第32話 正義の天秤ゲーム・その6 「意味のない事を理解した上でそれをする生き物、それが人間!」
まるで地震でも起こったかのように礼拝堂が揺れた。私は立っていることが出来ずに身をかがめて周囲を見回す。
天井近くのステンドグラスが割れ、天井画の一部が剥がれ、崩れる音が反響して身体にぶつかってくる。天秤が大きく左に傾くのが見えるけれどアネットやイムは? 駄目だ、私の所からじゃ見えない。
崩壊する音とは別に空気の波が前からやってくる。目をかばいながら前方を見るとカール王太子が倒れているのが分かる。更にその上空に浮いているソフィーに視線を動かす。感じる、この波は彼女から来てる。
祭壇の上に浮かぶ彼女は、大きく口を開いて全てを揺るがす悲鳴を発していた。垂れ下がった手足に真っ白な顔、落ちくぼんだ目は黒い闇になっている。
徐々に揺れが収まりつつある中、私はようやくカール王太子の所へ近づく事が出来た。
「大丈夫?」
「――ソフィー、魔女にたぶらかされた私を見て激怒したのだね」
私を払いのけ、ふらふらと立ち上がったカール王太子は空中のソフィーを見上げる。彼女から発せられた波動は完全に止まった。
「弱い私を赦して欲しい。魔女の口車に一瞬でも心動かした私に失望したのだね。これならば初めから君の目の前で魔女を八つ裂きにしておけばよかった」
ふり返った彼がじろりと私を睨む。その目に正気さは感じられない。薄い唇を震わせながら何かを取り出す。鋭い光を放つナイフが彼の手に握られていた。
彼との距離は2歩もない。駄目だ、刺される! そう意識するほど私の身体は固まって動こうとしない。その時――、
「はは。結局は予想どおり……自分よりも弱い所へ原因を押しつけた訳だ」
その声はカール王太子の後ろから聞こえた。人を見下したような憎々しい声。けれども、それが聞こえなくなってからずっと追い求めていた声。
カール王太子も声の方へ向く。高く上がった皿の縁には灰色の小猫、あけぼのの顔があった。
「き、貴様!」
「自分の力不足を棚に上げ……全部他人のせいにしていれば……何度繰り返しても結果は同じだろうに」
「そうだ、貴様だ。何もかも初めから貴様がいたからだ! 貴様さえ邪魔しなければ今度こそうまくいったのだ!」
「……こんな猫にやられた時点で……お前は所詮その程度だったのさ」
弱々しいあけぼのの声。見れば、どこかに打ち付けられたのか全身の毛が酷く乱れてる。顔も少しひしゃげてる。
その彼が身体を震わせながら縁から身を乗り出すと、
「俺が怖いか? 今そこに行ってやる」
その言葉と共に皿から身を投げた。
何やってるの! 私の叫びと同時にカール王太子の身体が素早く動く。カール王太子は私が動くよりも早く落ちてくる灰色の塊を受けとめた。
「こいつのせいだ。こいつが現れてから何もかも狂ってしまった。私は繰り返す刻の監獄の中からソフィーを解放したい、ただそれだけを夢見てきたのだ。それをこんな畜生ごときに邪魔されるとは!」
カール王太子はあけぼのの首を片手で握りながらナイフを近づける。力なくうめく彼の声だけが聞こえる。
「ソフィー復活の生け贄にしてくれる――ゲームなどというまどろっこしいことなど無視して初めからこうすれば良かったのだ」
ナイフの切っ先があけぼのに向く。
何も伝えることなく彼が殺される――そう思った私の脚は考える前に動いていた。一歩目を踏み出し、二歩目で床を蹴り、三歩目でカール王太子を押し倒すと、四歩目で彼に馬乗りになっていた。
このままあけぼのに何も言えないまま終わるなんて嫌だ――そう考えた時には、私はカール王太子の右手を床に押しつけていた。
「最後まで邪魔をするか、穢らわしき魔女が!」
「そうじゃない! 直接、手にかけちゃいけないんでしょ!」
私の言葉にカール王太子の動きが止まる。
そうなんだ、カール王太子はその気になればデスゲーム以外の時にも私たちに手を下せるチャンスはあったんだ。けれどもゲーム以外でそれをしなかった。それどころか、ゲームが終わればきちんと部屋を用意してくれてお客さまとして扱ってくれた。
私たちが憎ければすぐに殺せばよかったんだ。それをしなかったのは、
「カール王太子、あなた、言ったよね? ゲームのルールには自分も従うって。そうしないと自分の願いが叶わないって。それって、ゲームの中で私たちを殺さないと〝魔女〟の呪いが解けないってことじゃないの?」
