表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/24

エルザ・カレンデュラの追放


 皇国側は護衛官が退出し、部屋にはマストリーク様とシシル様だけが残った。

 それは最後の語らいを邪魔しないための彼らなりの配慮なのだろう。


 父は家族から少し離れた場所で椅子に座り、義兄によって椅子に座らせられた姉を中心としてエルザと妹二人が床へ直接腰をおろす。公の場ではだらしないとされるこの体勢も、家族団欒の場であれば許された。年末の休暇に、こうやって四人が寄り添って内緒話を繰り広げていると、よく義兄や妹の婚約者達から何を()()()()しているのかと、からかわれたのを思い出す。四姉妹の悪だくみも、これが最後かと思うと感慨深いものがあった。


「お話はブレンダお姉さまから聞きました。ですが、どうしても納得いきません! どうして公爵家のために、この国のためにと尽くしたお姉さまが出ていかねばならないのですか?」


 開口一番、クレアが叫んだ。もはや涙は隠せなくて、ぐずぐずと鼻を啜っている。エルザはクレアの右手を握りながらどう説明するかと思案した。どうして、どうして――――。たぶんその答えをこの場にいる誰も持ってはいなかった。


「私は知っています、エルザお姉さまが私達の盾であろうとなさったことを。お母さまが亡くなられたときも、一番に立ち上がって皆に寄り添い励ましてくれた。そんな強く優しいエルザお姉さまに憧れて私はお勉強も礼儀作法もがんばりましたのよ!」


 クレアは身を震わせて声を絞り出した。


「私が悪役令嬢に憧れたのは、いつかお姉さまのようになりたかったからです」


 同意するように、燃えるような瞳をしたブレンダが強く私の左手を握った。ああそうかとエルザは今更ながら気づかされる。クレアは全て知っていたのか。知っていて、私達のために知らない振りをした。

 そしてシェリーお姉様にとっては呪縛だった悪役令嬢という言葉だけれど、二人にとってはむしろお守りだったのだ。それなら私が悪役令嬢と呼ばれた過去も決して悪いものではなかったかと、エルザはクレアとブレンダの手を握り返す。


「クレア、それからブレンダ。物語はいつか終わるものです。皆が幸せとなるために悪役は退場せねばなりません」

「……ッ、お姉さま!」

「ですがこれから新しい物語が始まります。だから悲しまないで、ね?」


 悪役令嬢と呼ばれたエルザだったが、物語のように命が脅かされることはなかった。生きていること、それだけは作者(神様)に感謝してもいい――――。微笑みを浮かべてエルザはクレアと視線を合わせた。お守りを失ったこの子は、もう悪役令嬢ではいられない。


「あなたの愛する悪役令嬢は、悪役であると同時に規範となるべき高位貴族の娘でもあるのです。あなたも優しく誇り高い公爵令嬢におなりなさいね」


 他国まで評判の轟くような、素晴らしい女性となるように。それは亡くなった母の願いでもあり、今は私の願いになった。クレアは聡い子だ、大事なことはちゃんと理解している。涙に濡れた目元を拭って、深く息を吸って……彼女は天使のような微笑みを浮かべた。

 

「はい、立派な淑女となってみせます」

「それでいいわ、楽しみにしているわね!」


 今は落ち込んでいても、婚約者であるセオドア様がそばにいるもの。クレアは、すぐに立ち上がるだろう。そして悪役令嬢ですら慈しんでくれたセオドア様なら、淑女となるために努力するこの子を深く愛し導いてくれるに違いない。


 それにしても、どうして私以外の姉妹はこんなにも婚約者から溺愛されているのかしら……。納得がいかないエルザは天を仰いだ。ちょっと神様、命は救っていただいたようですがいくらなんでも贔屓が過ぎましてよ! 恨めしそうに虚空を見つめるエルザに代わってシェリーがクレアの頭をなでた。


「クレア、あなたの愛した悪役令嬢には他国に渡って幸せになったというお話もあったでしょう? 私は……今でも私のことを悪役令嬢と揶揄した人達のことが許せませんが、それでもこうして幸せになっています。今度は、エルザが幸せになる番です。だから応援してあげましょう?」


 シェリーお姉様の肩をマックスお兄様が抱き寄せた。幸せで光り輝いているような今のお姉様を、自分よりも下に見るような愚か者はいないでしょうね!


