深夜12:40分 『異形国家』
『異形国家』
タクシーの中にいた。
運転手がこちらを振り返ってなにか吐き捨てるようにいって急ハンドルを切った。その前に洞窟から聞こえてくるような風の音と、人間の舌打ちが背後から聞こえていたのは覚えている。
信号の赤と青。暗闇を照らす閉店後の店店を通り過ぎたあたりだった。
突然、重力が自らの身体を投げ飛ばすその直前のように振りかぶった。
死ぬ寸前というものは走馬灯を見るものだと聞いたことがある。英語で言えばライフレビューだが。
その時自分が見たのは…… 『異形国家』だった。
*
「……取調室にいるアル中の警官が、飲んだことあるくせに、その酒飲んだことないなぁ。と言っては飲む言い訳を作っていたが。あのタクシーの出来事は? 何がどうなった? はぁ……、しっくりこない。⋯⋯やめだ」
息を一つ吐いて、立ち上がろうとしたが、それもやめた。
それぽっちのエネルギーすらないのか自分は⋯⋯
執筆疲れかもしれない。メガネを外してPCの前でうなだれることを選び直した。
たった今、死んだのだと思ったら、それは自分が書いている作品の中の1シーンであり、死後の世界からではなく、己の作品世界から戻ってきたのだと理解したショーンは、ただ時が思考や精神をクリアにしてくれることを祈って、何もしないことを選んだ。
時は何も解決してくれないが、すべてを洗い流す。逆にそれで解決することであれば時が解決できないものも無い。という道理である。矛盾しているようだが、前者が正しくない傾向であり、後者が強力な原則であることを受け入れれば矛盾しない。
真っ暗な部屋。
品の良い大きめの丸テーブル。本来ガラスのテーブルは好まないが、このテーブルは気にならなかった。その上で開いたパソコンとにらめっこしているのが自分だった。
右手にチューリップグラスに入ったビール。左手にはスマホと大嫌いなトゥルーワイヤレスのイヤホンの片方があった。左耳側だけおいてあるのを見て、反吐が出る前に頭痛がした。グラスは気に入ったが⋯⋯
横の棚にはIPAグラスがあった。買おうと思ってて忘れていた気がする。いつ買ったのかも、思い出せなかった。
テーブルに視線を戻すと、再び目障りなイヤホンが目に入ってきた。スマホごとテーブルから払い除けてやろうと思ったが、ひどいことのようにも思われて自制した。
_ザー、ザー。
ラジオが流れている。
_ザー、ザー。さっ、今週も始まりました。ザー、N#&#%@$レディオっ! ザー、ご存知、私、ザー。
再度執筆に集中しようと思ったが。頭があまりにも疲れている。休みたかった。
何かして気を紛らわしたい。どうするか。
水だ、水を取りに行こう。のどが渇いた。とショーンは思った。
_ザー、スゥパァー……ザー、ザー。パワァァァ! コ゚ホっ、コ゚ホ。というわけで、早速、次の、ザー。
ノイズがかなり多い。ラジオの周波数があってない気がする。アンテナを伸ばしたらいいんだっけか、ラジオは昔は聞いていたが、ここ数年はさっぱりだった。聞いていた時期も2年ほどで、もはや基本的なことも覚えていない。
そもそもラジオはどこにある。ショーンは部屋を見渡しておもった。そして自分がリビングに居ることに気がついた。
アイランド型のキッチン。白を貴重としたインテリア。ストレージに花柄のエプロンがかかっている。ダイニングテーブルとなっている丸ガラステーブル。自分がいる場所だけを照らしている吊り下げられた天井のライト。それ以外はすべて薄暗く、間接照明だけが点けられていた。
「……まるで知らない部屋だ」
そこは自宅ではなかった。自分の部屋はこんなに白を貴重としてないし、間取りも、ライトも違う。あんなエプロンは持っていないし、ショーンのアパートは広いがもっとオンボロだ。
この洒落たテーブルも、壁掛け時計も。
完全ワイヤレスイヤホンなんて、もっていない。
当然だ。自分が買うわけがなかった。
「まさか、他人のものだから、自制したのか?」
焦って立ち上がろうとすると──
焦げ臭い匂いが漂った。
「火だ。どこか燃えている!」
すぐに見つかった。窓の外に火が見えた。
急いで扉を開けて外に飛び出すと、雪が積もっている。真夜中、広大な庭の中央にキャンプファイヤーが燃え盛っていた。
炎の中にはクリスマスプレゼントが大量にあって、激しく燃えていた。
「──この庭、……実家みたいだ。そうだ、冬に帰省していたんだっけか」
ショーンが炎に魅入られるように呟くと──
「そうよ、ショーン。さぁ、早く私達の家に入りましょう。外は寒いから……」
背後に背の高い女が立っていて、そういった。後ろからショーンを抱きしめて彼の耳を軽く口に含んで家に戻るように促した。
ショーンは初対面の相手に断るのも失礼だと思って、素直に従った。
@@@
気づけば、タクシーの中だった。
_ザー。ザザー。
ノイズの多いラジオだけが、なにもない暗闇の都市の郊外で唯一耳に届くものだった。
_ザー、さぁ、今週のこんなXは嫌だ! ゴフォ! ゲェ! 言って…… 見ょぅ ウゲぇ!
