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『異形国家・その2』


 

 図書館から出ようとしたときに穏やかでないものを見た。大きなナタを振り回す異形が窓辺を数匹でうろつき始めたのだ。

 人間というよりも狼男に近いかも知れない。毛むくじゃらで尻尾があり、顔まで毛だらけ。赤い瞳、獣の牙。腕は長く前腕が普通の太さでない。


 それが歩道を歩いていた市民をそれが襲って切りつけていた。図書館の職員を見ると、窓の外を見ていて、その光景を見ているのにも関わらず、なんの反応もなかった。


「人が襲われている、どこかに通報したり……」


 ショーンが職員の女に言った。ピンクの髪をポニーテールにしている太った眼鏡の女だった。


「ええ、それがなにか? それに通報?」


「──警察はよばないんですか?」


「ええ、だって意味ないもの」


 女はぼけっとした様子で返してきた。


「……なぜ?」


「だって、ここは異形の国ですもの。彼らの生来の本能は否定できないわ」


 何か言おうとする前に図書館の窓が割れた。



 *



 ショーンは走っていた。息も切れ切れで、追いかけてくる化け物は足は遅いが、腕が長く短槍を持っている。この異形どもと相対する覚悟や勇気は持ち合わせていなかった。


 ちょうど日が沈むところ。地平線の消えゆく光が街の街灯の光をかき消して、目が霞んだように見えづらい。


 路地に身を滑り込ませて、配管に手をかけて、よじ登っていく。猿のように素早くビルの角に昇りながら、隣のビルの非常階段に飛び移り身を潜めた。

 階段を身を縮こませながら上にあがり、屋上近くになったところで、おっかなびっくり覗き見るように路地を見下ろした。

 ナタをもった狼男が短槍をもった、より歪な骨格をした獣人に背中や腰を刺されながら逃げていた。


 途中で暗い緑の肉の塊のようなものが配管から落ちて、狼男の顔に張り付いて転倒させた。


(なんだあれは⋯⋯)


 それは腐った肉腫であり、蛭のようでもあった。


 地に伏せてもがいていた狼男は短槍をもった獣人にトドメを刺されて息絶えた。獣人は肉腫の蛭を槍で切り刻んでは、ゲッテッゲッゲ! と奇妙な鳴き声をだして踊るようにポーズを取っていた。


(冗談じゃない。こんな連中が闊歩している街、付き合っていられないぞ⋯⋯)


 ショーンは非常階段から屋上へ上がり、街の反対方向へ行こうとした。


 夜の暗闇の屋上で、何かにつまずかないように、慎重に中腰で進む。


 もう少し、街灯がある方へ寄りたかった。


 計画的に、計画的に進むんだ。ショーン。なぜかそんなことを自分に言い聞かせていた。暗闇の中で姿勢を低くしているのは何かに見つかる確率を少しでも下げたいからで。音を立てないように移動するのも同様だった。自分の無意識が闇の中に怪物を見ていた。それはきっと自分では一寸先も見えない闇のなかでも自分を見つけるだろう。そんな恐怖を無意識が覚えているのかも知れなかったし、人が逃げ隠れするときには自然とこのようになるのか、それともその両方か。


 ビルの端っこについて、屋上の縁から街灯が照らすオレンジの通りを見下ろした時は、綱渡りをし終えたような気分だった。背後に何がいるかもわからなくても、自然と自分は安全なはずだと、ショーンは思った。


 片側2車線の通りは、行き交う車も、広い歩道がある割に、人も少なかった。真夜中のオレンジ色の人気のない通り。付近には既に閉まった店が並んでいた。赤レンガの高架橋下にある店の近くでタバコを吸っている人間がいた。


 ドラム缶で焚き火をして、暖を取っている。3人の男のうちの一人は、薬物をやっているようだった。


 ショーンは人間に助けを求めるか迷ったが、あの図書館司書の言葉が気になって、そんな気にはなれなかった。


 ⋯⋯ここはあの異形たちが支配する国なのか? 

 人間の立場はどうなんだ?


