第36話 青い両翼と刃
明日の再会を約束した来人は地下室の扉の前でアズゥの苦しむ声を聞く。
慌てて扉を開けた先にいた彼女には恐ろしい異変が起きていた。
時間が経つのは仕方がない。
お互いを忘れない。
二人はそんな約束を交わした後。
互いに様々な話をして盛り上がっていた。
アズゥの冒険譚じみた過去や。
来人が小学生の頃の思い出話など。
二人ともそんな話を純粋に楽しんでいた。
「こんなに面白かった時間は何年ぶりだろ」
「オレはこんなに人と楽しく話したの中学生になってから初めてだな」
「良かった。ところで、結構時間経ったと思うけど妹さん心配していない」
「あっ」
来人はスマホを汚したくなかった。
そのため空き家に来る際には持ってこないようにしていた。
もちろん腕時計も身に着けていない。
現在の時刻を来人は把握できていなかった。
日付変わっていたらどうしよう。
妹へ心配をかけるわけにもいかない。
多分アズゥにも呼び止められないだろう、と。
慌てて来人は帰宅を決めた。
それでいて。
どうしても来人はアズゥを安心させておきたかった。
もう地下室の扉の前に立っている。
距離もアズゥから離れている。
ただし、今回の来人はアズゥから呼びかけられた時と違う。
しっかりと彼女に顔を向けて。
元気よく来人は明日の約束を声に出した。
「明日オレが友達を連れてくるから。ちゃんと待っててな」
ネガティブさもない。
虚勢にすら見えそうな。
勢いだけの少年らしい元気な笑顔で来人はアズゥに再会の挨拶をした。
「うん」
「約束だぜ」
「うん、約束ね」
地下室を出ると来人はその部屋の扉を丁寧に閉じた。
すぐに帰らないといけないけれど。
無言のまま来人は扉の前で立ち尽くした。
明日どうしよう。
いい意味で悩む自分を来人は不思議に感じた。
それが少年の帰宅の歩みを止めていたのだ。
でも、誰を呼ぼうか。
約束した友人にアテはない。
それもまた来人の足が止まっている理由の一つ。
深く思い悩むほどではないにしろ。
少なくとも五分以上は。
地下室の扉の前で。
明日の予定を考えてしまい来人は動けないでいた。
ドアを挟みながらも向こう側の音が聞き取れるほどの位置。
だからこそ、来人は扉の先での異変に気づけた。
「うう、ううう」
扉の先、アズゥの大きなうめき声を来人は聞いた。
このままじゃ帰られない。
彼女を心配して来人は大急ぎでドアを開けた。
先程までの温もりや穏やかさは感じられない。
優しい面持ちから一転しアズゥは余裕なく息を切らしていた。
「どうしたんです。アズゥ」
「きちゃ、ダメ」
身を震わせてアズゥは来人を拒絶する。
ビリヤード台よりも奥。
地下の壁に寄りかかっていた彼女は両手で自らの体を抱き寄せていた。
まるでなにかを抑える様に。
「あああ、あああああ」
「アズゥ、アズゥ」
大切な人の名を呼ぶが来人の声に彼女は応えない。
言いつけを守っているわけではなく。
緊急事態により脳内フリーズ。
どうすればいいか分からず来人はその場から動けずにいた。
ただ、相手の名前を呼ぶだけ。
「アアアアアアア」
青い彼女の咆哮が地下室に響き渡る。
友人であるはずの二人がその雄叫びで対峙する。
叫びは強い衝撃を放ち周囲の空気を震わす。
「おいおい、なんだよこれ」
ドラゴンやケルベロス。
青い石が変貌した怪物たちが来人の脳裏に過ぎっていく。
同じ現象がアズゥにも起こっているのではないか。
しかし、原因になる青い石が彼女には見当たらない。
それでも恐ろしい予感には違いない。
過去の体験もあってか。
アズゥの急変に来人は困惑せずにはいられなかった。
少年の友人を想う心は切実だ。
しかし、現実は、来人の願いは裏切れられる。
「ッアアア。グアアアア――」
「なんだ、翼。いや、刃か」
禍々しい羽化。
アズゥの両肩から翼を思わせる刃が突如として隆起した。
彼女の身の丈を越える長さ。
紺色の両鎌だ。
現れて直後刃は真っ直ぐに伸びきっていたが。
出現してすぐ、鳥が翼を折りたたむように。
刃の中央にある節を起点にして。
紺色の両鎌は折り曲がっていく。
