親の会・そして絆
彩は胃洗浄をされ、カテーテルと呼ばれる尿道に通す排尿器具を付けられ、点滴をされてずっと眠り続けていたが、幸い命に別状はなかった。
待合室のニュースで「霊界の恵み詐欺事件」について報道されていた。
何もこの状況でこんなニュースをしていなくても…。
俺もお袋も、何もかもが信じられない気持ちで、ただ暗く、重い表情をしていた。
逮捕された理事長は五十五歳、詐欺で儲けた資金でキャバクラや風俗店を中心に豪遊していたという。
彩の二度目の自殺未遂という最悪の状況にも関わらず、結局親父は最後まで病院に駆けつけることさえせず、電話では『俺は行けない』の一点張りだった。
「状況はわかった。俺だっていますぐ行きたい!でもどうしても行けないんだ!とりあえず頼む!俺が出来るのは金を稼ぐこと。そしてお前たちを守ること。とにかく今は無理だ。分かってくれ!」
お袋の話によるとその時も、電話の向こう側からは明らかに高級クラブの匂いを感じたという。しかもいつも親父の脇から「同じ女の声」が聞こえてくるという。
お袋は親父があるホステスに夢中だということを既に感じ取っていた。
「あの人はいつでも逃げる…仕事に逃げて、お酒に逃げて、今回の彩の件で、あの人はあの人なりに追い詰められたのかもね…でも最後の逃げ場所は女でしょう…。わかるのよ。あの人はしらばっくれるだろうけど……。でも分かって欲しい、追い詰められているのはあなただけじゃないってことを!」
俺は救命医から告げられたことを思い浮かべていた。
「すでに彼女の状態・症状はうちの精神科病棟の医師に全て告げてあります。病棟医師いわく、彼女はおそらく、うちの病院では手に負えないタイプの病でしょうとのことです。今後うちの精神科病棟に入院してもらうと思いますが、入院期間は長くて二週間だと思ってください。しかしその後は単なる通院となります。薬は恐らく増えていく一方で、しかも彼女の心の根底を治すものではなく、単なる対症療法に過ぎません。それどころか今回のように、薬を飲んだふりをして、貯めこんで、一気にアルコールと飲むといった危険行為を繰り返す恐れもあります。最近では他の精神病患者間でインターネットを通じたネットワークが出来ていて、薬をもらったり、ひどいときには、覚せい剤や注射器をもらったりといった最悪のオフ会まで存在すると言います。以前にもお伝えしたかと思いますが、彼女の脳には何ら異常はありません。つまり人格形成での問題なのです。この分野は意外と精神科医が苦手とする分野であり、正直、うちの病院の精神科医の力量では彼女の病気を治すことは難しいかと思います。言いづらいのですが、このパンフレットの病院に最低でも一〜二ヶ月間入院されることをおすすめ致します。担当の精神科医より紹介状を書いてもらいますので。力になれずにすみません。とにかくうちの病院で、彼女を治療する自信がないのです」
渡されたパンフは以前父親が敬遠した県外の山奥の病院だった。一ヶ月の治療費は約五十万円…。しかしここに入院した患者は飛躍的に良くなるという。
「彼女には、ミーティング等を中心とした『人格形成のリハビリ』が必要なのです。薬で治る病気ではありません。不幸中の幸いは、彼女がまだ、とても『若い』ということです」
しかし彩の治療は単に、県外の山奥の専門病院に入院させればいいということではない、そう俺は確信していた。
彩の治療には「田中家」の「病んだ組織図」を根本的に変更することが必要だと思っていた。そうでないと、結局彩は根本的には治らないと俺は思っていた。
ちなみに後日、彩の部屋をくまなく散策したが、注射器はあったものの、覚せい剤のようなモノは見つからなかった。
このあたりから俺は、酒やゲーセンで必要以上に時間を潰して逃げることや、地元住民へのつまらないいたずらをすること等をやめるようになっていった。
この家庭を立て直すことが出来るのは、今は俺しかいないと思い始めたからだ。