 しきりにそのような考えが浮かんできた。


 暗闇の中に閉店後の店のライトだけがぽつぽつとあった。光の合間を縫うように闇があり、その中から、ドラム缶からでる灯りをぼーっとショーンの瞳は映し続けた。

 

 どのくらい経っただろうか。


 先程までは初夏のような熱気を感じていたはずなのに、いつの間にか吐く息は白く、なんなら最初からそうだったはずだとすら思い始めた。寒いから暖を取っている。そのほうが辻褄が合うだろう。

 近づいていって、声をかけようとするとちょうど男たちの内二人がもう一人に別れをいって、路地裏に下がっていった。壁に扉があって扉の上と横にライトがついていて扉付近だけがライトアップされている。


 ショーンもついていくと、男たちがドアを開けて、振り返ってショーンをみると「入るなら入りな?」というように首を動かして伝えてきた。


 中に入ると、ベージュのレンガとコンクリートの地下への階段があった。全部降りなくともその喧騒からナイトクラブなのだということが予想できていた。


 二人組のうちの一人。ニット帽のまだ若いアジア人の男が、バーカウンターを指さして、飲みに行くか? と言葉でなくジェスチャーで伝えてきた。頷くと、もう一人のラテン系の男が、むずむずしているように鼻をしきりに触ってから、バイバイと手をヒラヒラさせて奥へと去った。


 *


 カウンターにて。


「アメリカーノ、ソーダじゃなくてヘンリーのビールで⋯⋯」


 フザケた注文をするやつだと思ったが、何も言わなかった。逆に確かに似たような飲み物があったはずだと、記憶の中を探ったが、うまく思い出せなかった。バーテンは片方の口の端を上げて、めんどくせーな。とでも思ったのを上書きするように恭しく頭を下げて了解した。


「ドイツのリーズリング。IPAで割って、少しの砂糖、とレモンジュースをたらふく入れて。レモンスライスも。チェイサーにアメリカーノ。普通ので、ジンはボンベイで」


 てめぇ、ふざけてんのか? というような、もはや隠せないほどに口の端を歪めたバーテンが、「それ思いつきですか? それとも本当にいつも飲んでるのか」と聞いてきて、思いつきだから大してうまくなくても何も言わない。というと、当たり前だが、その言葉を聞けてよかったぜ、クソやろう。というように頷いた。


 ここの作法かも知れないと思い直して、アホそうな注文をしてみたが、バーテンの反応からして横にいるアジア人が変なノリなだけなようだった。


「よぉ、あんた初めてだよな。ここ。注文の仕方気に入ったぜ⋯⋯、俺も次の一杯はそれにする」


「⋯⋯ああ、まずくても?」


「ははは。まずくちゃダメだな。メニューにあるものより上をいかなきゃ」


 何を言ってやがる。気持ち悪いもんを注文しといて、とショーンは思ったが、アジア人が打って変わったようにフレンドリーに話しかけてきて笑ったので、それ以上にほっとした。


「ちなみにあんたにも俺のとびきりのヤツ教えてやる。薬用酒のエナジードリンク割に胡椒をめい一杯いれて最後にヨーグルトをスプーンいっぱい落とすんだ。これが一番最高のやつ」


 この野郎。どんだけ違うものを求めるんだ? という言葉が口から出そうになったが、飲み込む。エナジードリンク割り自体はよくあるし、薬用酒と割る人間もいる。ショーンの友人でもそれが好きな奴はいたが、最後にヨーグルトを落とすというのが、ただ人と違えばいい、というこの男のしょうもない格好つけた性質からきているのだろうか、と思った。


