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「この学校を志望した理由を聞かせてください」
「ここでなら男子の制服を着て通うことが簡単にできるからです」
「なるほど。簡単に、ですか」
「はい。調べてみたら他の学校では“特別な事情がない限り”認められないということでした」
「それほど、女子の制服を着ることに抵抗があるのであれば……他の学校でも認められる可能性はあると思いますよ」
「面倒臭かったんです」
「とても正直ですね」
「自分にとって女子の制服を着る着ないということについて揉めるのがそれだけ億劫だったんです」
「そんな理由でこの学校を選んでいいんですか?」
「はい。自分にとっては充分な理由です」
* * *
つんつん、つんつん。控えめな指先が修威の左腕をつついている。微睡みの中にいる修威はその感触をどこか心地良く感じながらも惰眠を貪り続けた。やがてつんつんがどすどすに変わる。
「修威ちゃん!」
「ふぎゃっ!?」
遠慮容赦のない攻撃で目覚めさせられた修威の目の前にはこの時間の授業を担当する英語教師の男性の姿が。直後、修威の頭は彼の手にした出席簿によって盛大に叩かれていた。
「起きなさい」
「へい……」
「へいって」
隣の席に座る少女が修威の奇妙な返答に顔を歪めている。彼女としては友人の奇怪な言動にいたたまれなさを感じているといったところだろうか。それは修威としても申し訳なく思うところではあるのだが、いかんせん寝起きのぼんやりとした頭ではまともな答えなど返せるはずもない。
「ふへい……」
修威は欠伸を噛み殺しつつ、一応授業を受けているという体裁を取り繕うべく鞄の中から教科書を取り出した。次にノートを出そうと鞄に手を突っ込んでいると、再び隣の席の少女が腕をつついてくる。
「修威ちゃん」
「へいー?」
促されるまま、修威は自分の机の上を見る。そこにあったのは数学の教科書だった。
「すーがくー。あはは、英語だ英語」
「……」
そんなことをやっているうちにまた殴られはしまいかと、修威よりも隣の席の少女が苦虫を噛み潰したような顔で心配している。真っ当で心優しい友人に対して修威はへらりとした笑顔を向けた。
「ありがとうねー、真奈貴ちゃん」
「困るのは修威ちゃんだよ」
その通りだった。ふへへ、と怪しい笑いを返した修威が数学の教科書を机の中にしまい、さて今度こそ英語の教科書を取り出そうと再び鞄に手を伸ばしたそのとき、校内放送用のスピーカーが耳慣れた音を立てる。
びーっ、びーっ、びーっ
あ、と修威は顔を上げながら机の上のペンケースに手を伸ばした。手元を見ていなかったため、その指先はメッシュ生地のペンケースを突いて机の向こう側へと落としてしまう。焦る修威の頭の上から校内放送の音声が響いてくる。
『全校生徒の皆さん、課外授業の時間です。繰り返します。課外授業の時間です。現在の授業を中断し、素早く用意を整えてください』
今日はここまで、と教壇の英語教師が言う。やっとペンケースを拾った修威は中からお気に入りの鉛筆を取り出した。芯の硬度は2Hとなかなかに硬めで、カッターを使って丁寧に先を尖らせてあるそれはそのままでも立派な凶器となる。ゆえに重要なのが芯の先を覆う金属製のペンシルキャップだ。修威は慎重な手つきでそれを取り去り、黒く鋭利な芯を露出させる。
「っしゃ、行きますか!」
先程までの寝惚け眼はどこへやら。だらりと羽織った学生服を翻して席から立ち上がった修威に、隣の席の友人は生ぬるい眼差しを向けている。その彼女の手元には青い表紙の文庫本が2冊。そして彼女も椅子を押してすっくと立ち上がる。
教室内の他の生徒も似たようなものだった。持ち物こそてんでばらばらで統一性など全くないのだが、その眼差しは授業を受けていたときより遥かに緊張したものに変わっている。ただ1人、先程まで授業を担当していた英語教師だけが退屈そうに教壇横の椅子に腰を下ろしていた。生徒達は素早く教室を出ていく。
