<コラム>無人航空機とSF
映画「ターミネーター」をご覧になったことがあるだろうか。軍事コンピューターが暴走し、無人機械が人類に戦争を挑んでくる、という内容はシュワちゃんのビジュアルと合わせてあまりにも有名である。人間がいつか戦争をしなくなりロボットがその代用をする、という内容のSF小説や映画は多くみられ、フィクションとしては見慣れた光景ではある。しかし現在、それは現実になりつつあるのだ。
「ひとが戦争をどう思おうが所詮は同じだ、と判事はいった。戦争は果てしない。石をどう思うかきくのといっしょだよ。戦争はいつだってこの世にある。人間が現れる前から戦争は人間を待っていた。最高の生業が、最高の作り手を待っていたわけだ」 コ―マック・マッカ―シー 『blood meridian』より
戦争という現象が人間の文明を発展させてきたのは、間違いないことだと私は考えている。サランラップにGPS、戦場とは程遠いおしゃれなギャルが弄ぶ携帯電話でさえ軍事技術がもたらした物なのだから。
実はコンピューターも元々はナチスが虐殺したユダヤ人の人数を数えるための巨大な計算機の発展形というのだから、携帯電話が軍隊の物などと言うのは驚くに値しない。それに人類の夢であり、進化の扉である宇宙産業だって、血にまみれた冷戦の核の申し子だ。
人間と戦争というのは切っても切り離せないものなのだ。ならば現在進んでいる無人攻撃機産業が人間に影響を与えないわけがないではないか、と私は考えてしまう。
無人攻撃機、と言われてもいまいちピンと来ない方もいるかもしれないので説明しておくと、無人攻撃機とは簡単に言えば「パイロットが乗らずに遠隔操作する戦闘機や爆撃機」のようなものである。(実際、爆撃機サイズのものから紙飛行機サイズの物までたくさんある)
無人攻撃機が初めて実戦投入されたのは2001年のアフガニスタン紛争だと言われている。その後、中東で無人機は多くの実践に投入された。その後、CIA(米国の諜報機関)によるビンラディン殺害に何度か使用されたが、失敗。現在も中東での誤射などの問題が相次いでいるという。問題はそれだけでなく映画「ランボー」の主人公ランボーを想像していただけるとわかりやすいが、ベトナム戦争で米兵の多くがPDSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされたのだが、それが無人機でも起きているのである。(心的外傷後ストレス障害とは地震や災害、戦争によるトラウマが幻覚等を引き起こす精神病)
朝、今日は娘の運動会か、と思いながら近所に人にあいさつして出勤。その後、無人攻撃機を操作してダース単位で人を吹き飛ばす。シフトが終わったので娘の運動会に急ぐ。かけっこで一等を取った娘を間接的に血にまみれた手で抱きしめる。
このように一昔前の戦闘(戦争)ならば、ありえなかった戦場と自宅を行ったり来たりできるという状態がPDSDを起こしやすいというのだ。しかし、現代の戦争で無人機はなくせない要素になっており、この問題は解決するしかない。
最初に戦争が人間を発展させてきたと説明した。そして戦争の技術が人間の生活に応用されているとも書いた。実際、無人攻撃機は移動できる監視カメラとして利用できるし、武装もつけることが出来る。無人攻撃機の問題は様々あるが、その需要は落ちることを知らない。様々な企業が競う合うようにして開発を進め、その姿はまるでそれらが戦争で使われることを意識の外に出しているよう。
いつかは空上空から我々を無人攻撃機の後継種が監視する日が来るかもしれない。そしてそれが我々をどう進化させていくのだろうか。
昔書いたコラムです。