そして俺は近藤と前田に、今までのバカな遊びは金輪際一切止めると言った。
すると近藤も前田もあっさりと俺に同意し、それからというもの三人共一切そう言った遊びをしないようになった。
みんなどこかで「いつまでもこんなことしてたってきりがない」と思い始めていたのかもしれない。
その後、俺は彩が退院する前に早急に、自分から進んで、両親に家族会議をすることを申し出た。
「彩が退院してから」だと恐らくこの会議を開いても遅いと思っていた。
両親は了解してくれたものの、正直そんなに期待しているような様子ではなかった。
恐らく、今までどれだけ話し合っても、何ら解決の緒すら見つからなかったら、ほとんど期待していなかったのだろう。
俺は、家族会議の場所を「自宅」ではなく、「料亭」にして、個室にしたいとお願いした。
俺のこの提案は両親にとってかなり意表をついたものだったらしい。
「料亭…ほお、お前の意図がわかるような、わからないような…そんな感じだな」
親父は不思議そうにそうつぶやいた。
「確かに、すっかりどす黒いオーラが漂っているこの家で話し合うよりも、落ち着いた料亭なんかで話をすると、また違った話し合いが出来るかもしれない。よし、料亭は俺がえらんでやろう。行きつけの、刺身が最高にうまい料亭があるんだ」
親父の自慢気な言い分に俺は反論。
「いや…」
俺は親父の目をしっかりと見ながら続けて言った。
「料亭は、俺が選ぶ」
料亭を親父に選ばせなかった理由には二つある。
一つは、何となく親父が料亭を選ぶという行為そのものにより、会議の内容までもが親父の考えの路線をたどるのではないかといった得体のしれない不安があったこと。
そしてもう一つは…。
家族会議は土曜日の夜に行われることとなった。
時刻は夜の七時を過ぎていた。
俺たち三人は「割烹 うんめえど」という名の料亭の前にいた。
とっくに七時を過ぎているのに未だに「準備中」と書かれている。
「ありえない料亭だな、看板には六時半開店と書いてあるのに…こんな料亭、食わなくても味がわかるわい」
親父がビジネスマンの観点から、さっそく店の不手際を指摘する。
「味は保証できるのか?」
「知らないよ、俺も初めて来たし」
「お前という奴は…」
「だってここしか空いてなかったんだよ」
「土曜日のこの稼ぎ時の時間帯にこんなルーズなことをしている店など、ロクな店じゃないに決まってる!」
「さすがは夜の帝王だな」
「そ、そんなんじゃない…。常識だ。俺はこの時点で、もう料理には全く期待せんからな!」
お袋は俺たちのそんなやりとりを見て、少し微笑んだような気がした。
そういえば、親父と、勉強や将来のこと以外で、こんなくだらない口論をしたのは何年ぶりだろう。お袋は久しぶりの「家族」の光景に微笑んだのかもしれない。
七時十分、ようやく店が開いた。
無愛想な太ったおばさんが口だけ笑いながら俺たちにいった。
「おせぐなって、わりがったすなあ、まんず、へえってけれ」
どこの言葉だ?おそらく東北だろうとは思うが…。
料亭の中は潰れかかった旅館のようにボロかった。
「ほれ見ろ、だから俺が選ぶといっただろう…」
「親父は高級クラブに行き過ぎなんだから、たまにはこんなトコもいいだろ?若いおねーちゃんもいいが、人生経験豊富そうな、ふくよかなオバチャンもたまにはいいんじゃねえの?」
「………」
お袋は思わず「ふふっ」っと笑った。
お袋が笑ったのなんて何ヶ月ぶりに見ただろう…。
俺はそれだけで涙が出そうになってしまう。
俺たちが通された部屋はいかにも公民館の茶道サークルなどが行われそうな十五畳ほどの比較的広い部屋だった。
となりの部屋とはふすまを隔ててつながっていた。
つまり、ふすまを開けると別の団体がいるという感じの大広間の和室の一室だ。
となりの部屋からは開店前からすでに入っていたかの如く、団体客の賑やかな声が聞こえてくる。
壁には掛け軸一つなかったが、大きな鬼の面が東西南北に掛けれられていた。
これってナマハゲ…?男鹿半島の…?
