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ショーン・ベッカーと滅びの街2

 


 ショーンの前から上等な服を着た老紳士が消えてたあたりで、日が沈み始めた。


 ビルの隙間から見える地平線が輝いていて、その上に星空が今にも光を押し除けようとしていた。


 ークリスティー! 待ってよ!


 縞々のTシャツの少年が少女を追いかけるようにして走っていった。


 それをぼうっと眺めていると、背後に気配を感じた。


「どうです? 花火のようでしょ?」


 スーツを着た男が立っていて、意味ありげなことを言った。


「それよりもここから出たいんだ」


「無理ですよ、ここはもう滅ぶ街。人を逃してやる気力すら無いのです」


「出口くらいあるでしょう、それに気力の問題かな」


「街がその気にならなければ無理でしょうね。あなたが自力で見つける気がないのなら」


「なるほど、なら自力で見つましょう、ヒントは貰えますか?」


「もうもらったはずですよ、まだ楽をしようとしていますね」


「……」


 沈黙。


 靴のつま先を見て思い出す、「目的地」それを持たなくてはいけない?


 ええと、誰がいったのだっけ。ここにきて最初に話しかけてきた男。面を被っていた男だ。そいつが言ったんだ、目的を持たないと出られない。あのイケすかない初老の男も同じことを言った。


「目的はもう持ってるんじゃないのか? ここから出ることだ。いや、しかし俺はこの世界に迷い込んでそれを嗜んでいる。楽しんで、またこの呪われた体質を、それに悩みながらも利用し、あまつさえ仕事に生かして金を稼いでいる」


 考えを整理しようとすると、自分を咎めるような言葉が湧いて出てきて、気にならない程度の罪悪感が湧いた。


「いや、それはいい。目的を持てば出られるのならもう出られるはず。しかしその兆しは見えない」


 目的を遂げていないからか? ショーンは思った。ショーンの無意識はここで何かしらの経験をしたいと思っている。狙っているのだ、ショーンのライフワークである小説シリーズ「幽幻のラン・モア」に書き記すに足る出来事が起こることを。


 そこまで考えて、ショーンは悩んだ。


「願い衝突すれば、願い叶わなくなる、の状態だ」


 それは世界の原則であった。


 本気で出たいのなら、ショーンはこの街から何一つ得られないことを決心しなければならない。が、本気で何か得たいなら出られないことを覚悟の上ここに滞在せねばならない。


 ショーンが心に耳を傾けると、聞こえた答えは「滞在する」一択だった。



 **


 ホテルにチェックインした。受付にいた男にスイートルームを頼むと、オレンジピールを要求された。ロビー横のレストランに入り、オレンジの皮をもらって受付の男に向かって捻って霧吹きのようにシュッとオレンジの油を振りかけた。すると受付の男は喜び、スイートルームをいくらでも使って構わないと言った。


「このオレンジピール、使えるぞ……、なぜかはわからないが。俺の手助けをしてくれそうだ」


 ショーンは厨房に行ってオレンジをいくつかもらい、さらに皮を剥くためのピーラーを要求すると、厨房の男たちが「テメェ、どれだけ図々しいんだ! 一体いくつオレンジを持っていく気だ!」と声をあげたので、オレンジピールを振りかけてやると、「幸せの香水だ、これはいうことを聞いちまうね!」といってシェフがピーラーを3つ持ってきて「好きなのを持ってけ!」といってくれた。


「オレンジの皮でオレンジが買えた……、もう何にも困らない気がしてきたぞ」


 こんなものは砂金で金のインゴットが買えるようなものだ。現実でもそうなったらいいのにな、などと思いながらスイートルームへ行くとちょうど陽が落ちる頃だった。


「もう夜になったと思ったが、いや明けているのか?」


 パノラマビューの窓からは海が見えていた。


 太陽の光を波が反射し出す。


 小さな丸テーブルの上にあった煙草をとって火をつける。いつの間にか商売女が部屋の中にいて、下着姿になってベッドに入り込み、ショーンを待っていた。しばしその女と楽しんで仮眠をとった。


 起きて女をベッドに寝かせたまま、紫煙を燻らせていると、裸の女が横にきて寄り添ってくる。肩を抱きながらずっと海を眺めていると——


 いつの間にか青白い顔の例の初老の男に似た雰囲気の男が横に立っていた。


 ーそろそろだ、滅びるぞ。この街は……


「勝手に入らないでほしいね、Hなことをしていたから」


 ープライベートなことは自分の世界ですることだな。それよりも地平線を見ろ。


 太陽の光を反射する波の動き、光の反射具合がおかしい。街の建物や、道がヒビが入り、砕けていった。刻々と独特のリズムで、まるで見えないドラムスティックで滅びの神に叩かれていくようだった。


 音もなく、屋根がひしゃげる。音もなく、窓ガラスが割れて、アスファルトに亀裂が入る。


 時の歯車がおかしくなり、モニュメントが宙に浮かんで固定される。


 ジョギングしていた老人が、野良犬に変わった。砂浜の海藻が何かのミイラに変わった。


 横を見ると、男は涙ぐんでいた。


 ーおぉ、美しい……、こんなにも美しいのか! あぁ、なんてことだ。なんて光栄なことだ。この滅びに立ち会えるなんて! この滅びをもたらした原因となれるなんて!


