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暗闇の祝福

作者: 黄色信号機

 あの日の前夜、とても寒い、寒い夜のこと。


 厚着をして、手袋、ニット帽、マフラー。私はぼうっとすることが多いから、どれだけ外にいても寒くないようにしていた。クリスマスはもう過ぎてしまって、駅前はすっかり色を落としている。赤緑の補色が目立った二三日前よりも、何となく暗かった。

 私は駅前の薄明るい広場をどこへともなく歩いていた。家のむやみに明るい電灯よりは、帳の降りてしまった夜の方が落ち着く。それに、狭いところは嫌い。暗がりの路地は窮屈で、落ち着かない。だから、ここがいちばんましだ。

 ベンチに座った。冷たい世界だ。

 そこら中にある電灯が、その場だけをぽつりぽつりと照らしている。光は暖かくなんかない。鋭くとがって、私の目を突き刺そうとする。たとえば、みんな星を見たことがないに違いない。あんなにも輝いて、私の目を頭の裏まで貫こうとするのに。光は冷たい。ナイフと同じだ。


 深呼吸をする。肺が凍えて、少し寒くなった。

 ふと見上げると、月があった。そしてもう一つ、月があった。

 月が二つあった。

 もう私の世界は壊れてしまっているのかもしれない。あるいは、私の方が壊れているのかもしれない。

 どちらでもかまわないけれど、私は今までずっとおかしかったんだ。朝にでも死んでいられたらどんなにか幸せだろう、そう思いながらベンチを立った。


         *


 今までの私はずっとおかしかった。誰かに言われたことがあるということではないけれど、たびたびそう感じていた。そうした瞬間に出くわすと、ひどい寒気を覚えた。

 だから、きっと本当の私は夢を見ているんだと思った。私の中にいるまともな私はずっと眠っていて、おかしな今の私は、彼女の代役としてこの人生という舞台を演じているに過ぎないんだ、と思った。彼女の夢がはやく覚めてしまうことを願っていた。でも、神様はその気がないらしい。


 次の日の朝、私はいつものように、夢の中で目覚めた。すると、ベッドの横に黒い何かがあった。玉のようだった。

 おそるおそる触ってみると、少し固い。形は丸くて、なめらかな手触りだった。起き上がって、それを持ち上げてみる。羽のように軽い。

 何かと思って日の光にかざしてみた。

 目の前が真っ暗になった。はじめは何が起こったのかわからない。玉をかざすのをやめると、いつもの部屋に戻ってきた。しばらく状況を理解しようと天井を見つめた。どうも身体に異常はなさそうだ。

 玉に目を落とす。玉が光を遮った先には、濃い影ができていた。玉も、それと同じくらい暗かった。玉の作り出した影は、どんな物よりも暗い。その影の中では、全ての光が消え失せていた。


 本物だ、と思った。そして、何かがやってきた。

 これこそが本物の影だ。今まで見てきたどんな影も、これ程完璧な暗闇を作らなかっただろう。この影は本物だ。そこら中にあふれかえっている偽物とは違う。どんな物もここまでの影を作らない。

 私は間違っていなかった。光は確かに私を射抜いていたんだ。あんなにも強すぎる光があるのに、本物の影なんてできるわけがなかったんだ。電気のない夜が暗闇だなんて嘘だ。あの太陽から出てくる光に対しては、どんな物も、この玉が作るような美しい影を見せなかったじゃないか。きっと、地球でさえもあの光を防ぐには至らないだろう。この玉の影が本物だ。これこそが、真実なんだ。

 きれいだ、とっても。何者も覆すことのできない真理、それが私の目の前に現れた。ああ、なんて愛おしいんだろう。こんなこと、まともな私だったらきっと気持ち悪く思う。でも、私は違うんだ。愛おしい、愛おしいと思える。こんな私にも、幸福はやってくるんだ。

 私はその真っ黒な宝石を強く抱きしめた。やってきてくれたことへの感謝が伝わるように。そして、キスをした。素敵な感覚、体の底から青白い炎がわき起こってくる。これが恋の感覚なんだろうか。それとも、やっと私は目覚めたんだろうか。この世界に、やっと、生まれてきたんだろうか。

