7話 研磨
「ふんっ…」
少し力を込める。
腕に力を込めるというよりは頭と、それに連なるものに力を込めるという感覚だ。
魂から伸びる触手は右腕を覆うように絶え間なく動き、その軌跡に黒色の鉱石のような物質が合成される。
「これで…硬化成功連続10回目か…」
悠馬は寮に併設されているトレーニングルームに朝早くから来ていた。
悠馬は肩の怪我が治らず、1ヶ月くらい任務に出れていなかった。
あの怪我を1ヶ月で治すのは結構凄いことらしいが、あんな怪我を負ってしまったことがそもそも失態だ。
他の3人だったら硬化で防げていたのだ。
(俺も…早く硬化を扱えるようにならないと…)
今日は非番なので硬化の練習をしている。
足、肩、腕と色々な箇所に絞って練習することで安定して使えるようになってきたところだ。
(じゃあ今度は…硬化パンチの練習、やってみるか)
あまり気が進まないが。
悠馬はパンチを打つために構える。
右腕や右腰を後ろに引いて屈み、そのまま体重を乗せたパンチを空中に向けて打った。
(あっ…やべ…)
失敗した。
魂には何本か髪の毛のような細さの触手がある。
本数には個体差があるが、大抵3000から5000本と言われており、当然人間の身体のような実体を持つ物質に対しては透過性を持つ。
その触手から出る数種類の粘液を合成し、固体の物質へ変えると同時に透過力を奪うのが硬化である。
つまり硬化を一歩間違えると、今の悠馬のように、触手から出た黒色の物質が皮膚を突き破り、血流を阻害する。
「うああっ…あっ…痛った…!」
(解除解除解除…!)
悠馬は慌てて硬化を解除した。
黒色の物質は分解されて溶け、消え失せる。
悠馬の手の甲にはしっかりと穴が5個ほど空いており、赤色に染まっている。
(あっぶな…直前で踏みとどまらなかったら貫通してた…)
悠馬は手の甲に向けて息を吹きかける。
「大丈夫ですか」
後ろから声がした。
見ると〔スズメ〕が悠馬を見て若干心配そうな表情をしている。
「大丈夫です…そんな厚みとかを間違えたわけじゃないんで…位置がちょっとズレました」
恐らく、というか多分そうだろう。
箇所を絞って練習していたときと同じようにやったはずなので厚みは間違えていないし、なんなら刺さった感覚があった時点で多少踏みとどまった。
そのお陰で深くは刺さっていない。
「怪我が治って2日目で硬化の練習ですか…熱心ですね」
「うっ…」
(なんの悪意もなく褒めてくれてるのは分かるんだけど…)
それでも何か手放しで喜び難い。
悠馬以外は硬化なんて当たり前に使えるのだ。
わざわざ練習しているところを見られてしまうというのは恥ずかしい。
「…なんで」
「え?」
「なんで、そんなに頑張れるんですか?」
質問の意図が悠馬には理解できない。
なぜ、そんなことを聞くのだろうか。
「…あなた1人が変わったところで、この世界はそこまで変わらないのに…無駄だとは思わないんですか?息苦しくは、ないんですか?」
割と心外なことを言われた。
なんでこんな選挙も行かなそうな考え方で、この職に就いたのだろうか。
(そりゃ、別に俺は大したことできるわけじゃないけど…)
「変わらないって言い訳してたら結局何もできなくなるじゃないですか。割と動いてみて、変わることもあるもんですよ」
実際、この考えは正しいと思う。
変わろうと思って動かなければ、今も悠馬は燻っていた。
そう確信できる。
「そう…ですか」
〔スズメ〕は目を少し見開いた後、自らを納得させるようにゆっくり頷いた。
「あの…硬化ですが」
急に話題が変わった。
「…僕も最初はそんなものでした。上手い練習の仕方を先生に教えてもらって扱えるようになったんです。」
「!?」
(そうだったんだ…)
皆最初からできたわけではなかったということなのか。
それを聞いて少し安心した。
〔スズメ〕も最初は悠馬と同じだったのだ。
「よろしければ、僕が手伝いましょうか。練習」
「はい!よろしくお願いします!」
〔スズメ〕が手伝ってくれるのであれば今日中に習得できるかもしれない。
