『異形国家3』
いつの間にか、うとうとと寝入ってしまっていた。
ガラスの丸テーブルの上に突っ伏していた。
机の上には開きっぱなしのMacbook、オレンジ、横に飲みかけのアイスコーヒー、ストローが入っている。ストローでドリンクを飲むのは好きじゃない。Macbookだけが執筆用の自分のものだった。
この机の周りだけを照らすように天井からライトが点けられていた。
「⋯⋯⋯⋯」
気だるい。倦怠感という魔物が全身を包みこんで纏わりついているようだった。筋肉が誰かに支配されている感覚、筋繊維が正しい場所に配置されていないような違和感に顔をしかめて、軽く肩を回した。
トイレに行こうと立ち上がると、テーブルの端っこに片耳だけのイヤホンがあってイラッとした。
息を吐き出すのと同時に肩を落とすと、ひんやりとした風に当てられて心地よさを感じた。ジジーという空調の音が暗い部屋で脳を落ち着かせてくれた。
「別に、ここに居てもいいじゃないか。ここは安全だ⋯⋯」
なぜか仕事を成し遂げた後のような余韻を感じながら、部屋の中を歩いて回った。綺麗に掃除されている部屋だ。かけられているエプロンの触り心地が良い、つい匂いまで嗅いでしまう。
一通り誰も居ない部屋を歩くと酷く落ち着いた。
椅子に座ってうなだれているような姿勢で休んだ。ああ、⋯⋯疲れた、と溜息を一つ吐くたびに、少しだけ楽になる。
背後から足音が聞こえたが、一瞬不快感を感じただけで、それもすぐに気にならなくなった。
聞きたくないものは聞かなければいいし、見たくないものは、視界に入れなければ良いだけだった。そして足音が部屋から、なかなか去らないのならば、こちらから出ていけばいいだけだった。
アイランド型のキッチン横の扉からでると廊下はいっそう暗かった。床すら見にくいほどで、壁に手を付きながら進んでいってトイレに入った。個室で座って用を足している間に、ここが通常世界でないことに気がついた。
「⋯⋯商業施設のトイレだ。民家のものじゃない。いつの間にか紛れ込んでしまった⋯⋯、いつからだ?」
トイレから出ると廊下には紺と紫のカーペットが敷かれていた。靴底のしたから感じる柔らかい弾力が少しこそばゆい感じがした。両面開きの扉を開けると映画館だった。
真っ暗だが、座席とスクリーンがあることだけは見て取れた。
後部の席に座る。
しばらく、ただぼーっとしていた。静寂だけがその空間にあり、暗闇と静けさだけが支配している間は何一つとして気にならなかった。
スクリーンが明るくなった。上映が始まって室内が明るくなると視界に観客が目にはいってきた。数十人の観客たちが皆天井から吊り下げられている。いままでずっとつられていたらしい。顔は見えないが、マリオネットのように生気がなかった。
映画はアクションもので、なにかにつけ爆発ばかりする類のものだった。返り血を顔に浴びた精悍な主人公がなにやら怒りとともに決意を語り、敵陣に乗り込んで戦う。アクションのたびに観客を吊るしていた糸がマリオネットを動かすように、その主人公の動きを再現する。
映画の主人公はトカゲ人間と戦っていた。トカゲ人たちは暴力的だが、次第に主人公たちに駆逐されていった。
「なんだこの映画は⋯⋯ 誰かの奇妙な悪夢を上映しているみたいだ」
スクリーンと自分の間でマリオネットのように踊る観客も含めてそんな感じだった。
途端、スクリーンが真っ白になる。フラッシュを目の前で焚かれたかのような眩しさで目の奥まで、チカチカとして頭がふらついた。咄嗟に眼の前に両手を出して閃光に抗っていた。
数秒して、目を開けると森の中に居た。
足元に紙切れとマリオネットが置いてあった。
《 これを使え 》
このマリオネットを? ごめんだね。ショーン思って森から出るために駆け出した。
すぐに何かが走り回っている音がした。自分以外にもここを駆けている存在がいる。狂気の風が木々を揺らしているようで、ときおり聞こえてくる息遣いと金切り声が、猿のものなのか、鳥の鳴き声なのか、または違うものなのか判別が出来なかった。
本能が逃げ出すように告げていた。身体は言われる前にとっくにそうしていた。音を自分が立てているのかも、背後の藪の向こうに、何がいるのかも気にしなかった。夢中で崖を飛び降りるような勢いで山を降ると、都心の本屋横の路地に転がり出た。
獣人が武器を持って騒いで通り過ぎた。誰かを探しているように互いに指示し合っては走り回っていた。
注意を惹かないうちに、道路脇にあった小さなテントに逃げ込んだ。
中腰で跪かなければ入れないテントでマリオネットとオレンジだけが中に置かれていた。テントの隙間からは冷たい風が入ってくる。すぐに日も暮れて夜になった。
かなり寒い。気温は10度は軽く下回っているだろう。4度でもまったく驚かない。
テントの中から外をうかがっていると背後に気配を感じた。振り返ると、人型の置物があって、それが話しかけてきた。
《 お前が戦争に導いたのだ⋯⋯ 》
「何を言っている」
博物館で見るような粘土細工の置物は表情を変えずに、冷たく言う。
《 お前がこの事態を招いた⋯⋯ 》