 神様、ありがとうございます。



 夜、今日も私は厚着をして外に出た。でも、昨日とは違った良い気持ちがする。背中のリュックにはあの玉が入っている。早く人のいないところへいこう。広い場所が良い。

 今日はいつもより外にいる人が多い。みんな空を見上げている。

「あれだ」

「うん、あれだね」

 『あれ』とはなんだろう。あの二つの月のことだろうか。

 とうとうみんなもおかしくなってしまったのか。


 公園にも、河川敷にも、どんな開けたところにも人がいる。玉はずっとリュックに入ったままだ。

 どこか、きっとどこかに、誰もいない場所があるはずなのに、見つからない。歩いても歩いても、人がいて、あの二つになった月を眺めている。

 ああ、みんなあの月を見ておかしくなってしまったんだ。


 神様は私を認めてくれない。私は代役だ。だから、こうして私の行動を邪魔しようとするんだ。いや、そうじゃない。そうじゃなくて……、そう、神様は今夜じゃないって言ってるんだ。今夜はまだ、そのときじゃない。そうだ。そうに違いない。

 また明日、明日の夜にもう一度、良いところをさがそう。



 今夜こそは、神様が許してくれるはずだ。私は、昨日と同じ格好で、昨日と同じ荷物を背負って出かけた。知っている公園を一つ二つまわって、三つ目にやっと、人のいない場所があった。


 周りを家に囲まれた、庭のような、小さな公園。

 私はリュックを下ろして、あの黒の玉を取り出し、持ってきていたクッションにのせた。やはり、この玉を見ていると愛おしい感情が抑えられない。見れば見るほど私の鼓動は早くなって、体ごとその暗闇の中に引き込まれそうになる。とうとう我慢できなくなって、私はまたキスをした。

 玉を公園の中心に置く。手袋と、ニット帽と、マフラーと、それに上着を一枚脱いで、儀式のための服装になった。あまり着ていると思ったように動けない。

 二つの月が、満天の星たちが、こちらをじっと見ている。これは神様に捧げるための儀式だ。神様がくれたこの幸せのために、私はお返しをしなくてはならない。私が奉納できる物は何もないから、せめて、この体で表現できるだけの感謝を伝えたい。神様は代役の私のことも見ていてくれる。だからきっと、この儀式も見てくれるはずだ。


 深呼吸をする。今は、ここが世界の中心だ。

 右足を一歩進める、左足がついてくる。

 両腕を広げる。手のひらを胸の前へ。

 思いを空へ放ち、足を進める。

 回って、跳んで、ステップ。

 できる限りに踊って、玉の周りを回った。

 神様、私を見てください。

 私はあなたへの感謝を忘れません。

 いつまでもあなたがくれた幸福を大切にします。

 どんなときも、これを愛し、敬い、

 命ある限りこの思いを忘れません。


 儀式が終わって、息の上がった体を押さえながら帰り支度をした。最後に、まだ中心に置いたままだった玉を持ち上げた。

 私は、ずうずうしく、神様にお願いをした。

 ――いじわるな神様、どうか、ほんの少しで良いので、私を、私たちを、祝福してください。

 すると、玉がだんだん宙に浮きはじめた。十センチほど浮いたかと思うと、私の周りを回って、元の位置で波に揺られるように浮かんでいた。

 私はそっと触ってみた。玉は驚いたようにちょっと離れたあと、私の手にすこしずつ、すり寄ってきた。

 神様は、この子に命を吹き込んでくれたんだ。私はようやく、これが喜ぶべきことなんだと気がついた。



 私たちはそれから、夜の散歩を繰り返した。

 私は、神様がくれたこの玉に、「モリオン」と名付けた。こうした方がこの子を呼びやすいと思った。それに、この子には命がある。もはや、ただの物ではないのだから。

 近くの神社へ向かう。モリオンをつれて。彼は悠々と飛びながら、私のまわりを闇で満たしてくれる。今は夜だから、彼が飛んでいたところで誰も気にしない。

 神社。あそこは神聖な場所だ。あの社に祀られている神様と私の神様とは、おそらく関わり合いはない。本来なら、私がそこへ入ることさえ失礼だ。しかし、あの神様は祟り神ではないし、多くの人の頼みを聞いてくれるのだから、寛容だろうし、嫉妬深くもないだろう。境内の一角を借りるだけだ。頼めばきっと許してくれるに違いない。