カール王太子の顔色が明らかに変わる。組み敷かれた彼は血の気が引いた顔で私を見上げる。やっぱりそうなんだ。
「最後のゲームに敗れ、まんまとお前の甘言に乗せられ、結果、最愛の人に愛想を尽かされた。もはや直に手をかけ、お前たちを道連れにすることしか思いつかん」
唇を震わせながらそう呟くカール王太子の目から涙が流れる。私は悟られないように彼の右手の先を見る。ナイフは遠くに転がっていた。左手に目を移すとまだ灰色の小猫の首を掴んだままだった。
「だったら一緒に考えてみよ。ひとりでなんでもしようとしなくていいんだから」
人は追い詰められるとそのことだけしか見えなくなってしまって視野が狭くなる。本当はもっといろんな方法があるのにそれに気づかなくなる。けれども、その時に側に他の人がいれば「あそこにはこんなことがあるよ」と教えてあげられる。私もそうだった、教えてくれたのは後からできた兄だった。
「他に方法があるかもしれない。それをみんなで見つけようよ」
私の言葉に、泣いていたカール王太子は小さく首を振る。
分かってくれた、私が腰を浮かしかけた瞬間、
「これ以上この私を慰み者にするな!」
カール王太子の膝と腕が私を払いのける。床に倒れた私に構うことなく、カール王太子は立ち上がると両手であけぼのの首を吊し上げる。目を閉じたままのあけぼのは動かない。
「やめてっ!」
「見ていろ、すぐに終わらせてやる」
「そんな事したって何にもならないのは分かってるでしょ!」
「愚かなり、魔女よ。意味のない事を理解した上でそれをする生き物、それが人間!」
私の目の前でカール王太子が両腕に力を込める。首の肉が上に持ち上がりあけぼのの顔が膨れる。
私にはカール王太子の気持ちが理解できない、納得もできない、あけぼのにすることを赦すこともできない。意地? プライド? そんなことに巻き込まないで!
這いつくばって足を掴んだ私の顔をカール王子が容赦なく蹴った。こんなのあけぼのの悪口に比べたら痛くもなんともない。薄目で見上げれば、カール王太子は狂気に満ちた笑みを浮かべている。その下にはあけぼのがいるのに届かない。悔しい、ようやくあと少しで彼に届くのに。
刹那、赤く染まった視界の端に現れた人影がカール王太子の頭を掴んだ。
「…………!!」
カール王太子の足が止まる。その人影に頭を抑えられたカール王太子は大きく痙攣すると立ったまま動かなくなった。
もう一度その人影を見る。白い顔と落ちくぼんだ目がゆっくりと私に向けられた――質素なワンピースを着た人影はさっきまで宙に浮いていたソフィーだった。
「禁則行動ヲ確認。該当ノ個別人格ノ演算行動ノ異常値ヲ確認」
抑揚のない、機械の合成音のような声がソフィーから流れ出る。私を見ているけれど、私に言ってるんじゃない。
上体を起こして様子を窺う私のことなど気にする様子もなく、ソフィーはカール王太子を掴んだまま合成音を流し続けた。
「当該個別人格ヲ隔離。患者ノ安全確保ノ為、当該治療環境世界ヲ固定シマス」
その合成音が合図であるかのように、突然、私の視界が幾つもの四角いブロックに分かれた。
礼拝堂の壁、天井、参列席、床、天秤、そしてカール王太子も、ブロックの直線で分断され、その四角いブロックの中でそれぞれがデジタル処理のようにドット化されていく。それはまるでゲーム画面を見ているようで、だんだんとモザイクがかかっていくように荒くなっていく。
この空間ではっきりと映るのは、私とソフィーとあけぼのだけ。そう、あけぼのはいつの間にかソフィーに抱かれていた。
「覚醒支援者ヲ保護。治療環境世界診断ヲ起動シマス」
モザイクがかった空間が反転し、世界が緑一色に染まろうとする。
あけぼのをどこに連れて行くの――空間の圧力に自由を奪われ、私の叫びは声にならなかった。
ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。
正義の天秤ゲームはこれにて終了となります。
急展開に次ぐ急展開、次回は状況整理の話となります。
そしてそれが終わるとさらなる真相へと進みます。
次回は9月2日(土)の夜の予定です。
楽しみにお待ちいただければ幸いです。
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