第一話 渇望の獣 ①
二〇二六年六月二十四日、水曜日。午前三時過ぎ。
薄暗い公園に一人の若い女性がスマホのライトを頼りに足を踏み入れる。
「先輩、こんな時間に呼び出して、どうしたんですか?」
亜衣は街灯の光が届かないベンチに腰かけた人影に声をかける。
「悪い、亜衣。帰ってくれないか」
人影は俯いたまま、震える声で亜衣の問いに答える。
「はぁ? 何言ってんすか、先輩。こんな時間に呼び出したのはそっちじゃないすか」
亜衣は苛立った表情を浮かべる。
「ってか、先輩。彼女と別れたって嘘だったんですか? こっち来て説明してください」
「そのことは、後で話すから今はもう帰ってくれ」
「なんなんすか? 会いたいからって呼び出しておいて帰れ帰れって、もういいです。私たちの関係をあの人に言いますからね」
亜衣は怒った声で言い放ち、人影に背を向ける。
「待って、くれ……」
人影が亜衣を呼び止める。
亜衣が振り向くと、人影は地面にうずくまり、苦しげなうめき声を上げている。
「せ、先輩……。大丈夫ですか?」
「来るな。俺に近づくな。そのまま帰ってくれ」
心配そうに駆け寄ろうとした亜衣は、人影の荒げた声に足を止める。
「さっきから、なんなんですか? 引き止めたり、帰れって言ったり、どうしたいんですか」
「違うんだ、亜衣。お前を呼んだのも引き止めたのも俺じゃないんだ」
うずくまった人影から黒い霧が漂い始める。メキメキと音を立てながら、人影が次第に大きくなっていく。
ライトに照らされたその姿に、亜衣の知る先輩の面影はない。
全身は黒い毛に覆われ、長く突き出た口吻は狼を思わせる。
亜衣は一歩ずつ後ずさる。
だが、震える脚がもつれ、その場に倒れ込む。
近づく怪物の口からは唾液がぽたぽたと滴り落ちる。
「い……や……。嫌、来ないで」
かろうじて出た声も虚しく、怪物は亜衣に飛び掛かる。
怪物の爪が腹部を切り裂く。
亜衣の悲鳴が夜の公園に響き――やがて、それも途切れる。
湿った咀嚼音だけが残る。
その咀嚼音に、公園の出口へ遠ざかる足音が混じる。
怪物は一瞬だけ咀嚼を止めるが、再び亜衣の肉へ食らいつく。