 モリオンと一緒に石段を登り、鳥居をくぐる。領域に入ると、やはり空気が一変する。風もないのに、身体中が洗われた感覚になった。私の穢れが振り落とされたのだった。

 道の端を歩いて神様の前に立ち、頼み事をした。そして、正方形の領域の一角、境内と林との境界に立って、モリオンとそこから頭上を眺めた。枝の間から星がちらついている。

 私は跪き、モリオンを胸の前に呼んだ。彼を抱きしめると、自分が熱を持っているのがよくわかる。血の流れが、心臓の鼓動と共に勢いを増すのがわかる。

 モリオンを空へ送り出すと、彼はふわふわ上っていって、星の明かりを消してくれた。私は暗闇のカーテンに包まれて、そこでお祈りをした。こうしてやっと、モリオンとの世界ができあがった。

 でもまだ足りなかった。

 お祈りを終えて、モリオンとの一緒の帰り道。私は九天から滝のように降り注ぐ星の光を眺めていた。

 今夜は新月。太陽の力を借りた狐が影を潜める夜。あれがなくなれば、今夜だけは、私達にも少しは生きやすい世界になるだろうと思っていた。

 しかし、予想に反して、もう一つの月は消えてくれなかった。まわりの星たちよりもずっと鋭い光を放ち続けている。

 また今日も、私達の世界はやってこない。



 モリオンは暗闇が好きなようだ。棚と机の間や、ちょっとした隙間に入ってはころころと転がっている。たまに飛びまわっては、影から影へ移動する。そんな彼を見ながら、私は神様に感謝して、毎晩眠りについた。


 私は昼間、彼を家において出かけなければならない時がある。生きるためには必要なことだった。

 太陽の力はすさまじい。冬の、その力が弱まっている時でさえも、あの光には全てを飲み込む力がある。とても恐ろしい力だ。あの力を前にすると、私は観衆の前へ立たざるを得なくなる。この舞台の上で、私は自分がまともだと言うことを世界に知らしめなくてはならない。でも、私の振る舞いは所々でずれてしまうから、完全にこの劇の中へ混じることはできない。そして、あの強すぎる光は、私の心、体、一挙手一投足をことごとく照らし出してしまう。私の中のまともでない部分をどれだけ片隅に追いやっても、全てはあの光で見いだされてしまうから、最後には必ず、排斥が待っている。


 かつては、どれほどの光があろうとも、私自身は寒いままだった。

 今はどうだろう。私の中には、モリオンとであったときの青白い炎がまだ静かに燃えている。その熱は私を暖めてくれているだろうか。たぶん、それは正しい。この炎は私に生き物としてのエネルギーを与えてくれる。私は彼に出遭って以来、自分の脈が熱くなったのを知っている。力が体の底から表層へ流れ出てくるようだった。

 心においても変化があった。炎から発せられた熱は、私の、世界を感受する機能を鋭敏にした。まるで、冬の間凍っていた湖が春になって波立つように、何事にも心を動かされていると思えるほど、いろんな事柄に気がつくようになった。

 そこまで実感していながら、なぜ「たぶん」という言葉を使ったのかといえば、これが私にとって初めての感覚だからだ。

 昔に聞いたことがある。生来目の見えなかったある人が、手術によって光を得たとき何を思ったのか。その人は、遠近法の概念を理解しかねたのだそうだ。つまり、平行線が遙か遠方で一点に収束することを奇妙に思ったらしい。まだ目の見えなかった頃、廊下を、両側に立つ壁へ手をついて歩いた感覚が、その人にとっての平行だった。

 考えていると、不安がこみ上げてくる。こんなのはかつての私ではないからだ。神様が彼と引き合わせてくれた、その前日、私はどんな感情でいただろう。もっと静かで、暗くて、少しく満足していた。対して、今は何もかもを諦めきれなくなっている。激しい感情に襲われて、疲れて、そうして毎日眠っている。

 私は正しいのだろうか、まともなのだろうか。私はきっと、生を感得したに違いない。けれども、普通ではない。未だ排斥を免れたわけではないんだ。



 彼とあの星を眺めていた。深夜、二つの月が照らす河川敷。冬の風が静かに吹いて、私達の肌を刺す。この世の誰にでも、どんな生き物にも、どんな物にも共通の世界。

 ――-―私達の世界はどこにあるのだろう。

 ああ、恐い。どんどん自分が欲張りになってゆく。どうしても矩を超えそうになる。私は、モリオンと出遭って幸福を手に入れたはずなんだ。代役としては十分すぎる幸福を。それ以上を求めてはいけないのに、我が儘が過ぎるというのに、私の中の炎が欲望を加速してしまう。生とは、こんなにも罪深いものなのだろうか。