「エナドリ割はわかるけど、胡椒が合うのはほんとか? ヨーグルトも信用できん。味の邪魔まではしないでも、余計だと思うね」


「何言ってんだよ、信用しろって。もう! 絶対うまいから!」


 ほんとうか? という具合にバーテンを見ると、何を言ってやがる、本当な訳ねーだろ。という顔で自分を見返してきた。


 結論から言うと、そこまでは悪くなかったが。胡椒をいれるかは意見の分かれる所だと思った。そしてヨーグルトは別にいらない。


 二人で飲んで、三杯目はショーンが決めることになって古き良き「オールドファッションド」を飲むことになって、ようやくショーンは落ち着けることとなった。


 途中でアジア人が名前を言った。「ジン・ヒロト」と言うらしい。土木の作業員をやってるという。週末はバンドをしてるらしいが、今は解散して暇らしい。


「ここは人間が多いな⋯⋯」


「⋯⋯ああ、偶然な。意図的にワイルダーのいない場所は作ってはならないからな⋯⋯」


「⋯⋯ワイルダー?」


「知らないこと無いだろ? 世界の常識だ。本当に知らないなら図書館にいってこい」


「──ああ、そうだよな」


「嘘だよ、わかってる。本当に知らないんだろ? お前が知らない可能性を俺は知ってるんだ」


「そうか」


「ワイルダーが世界線を超えるって話聞いたことある。ならば逆もまたしかりのはずだからな」


「⋯⋯⋯⋯」


「ああ、お前はワイルダーを見る目が違う。異物のように彼らを見る」


「あの獣人どものことか。お前の前で見たこと無いだろ」


「それでも、その異物が、ここにはいないと安心している。そして、さっきから落ち着きなく異物が現れないか警戒してるだろ?」


「⋯⋯⋯⋯」


「早口で小声でいうからな⋯⋯」


 そういって男、ヒロトは顔を肩近くまで持ってきて呪文のようにそれを唱えた。


「人は、昔人工生物を作ろうとした、人の奴隷を確保するために。下僕だ。その時電力戦争になった。何もかも電力で頼ろうとして限界が来た。太陽から電力を貰おうとか、色々あったらしいが詳しくは知らない。とにかく電力の他に候補がいくつかあった。光と化学エネルギー。化学エネルギーは分子の反応だ。分子の結合や分離、それがエネルギーになる。燃料があれば分子は動きそれを出す。生物は食べるだろ。人間の脳がなぜ省電力でここまで出来るかっていうのは化学エネルギーを使ってるからだ、だから脳の電力は数十ワットで済む。それでだ、⋯⋯培養したんだ、人工脳を、下僕を作るために、電力以外で動く下僕を、な。新しい画期的な人口生物を作った。それは育った、そして人を逆に支配した。知性で人を超えるようにデザインされていたからな。だが培養された脳は動物的な本能の下僕だった。もっと食べたいとか、殺したいとか、生きたい、狩りたい、犯したい、繁殖したい。一応人とも共存出来てる、そうインプットされてるが、彼らの本能は尊重はしなきゃいけない。彼らが彼ららしく社会でのびのびと生きるためにな⋯⋯」


「⋯⋯いま世界のテクノロジーは?」


「人間が触れて良い技術レベル、社会は2020年代以前くらいで固定された」


「⋯⋯今何年だ。ワイルダーはどのくらいの技術がある?」


「わからない。そこまでは遠くないと思うが、それは人が知るべきでないクラスの情報だ」


「⋯⋯いま西暦何年だと聞いた、答えろ」


「わからないといったろ。西暦ってのはいつからか使用されなくなった。正確には知らんが新暦125年だよ」


「⋯⋯そうか、そろそろ帰るよ」


 めまいがしてきていた。喉の渇きを水でなくアルコールですべて潤してしまう前に帰るべきだった。人工知能が動物のような、獣人になって人を支配し、本能の赴くままに生きてるだと? ここに居てはならない、と思った。


「逃げるのか?」


 ヒロトが苛ついた様子で言った。近くのソファ席で葉巻に近いほど匂いのキツイタバコをアホみたいに吸い出したやつがいるらしく、鼻腔が痛くなるようなむせ返るような匂いがこちらまで漂い始めていた。


「何からだ」


「俺やこの世界の人類の命運から」


「俺はこの世界のものじゃない」


 俺にいったいなんの関係があるというのか。こいつの声が押し付けがましく聞こえて、苛つく。


「俺はそうだ」


「なにがだ。そして、だから?」


「俺は革命を起こすよ」


「仲間がいるのか?」


「いんや、全然いない」


「やめとけ」


「いや、やめとかない。昔人間同士でもよく犯罪があったっていうんだ」


「⋯⋯」


「おれは信じない。その頃よりはマシだって話だけど、人間だけなら⋯⋯」


「今は全然ないのか?」


「ああ、人間同士で争うなんて。まずやらないよ」


「⋯⋯常識レベルなのか?」


「ああ、当たり前だろ。人間しかいないのに争うわけがない。もういけよ。どっかいけ」


「⋯⋯⋯⋯」


 決定的な思い違いをしているんじゃないか。お前は。喉までそんな言葉が出かけて、飲み込んだ。


 人間は、恐ろしいほど、馬鹿らしくなるほどに、同種を殺してきた生き物だ。ショーンの内側には嫌な予感しかなかった。




 *



 帰りに住宅地を通っていると、図書館が見えた。明かりがついている。


 まだやっているらしい。窓の中では人間と獣人が殺し合っていた。図書館の司書の女が顔を血だらけにして、茫然自失の表情で倒れ伏した。


 近くの路地から、獣人が飛び出してきてショーンを襲った。反転し、大きなナイフを叩き落して、背後に回ってテイクダウンした。マウントを取って必死に顔を殴りつけた。


 ナイフを奪い、駆けつけてきた獣人を何人か殺すと、突然背後から誰かに抱きつかれた。


「もういいのよ、もう戻りましょう。私たちの家へ。我が家なら平和に暮らせるわ」


 ラベンダーとオレンジの混じった匂いを感じながら、ショーンは意識を手放した。






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