ラジオパーソナリティの様子がおかしい。
むせたり、えづいたり。
_ザー。ヒッ、はぁ、はぁ……、つ、つぎのお便りはぁ、いやだ! やめ! ザー、次のお……
段々と走っているような息遣いになって、言葉数が少なくなっていった。
_ザー。誰か…… 助けて、ここは、ザー 普通の、ザー 国じゃない…… 誰か……
@@@
ベージュのふかふかの布団の中で目覚めた。
陽光が窓から差し込んで、瞼と耳をじりじりと焼いていた。
「……虫眼鏡で焼かれてるのかと思った」
家の中には誰もいないような気配だったが、廊下から女が歩くような音が一瞬聞こえた。直感的に恋人だと思った。それとも侵入者か。
どちらでも良かったし、なんにせよ。共通点は女ということだった。
「……窓が閉まっている。これが息苦しくさせるのか」
窓を開けて網戸だけにすると、幾分か気分がマシになった。
「……早くここを出よう。いてはいけない気がする」
デニムのジャケットを羽織り、廊下に出ていくと、カーペットの廊下がずっと続いている。
やけに長い廊下だった。30m以上あったかもしれない。
一階に降りていくと、すぐにリビングダイニングがあり、そこから玄関も見えた。
陽が良く差し込んできていて、温かい家だと思った。
玄関のドアに手をかけると、一瞬背の高い女の気配がした。なぜか脳裏に身長185センチほどのショートカットの女が食器を片付けながら自分を背後から見ているようなイメージが湧いて見えた。
振り返らずに、ドアノブを回した。
外に出ると、一直線に庭を抜けて門の外まで歩いた。
空は快晴で、風は秋のように冷たかったが日差しは春のように暖かった。
門の外に出ると、緑の多い閑静な住宅街に出ていた。
バス停の後ろにはこぢんまりとしたレンガ造りの図書館があった。
「……早く帰ろう」
思い立ったらすぐに行動に移した。バスが来たので乗ったのだ。
バスに乗ると乗客は数人ほど。老婆が二人、男が一人だけ。
車内は暖かく、午後の日差しが心理的安全を沸き立たせるほどに窓から差し込んで来ていた。車両の揺れがゆりかご代わりになったのも手伝って、ショーンはウトウトと寝入ってしまった。気がつくと、巨大なスーパー兼モールのような施設を通り過ぎ、次にこれまた大きな市役所を通って、緑の多い住宅地に入った。
そこで客がおかしな事に気づく。
異形がいる。
頭が大きい。人間の2倍はあるだろう。
眼球も人の拳ほど。人間とは思えないほどに発達した牙が口から顔をのぞかせていた。服は来ていて、髪もあるが、毛の生え方もなにか不自然だった。人間の髪よりは動物の毛皮に近いと思った。
途中でバスを降りようとボタンを押した。
ビー! という音と共にバスが停まる。
車内に数体いる異形が一斉に降りていくショーンに目を向けた、居心地がわるかった。降りて、急いでその裏手の図書館に入ろうとした。すると入口がわからない。
「⋯⋯確かに、バス停から見えていたはずなのに」
手すり付きのコンクリートのスロープを上がっていけば入口だと思ったのだが、正式な入口ではないらしく南京錠で鍵がかけられていた。ガラスには張り紙がいくつも貼られていた。少しよろよろで年月が経っていることが伺えた。
左手を向くと駐車場があるあちらかも知れない。そう思って、進んでいくと途中で建物の間に隙間があり、2つの別の建物が隣接して建っていたのだと気づく。しかし、それ以上に驚いたのは……
