威が不審に思いつつもその文字を選択すると、今日の放課後に木人部のミーティングを行うので技術室に集合するようにという内容が普通のメールなどとは異なる独特の形式で画面上に現れたのだ。
修威の疑問に対して雄也はうんと一度頷き、それからふと技術室の奥にあるドアへと目をやる。するとドアが向こう側から小さく開かれ、奥の技術準備室から小柄な、というよりも人間ではない小ささの人型のものがちょこんと顔を覗かせた。言うまでもなくぽくじんである。どういうわけか課外授業の時間外にも動いたり喋ったりする、奇妙な木人のぽくじんである。ぽくじんはドアから首だけを出し、何やら苦しそうに言う。
『ユーヤ、ドアが重いでス。開けテ、開けてくださイ』
「ああ、すまない」
雄也は何気ない調子で頷くと席を立ってぽくじんのためにドアを開けた。そして準備室から出てきたぽくじんはとてとてと歩いて修威達の前にやってくる。
『まだ全員ではないですガ、ひとまず皆サンよくぞお集まりくださいましタ』
ぽくじんは短い腕をぴっと挙げてそんなことを言う。どうやら初対面らしい舟雪がぎょっとした顔で固まっているが、誰もそこに助け船を出すことはしない。ぽくじんはその場の空気を特に気にした様子もなく続ける。
『どうやらPHLは異常なく動作したようで、一安心でス』
「おう、そのPHLってのは何なんだ? いきなり携帯がぴろりろいってビビったんだよ」
『フフフ、それこそがユーヤの開発したPHL。正式名称を“ぽくじんホットライン”という、木人部の木人部による木人部のための専用連絡ツールなのでス!』
「……ぽくじんホットライン」
そうだ、と雄也が重々しく頷いてその場にいる他の4人を見回した。修威は最早問い返す気力もあまりなくなっていたのだが、そこにはどうしても一言言わずにいられない者が1人いる。色々な意味でひたすらに置いてけぼりをくい続けている舟雪がどんと威勢よく机を叩いて立ち上がった。
「なんで木人が動いてんだよ! ぽくじんって何だよ! 大体なんでオレはいつの間にか木人部員になってんだよ!!」
『まあ落ち着いてくださイ、ワンコ』
「苗田舟雪だ! なんであんたにまでワンコって呼ばれないとならねぇんだ!」
『お約束というやつでス。それでひとまず落ち着いて座ってくださイ、ナエ……ワンコ』
「言い直してんじゃねぇ!」
フフ、とぽくじんは黒い穴が開いているだけの目で表情なく笑う。相変わらず口らしきものもないのにその声は妙に感情を伝えてくるので、舟雪はますます混乱して修威もまた知ってはいるものの改めて奇妙なものだと感じる。そうして収拾のつかなくなったところに折よく廊下側のドアが開き、何やら大荷物を手にした梶野と小さな包みを抱えた真奈貴が連れ立って入ってきた。
「賑やかにやっているね。ぽくじんとの顔合わせも済んだのかな」
「ああ、ちょうど終わったところだ」
梶野の言葉に雄也が答えて、「終わってねぇ、終わってねぇし!」という舟雪の台詞は聞こえなかったことにされる。ぽくじんだけがそんな舟雪を見て『気にしないことでス』と慰めの言葉を掛け、余計に舟雪を混乱させた。こちらに関してはもう収拾のつけようもないだろう。
さて、修威は真奈貴へと視線をやって、さらにその手の上の包みを見て首を傾げる。
「真奈貴ちゃん、何それ?」
すると真奈貴は少しだけ困ったような顔で、それでもどこかいつもより楽しそうな様子でこう答えた。
「父からの差し入れだよ。今日はお祝いだからって」
執筆日2015/01/15