習得すれば今回のように長い間任務に出れないこともなくなるだろう。
(俺は…他の人より弱いから実戦経験を積まないと…)
今でも鮮明に思い出せる学生時代の初任務。
社会を斜めに見て、担当者の説明も碌に聞かず、失敗した。
無敵だと思っていた自分は実際は大したことないものだったのだと、そこで知った。
「まず、今どこまで硬化をできるのか教えていただいて良いですか」
〔スズメ〕が尋ねる。
「えーと、なんか、動きながらの硬化がうまくいかない感じなんですよね…」
先程のようにパンチ中の硬化など、動きが加わるとうまくいかない。
それは今日ずっと練習してようやく分かったことだ。
「それは…動かない状態での硬化はうまくいくってことですか」
「はい。」
動いていない状態ならなんとかなる。
結構慣れたので、もう1秒以内に硬化が終わるレベルまで来た。
ただ、身体を動かしながらやるのはどうしても難しい。
「無理もないですね。硬化で躓きやすいポイントってそこなので。」
〔スズメ〕が言う。
「そうなんですか?」
今、悠馬は躓きやすいポイントにいるらしい。
「硬化って触手を動かして硬化する箇所をコーティングしますよね。それで、動いていない状態で練習してから動きながらの硬化の練習にシフトした場合、若干揺れとか硬化箇所の移動とかに対応しなくちゃいけないので、そもそも触手操作の難易度も上がるんですよ。それに加えて身体を動かすので、普段より難易度が上がった硬化と身体の移動、二つの並行処理が必要になるんです。」
(なるほど…)
難易度が跳ね上がるわけだ。
そこをクリアするためにはどうすればいいのだろうか。
「まず、難易度の上がった硬化を安定してできるようになれば、身体を動かしながらでもごちゃつかないはずです。なので…ちょっと着いてきてください」
〔スズメ〕は倉庫の方に行って鍵を開ける。
そのまま倉庫の中に入り、何かを取り出す。
「これを使いましょう」
(あれは…)
「ソフトボール?」
なんの変哲もないソフトボールに見える。
あれを使って何か解決するのだろうか。
「このソフトボールはただのソフトボールじゃありませんよ。破損させても大丈夫なんです。比較的穴とか傷が少ないやつを選びました。」
(破損させても大丈夫…?)
見ると倉庫の中でソフトボールが入っているカゴに何か貼り紙がしてある。
(破損しても…弁償の必要はありません?)
常識的に考えてかなりおかしいことを書いてある。
なぜそんな貼り紙がしてあるのだろうか。
「このソフトボールは硬化の練習用で使うやつなんですよ。難易度を上げた硬化を擬似的に再現するために投げたソフトボールを硬化させるんです。自分で投げても別にいいんですが…今回は僕もいるので僕が投げますね。」
(なるほど…)
移動するものに対しての硬化の練習。
確かにこれができれば腕を振り回しながら硬化するような芸当ができるようになるかもしれない。
「では…行きますよ」
「はい!」
〔スズメ〕がボールを持っている右手ごと、右半身を後ろに引く。
「それ」
〔スズメ〕がボールを勢いよく投げる。
「ふんっ!」
ボールが一直線に飛んでくる。
悠馬の魂から80本ほどの束なった触手が伸びる。
それがボールと重なり、直後に黒い結晶が辺りに出現した。
そのときにはボールはトレーニングルームの壁にぶち当たっていた。
「ぐっ…だめか…」
悠馬はガックリと肩を落とす。
「まだまだこれからですよ。それに触手は間に合ってましたよ。硬化発動までラグがあったせいで素通りしましたけど。」
「なんでだ…動いてない腕とかなら1秒も使わずに硬化できるのに…」
「ん…ちょっとそれ、実際に見せてもらってもいいですか?」
「あ、はい」
悠馬は腕を立てて、肘から上を硬化した。
「本当だ…じゃあ、触手操作と合成に関してはそんなに問題ないですね。距離感が瞬時に量れてないって感じですか…」
距離感が量れていない。
悠馬は一応地元ではかなり喧嘩はできる方だったので、そんなことはないと思うのだが。
「いや、距離感が量れてないって言い方は違いますね…なんというか…触手のどの節から体液を出すかがスムーズに判断できてないんじゃないですか?」