黒髪ショートカットの眼鏡の女が、冴えない男の前で腰を下ろし、人知れず影になっている場所で前戯をしていることだった。女は一心不乱に頭をストロークさせていて、それ受ける男は天を仰ぐようにしてうめき声を漏らしていた。
ショーンはその光景をみて、さっさと退散することにした。当たり前だ。覗き見している場合じゃない。したかったとしても、だ。
図書館に入ると、そこは貧乏ったらしい施設で、備品から何もかもまで、しけていた。
尿意を催しつつ、奥の窓辺に座って祈るようなポーズでうなだれた。窓の外では、天気は曇り空。乾いた風がびゅうびゅうと吹いていた。
「まるで棺桶を引きずっているような音だな」
独りごちたところで、それは誰の棺桶だ? 自分のだろう。と心のなかで言葉が湧き出た。
無視する。
ふとハードボイルドという言葉を連想した。ヘミングウェイが出てきたときは、こんなものは小説ではない。という意見があったらしい。そんなものは一部の世界観の人間の狭量な政治的な縄張り意識以外の何者でもないが、また人間がいる所ではありふれた日常であり、時代が進むたびに一定間隔で繰り返される波でしかなかった。
昔、作家として駆け出しだった頃。
アンテナという文学雑誌に投稿したことがある。そこでカバーレターを書き、短編を送りつけた。それがたまたま評価されてショーンは今に至る。どんな話だっただろう。あの時は…… あの時は、たしかハードボイルドよりだったかも知れない。意地悪なコメントをした審査員がいて、こんなものは〇〇じゃない、というようなニュアンスのなにかを言われた気がする。これは小説ではない、だったか。
今となってはどうでもいいことだった。そんなことよりも、自分は何をしていたのか。どこに帰ろうとしていたのか⋯⋯ 家に帰ろうとしていたのか?
まず⋯⋯ 確か、動物園で逃げていたのだ。
動物園で異界に入り込み、そこで人間を見た。
未来の世界で、チップやAIと融合した人間たち。ギタイの体を持った人たち、そのような技術を背景とした超人たちが闊歩していた。そしてゲート先に進むと、そのエリアがあった。
加速する技術発展の流れの中で、動物に戻ることを選択した人間のグループ。
彼らが暮らしているエリアだった。彼らは檻の中にはいなかった。言語を使わず、ジェスチャーとシンプルな発声のみで意思疎通する。薄汚れた姿の野人。皆目つきが恐ろしく鋭かった。文明を忘れた野生の瞳がショーンを観察していた。
超人の未来人たちはなんのプロテクトもなく、自由に彼らのエリアを徒歩で進む。動物人間は、彼らを警戒し、また刺激しないように、睨みつけ、威嚇し、注意するに留まっていた。
恐らくは、⋯⋯知っているのだ。力でも知性でも、瞬間的な判断でも、報復合戦でも、何一つとして彼らには勝てないことを。
その場に紛れ込んでしまったショーンが思い出していたのは、合衆国にいるアーミッシュの人たちだった。彼らをずーっと極端にすれば。また現代人をずっと極端に前進させれば、同じ光景をいつか、ショーンの子孫も見ることに成るかも知れない。その時はそう思った。
*アーミッシュ:アメリカ合衆国の宗教集団。キリスト系移民。ドイツ系とも。現代文明を拒絶、電気や機械を使わない生活を送ることで有名。推定35万人。自給自足の生活スタイルを保持する人たち。
ショーンはアメリカ人ではないし、アーミッシュに対しても知っていることは少ないが、そう思ったのだ。
その動物園から逃げ出して⋯⋯




