栄光
1.
小林茜はカメラ中毒だった。
小学二年生のある日スーパーで万引き犯を見つけた時も、ケータイを向けずにはいられなかった。
歯磨き粉を鞄に入れたおばあさんが二品目を落とし込むところをバッチリ抑えた。
おばあさんが店を出たところで店員に捕まったところもバッチリ抑えた。
その写真を茜はminiSDの奥に大事に大事にしまっている。
小学三年生になり、父のお古の一眼レフを貰い、茜は公園へ出た。
露光量の調整が難しい。ピントが合わない。しかし、楽しい。
空を撮った。
木々を撮った。
背中を掻くおじいさんを撮った。
散歩に来ていた犬を撮った。
奇妙なものが植え込みの中に落ちていることに茜は気付いた。
遠くのパン店の紙袋。中身は黒い。コードが見えている。
茜はそれも写真に収めた。
公園を出ようとしたところ、大勢の大人が防護服を着てやって来た。
「すぐ公園から離れてください」
小林茜は自分が撮影したものがなんなのか気付いた。
興奮したまま家に帰って、写真をプリントアウトして、宿題の学校新聞をそれで作った。
茜はテレビニュースを確認した。
『公園に爆破テロ予告がありました。爆弾は警察によって撤去、処理された模様です』
茜は飛び上がって喜んだ。
翌朝、学校での発表の時間を終えるまで、ほとんど眠れなかった。
茜は意気揚々と学校へ登校した。
「すごいの撮ったから」
友達に自慢した。
そして新聞を発表する時間になった。教室後ろのランドセル入れに近付いてから、ふと不安になった。
爆弾が爆発していれば多くの人が犠牲になったのに。こんな気分で発表していいのだろうか。
「どうかした? 茜」
友達がたずねる。
茜はとっさに新聞をランドセルに押し込んで、
「宿題、忘れて来た」
「えーなんで!?」
友達が大声で叫ぶ。茜は必死で誤魔化した。
先生にも同じことを言った。後日、近所のヒマワリ畑が見事だった新聞を超特急で作り、賞をもらった。
この思い出を茜は後悔している。新聞を作ったことも、発表しなかったことも。
部屋の机の引き出しに、大事にしまっている。
2.
高校生になった小林茜は退屈していた。
茜はカニ型のパンをかじりながら、花壇のパンジーが咲いたニュースを切り貼りしていた。
新聞部は茜一人である。部活として認められていないので、正式には新聞愛好会となっている。
活動費は出ないので茜が自腹を切っている。小型のノートパソコンとプリンターを錆びれた部屋に持ち込んでいる。
新聞作成はやめるつもりはない。
新聞部の扉が開く。
訪ねて来たのは放送委員の才女・鈴木小鳥と、知らない男子だった。
「ネタが欲しい。渡して」
鈴木小鳥は開口一番にこう言った。
「いや、急に言われても困るわ」
茜は流石に断った。
しかし食い下がられる。
「範囲は学校の生徒。誰でも秘密は持ってるはずだけど」
鈴木小鳥はなぜか泣きそうな顔で懇願して来た。
「対価なら出す」
茜はそんなものは要らなかった。ただ、栄光が欲しいだけである。
しかし切羽詰まった小鳥の様子に、茜は同情心を煽られた。
黙って茜は秘蔵のファイルを開き、倫理的に憚られたネタ集をプリントアウトした。
文化祭まで三週間という時だった。
3.
文化祭当日、小林茜は新聞部に立て籠っていた。
校内放送を聞いたのだ。内容は茜が渡したネタだ。
あんなことをするんじゃなかった。あんなことをするんじゃなかった。
後悔しても遅い。茜にはわかっている。
新聞部の扉が叩かれる。
「ひい」
茜は小さく声を上げた。
建付けが悪いだけの扉がガタガタガタガタと強引に開かれた。
「小林茜!!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
茜は謝った。宝物の一眼レフを盾にして。
しかし糾弾は来なかった。
「絵のモデルになってくれ!」
美術部の正岡形而だった。授業もサボって絵を描いている変わり者だ。
茜は何も言えなかった。
正岡は、茜の答えも聞かずスケッチブックを開いた。
文化祭当日に新聞部を訪れたのはその正岡だけだった。
4.
小林茜は退屈していた。
文化祭の写真もほとんど撮れず、新聞のネタがないのである。
件の騒動について書くのは倫理観がはばかられる。
自分に責任の一端があると、茜にも流石にわかっている。
近所のアジサイが綺麗だったニュースを切り貼りしていた。
新聞部の扉が開かれる。
あの日、鈴木小鳥と一緒に来た男子だった。
名前は春原周良。今回の騒動の主犯として一躍有名人になった危ない男。
「知らせてほしい」
彼はデジカメを置いた。
主語がない。
「何を?」
「今回の、文化祭を壊そうとした僕らのことを」
「無理無理無理。私がかかわってること知ってるでしょ」
黙っているべきだ。
多くの人間を傷つけたことを、面白可笑しく描くべきではない。
「書く責任がある。知らせる責任がある。君にも」
春原は鞄から紙の束を出してきた。
どうやら原稿持ち込みらしい。
茜は降参した。
「わかった、わかった。作るわ。見出しは『文化祭を破壊しようとした二人』でいいね?」
春原は頷いた。
茜は原稿を改める。
5.
小林茜は後悔していた。
この後悔は深い傷となって、優しい思い出となって、彼女を苛む。
了