(ああ…なるほど)
確かにそれはある。
動いてない身体を硬化するときは大抵慣れでなんとかなっているのだが、先程のように初見だとどうにも難しい。
「じゃあ、ボールの位置はばらけさせますよ。このボール練習は並行処理を要求されない分、投げるのが他人だと硬化自体の難易度は高くなってるので、できなくてもそんなに気にしないでください。」
「はい。」
まだまだ先は長そうだ。
しかし、〔スズメ〕によって悠馬の課題は浮き彫りになった。
方向性が定まった以上はそこに向かっていけばいいだけだ。
「よろしくお願いします!」
悠馬は〔スズメ〕に向き直る。
〔スズメ〕の手から再びボールが離れた。
_「〔ウォーク〕さーん。最近少しおねむじゃあないですかー?」
「へっ…」
〔ツツジ〕の声で悠馬は目を覚ました。
「〔ウォーク〕さんは件長に説明しないからといってもねー、私の説明がしっかり正しくできてるかどうか監視するっていうのも、班員の仕事なんですよー?」
(またか…やらかしたな…)
最近、というかここ3週間くらいは非番じゃない日も〔スズメ〕から教わった方法で夜遅くまで硬化の練習をしている。
悠馬と〔スズメ〕で非番の日が被ったタイミングがあの後一回あって、そのときにはかなり上達していると言われた。
硬化パンチもできるようになってきて、そろそろ実戦で使えるレベルにはなってきたが、睡眠時間を削っているせいで地味に眠くなってしまう。
(毎日2時間は寝てるんだけどな…)
「〔ウォーク〕。刹那の後、化身は自ずと貴様に応える。地獄は貴様にない。」
(……)
なんで悠馬が硬化の練習をしていることを知っているのだろうか。
この前監視カメラを無断設置して反省文なんて書かされていたのにまだ懲りていないのだろうか。
悠馬は〔セトラ〕の言語を翻訳するために起きていた方がよさそうだ。
(睡眠時間5時間に戻そ…)
〔セトラ〕は厨二病なせいで言葉が分かりにくいのに、だいぶ核心に迫る発言をするから無視できない。
実際、悠馬は〔セトラ〕にニ回も命を救われている。
(けど…もう助けられてばかりの俺じゃない。)
硬化をしっかり習得したのだ。
まだ、実戦では使っていない。
というより、失敗したときのことを考えると使えないのだが。
(明日…〔スズメ〕さんに手合わせしてもらおう。)
〔スズメ〕との手合わせでしっかり扱えれば、実戦でも十分に技として使えるレベルまでになっているはずだ。
_「では、始めましょう。」
トレーニングルールで悠馬は〔スズメ〕と向き合っていた。
固定された畳の上で手合わせのための心の準備をする。
今回の手合わせは実戦と状況をなるべく近づけるため、畳の上から出ないことと攻撃は当てる直前で勢いを殺すことしかルールを設けていない。
「よーい…始め」
〔スズメ〕の掛け声で悠馬は動き出す。
畳が破れそうな勢いで〔スズメ〕に急接近し、勢いを乗せたパンチを硬化させる。
“コッ”
石同士を軽くぶつけたような音がした。
勢いを直前で殺したので威力は大したことないが、一応硬化で守ったらしい。
そのまま〔スズメ〕が悠馬の足を払おうとする。
(防ぐ…!)
悠馬は左脚を硬化させて防ぐ。
「おわっ…!?」
蹴りが痛かったわけではない。
手加減されたので衝撃はほぼなかった。
しかし、ヒットした後、さらに押し込まれたので、バランスが少し崩れそうになる。
(倒れて…たまるかっ!)
“ズボッ”
悠馬は右足を畳に、より深く固定してなんとか耐えた。
そのまま全身の体重を乗せたパンチを打ち込もうとする。
(あっ…やべっ…)
さっきは全力のパンチも重心を後ろに移動させて勢いを殺せた。
しかし、今は固定された右足だけで立っていて、しかも重心が前に倒れ過ぎている。
どう足掻いてもここから勢いを殺せるわけがない。
前回の脱獄騒動のとき、悠馬は硬化なしの蹴りで、脱獄囚の首の骨を粉砕してしまったのだ。
全力の硬化パンチを人にクリーンヒットさせた時のことなんて想像したくもない。
(せめて、硬化を解除して…!)
