第43話 取引に備えて
朝には逢の見送り。
昼間にはこの数日間の振り返り。
夕暮れにはヴェルデとの取引。
取引の際、もしもの時の備えを済ませると。
静かに来人は緑衣の彼女を待った。
「泊めてくれてありがとう。朱理ちゃん、今度ウチに泊らない」
「行く行く。そんときはよろしくね、逢ちゃん」
「朱理がうるさかったらごめんね」
「ちょい兄ちゃん、それどういう意味」
「ふふふ」
朝を迎え錆山兄妹は客人を見送っていた。
七時過ぎの朝日は眩しさよりも活気を人に与えてくれる。
中学生の朝帰りはよろしくないが。
野暮な指摘を三人はしない。
「そうだ、逢ちゃん。はい、これ」
「ちゃんと約束守ってくださったんですね」
「当たり前だよ。逢ちゃんから頼まれたんだから」
昨夜手に入れた宝物がまだ残っていた。
両手で来人は逢へと昨日の報酬を手渡す。
「逢ちゃんもこれ欲しくて空き家に行っていたんだ」
「ちょっとね。へへへ」
目覚めの朝日に照らされるのは。
お菓子の箱でできたアズゥのお手製プラネタリウム。
来人から持ち主である逢の手へと渡っていく。
本来の持ち主に返すだけなのに。
少年の想いが伝えられていく。
さながら、少年から少女への季節外れのバレンタイン。
思い出の詰まった宝物を逢が受け取ると。
壊れないように。
丁寧に優しく。
昨夜の天体ショーを思い起こしながら。
少女は両手で大事に抱き寄せた。
しばらくの間、逢は昨夜の記憶に浸り。
目を瞑って動けずにいた。
もうちょっとだけここにいたい。
わがままな自分を抑え込んで。
小さく息を吐くと少女は「よし」と決意を呟いた。
出発のためだ。
「またね朱理ちゃん。それと来人さんも」
「またね逢ちゃん」
「うん、また今度。逢ちゃん」
玄関だけでなくガレージにも三人一緒で向かい。
自転車に乗って逢がここから去っても。
部活や勉強にと道行く他の中高生に彼女が混じっても。
どんどん逢の姿が遠のいても。
もう彼女が視界の外に過ぎ去っても。
来人と朱理は見送り続けた。
二人は数日前以上に逢との別れを惜しんでいた。
見送りの余韻に浸りたかったから。
「いこう。兄ちゃん」
「そうだな」
家へもどろうと呼びかけたのは朱理から。
友達である朱理よりも。
余韻を味わい続けたかったのは。
他の誰でもない来人だった。
「あのさ朱理」
「なに兄ちゃん」
「どうして今朝はそんな大人しいんだ」
外から家の中にもどる道すがら。
来人は朱理の大人しさが気になっていた。
確かに逢の前でははしゃぎ気味だったものの。
ここから逢が去ってからというもの。
慎ましく朱理は兄のそばにいた。
親が我が子のきちんとした礼儀作法を喜ぶような様だ。
そんな妹の普段とは真逆の態度に。
兄として来人は不思議でならなかった。
「昨日のこととかオレに聞かなくていいのか」
「ああ、だったらそれは逢ちゃんから聞いたからいいよ」
興味がない、というよりも。
そっとしておこう。
深入りしないでおこう。
察して何かを線引きしたのか。
朱理は兄への言及をなにもしなかった。
その後の朱理の来人への視線はとても温かく。
不自然なまでに妹は兄に優しかった。
「兄ちゃん、ウチが今日のご飯の当番全部替わるよ」
「お、おう。でも、今は朝九時だから昼飯もだぞ」
「分かっているって。全部って言ったじゃん」
本日担当していた来人の家事を。
積極的に朱理は引き受けようとしていたのだ。
それもかなり先の予定まで。
「今日のお風呂は兄ちゃんが先入りなよ。ウチが沸かすから」
「あ、ああ。ありがとうな。でも、まだ昼の十一時だぞ」
どうしたんだ朱理のやつ。
不自然なまでの朱理の優しさに来人は困惑していた。
しかし、妹の異変ばかりに気も取られない。
今日がヴェルデに青い石を引き渡す日だからだ。
午前十時過ぎてすぐ。
ティロン。
フリマアプリの通知が来人のスマホに届いた。
『三日間保管ありがとうございます。午後六時にご自宅に向かいます』
会った日から数えて三日かよ。
通知を見て最初の内は。
怒るべきか喜ぶべきか来人は分からなかった。
あと一日青い石を持っておかなければならない。
そう思っていたからこその肩透かし。
しかし、数分も経てばこの通知が意味するのは。
一足早い厄介事からの解放だと。
嬉しい誤算だと来人は自分に言い聞かせたのだ。