じゃあさっきのおばちゃんのなまりは秋田弁…?
俺たちはさっそくメニューを見てみた。
「はあ??」
メニューは酒類と秋田の郷土料理「きりたんぽ」の二つしかなかった。
「他ないの???」
そうすると、さっきのおばちゃんがやって来て、和かな顔で、秋田弁?で注文を訊いた。
「注文のほう、なんとするがきまっだすか?」
「こ、これしかないんだろう?」
「んだ。だども、そごさ、だまご入れだり、稲庭入れだり、サアビスするごどもあどがらできるがら、適当に食ってければいいべ。値段どがべづに決まってねえがら、うぢの店そんくたらこまけえごどでかまどきゃすようなごどねえがら」
何を言っているのかマジでさっぱりわからない。俺は適当に答えた。
「と、とにかく任せますから。この料亭で一番自慢のメニューを持ってきて下さい、あと日本酒もお願いします」
「じゃあ、酒っコと、きりたんぽだすな。んだばちと待ってけれな」
おばちゃんがいなくなった後、東西南北のナマハゲに囲まれ、俺たちは無言のままでいた。
自分が選んでおいてなんだが、この料亭っていったいなんなんだ…。よくこれで経営が成り立つな…。
「まあ、いい。次の家族会議の時には俺が選んでやる」
親父はもうすでに何も期待していないといった様子で、そうつぶやいた。
料理と日本酒は約十五分程で持ってこられた。
「秋田の郷土料理きりたんぽに稲庭うどんにだまこ餅の鍋だす。あど、こいで酒っコ飲めば、なんとうめごとうめごと…うぢの自慢はこれだすなあ」
相変わらずよくわからないが、おばちゃんは日本酒のオチョコを三人分持ってきた。ということは俺が高校生に見えず、そんなに老けて見えるということなのだろうか…。
親父とお袋、そして俺も日本酒をオチョコについだ。
俺の飲酒に対して、両親は何も言わなかった。
一杯くらいはいいやと思ったのかもしれない。
熱い鍋のだし汁を親父、そして俺と母親が啜る。
三人の目の色が変わる。
「う、うまい…!」
続いて、具を色々と食べる。これはかなりうまい。さすがの親父もこの鍋の味を否定することは全く出来なかった。
粗探しすら出来ないほど上手い郷土料理だった。
特に鶏肉と汁が絶妙にうまい…。
時を同じくして、隣の団体も何やら盛り上がってきたようだった。
料理の感想はきりがないからこのくらいにしておこう。
俺たちは今後のことについて語っていた。
俺が両親に熱っぽく語り始めた。
「俺は、精神科医が言った通り、彩が安定剤で治るとは思えない。あんなにいい子だった彩が、悪魔のように豹変したわけだから、藁をもつかむ気持ちであんなインチキな除霊師を信用してしまったお袋の気持ちもわかる。それに立派な家を建てたはいいけど、ローン返済のために絶対に今の仕事のプロジェクトを失敗するわけにはいかない親父の気持ちも、生意気な言い方になるだろうがわかる。親父の場合は仕事でも戦い、家でも戦っている。そりゃ逃げ場所見つけてホステスに甘えるのも無理ないだろう。でもお袋だって、親父と同じで、そりゃ労働時間に差はあるけど、仕事場で戦って、家に帰ってまたひきこもり娘と戦っている。彩のせいで、親父とお袋は互いの責任をなすりつけ合い、不仲になり、度重なる娘の自殺企図の脅しや実行のために、疲れはてている。あと、ここで正直に言うけど、俺自身の存在について正直に言う。親父とお袋が彩のことで精一杯で、俺については何も関心をもたなくなっている気がして、疎外感を感じていたんだ。それで俺自身も悪い仲間とつるんで、アルコールを隠れて飲んだり、民家にいたずらしたりして、グレかかっていたんだ。今はもうそんなことはしていないけど、俺だってそんなに強い人間じゃない。このままだと田中家はどうにかなっちまうよ」
ここまで自分の意見を伝えたのは初めてかもしれない。
俺は、深刻な顔をしている両親に対して、さらに自分の意見をぶつける。