無用の心配だった。
〔スズメ〕は悠馬の攻撃を横に転がって難なく避けた。
「終了です…かなり上達しましたね。本当に。正直もう僕と〔ウォーク〕さんの硬化の腕前はほとんど変わらないと思います。」
〔スズメ〕が何もなかったかのように言う。
悠馬は正直言って生きた心地がしていない。
(あのまま当たってたら…絶対に〔スズメ〕さんの顔の骨がぐちゃぐちゃになって…結局、解除も間に合ってなかったし…)
「す…」
「え?」
「すいません…でしたあっ!」
「え?ど…どうしました?〔ウォーク〕さん」
〔スズメ〕は悠馬がなぜ謝っているのか分かっていないようだ。
「あの…最後の攻撃…勢い殺せずに本気のまま打っちゃって…」
危うく同僚に怪我を負わせるところだった。
「…全然良いですよ。避けられますし。それより、〔ウォーク〕さん。お見事です。」
「へ?」
本当に褒めてくれる。
そんなに褒めるほどだろうか。
「〔ウォーク〕さん。あの畳の穴、〔ウォーク〕さんがやったんですよね。」
「あっ…」
〔スズメ〕が指を指す先には並んだ引っ掻き傷のような痕が5個ほどあった。
(あの畳…破損させて良かったんだっけ…?)
ソフトボールは大丈夫だったが、畳は駄目だったりしないだろうか。
「え、あの…マズかったですか…?」
「…別にそんなことないですよ。〔ウォーク〕さんの硬化の使い方を褒めてるだけです。」
(ん?それって…)
もしかするとあれを褒めたいのだろうか。
確かに我ながら良いアイデアだったが。
「〔ウォーク〕さん。硬化の鉱石を床に突き刺すことで、ブレーキをかけて急停止、足を固定して足払いに対する対応、お見事です。変則的な動きもできて、読まれにくいので良い感じの使い方ですよ」
(やっぱり…)
先の手合わせで、悠馬が最初に〔スズメ〕に接近したとき。
重心を後ろに移動させるだけでは勢いを殺すにはまだ不十分だったので、硬化で出した結晶を畳に突き刺して急ブレーキをかけた。
足払いされたときも、右足から出した結晶を畳に突き刺して足を固定した。
今まででは考えられない急停止もできるようになったので、動きの幅は広がっただろう。
(でも…)
「その割に、対応できてましたよね。」
〔スズメ〕は最初に急停止したときのパンチも硬化が間に合っていた。
「…僕はそういう戦闘での行動予測が得意だと自負してます。これにもコツはあるので、〔ウォーク〕さんも練習すればできます。」
「そうなんですか?」
行動予測なんてただの頭の良し悪しの問題ではないのだろうか。
「行動予測はまず、ある程度場数は必要です。戦闘経験があればあるだけ、サンプルが増えるので。」
悠馬の実戦経験は5回、いやほぼ2回だ。
学生時代は最初の任務以外はほぼ見学みたいなもので、戦闘をしていなかった。
(絶対に不足してる…)
「続いて、相手の動きをよく見ること。まあ、見るに限らず、聞く…触るとか嗅ぐとかはあまり普通には考えられないですけど、とにかく五感を総動員して相手の肉体や魂の動きを感じます。そうして得た情報を今までの経験と適切に照らし合わせて、次の瞬間の相手の動きを読むんです。」
戦闘中に敵を見る。
ただ見るだけなら簡単だが、恐らくそれだけじゃない。
「相手の全身の関節の動き、重心の移動、目線、息遣い、表情…とにかく全てを感じてください。」
やはりだ。
戦闘中に膨大な情報処理を要求される。
恐らく悠馬が現場で意識しただけで身につくものじゃない。
(でも…習得はしたい。)
「あの…〔スズメ〕さん。」
「なんですか?」
〔スズメ〕には今までもだいぶ助けられた。
それに加えて、これからも助けられることになりそうだ。
「これからも、手伝ってくれませんか?今度は行動予測習得のために。」
(一刻でも早く…他の人たちに追いつかないと…)
今の悠馬は他より劣っている。
硬化を身につけたからといって、差が埋まったわけではない。
ただでさえ、怪我でしばらく現場に出れなかったのだ。
悠馬が硬化を覚えているうちに他の人は別のことを積み重ねている。
行動予測習得には〔スズメ〕の協力が必須と言っても良い。
「はい。勿論いいですよ。」
〔スズメ〕は笑顔で答える。
今までの〔スズメ〕では考えられない表情だった。
「ありがとうございます!」
これからも恐らく差は埋まらない。
だからこそ、悠馬は自分なりに積み重ねるしかない。
生涯止まらず進み続ける。
そうすることでしか、守る力は得られない。
今更なんですが、文字数を特に気にせず書いているので話の長さのばらつきが酷いことになってますね。悠馬さん主人公降りないかな。
今回から一章終了までは日曜日の正午にストックを放出したいと思います。
間に合わなかったらストックの手直しが終わってないと思ってください。