取引は夕暮れ、午後六時にこの家で行われる。
「色々ありすぎたからな。ここ最近」
自室にて来人はスマホで現在の時間を確かめた。
まだ時刻は午前十一時二十分。
約束の時間はまだまだ先だ。
今日で厄介な青い石から解放されると思うと。
この数日間の出来事を。
振り返りたくて来人はたまらなかった。
三日前、ヴェルデとの出会いにケルベロス戦。
あと三日は青い石を持っていてほしい、と。
取引を強引に延長され。
更には再び青い石が変身した怪物に襲われ。
挙句の果てにはヴェルデに手当され妹には八つ当たり。
来人にとっては散々な一日だった。
一昨日は朝と夜で異なるショックを来人は受けた。
朝早く逢とその弟に偶然出会い。
そこで逢の弟のカナタと自分を比較し。
まだ自分の感性が幼い小学生と同じかもしれないと。
自分の情けなさを来人は痛感した。
夜になるとアズゥの本心と彼女の暴走。
アズゥの贈り物に対する考えや気持ち。
そして、彼女の切実な願い。
人に忘れられたくない。
自分とは真逆で純粋な。
アズゥの本音を知ったからこそ。
青い石の怪物たちと似た変貌をした彼女について。
来人はそれをアズゥに尋ねたくなかった。
もうアズゥを金のために利用する気は……。
少年の心にはなかった。
友達としてアズゥを助けたからこそ。
変異した彼女の苦しみを考えながら。
少年の振り返りは次の日へと移った。
昨日は思い出に残る天体ショーと逢からのイジワル。
逢を騙してしまい。
アズゥと一緒に怒られるかと思いきや。
二人とも何事もなく自分に接してくれて。
これまでずっと生きていた中で。
一番の思い出かもしれない時間を。
大切な人たちと一緒に過ごしたからこそ。
地下室での天体ショーを思い返すと。
瞳を閉じて胸に手を当ててしまうほどに。
静かに来人を追想させていた。
この思い出が持つ温もりとロマンに浸りたかったからだ。
少年の心を揺さぶったのは天体ショーだけではない。
帰りの逢の態度もだ。
いつも真面目で温和な彼女が。
帰り道だとイタズラっぽくて。
嫌な気にならないどころか。
むしろ、どこかイジワルな彼女と接するのが。
来人には逢の新しい一面が知れて楽しかった。
本当に大切な一夜だった。
シンプルなこの一言でまとめないと。
思い起こせば起こすほどに。
時間が一気に経ってしまうため。
名残惜しそうに来人は昨日の振り返りをやめた。
まだ時間に余裕はあるものの。
取引中に何が起こるか分からない。
自分なりに準備をしよう。
気持ちを切り替え。
この後の事態に来人が備えようとしていた時だ。
コンコン。
部屋のドアがノックされた。
ノックしたのはもちろん朱理だ。
「ねえ、兄ちゃん今いい」
「いいぜ、中に入っても」
ドアが開くと朱理がエプロン姿で申し訳なさそうにしていた。
「ごめん兄ちゃん。逢ちゃんから今日お泊りの誘いが来た」
「えっ、どういうこと」
両手を合わせて朱理は来人に謝る。
「逢ちゃん、お母さんと電話していたら嘘が即バレしたって」
「マジで」
逢ちゃんに悪いことしたな。
付き合わせてしまった逢に謝りたくて来人はしょうがなかった。
しかし、朱理が先に話した事実とどこか噛み合わない。
むしろ妹をお泊りに誘うなんて。
歓迎すらされている気さえする。
「で、逢ちゃんのお母さんがウチに会いたくてたまらないらしい」
「なんか逢ちゃんが怒られている感じしないな。話聞く感じ」
「うん。夜遅くに外出した点だけ注意されたって」
「他には。空き家に行ったこととか」
「今はあそこ危ないから、流石にその部分は一切話していないらしいよ」
「なら、いいのか、これで」
最低限叱られて済んだくらいか、これ。
逢の母親の真意は分からないものの。
逢の現状を来人は強引にのみ込んだ。
だからこそ、困っている朱理に兄らしく優しく声をかけた。
「メシ作ったり風呂沸かすのは気にするな」
「いいの」
「元々オレが当番だ。朱理も変に気ぃ遣うなって」
「兄ちゃん」
とても嬉しそうに手を合わせて朱理は目を輝かせた。
まるで我が子の成長を喜ぶ母のように。
「ご飯だけ作り置きしておくから後はよろしくね」
「おう、後はオレに任せとけ」
どこか舐められている気がする。
率直な朱理の態度に来人は妹の内心を少し見透かしていた。
