泉の女神(検索式)
ある日、森のなかの泉の前で頭を抱える青年がいた。
「ああ大変なことになってしまった!」
泉のなかには女神がおり、彼女は気さくに声をかけてきた。
「あのー……何かお困りですか?」
「はっ。あなた誰です?」
「私はこの泉の女神です」
「ああ女神様。助かった。お願いがあるんです。実は僕、大切な斧を泉に落としてしまったんです。どうか取り戻して頂けないでしょうか」
「宜しい。貴方の望みを叶えましょう」
「やった。ありがとうございます」
「えーとそうですね。でも、ひとつ条件があります」
「条件ですか?」
「ええ。あなたはこれから私の質問にすべて正直に答えて下さい」
「何故でしょう?」
「まあ、ちょっとした遊びです。ここでの暮らしも退屈なんです。それに私は正直な人間が好きです。嘘をつけばすぐにそれが分かりますよ」
「分かりました。僕は嘘をつきません。誠意をもって応える事にします」
「よろしい。では尋ねましょう」
「お手柔らかに」
「さて貴方が落としたのはこの金の斧ですか。それともこの銀の斧ですか」
「ふむ。どちらも違うようです」
「そうですか。よろしい。……では、このただの斧でしょうか」
「はい」
「ふふ。間違いありませんか……?」
「いや……ちょっと待って下さい。よく見るとそれも違うようです」
「そうですか」
「たしかに僕の斧は何の変哲もないただの斧ですが、どうも形も、色も違うようです。たぶん別の人のですよ」
「なかなかやりますね。その通りです」
「……ふう」
「ここの泉には無数の斧が沈んでいるんです。あなたの斧を探すのはちょっと難しいかもしれませんね」
「そんな」
「えっと代わりにこの斧をお渡しするのでは駄目でしょうか?」
「そんな何年も寝食を共にして、手によく馴染んだ斧なんです。あれがないと夜も眠れないんです」
「ふふ。ごめんなさい冗談です。時間はかかるかもしれませんが見つけることはできますから安心してください」
「はい」
「では何か特徴はありますか? そこから見つけてきましょう」
「色は、濃い鈍色でした」
「他には?」
「そうですね。使い込んでいるのでだいぶ錆びついていたと思います」
「錆びついた斧は全部で五千七百六十七本あるようです。他に特徴はありませんか?」
「ではこういうのはどうかな……木は切ったことがない斧です」
「それでは残り三百五十六本になりました。他に何か情報はありませんか」
「確か血がついていたはずです」
「……残りが五十二本になりました」
「ふむ。まだ結構あるようですね」
「では一本一本当たっていきましょうか。ではこの山の主で時々村に降りては悪戯をしていく大熊を倒したときに血がついた斧ですか?」
「いいえ」
「それではこの無垢な小鹿を日の糧とするために殺したときに血がついた斧ですか?」
「いいえ僕は動物を殺したことはありません」
「……ではその血は人間を殺したときについたものですか?」
「そうです」
「……残りが四本になりました」
「よかった。だいぶ絞れてきましたね」
「それではこの隣国との戦争でやむを得ず敵兵を殺した斧ですか?」
「もう戦争なんて何十年も起きていません。今は退屈なくらい平和ですよ」
「それではこの木こりが仕事で誤って足を切ってしまった斧ですか?」
「幸い僕は両足とも傷一つありません」
「それではこの襲われている老夫婦を助けるために山賊を切り捨てた斧ですか?」
「いいえそんな武勇伝身に覚えがありません」
「では残り一本となりました」
「ではたぶんそれでしょう」
「……で、ですが?」
「なんでしょう」
「これは……これは、たくさんの人間を殺してきた斧のようです」
「ほほう」
「怯えながら棒きれを構える少年を殺したことのある斧です」
「ふむ」
「命乞いをする妊婦を殺したことのある斧です」
「なるほど」
「自らの命を差し出す代わりに家族は見逃して欲しいと懇願する老人の願いを無視し、その全ての人を殺したことのある斧です。老人も、大人も、若者も、子供も、赤ん坊も、男も、女も、聖者も、罪人も、王も、奴隷も関係なくただただ楽しみのためだけに残虐を尽くした斧です」
それから青年はしばらく考え込んでから、こう返事をした。
「ではその斧は僕のもので間違いありませんね」
彼はにっこりとした笑顔を浮かべていた。
そこには嘘偽りはかけらすらない。
目的の斧が見つかったことへの純粋無垢な喜びがあるだけだった。
「僕は人殺しが大好きなんです。僕はその斧で木も、動物も、虫一匹すら斬った事はありませんが、人はたくさん殺してきました。さあ女神様どうか、正直な僕にその斧を返して下さい」
「……私は、正直者がこのような人物であることをとても残念に思います」
そう言うと女神は斧を抱いたまま泉のなかへと潜ろうとした。
だが青年は笑顔のまますかさず飛びかかる。
「この嘘つきが! 死ね!」
小さな悲鳴と、飛沫が泉から上がった。
だがやがて静けさが戻り、代わりに水面が赤に染まる。
以来、泉からふたりが出てくることは決してなかったという。