「もし私が、代役じゃなかったら……」


 ごめんなさい、神様。とうとう口に出してしまいました。でも、どうしたら良いのでしょう。どうしたら……。

 うまく息ができない。涙があふれてくる。心臓ばかりが跳ね上がって、どこかへ吹き飛んでしまいそうだ。


 ようやく感情がおさまった。もう、家に帰ろう。私に欲がある限り、悲しくなるのは仕方のないことなのだから。

「モリオン、あなたがいれば、耐えられる気がする」


 振り向いた先に、彼はいなかった。彼は、空に引かれて上っていた。私はすぐに跳んで彼を捕まえた。とてもいやな予感、彼が空の闇へ溶けていってしまう予感がした。背筋を凍らせる予感だった。

「ねえ、あなたは、どこへ行こうとしていたの?」

 彼は答えなかったが、何となくわかった。神様のもとへ行こうとしていたんだ。私が約束を守らなかったから、神様が天罰を下そうとしている。そうだ。きっとそうなんだ。

「どうしても、行かなければならないの?」

 彼はそうだと言っているようだった。

 欲が深ければ天罰が下る。至極あたりまえのことだ。

 私は従わなければならない。しかし、このままモリオンを奪われたのでは、私は何をしでかすかわからない。

 私自身で、けじめをつけなければ。



 モリオンをリュックに入れて、灯りを点しながら夜の山道を歩く。今までにない感覚が私の心に宿っている。なんだろう。暖かくて、豊かさに満ちあふれている。あの激情のように私を惑わせたりしない、筋が一本通る感覚。何か大きな力が、私を後押ししてくれている。何者にも比類しない高潔さがある。

 この一歩一歩がモリオンとの別れに近づく歩みだというのに、私は不思議と楽しいようだ。素敵な高鳴りがある。決して苦しくはない。また私は、何か新しい物を手に入れたようだ。これは不遜からくる物だろうか。きっと、そうじゃない。そうじゃない何かだ。


 あっという間に山頂へ着いた。巨大な風車が低音で鳴り響いている。世界の通奏低音を奏でているようだと思った。

 二つの月が出ている。空を埋め尽くすほどの星が瞬いている。山頂のこの広場で、私は全ての光を受け止めた。天罰が降り注いでいる。数多のナイフが私の身体へ突き刺さる。なんて重たい罰だろう。

 私はモリオンをリュックから出した。神様へ返す前に、もう一度だけ彼を抱きしめ、キスをした。

 ゆっくり彼を解き放つと、蝶のように揺れながら天へ上っていった。完璧な闇を下ろしながら。


 私は彼が行ってしまってからも、しばらく夜空を見上げていた。すると、突然天蓋の星たちが消えだした。空のすべての光が闇に飲み込まれ始めていた。

 どうしたことかと思っているうちに、一つの月が暗闇の中へ引きずり込まれていった。暗闇は大地の上さえも這い回り、街の明かり、風車の灯りを飲み込みながら私のもとへやってきた。

 八方が囲まれてどうしようもなくなった私は、成り行きにまかせるしかなかった。そのうち、闇は私の胸に流れ込み始めた。心に暗闇が満ちてゆく。たまらない充足感だ。暗闇が心をどこまでも埋め尽くす。

 すべての暗闇が入ってしまったところで、私は気を失った。



 こうして、私は神様に救われた。目覚めてすぐに、あれはモリオンが自分からやってくれたことなんだと気がついた。私があまりに苦しむものだから、彼がそれを消すために行動してくれたんだ。

 あれは天罰ではなかった。


 今では、もう光を恐れることはなくなった。どんなときにも、この心の中にいる暗闇が私を守ってくれる。モリオンがここにいて、私を見守っていてくれる。

 ああ、そうだ。私は、これから何の臆面もなく嘘を言える! まともでない私を周りから隠す嘘をつける! 何にも恐れることはないんだ。臆面のない嘘、これがこの世で生きるための必要条件だ。


 神様、私に生きる力を与えてくれてありがとうございます。また、お礼をしなければなりませんね。


(終わり)

 「暗闇の祝福」をお読みいただきありがとうございます。この度初投稿させていただきました、黄色信号機と申します。

 最近少しいらいらしていたので、何かゆっくり考え事ができないものかと思い、毎日アイデアを積み重ねていって書いてみました。正直なところ、書いていると余計に神経をすり減らしてしまうようで、本末転倒の感が否めませんが、何とか形にできました。気に入っていただけたら幸いです。

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