「この家庭の悪循環は、まず親父の絶対王政状態が大元になっている。そしてそれに従わないと『家庭内に暴力が発生する』というお袋の、実体験に基づいての気配りも逆に悪循環になっている。『とにかく言うことを聞かないとこの人は暴力を振るうから、いいから言われたとおりにしなさい』といつもお袋の顔には書いていた。それでも俺は反抗期がきて、親父に逆らった。そしたら暴力を振るわれた。俺は今でも覚えている、親父が俺を拳で殴りまくっていた時、彩はその光景に怯えていた。その時彩は確信したんだと思う。『アタシも逆らうとああなるんだ…今まで以上にいい子を演じないと…』って。それが彩の反抗期そのものを押さえつけた。彩は親父とお袋の期待に応えるために、必死で勉強をし、優等生になり、自分を押し殺して何年も生きてきたんだと思う。そこにバンドの話があった。しかし『ちょっとくらい…』と思った娯楽すらも激しく押さえつけられた。その時、彩はもう生きることの全てが嫌になったんじゃないかって思う。そしてうつ状態になり、精神状態に異常をきたしたのではないかって思う」
俺の話を聞き、親父はつぶやく。
「結局は彩のひきこもりも、お前の不良化も俺たち親が悪いと言いたいのか…」
「もちろんそれだけじゃないだろうよ。彩の性格、彩にとっての家庭環境、学校環境、もちろん親父とお袋にも問題はあるだろうし、俺自身にも問題がある。つまり、犯人は誰かなんて考えてもきりがないし、原因がわかったところで、彩の病気が治るわけじゃないと思うんだ」
「じゃあ、お前は彩をどうしろと言うのだ…?」
「彩の前に、俺たち自身がどうするかだよ」
そういうと、俺は立ち上がり、部屋の両ふすまをいきなりガラリと開け放った。
当然、隣の団体はいきなりのふすまの開放に目を丸くして驚く。
隣の団体は約二十名、中年の男女が主な参加者だった。
中央には垂れ幕があり、達筆の文字で、こう書かれていた。
『ひきこもり親の会・ささえあい 第二十一回懇談会』
驚く両親に隙を与える余地も無く、俺は叫んだ。
「いきなりの飛び入り参加ですみません!うちの家族にも高校一年生の女子でひきこもりがいます!自殺未遂をするわ、家族を振り回すわで、家庭内はめちゃくちゃになり、本当に困っています!どうか仲間に入れてください!」
がやがやと賑わっていた会場は一気に静まり返って、当然のように俺たちは大注目を浴びた。
「け、健、お、お前…最初からこれが…」
「狙いだったに決まってるだろ!精神科医や精神保健福祉士もいいが、俺たちには同じように苦しんでいる『仲間』が必要なんだよ!それを親父はこの場に及んでも世間体ばかり気にして、こういった会合に参加するのもずっと拒否していただろ!そんなんだからいつまでたっても何にも動かないし、家族の溝が深まるばかりで…これだと何も変わりやしないだろ!もうめちゃくちゃだろ!仲間見つけようよ!その場しのぎの精神科薬を彩に飲ませ続けて、腫れ物にさわるかのように彩の言動に怯えて、彩の要求に答えて、夜はお互いの罪をなすりつけて、彩のことばかりで大ゲンカして、ついでに俺の存在も忘れて、挙句の果てには俺までグレかかって…そんでまたまた彩が自殺未遂!このままいくといずれ無理心中か、家庭崩壊だぜ!そんなの俺は絶対に嫌だよ!もう一度『家庭』を作り直そうよ!」
俺が大きな声でわめくと、会場からはささやかだが、数名の拍手が湧き上がった。
呆然とするしかない両親……。
するとそこに六十代後半くらいの紳士風の男性がやって来ていった。
「私の息子は四十三歳になります…二十八歳で仕事をクビになってから、社会に出ていくのが怖くなり、それ以来部屋でテレビゲームをしながら、酒を飲んでいるだけの日々が今でも続いています。私自身、会社を経営していますが、息子のことを長年隠して生活してきました。でも今は隠していません。『息子はひきこもりです』と社員にもはっきり伝えています」
そしてその男性はニコリと微笑み言った。
「あなたも社会的には地位の高いお方なのでしょう。雰囲気でわかります」
親父は怪訝そうな顔で「は?」とつぶやく。