金属を思わせる鎌の光沢がランタンの灯りに照らされる。
それにより刃は鏡面となって来人の姿を映し出す。
「おいおい、嘘だろ」
「に、げ、てラ、イ、ト」
もたもたしていれられない。
普段とは大違いのアズゥのか弱い声を聞いて来人は覚悟を決めた。
アズゥを助けなきゃ。
少年は自分がヒーローなんて柄ではないと分かり切っている。
それでも大事な友達の為に彼は勇気を出した。
足が向かう先は前。
唾を飲み込み来人は前に向かって走った。
最初の目当てはビリヤード台の上にあるアズゥお手製プラネタリウムだ。
「待ってろな、アズゥ」
青い鎌はまだ来人の処刑を決めていないのか。
アズゥから出た刃は大人しく閉じたまま。
そのおかげで来人は台の上にある目標物を入手できた。
カップ麵の容器を改造してできたプラネタリウム。
目的の品を手に来人は即行で部屋の入り口まで引き返した。
逃げる為ではなく。
次の段階に移るために。
「ちと、もったいないけど」
大事なのは中身ではなく器。
走る最中に電球等の装置部分を来人は投げ捨てた。
手元に残ったのはカップ麺の容器だけ。
星座を象るために側面の所々に穴は開けてあるものの。
容器を横から両手で覆って持てば水は溜められるだろう。
「よしよし、これなら」
これまでの青い石についての体験があるからこそ。
水をかければアズゥは元に戻るかもしれない。
その仮説から来人は彼女の両鎌を水で濡らそうと決めた。
自分の中にある数少ない勇気を振り絞って。
少年は行動に出た。
「やるしかねえ」
地下室を一旦後にして来人は大急ぎで階段を駆け上った。
向かう場所はここを登ってすぐにある水道だ。
「一か八かだ」
階段を登りきると水道は目の前。
辿り着くやいなや勢いよく来人は蛇口を捻った。
ガキっ、ガキっ、キュ。
古びた金属が擦れる音は耳障り。
耳を塞ぎたくなるノイズすら今の来人は気にしない。
自宅で水を扱うのとは訳が違う。
この空き家で水を出すにも手間も時間も少々かかる。
それでも来人は蛇口のハンドルを回しきった。
これによりボロボロの水道管から水が流れ出す。
「っとっとっとっと」
少し冷静じゃないのは自覚がある。
あたふたしながらも来人は水を容器へと注いだ。
どんどん器に液体が溜まっていく。
「くうう。なんかキモ」
器に空いた穴から水の感触が来人の手に伝わっていく。
ぬるく、じめりと、カビに素手で触れている気さえする。
そんな嫌悪感すら我慢して来人は器に水を注ぎ続けた。
「これならいけるかも」
来人が水を出してから三十秒ほど経つと。
カップ麺の容器には水が溢れるほどたまりきった。
手で覆いはしていても。
容器からはほんの少しずつ水漏れしている。
しかし、それでも来人には充分過ぎた。
「よし、今いくからな」
蛇口も締めず水も出しっ放しで。
素早く来人は地下室へともどった。
転んでは元も子もなく。
階段を下る際には足早ながらも慎重に。
もう懐中電灯がなくとも。
地下室から小さく漏れ出るランタンの灯りだけでも。
器の中の水をほとんどこぼさずに。
この空き家の底まで来人は無事に辿り着けた。
「大丈夫か」
アズゥを心配し大声で来人は彼女に呼びかけた。
少年の声には隠しきれない焦りや不安も混じっている。
「ナ、ン、デ」
部屋ではアズゥが自らの両鎌を振るい暴れていた。
「キ、タ……ノ」
この部屋のシンボルとも言える中央のビリヤード台。
それが無残にも。
無数の破片となるまで切り刻まれ転がっていたのだ。
恐らくアズゥの両鎌によって。
「ヒっ」
ビリヤード台の残骸を見た来人は思わず悲鳴をあげた。
これまでのどんな怪物よりもヤバイんじゃないか。
ドラゴンにケルベロス。
それまでの相手は天気や運も味方してくれて。
なんとかなった。
だが、今回はそうはいかない、と。
来人は奇跡が起きないと嫌な確信をした。
場所は地下室。
スマホもヴェルデのスティックも持ってきていない。
助けるんだ。
そう決めたハズなのに
暴走したアズゥを目の前にした来人の周りには。
臆病風が吹いていた。
「ラ、イ、ト、キ、チャ、ダ、メ」
