深夜2時13分・滅びを棲家とする男
暗い部屋。時刻は深夜2時13分だった。
ショーンはオンボロだがそれなりに広く気に入っているアパートメントの書斎にいた。
四方の壁の一つは収納で、その他1つは本棚、他二つは勉強机とPCを置いている机。
北に本棚、東西に机、そして南にクローゼット。
二つのオフィスチェアと休憩用の一人掛けソファ。
本棚の前には竹と和紙で組まれた大きめのスタンドライトがあり、そこにタイガーズアイで作られたペンダントが引っかかるようにしてかけられていた。
ショーンは勉強机の方でノートPCを開いて仕事を片付けていた。今やる必要はないし、普段この時間にPCやスマホをいじる習慣はないのだが、元々夜型だった彼はふと昔みたいに夜に作業してもいいかもしれない、と気まぐれにそう思ったのだった。
実際に夜の静けさは酷く彼の魂を落ち着かせてくれて、居心地の良さは、このまま朝などきてしまってもいいのにと思えるほどだった。
時折椅子から立ち上がって伸びをする、昼や朝よりも調子良く感じる。
ショーン・ベッカーは作家だった。作家名はまた違う名を持っているのだが、それなりに名の知れた作家であって、賞を総なめにすることにかけては彼ほどに運と才能に恵まれたものはなかなかいないほどで、特に世間を驚かせたのは彼の類まれなる創造力である。どうしたらこれほど奇怪で新鮮で魅力的な話が描けるのか。
最初クライム・サスペンスから始め、そこで彼は作家としての名を世に知らしめ、その後他のジャンルでも彼は同じことをやってのけるのだが、それはまた別のお話。
そんな新進気鋭の有名作家には悩みがあった。その悩みが彼の仕事に役立っているのも事実だが。
チリーン
風鈴の音がした。
彼のアパートには風鈴はない。
竹を組んで作られたスタンドを見ると、いつの間にか竹の籠に変わっていた。
「せっかく仕事に集中してたんだが……」
4階の自室ではなくなっていた。
部屋は暗いが外は太陽が照りつけている、犯人が自供するように軒下にある風鈴が揺れていた。
なんとなく外に出ると、目の前を自転車が通り過ぎていった。学生のようだったが、後ろ姿を見ると中年に変わってしまったようだった。
軒下のベンチには妙齢の女性がいて、ショーンを心配そうな顔で伺っていたが、ショーンが背後で聞こえた「ヘイ、こっちだ」という幻聴に気を取られているうちに消えてしまった。
「幻聴が聞こえた、しかしその前にリンパのマッサージがしたい」
耳の下からフェイスラインを軽く老廃物を流していくように触れていく。
マッサージを終えると——
ピンポン、という音がしてベンチにはレモネードの瓶が置かれていた。
ベンチに腰掛けてレモネードを飲むと、炭酸のように世界が弾けた。
視界に水飛沫がかかって、タオルで顔を拭くと、大通りでパレードの真っ最中だった。
ーおおい、アンタ大丈夫? せっかちだね? でも目的がないとここからは出れないよ?
面をつけた通行人が話しかけてきた。
「出れないのか、なんで?」
「言っただろう、オレンジピールを絞れってさ。レモンじゃなくてオレンジがいいんだよ」
当然のようにそいつが言った。
「皮を絞ってどうするんだ」
「飲み物にかけたり、香水がわりに使ったりさ、いずれお前にもわかる日が来る」
いい終わるや否やそっぽを向いて、踊っている集団の中へと走っていってしまった。
パレードや人々が踊っているところが見える日陰のベンチへ行くと、タバコが置いてあった。勝手に手に取って吸う。マッチもポケットを探れば見つかった。
初老の男がやってきて、ショーンの隣に座った。
ーやぁ、久しぶり。
「お久しぶりです、誰か知らないけれど」
ぼうっとショーンは気のないように返した。
「いつまで続くと思うかね?」
「何がでしょうか」
「祭りですよ、この」
「さぁ、いつまでですか?」
「もうすぐ終わりますよ」
「日が暮れる頃には?」
「ええ、日も暮れるし、未来も暗い」
「なんで?」
「私のせいらしいです、洞察力鋭いもの共がいうにはね」
「へぇ、そうですか」
「はい、そうですよ。それにあたってますからね」
「あなたは何をしたんです?」
「別に? ただこの街を寝たきりの病人にさせて、そして寝かせ続け、立ち上がらせることに反対し、そして敵を追い出した」
「病人はもう立ち上がらない?」
「ええ、美しいでしょう? 見てください、この夕焼けを。私は世界の終わりが好きなんです、これ以上ないくらいに。だってそれ以上に美しいものなどないでしょう?」
「明るい未来、希望溢れる夜明けなどは?」
「ふふ、それは酷く浅薄で陳腐なものですよ。終わりこそが最も美しい。私は滅びの美しさに魅了され、また酷く落ち着くのです。まるで主にそう創られたかのように……」
「この街が滅ぶんですか? どうやって?」
「ただ崩壊して、それだけです。全ての調和が崩れ、地獄と化す。動物のように生きるものたちの領域になるかも知れない、私に取ってはどうでもいいが。未来の世代は可哀想ですね」
言いながらも、初老の男は恍惚とした表情で黄昏の広場で踊る子供達を見ていた。未来を担う子供達と世界の滅ぶその時を重ねて見ているのだろうとショーンは思った。
「私は、もう行きます。付き合ってられないので」
立ち上がると——
「目的を持たねば出られませんよ?」
「何?」
「この街からはね」
老紳士は立ち上がって去ってしまった。
最後に笑っていたように見えたが、逆光でショーンにはよく見えなかった。