「社会的な地位の高い親の子供に限ってひきこもりになるものですよ」
親父はさらに怪訝そうな顔をし、その男に言った。
「それは我々が財産を持っていることがかえって彼らを安心させて、いずれ自分も仕事をして働いて自立しないといけないという危機感を失わさせているからなのでしょうか…?」
「それもまったくないわけではないでしょう。時には突き放すのも大事ですが、突き放しすぎると今度は自殺しようとするしね、難しいですよ…」
紳士は苦笑いし、ため息をついた。
「まあ、立ち話もなんですし、我々の会合に参加しましょうよ」
俺は正直ホッとした。
この会合についてはネットで見つけた。今回の懇談会があることを知り、参加希望の電話をしようかとも思ったのだが、すでに締め切ったとホームページに書かれていたため、一度は断念したのだが、諦めきれず、今回強引にこのような飛び入り参加作戦を考えたのだった。
その後親父もお袋もすっかり彼らと馴染んた。俺は成功した…と自己陶酔にひたっていた。
メンバーの一人、山田慶次郎さん(五九歳・会の代表)は、内科医をしているが、息子が中学のときからイジメを受けているにも関わらず、「イジメを受ける人間は弱い人間だ」と逆に息子を責める日々を続け、その結果高校に進学せずに、対人恐怖症になり、三十三歳になった今も、不規則なバイトしかしていないという。
メンバーの一人、川本銀次さん(六三歳)は弁護士をしているが、娘が、二十歳の時にノイローゼになり、ずっとアニメやゲームの世界に逃げて、定職につかないという。そして今は三十歳になったばかりだという。
メンバーの一人、渡辺浩之さんは最年長で(七十ニ歳)、ごく普通のサラリーマンで特に高い地位を得ずに退職したらしいが、息子は現在四十七歳、二十歳の時に出来ちゃった結婚をしたが、その後息子の浮気をきっかけに奥さんは二歳の娘と共に家を出て、それ以降連絡も途絶えてしまったという。その結果、息子はアルコール依存症で何度も入院、今は酒はやめているが、毎日パチンコをし、今度はギャンブル依存症になっているという。お金が無くなると、お金をせびりに来るが、断ると殴られるため、民生委員とも相談中だとのことだ。
『苦しんでいるのは、自分たちだけではない。自分たちの娘は高校一年生だ。彼らに比べたらまだまだ間に合う』
両親はそう思ったに違いない。
両親は「ひきこもり親の会」の名簿を貰い、自らもメンバーに入れてくれと代表の山田さんに訴えた。
山田さんは笑顔で、「もちろん」と答えた。
料亭での家族会議、及び懇談会への飛び入り参加後の両親は明らかに目の色が変わっていた。これで何かが変わる、俺の期待も一気に高まった。
もちろん、彼らも赤の他人だし、専門家ではないから、互いに慰め合ったり、経験談を通してヒントを分かち合うくらいしかできないのかもしれないが、医者やケースワーカーやその他福祉関係・行政関係の人たちとは全く違った心強さを感じた。
それは「絆」だった。
専門職・福祉関係・行政関係の人達と、苦しんでいる家族の間にはどうしても溝があった。
彼らにとって俺たちは『数多くあるカルテの一つ』に過ぎない。
当然ながら、自分たちの休みの日や夜間や緊急時にまで助けてくれる存在ではない。逆にそんなことをしていたら今度は彼らの体がもたないだろう。
しかし家族会にはいつだって電話が出来る。もちろん深夜にはしないが…。
互いに話をしたり、意見交換をしたり、励まし合ったり、愚痴ったり…これが出来るだけでもどれだけ救われるかわからない。
帰り道、親父が俺たちにつぶやいた。
「もうすぐ大事なプロジェクトが終了する。今、社長が、このプロジェクトが終わり次第、俺に新たなプロジェクトチームのリーダーをやってくれって言ってきているんだ」
「な…」
俺とお袋は目を見開いて親父を睨んだ。
俺は苛立ちが腹のそこからこみ上げているのを抑えられなかった。
今の料亭での会議は一体何だったっていうのか!
