第37話 砂漠の旅人ゲーム・その1 「自分の中に芽生えた感情を否定するのは自分自身を殺すこと」
春夏秋冬司が手を振るたびに、緑と黒の無機質なコンピュータールームのような空間は蒸発の加速度を増していく。それはまるでオーケストラの指揮者のよう。彼女の右手に合わせて電子機器が消え、左手に合わせて青い空と砂の大地が現れる。照りつける太陽が眩しすぎて砂の焼ける音が聞こえてきそうだ。
「ここがラストゲームの会場だよ、玲奈」
彼女が両手を高く上げてフィニッシュすると、私たちは砂漠の真ん中に立っていた。見渡す限り透明な青空と白い砂。眩しい太陽は地平線に蜃気楼を浮かび上がらせている。
そうだ、アネットとイムは!? そう思った瞬間、赤色と水色のふたつの人影が目の前に現れ、徐々に解像度を増していき、そしてふたりになった。
「アネット! イム!」
「レナ!」
「勇者しゃま!」
バランスを崩したイムを受けとめた私をアネットが支える。よかった、いつものふたりだ。
「もうふたりに会えないかと思った」
「おいおい、泣くなよ、レナ」
「そんなこと言ってるアネット様も顔がくしゃくしゃなの、デス」
抱きしめ合ってうずくまる私たち。ここが仮想世界で、ふたりも仮想人格なのは分かってるけれど、だったらどうしてこんなに温かくて、そのぬくもりに安心するんだろうと思う。
「全ては外部刺激を受けた脳が見せる錯覚に過ぎない。胡蝶之夢、人が体験して記憶することは単なる思い込みなのだよ」
自信に満ちた女性の声。ふり返ると、白いシャツに黒いスカートの長身の女性、春夏秋冬司が私たちを見下ろしていた。真っ直ぐに揃えられた前髪や艶やかな黒い髪を流れる風に任せたまま、彼女は口元を上げて不敵な笑みを浮かべている。
彼女は「トリックスターの遊戯」の主人公。私が観たアニメの彼女は、大の人間嫌いで助手の少年にすらほとんど心を開かない変わり者で、唯一、心を許していたのが彼女にだけ懐いていたロシアンブルーの小猫――そう、その猫の名前は〝あけぼの〟だ。
「ああ、彼ね。彼は大事な人質ならぬ猫質だからね。大切に保護しているよ」
司はそう言うと自分の胸を指差した。
この仮想世界のコンピュータだったソフィーは、あけぼのを保護すると言って自分の中に取り込んだ。そのソフィーを切り裂いて表れた司は、あけぼのを体内に取り込んでいるってこと?
「目に見えないもの、どーやって信じろってんだっ」
「真偽の判断はご自由に。けれど、わたしがここで嘘を伝えてもなんの得にもならないことは考慮して欲しいね」
睨み付けるアネットに司は手を振ってあっさりと言葉を返す。確かに、嘘をついても彼女にメリットなんてないのかもしれない。
「そんなことないの、デス! 勇者さまにゲームをさせるためにわざとウソを言ってるのかもしれないの、デス!」
イムの言葉にアネットの表情が変わる。そして、私やイムの盾になるよう正面に移動する。イムは私を守るように片腕と片足を巻き付けてきた。
「そうではないんだが。ゲームに参加させるだけならそんな嘘なんてつかずにもっとスマートな方法があるんだよ。例えば――」
刹那、司が整った顔を歪める。ずん、と空気が重くなったのを感じる。
そのまま司は細長い腕をアネットに伸ばす。その光景にソフィーがカール王太子の頭を掴んで動けなくした時の状況が重なった――きっと触れさせちゃ駄目だ。
「分かった! 私は信じる!」
その場の空気を払いのけるように叫ぶと司の腕が止まる。アネットとイム納得がいかない顔を向ける。
「魔法で取り込んでるにしたって、少しはあけぼのを見せてもらった方がいいだろ?」
「イムも先に見せてもらった方がいいと思うの、デス」
「お願いふたりとも、ここは私に任せて」
食い下がるアネットとイムを宥めながら、私はふたりがカール王太子の最後を覚えていないことを理解した。もしかすると見えていなかっただけかもしれないけれど、都合のいいように記憶が消されていると考える方が自然だ。そして、それが出来るのはこの仮想世界で私を治療していたソフィーとそこから出てきた司だ。
彼女はコンピュータを自分の力にしたから、緑の電脳世界を青空と白砂漠に作り替えることが出来たんだと思う。そうだとすれば、アネットやイムはどうやっても司には敵わない。
「うん。玲奈、君は分かってるようだね」
「ゲームをする。その代わり、アネットとイムには手を出さないで」
「約束しよう、疑似人格には何もしないと」
「ま、待ってくれ。だったらあたしもゲームに参加するよっ」
「イムも、デス! 勇者さまとゲームをするの、デス!」
ふたりが同時に声を上げる。驚いて止めようとする私にふたりは、
「あたしは司ってヤツのことは知らない。ただレナを守りたい、それだけだよ」