 老人は恍惚のうちに放心状態となり、そのまま魂が抜け出ていってしまいそうだった。瞳は感動で濡れていて、神聖なるものに身を捧げた信仰者のようだった。


「嬉ションしそうなところ悪いが、俺はこれを危険に感じるな」


 ー……



 感情を顔から消した老人はネクタイを直して、まるでショーンが存在していないように振る舞った。ショーンから逃げはしないが、ここから消えてしまうきっかけを探しているようにも見えた。


 肩を抱いていた娼婦はすでにいなくなっていて、ポケットを探ると、女の手書きの文字で「バーで待ってる」と書かれたメモがあった。そこに意識が向いていることに気がついて、しまった!そう思った時には老人は消えていた。



 ***


 ホテルから出てバーに向かう途中、五人の男とすれ違った。ゆったりと歩いていたが——


「逃げないとまずいぞ」

「いや、もう潮時だろう」

「時は満ちた」

「この街は終わりだ」

「好き勝手やっていいってことだよな?」

「まずはあいつらからメチャクチャにしてやる」



 皆バラバラなことを口にしていた。



 ーちょっと。失礼、忠告だけ。


 そのうちの一人が、呼び止めてきた。



「なんですか?」


「母が亡くなったんだ」


「それは残念でしたね」


「ああ、でも父は無口な人でさ。それがおばあちゃんが死んだ時は同じくらいに無口なんだけど、もっと静かだったんだ、いってる意味わかるかな」


「わからないけど、少しはわかる」


「バーに行っても娼婦とセックスしてまた時間を無駄にするだけだよ」


「なるほど、いい時間の使い方だ」


「適当言ってる?」


 図星だった。

 適当なことを言ってくるやつに適当に返して、それを指摘される。


「でも、もう大丈夫そうだね」


 男はそう言って、仲間に追いつこうと早足で去っていった。



 ***



 いつの間にか、バーの中にいた。


 バーテンダーの少女は最初見惚れるようにこちらを見て、すぐに軽蔑したような目に変わって不機嫌そうにジントニックを出した。地中海系の遺伝子を持っていそうだった。中東かもしれないが。なんとなくギリシャ系かイタリア系だと思った。


 前に抱いた娼婦よりも断然見た目の良い女が現れて、隣に座ってきた。


「来てくれてありがとう、あんなに相性いいと思わなかったもん。早く2階へ行きましょ。したくてしょうがないもん」


 猫撫で声。発情したように女が言う。


 バーテンの少女の横の闇の中にあの仕立ての良い服を着た老人が佇んでいた。スーツを着て光のない濁った目でこちらを見据えている。老人自らの罪を見ているような目だった。


「いや、結構」


 娼婦に言うと、女は途端に唇を尖らせてつまらなそうに頬杖をついた。



「滅びの街はもう結構だ」


「……」


「確かに実際に美しかったですよ。あなたが言うように」


「ほう……」


 老人が希望を持ち、それを警戒したような声を出した。


「実際に、私は未来が好きだし、大切だと思う。過去よりも。普遍的な意味でなく、個人的な意味で。普遍的な意味でもややそうだと思うけど」


「それで……」


「それでも滅びは美しかったですよ。希望や、未来からは感じることはないような独特の美しさがあった。儚さや、達成感に近い何かも。素晴らしい余韻は何よりも良いものに感じる」


「そう! それなんだ! 余韻! それだ。滅びの余韻は至上に感じてしまうんだ!」


 堰を切ったように老人が勢いよく声を上げた。


「ええ、私の目的は世界を集めること。世界を嗜むことだった。思い出した。そしてそれを教えてもらいました。でも、もう行かなければならない」


 老人は肩を落とし、悲しそうに項垂れた。2秒もしないうちに、納得したような顔になって、微笑んで、手を振ってきた。



 気がつくと、広いがボロのアパートメントのベッドの上で寝そべっていて、回転するシーリングファンを見ている自分に気がついた。



「帰ってこれたか……、危険な世界だった」



 立ち上がって窓の外を見ると、日が昇るところだった。



「確かに、それ以上に美しくもあった」



ショーンは机に向かい、仕事を始めることにした。


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