そう思った矢先、親父がふっと笑い、つぶやいた。
「でも、俺は断るつもりだ。しばらくは大きな仕事を控えさせてくれともいうつもり。そして『うちの娘がひきこもりで、自殺未遂を繰り返し、精神科にも通院していること』も言うつもりだ」
俺とお袋はかつてない親父をそこに見た。
今、親父は本当の意味で、親父の役割を果たしている。
「俺は、仕事を通じて、お金を稼いでいる、ゆえに家庭を守っていると思っていた。しかし、俺は結果として仕事そのものにのめり込み、家庭を顧みなくなっていた。断ろうと思えば断れる飲み会や仕事仲間との飲み会、ゴルフ、麻雀もすべて『付き合い』という名目で、仕事のせいにしてきた。お前たちが今どんな心境にいるのかなんて考えたこともなく、『勉強しろ』と言えばそれで教育をしていると思い込んでいた。そして、澄子…」
「はい…?」
親父は目に涙を貯めながら言った。
「お前にばかり重荷を負わせていた。すまなかった。健の言うとおり、仕事のストレス、仕事での外面の良さを保つ手段として、ストレス発散のため、俺は気づいたら暴力すら振るうようになっていた。俺が暴力を振るわないようにと、お前は子供たちを守るために、自分の意見を押し殺していた。それで『とにかくお父さんの言うことを聞きなさい』と言うのが口癖になっていったんだろう…。その結果、俺とお前の二人は健と彩の夢を次々と押さえつけ、進路まで勝手にレールを敷いていた。子供たちの意見なんて全く聞いたためしがなかった…」
お袋がそこに口を挟んだ。
「そうね、彩に『反抗期』がなかったのは、あなたが私を殴ったり、健を殴ったりした場面を彩自身が観ていたから…彩は恐怖政治に怯えて、逆らわなくなり、逆に必要以上にいい子を演じるようになった。そしておそらくあのバンドの件で、彩の中で、我慢の限界がきたのだと思う…。彩が病気にならなければ私たちは偽りの家庭円満を死ぬまで続けていたかもしれない…」
俺が口を挟んだ。
「要は俺が言ったことがほとんど正しかったってことだろ。彩は家庭内テロリストになってしまったんだ。部屋に引きこもり、自らを人質に立てこもり、そして田中家を崩壊させる計画を立てたってわけさ。まっ、計画性と精神疾患の中間部分と言っていいのかな」
それからしばらく、三人共無言で帰り道を歩いていた。
「一度、その…例の病院に入院してもらおうか…」
親父が唐突に言った。
「マジかよ?いや、反対はしないけど…」
「ただ、あなた…本人が了解しないことには、難しいでしょう…?」
「本人には温泉旅行だと嘘をつくんだよ。あの辺は有名な温泉高原だ」
「親父、そんな単純なやり方がうまくいくはずないだろ!だいたい嘘は良くない。ますます親が信じられなくなって、下手したら逆恨みされるよ。まずは彩が親父とお袋に対する信頼を取り戻すようにもっていかないと…」
「じゃあどうすればいい?」
親父は深くため息をついた。面倒くさい現実を前に、さっきまでの意気込みが消えてしまいそうな表情だった。
「『説得』は良くないと思う、逆に意固地になる可能性が高い。本人が『納得』しないと何事もうまくいかないだろうさ。要は、本人との長い話し合いが必要だってことさ」
「じゃあ、本人も交えて、四人で家族会議を…」
「親父、そうじゃないって!彩は親父の顔を見た途端に、まっ先に『ふん、どうせ言ってもムダ』と心を閉ざすに決まっている。最初は、俺だけが彩と長い時間をかけて話し合うしかない、言っちゃ悪いが親父とお袋に比べればまだ、俺の方が彩から信頼されているからな。四人での話し合いにはまだまだ時間がかかるよ」
親父はタバコに火をつけて、ため息を付くように煙を吐き出して言った。
「お前の言うとおりだな…」