アズゥの微かな警告も鎌の一振りでかき消される。
大事な人が苦しんでいる。
怖くて体も固まってしまっている。
でも、行かなくちゃ。
アズゥを救うため来人は再びありったけの勇気を振り絞った。
少年は恐怖心を抑え込んで足を前へと踏みだす。
「今行くからな、アズゥ」
来人とアズゥとの間合いは三メートル近くある。
この距離なら刃が届かない。
ビュンッ、ビュン。
両鎌が動くと共に刃が空を切る鋭利な音が放たれた。
敵を威嚇しているかのようだ。
だからこそ、その鎌の動きと音を頼りに来人はタイミングを計っていた。
「行くぞ」
タイミングは読めた、後は突っ込むだけ。
意を決し来人はアズゥのもとまで一気に駆け寄った。
ヒュッ。
走りだしてすぐだ。
右の鎌は振りかざすのを止めて。
鋭い槍となり来人に向かって突きを繰り出してきたのだ。
「危ね」
鎌が止まった瞬間、本能からだろうか。
走っていた来人はすぐに身を屈めだしていた。
更にその低姿勢のままスライディングで前へと一気に詰め寄った。
硬い床と自身の体が擦れる痛みにも耐えながら。
ズ、ズっ。
来人を狙っていた右の鎌はというと。
ビリヤード台の残骸の一つに突き刺さっていた。
刃の先端に突き刺さった残骸は重りとなり。
右の鎌はそれのせいでスピードも伸縮自在さも奪われていた。
「よし」
水が入った容器は両手で大事に抱えたままに。
暴走するアズゥの至近距離まで来人は辿り着いた。
「ラ、イ、ト」
器には充分過ぎる程に水はまだ残っている。
この距離なら狙いも外さない。
もうすぐ戦いも終わる。
水をアズゥに当てようと来人が立ち上がろうとしたときだ。
嫌らしく、間を置き、狙いをつけながら。
左の鎌が勝利目前の来人を襲おうとしていたのだ。
だが、来人はその罠に既に気がついていた。
スライディングしてすぐに顔を上げたおかげで。
来人は左の鎌の怪しい挙動を警戒していたのだ。
しかしながら、処刑鎌は止まらない。
ブンっ。
処刑の大振りが繰り出される。
もうダメだ。
そんな情けなさは今の来人にはない。
もう絞りカスかもしれないほどに出した勇気を。
もう一絞りして。
もう一振りの処刑の刃へと立ち向かう。
「だあっ」
鎌が振り下ろされたのと同じタイミングで。
なんと来人は水の入った容器を上に向かって放り投げたのだ。
振り下ろされた刃の先端はアズゥの頭上に位置し。
友人を切り裂く。
無慈悲な一閃を彼女は目にしていない。
バシャっ。
刃が容赦なく水が入った器を切り裂いた。
これにより入れ物が壊されてしまい。
溜め込まれていた水がアズゥの全身へと一気に降りかかった。
「どうだ」
姿勢もまだ低かったおかげか。
鎌からの処刑を来人は免れた。
現状として。
水に濡れた紺色の鎌がグネグネと歪に変形しているからだ。
もはや刃の体すら保っていない。
それは少年の機転のおかげ。
大胆な来人の行動に勝利の女神が微笑んだのだ。
「よし。あと、ごめんな。アズゥ」
アズゥには申し訳ない、と思うものの。
咄嗟に出た行動が成功して来人は喜んだ。
というのも、二つの理由がある。
一つ目は自分を狙っていた鎌が現在進行形で縮んでいることだ。
紺色の怪物達は水で濡らすと石化していく。
個体差はあったものの濡れた瞬間から形が保てなくなる。
その特性を来人は利用した。
自分に刃が届くよりも先に。
水を直接鎌へとかけて身を守ろうとしたのだ。
狙いは的中し。
容器が切断されて刃が水に晒されるとすぐに効果が表れた。
鎌は見る見る内に縮んでいき。
今や青い不細工な粘土細工だ。
「本当にごめん。アズゥ。なんだかイジメているみたいで」
「イイ、ヨ。キ、ニ、シ、ナイ、デ」
「ごめん。オレのせいで水浸しにして」
少しだけ距離を置いて。
うずくまるアズゥに来人は何度も謝った。
その際、謝罪を受ける彼女の右の鎌は左と同様に収縮していた。
これは先ほど来人が喜んだ理由の二つ目に起因する。
量は少々あったものの一度水をアズゥに浴びせただけ。
それにも関わらず彼女の暴走が鎮まった。
この事実こそが来人が喜んだ二つ目の理由だ。
容器が切断された位置はアズゥの頭上だった。