しかし、朱理の外泊は来人にとっては好都合だった。
夕暮れまでに彼女がいなくなれば。
家には自分とヴェルデしかおらず。
取引をスムーズに進められると来人は考えたからだ。
妹には悪いが。
ケルベロス戦を思い返せば人目はない方がいい。
青い石の招くトラブルに。
これ以上朱理を来人は巻き込みたくなかった。
そのための更なる一押しを兄として妹にしておく。
「むこうの人達は夜遅く帰ってくるなら朱理は早めに行きなよ」
「無いとは思うけど帰宅のタイミングと被るのは避けたいしね」
「むしろさ、逢ちゃんと一緒に出迎えるくらいの気持ちでいけよ」
「ああね。早めに出発すれば掃除や荷物持ちとか手伝えるかもね」
「だから、オレを楽させるより逢ちゃんを楽させな」
「分かったよ。兄ちゃん」
納得すると朱理はすぐに行動に移した。
まずは兄のための食事の作り置きに。
次に宿泊の準備を。
朱理がそれらを終える頃には。
午後四時を過ぎていた。
着替えなどが入ったキャリーバッグを引いて。
玄関で朱理は来人に出発を告げる。
「ちょっと遅くなったかも」
「んなこたねえよ」
「荷物もあるし、この前の逢ちゃんみたいにバスで行くから」
「帰りは明日の昼くらいか」
「まあ、それくらいになるかな」
「了解っと。気を付けてな」
「うん。じゃあ行ってきます」
元気よく出発する朱理を来人は見送った。
妹が遠く、視界に映らなくなるまで。
「さてと」
玄関の扉を閉めると来人は自分の部屋にもどった。
元々ヴェルデが訪問してきた際には。
無理矢理にでも朱理を彼女の自室へと。
来人は追いやるつもりでいた。
多少ケンカするかもしれないが。
強引にでも妹に納得してもらうつもりで来人はいた。
しかし、その懸念も消えた。
残された二時間近くで取引の準備をしよう、と。
青い石が入った缶の中のチェック。
陽の光の下、ボロボロの缶を開けると。
中にはただの石ころの状態の取引品があった。
「んじゃ、武器を作りますかね」
商品のチェックを済ませると。
戦闘を予想して来人は敵への対策を始めた。
キッチンのシンクまで移動し。
蛇口を捻って水道を開けると。
一リットルのペットボトル三本に来人は水を注いだ。
お手玉サイズの水風船も三個作り。
青い怪物たちへの武器を仕上げると。
それらをウエストポーチへ。
ドラゴンとの追走劇でボロボロになってしまい。
底に穴も開きファスナーも壊れた。
物を入れるのにも苦労してしまう。
人前では使えなくなったが。
今日は別だ。
この後に怪物との戦いが待ち構えているかもしれない。
穴を塞ぐように来人はペットボトルを寝かせてポーチに入れると。
上に水風船を三個乗せた。
ポーチの口は開けっ放しのままで。
いつでも中身を取り出せるようにしている。
ストックした水風船は手榴弾として。
自分ごと狙われた際には直接ウエストポーチを当てて。
起爆する盾として扱う。
残ったもう一本のペットボトルは常に手に持ち。
常時反撃手段としてとっておく。
「さあて」
武器の準備も整った。
軍手を手にはめると来人はヴェルデの到着を待った。
テレビの電源も点けず
リビングのソファに座って。
テーブルの上にキッチンタオルを長めに敷き。
商品である青い石が入った古いクッキー缶をそこに置いて。
ヴェルデから押し付けられたスティックを缶の隣に寄せた。
緑色のサイリウムのような発信機も兼ねた代物を。
「ふう。あとは待つだけだな」
無機質な緑衣の買い取り人の訪れに来人は備えた。
五時が過ぎ、五時半になり、六時まで五分前。
いよいよだな。
独りで静かにいると。
この数日間を来人は振り返らずにはいられなかったが。
もうそれは昼間に済ませていて。
少年は自身の気持ちが勝手に湧きたつのを既に抑え込んでいた。
そのため、運命の音が鳴った時も。
少年は落ち着いていた。
ピンポーン。
来訪者を告げるチャイムを来人は耳にした。
時刻は六時ちょうど。
訪れたのは約束通り緑衣の彼女だ。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
活動報告にも記載しましたが更新ペースの低下の為、
次回の更新は3/27の17:00頃を予定しております。
淡泊な後書きになってしまいましたが、その分頑張りますのでご容赦ください。




