料亭の過去
夕方、待ち合わせ場所の駅の改札口で俺たちは会い、近藤、前田は俺にだまって着いてきた。例の「割烹 うんめえど」は、相変わらず六時半開店のはずが、七時を過ぎても準備中になっていた。
「ここだよ、ったく相変わらずルーズだよなあ…もう開店時間を三十分も過ぎてんのにさあ…」
前田が呆然とした顔で俺に行った。
「おい、ココなの…?マジで…?」
「おう、かなり適当な経営と接客なんだが、とにかくきりたんぽがメチャクチャうまい」
「ここ、俺んちなんだけど…」
「はああああああああああああああああ?」
俺と近藤は見事にハモった。
「割烹 うんめえど」は正真正銘の前田の家であった。
俺たちは前田家に入り、例の極うま郷土料理を食べながら、今までの前田家の歴史を聞かせてもらった。
前田は電車の話と同様なくらい熱心に語った。
話を聞くと、元々前田の両親は秋田出身で、秋田で郷土料理店を経営していたらしい。前田も小学校三年生までは秋田にいたという。
味の評判は大変良く、テレビの取材で芸能人が食べにきたこともあるという。
しかし、前田の父親の兄貴に問題が発生した。
兄貴も弟、つまり前田の父親のように「食」で一旗あげたいと、脱サラして、稲庭うどん店を経営したが、思うように客足が伸びず、結局事業は失敗、多額の借金を作ってしまったという。それが元で離婚し、妻は五歳の娘を連れて出ていってしまった。
その後兄貴は、貧乏と孤独をまぎらわすかのように酒に溺れ、生活はさらに荒れ、借金もパチンコで返済しようとして、負け続け、さらに借金を作ってしまい、それからというもの始終、前田の父親のところに金を借りに来ていたという。
最初は哀れに思い、貸してやると、そのお金はすべて酒代とパチンコ代に消える。
そしてまた借りに来るという悪循環が起こっていたらしい。
そして、『貸さない』というと、『死んでやる』とか『この家に火をつけてやる』と言って脅されたという。
それもあり、前田の両親は兄貴を避けるため、ふるさと秋田を離れ、はるばるこっちまでやってきたらしい。もちろん兄貴には引越しの事実を知らせない状態で…。
つまり事実上の絶縁であった。
その後、こっちでも地元ほどではないにしろ、お客のクチコミでそれなりの経営が成り立ち、現在に至るという。
なお、前田の両親が引越しをして、三年後、兄貴は自宅で首を吊って発見されたという。
遺書には『どんな幸せな家族にも必ずその幸せを保持するための犠牲者・生贄がいる。俺がその犠牲者であり生贄だ。お前らが俺を捨てたとき、しょせん家族など世間との取引から外れるような邪魔者はどんどん排除して、幸福を演じているだけの見栄っ張りの貴族のようなもの。とんだ茶番劇。俺の言いたいことがわかるか?お前らにはわからないだろうな。だってお前らテレビで郷土料理のあり方について「人情」と「絆」こそが最大の調味料なんて綺麗事言っておいて、俺を捨てるんだもんな。俺の自殺っていう黒い歴史もきっと隠されて、またテレビとかを前に「人情」とか「絆」とか言うんだろうな。そのとき俺は化けて出てやる。俺も「人情」とか「絆」とか最後の最後まで信じてたけど、だあれも俺のことなど心配してくれなかったよ。おれは邪魔者。だから逝く。あばよ、』と書かれていたという。
「おいおい……今日は近藤をなぐさめるための会じゃなかったのか?今の話、結構キツイなあ…」
俺は前田に突っ込まずにはいられなかった。
案の定近藤の表情は尚更暗くなっている。
前田家のどす黒い歴史を聞くためにこうして集まっているんじゃない。
出来たばかりの初めての彼女と、約二ヶ月もろくに連絡が取れない近藤を慰めるためにこうして集まって、うまい料理を食べているんだから…。
しかし前田の話はまだ続きがあった。
「うちの両親は兄貴の死と、その遺書を読んで、後からものすごい罪悪感と後悔の気持ちが襲ってきたらしい。もう少し、いろんなところに相談できたんじゃないかって。親戚とかにももっと相談して、協力体制を得ることが出来たのではないかって。それが出来なかったのは結局、マスコミにも取り上げられて、有名になった今の地位と名誉に傷をつけたくない思いもあって、兄貴の存在を隠そうとするあまり、結果として兄貴を見殺しにしたんじゃないかって。そもそも引越しがスムーズに行ったのはある人のコネがあって、某所割烹料理店が潰れて、その跡地を低価格で貸してもらえるという話にうまく乗ることが出来たからなんだ。その跡地というのがこの店なんだ。でもこういったコネはうまく使えたくせに、どうして兄貴を救うということには頭が働かなかったのか、どうしてもっといろんな人と協力体制をとれなかったのか……それを考えたら、自分らがかつてマスコミ相手に『絆』『人情』が最大の調味料だと偉そうに言っていたこと自体が死ぬほど情けなく感じたらしい。その後、うちの両親は、その事実を包み隠さないことにしようと決心した。入口のところにこの店の歴史、もちろん『兄貴の死』についてもはっきりと書いて張り出している。ここを単なる郷土料理店としてではなく、主に社会にうまく適合できなくて悩んでいる人たちや、各種福祉団体、身体・精神障害者団体やその親の会などの団体を優先的に呼び入れているんだ。そんで今現在、そういう人たちの会合の場合、通常の半額の値段で貸切サービスができるということにしているんだ」
近藤は、話を聞きながら、無言できりたんぽを口に含んだ。
味わっているのか、彩のことを考えているのか、その表情からは何ともわからない。
やがて今度は近藤が突然語りだした。
「どの家庭も、多かれ少なかれ誰かを犠牲にして成り立って、芝生を青くしているのかもな。家庭って一番小さい組織だからな。そんで家庭には親戚同士の人間関係があって…。要するに、その、何だ、そうして成り立っている人間関係…そんな中で、一人や二人…多少一般社会に適合出来ない人間がいること自体、考えてみれば当たり前だよな…。そもそも人間は完璧じゃないし…彩は、完璧を求められすぎて、心を病んでしまった。どうして、社会っていうのは、立ち止まるってことをしないで、ひたすら上へ上へって目指すんだろう…。『便利』の追求と『競争原理』があまりにもエスカレートしているんじゃないか?彩なんかは、その犠牲者なんじゃないかって思うんだ!」
近藤はものすごく熱く語っていた。
「田中、前田、俺は待つよ。彩が俺を捨てることがあったとしても、俺は彩を絶対に見捨てない」
近藤の決意はどうやら固まったようだ。
「『待つ』……それが最大の愛だ!」
鍋を食い尽くした後の、近藤の言葉が印象的だった。