そのため、器が壊された際には。
彼女は上から降って来た水を全身で浴びてしまったのだ。
一つ目の理由にもやや関連するが。
わざわざ右の鎌に当てずとも。
変化が発生している部位の根元を狙えばいいのではないか。
ケルベロス戦を経て来人はこの戦闘中にそう考えていた。
錆山家からヴェルデが帰っていった後。
来人は当時の戦いを反省していた。
あの時は焦っていたあまり。
三つ首すべてに水をかけようとしていたものの。
今にして思えば頭が収束する首根っこにかけていればどうなっていたか。
反撃もされなければ。
濡らした箇所を起点に石化も進んでいくのでは。
振り返ってみたものの、その日の来人は機嫌も悪く。
青い石の対策や反省を考えはしてもすぐにやめてしまった。
結果的に。
僅かな時間ではあるが。
疑問点があったからこそ。
来人はそこに勝機を見出してアズゥを救えたのだ。
「ねえ、大丈夫。アズゥ」
「う、ん」
濡れた両鎌はまるで枯れた枝。
子供でも簡単に折れそうに細くなり。
アズゥの両肩に乗るように萎びていた。
二十数秒後には。
青い鎌だった部位は完全に消えた。
きっと発生源であるアズゥの両肩にもどっていたのだろう。
「調子はどう」
本当に安全になったか確認したい。
そんな不安が来人にはあったが。
後ろの壁によりかかっているアズゥは心身ともに限界のようだ。
「ちょっとね。ごめん、らいと」
異常が起きた箇所を見せないように。
弱々し気にアズゥは背中を壁に密着させていた。
そんな彼女のかわいそうな姿を見たからこそ。
不安は残っていても。
異常について来人はアズゥに何も聞かなかった。
気まずさだけが地下室に溢れている。
これがどれだけ続いただろうか。
変異が治まったアズゥがまともに口を聞けるまでに。
時間はそれなりに経ってしまった。
少なくとも五分以上は。
「ありがとう来人」
「アズゥ、大丈夫か」
開けた距離はそのままで。
来人はアズゥに調子を尋ねた。
彼女は正気を取り戻してはいたが。
いつも見せている笑顔はなかった。
「ごめんね。迷惑かけちゃって」
「いいよ、これくらい」
涙をこらえるアズゥの顔を来人は直視できなかった。
お互いを忘れない約束をしたときと違い。
彼女が流す涙は惨めさからきている。
そこまで気が回らずとも。
今の自分の顔を見られたくないんだろうな、と。
アズゥとは全く違う方向に来人は視線を向けた。
瓦礫と化した無数に散らばるビリヤード台の残骸。
それらが室内の至る場所に散見される中で。
原型を留めていた品は二つ。
アズゥのそばにあるランタン。
部屋の隅に置かれた修理したばかりのプラネタリウムだ。
これだけは守りたかったのだろう。
暴走する前に。
きっと彼女は。
これを安全なこの位置へと移したに違いない。
「明日、連れてきてくれる来人の友達ってどんな人?」
できるだけこの場の雰囲気を気まずくさせたくないのか。
アズゥは無理に来人に会話を持ちかけた。
不器用ながらも来人は彼女の気遣いに応じる。
「すごく面白くて素敵な人です」
「ふふ、来人がそう言うならきっとそうでしょうね」
「はい。アズゥともすぐ仲良くなれますよ」
なんとかしなきゃ。
自分を責めるも来人はアズゥを慰める言葉が見つからなかった。
表情はいつもより固いが。
そんな少年の様子を見た彼女は優しく微笑んだ。
「もう今日は遅いし。妹さんも心配してるわよ」
「うん。もうオレ帰るから。アズゥも体調には気を付けてね」
これ以上ここにいちゃいけない。
軽く別れの言葉を交わすと来人は地下室を出ていった。
一度目の時とは違い。
部屋を出ても扉の前で立ち止まったりはしない。
無言で来人は空き家から立ち去っていった。
ただ一つ見落とせなかったのは。
出しっ放しの水道の蛇口を閉めることだけ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
もう春休みに入られた読者の方がゆっくりとこの作品を楽しめていればと思っております。
次回更新は3/15の17:00頃を予定しております。