「イムは勇者さまのお役に立ちたいの、デス。だから頼ってほしいの、デス」
そう言って笑いかけてくれた。
アネット、イム、ありがとう、いつでも私を大切に考えてくれて、でも――私はふたりから視線を反らす。
私は気づいてしまったんだ。ふたりの優しさを知れば知るほど、思い出しつつある現実が心の中で重くなってくる。今いる空間が本当は私を治療する仮想の空間で、アネットやイムもそこの登場人物で、作られたこの世界の中で何が本物で何が作り物なのか、を。
「ふたりのゲーム参加を歓迎しよう。何しろ、わたしが用意したラストゲームは君ら3人で解けるか否か、それだけだからね」
まるで私の心を見透かしたかのように司が目を細める。
そうだ、「トリックスターの遊戯」の司は確かにこんな感じだ。明晰な頭脳で全てを予測できるから、彼女はいつでも余裕綽々で、そのせいで本心が見えなくて、観ていてミステリアスと思う時もあれば怖いと思う時もあった。
自分が理解できないものは怖い、それって当たり前だけれど、いま目の前にいる司はどうだろう。司ってこんな感じだよねって私にも予想できて、司のような仕草をしているけれど本心が見えない怖さがない。だから、この司は本物じゃない。私が思いつく程度に演じている誰かだ。
「わたしが誰かって? 実にいいねぇ。『わたしはBCIMです』なんて言っても騙されないぐらいには確信があるんだろうね――では、玲奈がゲームに勝てばこうしようか」
司はアニメと同じように悪戯っぽく笑うと、指を一本ずつ立てながら続けた。
「1つ、私が誰なのかを教えよう。2つ、勝者を本来いるべき世界に戻そう。まぁ、この2つで充分なんだが一応これも触れておこう。3つ、あけぼのを自由にしよう」
「分かった。それで、私がゲームに負けたらあなたは私たちをどうしたいの?」
「どうしたいだって!?」
彼女が口元をつり上げると一陣の風が彼女の髪をなびかせた。
「どうもしないよ。君たち3人でゲームが解けるまで続けてもらう。解くまで終わらない、それだけだよ」
「つまり、ここでずっとゲームをしてろってこと?」
「解けばいいじゃないか。解けば欲しいものが手に入る。随分と君たちに有利な条件だと思うよ」
そう言って司は不敵な笑みを浮かべる。その自信に満ちた顔が私を不安にさせる。
解けないようなゲームが用意されていて、勝つまで延々とゲームをやらされるのかもしれない。それって地獄に落ちて終わらない拷問を受け続ける罪人と何が違うんだろ。彼女の目的って、この砂漠の世界でずっとゲームをし続けて閉じ込めたいだけなのかもしれない。
「勇者さま」いつの間にか、イムの小さな手が私の手を握っていた。
「イムがいます、デス。アネット様もいます、デス。だから、勇者さまはひとりじゃない、デス」
「ほんと、レナはヘンなとこで悩みすぎなんだよ。あたしたちがいんだろ。ひとりじゃ無理でも3人ならどーにかなるかもって、もっとお気楽に考えよーぜ」
イムを支えながらアネットが流し目でウインクする。こういう時のアネットは本当に格好いい。
そう思っていると、急にイムがピクピクと顔をヒクつかせた。もしかするとマネしてウインクをしたいのかもしれない。
「イムも勇者さまを元気づけるの、デス」
「はは、無理するなって」
朗らかに笑うアネットとイム。私を安心させようとしてくれているのが分かる。それは嬉しいことの筈なのに、素直に喜べない私がいる。それは私の心の中で作ってしまったふたりに対する猜疑心のせいだ。
「自分の中に芽生えた感情を否定するのは自分自身を殺すことになるよ。まずは素直に受けとめる、次にそれが錯覚なのか自分の本心なのかをじっくりと自分に問うていく。これからのゲームで確かめてみればいい。玲奈、自分にとって何が一番大切なのかをね」
そう言って司は口元をつり上げた。その瞬間、私の脳内の記憶のひとつが弾けた。
彼女の台詞、聞き覚えがある。「トリックスターの遊戯」のラストバトルで、司が敵組織のボスに言われた台詞。
最後のゲームで司はあけぼのを助けるために助手の少年と少年の彼女の3人でゲームをする――そっか、だんだん分かってきたような、思い出してきたような気がする。その時の、最後のデスゲームはそう、
「さあ、『砂漠の旅人ゲーム』を始めようじゃないか」
司はにんまりと笑った。
ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。
春夏秋冬司の砂漠の旅人ゲームで玲奈はいったいなにを試されるのか。
次回は9月30日(土)の夜の予定です。
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