テントの外では獣人がビームを出すドローンポッドを周りに飛ばしながら、何かと戦っていた。
「──!」
突然、獣人が吐血し、血を吹き出しながら絶命した。連鎖するように周りの獣人が倒れていき、死体の海が出来た。
「なんだ、これは⋯⋯」
爽やかな笑顔の人間の男女が数人。悠々と歩いてきて、興味深そうにあたりを見て──獣人の顔をやさしく踏みつけた。彼らは互いに顔を見合ってまた笑った。優等生がスポーツでポイントを取ったときのような表情だった。互いに「お、やるね」「あなたこそ、やるじゃない」と軽口を叩きながら褒め合うような雰囲気。
首を動かして辺りを見た彼らの瞳が、一瞬光りを反射するように光った。一人がこめかみの近くで指を一つ立てて笑みを浮かべた。
その笑みは貼り付けたような爽やかさと、精巧な作り物のような歯並びも相まって機械的な邪悪さを感じさせた。
皆、ぴっちりとした服装をしていて、それはショーンが動物園でみた未来の超人たちに似ていた。
「あたりをスキャンしたのだ、そしてデータを共有し、サーバに送った。ここの世界モデルを、やつら作り始めるぞ⋯⋯」
置物が重大なことのように言った。
「お前、一体なにをさっきから⋯⋯」
言っている。と言いかけて振り返って固まった。置物が、気味の悪い、悪趣味な狐の石像に変わっていた。こちらをずっとまっすぐに見てくるが、ものは言わなくなってしまった。
「⋯⋯こんな世界に居てはダメだ」
自然と口からこぼれ出た本音だった。
テントの外では、空からボブスレーのような飛行機が音速で飛来し、超人たちに砲撃を浴びせた。
ビルの一階が吹き飛び、飛散した礫が他の店のショーウィンドウや、停まっていた車両をめちゃくちゃにした。先程まであった本屋は骨組みが少し残るだけだった。しかし超人のぴっちりとした服には傷一つついていなかった。ボブスレー型小型戦闘機は空中に固定されたように止まり、近くにはそれを眺める超人。なにか掴んでいるように手を前に出していた。
女の超人は増援にやってきた獣人に手を銃の形にして撃つ真似をした。
瞬間。獣人が20人──爆散した。
もう一人の男の超人は軽く伸びをして、その後何かを放り投げるような動きをした。
地平線までの直線上にあるすべてのビルが跡形もなく崩壊した。余波でテントも、近くのベンチも吹き飛んだ。
逃げ出して、走っていると獣人がこちらをみて追いかけてくる。目が血走っていた。嘘だろ、お前らは俺でなくて、アイツラと戦っていたじゃないか! ふざけるな! 俺は関係ない! 頭の中で大声で叫びながら、現実では声に出しているような余裕はなく、息の許す限り全力で走った。
ナイフで襲いかかっていた獣人を避け、足払いでこけさせる。ナイフを奪って刺すが、刃が通らない。『戦争中はやつらの防御が硬くなる。マリオネットを使うんだ』あの置物の声が聞こえた。持っていたマリオネットをひねると、途端に獣人がめちゃくちゃに身体が拗られて死んだ。
その後の獣人も、マリオネットにそいつを重ね合わせるように念じてから人形を振ると、獣人の身体も見えない巨大な手で握られたように固定され、人形と同じように振られた。手の中の人形を偏り上に持ち上げ、叩きつける真似をすると、獣人が空まで持ち上がり、アスファルトにとてつもない勢いで叩きつけられ爆ぜた。
すごい力だった。謎の呪いのアイテムを使用してやってきた獣人を返り討ちにしていった。神とまでは行かずとも、全能感に支配され、それを感じながらがむしゃらに襲い来る賊に天誅と下す。
路地裏のビルの裏口の扉が開いているのが見えた。
増援が来る前に入って鍵をかけた。クラブの中で、椅子に縛り付けられて、アザだらけのあのアジア人が猿轡をされて呻いていた。
ジン・ヒロトだ。
「おい、なにしてる。掴まったのか?」
猿轡を外すと、水面浮上して息をするように、ぶはっと口から音を出して深呼吸し出した。
「ああ、あ、うら、裏切られた…… 人間の、な、仲間に……」
それは初めて、この世が恐ろしいものだと知ったような子供のような顔だった。
「……そうか、……なにがあった」
「俺は、俺は…… ただ、みんなのために……」
「誰が裏切った」
「わからない、お、俺は…… いや、もういいんだ。罰は受けるよ…… 迷惑かけたんだ、俺は、いや俺が……」
「もう受けてるだろ。気にするな」
「でも、これからどう生きていくんだよ……」
「わからん。皆んな、そんなものはわからないんだ」
「俺は、俺は、俺は…… あ、たぶん見せしめのために泳がされてたんだ……」
目が点のようになって、ヒロトはうわ言のようにそう言って、焦点が固定されて、吐血して死んだ。
近くのカウンターから、鋭い目でこちらを睨んでいる獣人がいた。手にスイッチを持っている。その装置でヒロトをやったのだろうか。わからないし、確認する気にもならなかった。
マリオネットを前に出して首をネジ切るように動かすと、目の前の獣人もそのようになった。
「ファッキンヘル…… めちゃくちゃだ、この世界はめちゃくちゃだ……」
座り込んで天を仰ぐしか無かった。




