後
こんこんこん。扉を叩く音がする。
その音で目が覚めると、カーテンの隙間から漏れる光はずいぶんと明るくて、もう日が高くなっていることがわかる。昨日はやはり、疲れていたらしい。
「師匠」
声がする。
「……起きている。なんだ?」
返答しても、彼女が扉を開けることはなかった。
軽く身支度をととのえ、こちらから扉を開けると彼女はそこで待っていた。瞳が、少し赤く腫れているように見えるのは、気のせいか。
「師匠、おはようございます」
「おはよう。今日も師匠と呼ぶんだな。弟子をとったつもりは無かったんだが」
「わたくしは、未だ愛することを知りませんから。師匠は、師匠です」
「それ、何かのセリフのようだな」
「そうかもしれません。たぶん、少し前に読んだ本で」
「題名は言わなくて良いぞ」
「はい。ところで師匠。昼食の用意ができているそうです」
「わかった」
共に向かえば、タイミング良く昼食が並べられていく。表面上は凪いだ、静かな空気。料理のこと領地で穫れる食材のこと、そんな当たり障りのない会話を交わして、食事を終える。
「師匠。わたくし、踏み込むべきでないことと承知しながら、師匠のことをその……聞きました。昨夜のように、これ以上失礼なことを口にしないようにと思って」
「……ああ」
彼は目を閉じた。
かつては彼の隣に、なによりも大切な人がいた。
「あなたに話したのは執事か、メイド長か」
「御二人ともです。でも、わたくしが無理に聞き出したのです。とても渋られました」
「はは。そうだろうな」
「師匠の奥様は、御名前をカメリア様とおっしゃるのですね」
「ああ」
息を吐いて目を開くと、すっと立ち上がった彼女と視線がぶつかる。
「師匠の奥様でしたら、わたくしにとって師匠に同じ!すぐにご挨拶にうかがいましょう。わたくし、師には礼を尽くすものと心得てございます」
「そのわりに、私はあまり礼を尽くされてる気がしないが。その心得は、何かの本からの受け売りか?」
「はい。題名はたしか」
「題名は間に合っている。今から行くか」
「はい。準備はできております」
彼女はメイド長から用意された花を二輪、受け取った。彼が休んでいる間に、事情を聞き出した彼女が頼んでおいたものだ。そのうち一輪は彼に手渡した。
それぞれ花を携えて、彼と彼女は庭におりた。
道を知らない彼女は彼のうしろについていく。彼の歩調は重苦しくゆっくりで、追うのに困難はなかった。
屋敷の裏手をやや進んだところに、小さな林がある。
「ここは私の一族の終の住処だ。骸を埋めて、種を蒔くか苗や木を植えるかしている。そのどんぐりの木は祖父だな」
「師匠のお祖父様ですか」
「こっちだ」
細い道をたどる。
「師匠はカメリア様と居て、愛を知ったのですか?」
「これまた小説から抜粋したようなセリ……ああ、なんでもない。いや、私の家はあなたの実家ほど込み入っていなかったからな」
「たしかにわたくしの実家は、まあまあ込み入っておりますが」
「私は普通に両親からも愛情を受けた。ゆえにあなたのように、愛するということを知らないわけではなかった」
「ご両親は、師匠の師匠ですね」
「そうだな。それでも私は……カメリアから、それ以上に、たくさん」
彼を置き去りにして逝った妻の名を出せば、声が震えた。彼の言葉は途切れた。
「師匠に愛を教えるとは……カメリア様は師匠を超えて、愛の伝道師でしょうか。わたくし、この崇敬の気持ちを「私の妻に、妙な二つ名をつけないでもらえるか?」」
力が抜けた。瞬時に震えはおさまった。
「まったく。いったいどこからそんなおかしな……」
「師匠、二つ名というのは自称ではだめなのですよ。周囲の人が思わず口走るもので、冒険者垂涎の的であると書かれていましたのよ。題名はたしか「言っておくが、私の妻は冒険者ではない」」
「はい」
「あと、あなたの知識は相当かたよっている」
「薄々、そんな気はしていました」
「薄々なのか。……ここだ」
日の光のあたるところに、椿の木が葉を伸ばしていた。
彼と彼女は、花を捧げる。
「わたくし、やっぱり師匠を見て、愛するということを知ろうと思います。三年ありますし」
「そうか。……オペラグラスは使うなよ?」
「使いません」
彼女はきっぱりと言いきった。
「わたくし、実家があんなですし、今までわからないことを尋ねても、ちゃんと答えてくれる人もあまりいなくて。本を読んで調べるくらいしかできなかったんです」
「ああ」
「でも師匠を見ていたらきっと、愛するということが……答えがわかる気がします。ここに、カメリア様もいらっしゃることですし」
「そうだな」
日が傾いて、風も少し冷たくなってきた。彼と彼女は、来た道を逆にたどりながらまた会話する。
「師匠。わたくし、これまで実家のメイドに押しつけられたものですとか、色々な本を読んだのですけど」
「…………」
「魅了って、愛することに含まれると思います?」
「またおかしな題名の小説なんだろうな、それは」
「わたくし、べつにおかしくはないと思うのですけど。ちょっと、まあまあ長い題名なだけで」
ときどき異世界恋愛ジャンルで書いてますが、愛するって何?って言われたら、そんなの答えられない(笑)
でも、これまで書いた中で一番「愛」という字を頻出させたので、ジャンルは異世界恋愛で良い気がする。(でもヒューマンドラマかもしれない)
お読みいただきありがとうございました。
誤字報告ありがとうございました(11/27)