再び校内放送のスピーカーが警告音を叫んだ。
「はい、まず1匹!」
廊下に飛び出した修威が警告音に負けじと叫ぶ。手にした鋭い鉛筆はいつしか修威の手の中で2メートル近い長さに変化していた。太さはモップの柄と同じくらいで、取り回しのしやすいよう調整してある。そして鋭く尖った鉛筆の先には無惨に砕けた木人……木で人を模した攻撃型の自律機械があった。
「“その火は瞬く間に広がり、辺り一面を焼け野原へと変えた”」
修威に背を向けて立つ少女が文庫本を開き、中身の一節を朗読する。するとその言葉に応えるように廊下に火の手が広がった。赤々と燃える火の中で木人が次々と黒焦げになって倒れていく。
「さすが真奈貴ちゃん、今日も鮮やかな魔女っぷり!」
「修威ちゃんこそ、一番槍」
「ぬふっふ!」
怪しい笑い声を立てて、少女と背中合わせに立つ修威は楽しげに鉛筆、いや鉛筆の姿をした槍を振るう。がむしゃらに振られるその穂先が空を切ると同時に、その周りに黒い煙のようなものがばら撒かれた。背中の少女が再び本を読み上げる。
「“辺りに浮かぶ黒煙に火花が触れる。するとそれを皮切りに大爆発が起こり、辺りのものは全て真っ赤な炎に包まれた”」
どん、と激しい爆発音が廊下に響く。やりすぎだ、という他の生徒の声を聞き流して修威は小気味良さそうに笑う。
「ふひっひ、最高だぜ!」
「本当、修威ちゃんは暴れているときだけ元気だよね」
「真奈貴ちゃんだって大暴れでしょうに」
「そうだけどね」
振り返ってたおやかに笑う少女の長い黒髪が修威の密かな自慢だった。どうだ、自分の友人は美しく気高くそしてとても強い魔女だろう? そんな奇妙な誇らしさが修威の心を浮き立たせていく。
「よっしゃあ、今日は調子がいいぜ! このまま4階へ向かうぞ!」
「気を付けてね」
修威の雄叫びに少女の冷静な声が続く。2人は辺りを警戒しつつ、そして前触れなく現れる木人を薙ぎ倒し燃やし尽くしながら階段へと向かった。そこにはこれまで倒してきた木人より二回りは大きい木製の番人が待ち受けている。巨木人は2人を見ると重々しく口を開いた。
「上靴のラインが緑、ということは1年生か。やめておけ、我を突破するにはまだ早い」
「舐めんなよ、木人さん。俺も真奈貴ちゃんもやる気充分だからな!」
忠告に対して生意気な口を返し、修威は鉛筆槍を巨木人へと突き立てる。ぽき、と軽い音がした。
「あ」
「“そのとき突然、視界を白い煙が塞いだ。降って湧いた好機に乗じて逃げることが最も良い選択だった”」
少女の繰り出した目くらましの白煙が巨木人の視界から修威を隠す。しかし修威は逃げなかった。芯の先が折れてただの棒と化した鉛筆槍を手に「ド畜生め」と汚い言葉を吐く。
「硬度で負けてたら絶対に倒せないじゃねぇか! そんな不条理があるかーっ!」
「だから退却しようっていうつもりだったんだけど」
「真奈貴ちゃんは先に行け! 俺は、俺はこいつを倒したいっ」
「倒す、って言いきらないところが修威ちゃんらしいよね」
「どおりゃああ!」
掛け声だけは勇ましく、修威は鉛筆槍、もといただの巨大な鉛筆を両手で構えて巨木人へと突進した。そしてあえなく吹っ飛ばされた。
「ぴぃ!」
今日何度目かの奇声を上げた修威が硬いタイルの床に叩き付けられる直前、同じ学生服姿の男子生徒がその身体をふわりと受け止める。上着を着崩した修威とは異なり首元のボタンまでをきっちりと留めた隙のない姿のその生徒は修威を片手で抱きかかえながらもう片方の手で巨木人に向けて何かを鋭く放り投げる。ぱきりと何かが割れる音がして、やがて巨木人は自ら崩れるようにその身を木端へと変えてその場に散らばったのだった。
執筆日2014/11/01