「さすが元悪役令嬢ですわね! シェリーお姉様はいいことを言いますわ!」

「ふふ、そうですとも。雑魚との格の違いを見せつけてやるのですわ! 誰よりも幸せになって、自ら不幸に片足を突っ込んだような可哀想な方々を上から見下してやるのです」


 おほほほほほ! 

 シェリーお姉様の黒さを滲ませた笑い声が響く。どうしてだろう、一番優しいのにシェリーお姉様が最も悪役令嬢のイメージに近いのよね。それからマックスお義兄様、妙に鼻息が荒いですが大丈夫ですか? 女王様みたいなシェリーお姉様に踏まれたいのですか? ときめいているのはいいですが、血圧まで上がりますわよ?

 

「……いっそのこと、ラングレア王国を滅ぼそうかしら?」


 半分目の据わったブレンダが物騒な言葉を吐いた。どうしてこの子は台詞が悪役仕様なのだろう……。正直なところ気持ちはわかるし、時の運さえ味方につければできることもわかっている。でもそれは王国にとっても、またブレンダにとって幸せな未来ではない。


「あのね、ブレンダ。悪は人がいるからこそ栄えるのよ。国があるから蔓延るの。滅ぼすことは容易でしょうけれど、残った世界はあなたの求めるものではないわ」

「っとそうでしたわね、浅慮でした」

「ですから甚振りつつ、滅ぼさない程度におやりなさい」

「さすがエルザ姉様、悪のお手本のような答えです!」


 ブレンダと視線を合わせて、にこやかに微笑む。うん、この子はこれで大丈夫。


「いや、ダメだろう! 悪を勧めてどうするんだ!?」

「淑女の会話を立ち聞きなんてはしたないですわよ、マックスお義兄様。ブレンダの毒牙は善良で真っ当に生きている人達には牙を剥きませんからバレなければいいのです。それよりも、たった一人しかいない悪役ごときに翻弄される正義の味方のほうが不甲斐ないとは思いませんか?」

「うっ、それはそうなのだが……」

「ああ、そういえばマックスお義兄様にお礼を申し上げたいことがあるのです」


 私はポンと手を叩いて、シェリーお姉様とマックスお義兄にだけ聞こえる声で囁いた。近くにはマストリーク様もいるけれど、聞こえないふりをしてくれている。マックスお義兄様は、困惑したような表情で首をかしげた。

 

「お礼といったって……エルザの手伝いをしたつもりはないが?」

「私の申請書の件ですわ。お義兄様ほどの知識と経験があれば、可を不可に変えることくらい容易だったはずです。今後、ご自身の評価に不利に働くかもしれないことを承知で見逃してくださり、ありがとうございます」


 正直なところ、一番警戒していたのはお義兄様だった。きっと彼の頭の中では、現在進行形で私の申請書を無効とするさまざまな手法が浮かんでいるだろう。

 底辺に近い子爵位から法務部の長にまで上り詰めるというのは、普通よりはるかに優秀だからこそ成し得た偉業でもある。だけどマックスお義兄様は、父を諦めさせるために気づかなかったふりをした。自分を妬む誰かが今回の一件を持ち出して足を引っ張る可能性があることを承知していながら……。するとマックスお義兄様は苦笑いを浮かべ、エルザの頭をなでた。

 

「買い被りすぎだ、俺にできることは少ない。司法の一端を担いながら、エルザが国を捨てるまで追い詰められたのに何もできなかったじゃないか。()()()()()()()()()()()()()()が、まあ、幸せになってくれればそれでいい」


 シェリーお姉様が微笑み、誇らしげに胸を張った。彼らがいるのなら、これからもカレンデュラ公爵家は愛に満ちた場所となるに違いない。これでまたひとつ、エルザの仕事が終わった。

 エルザは床から立ち上がって、最後の難関である父と向かい合う。父はなんとも言えない複雑な表情をして、不愉快そうに眉根を寄せている。


「私のことを恨んでいるだろう」

「そうですわね、最後まで私を守ってくださいませんでしたから」


 王家は父が私を守らないと知っていた。だから私を使い回しても、蔑ろにしても許されると思ったのだ。それは侯爵家も同様で、私に国を捨てる決意をさせたのは父だ。だから、間違いなく私は父を恨んでいる。

 

「ただ、憎んではいないのですよ」

「……は、なんだと? 今、恨んでいると言ったではないか」


 目を見開いて固まった父に、エルザは首をかしげた。そんなに意外かしら? それとも本気で私に人の心がないと、この人は思いこんでいたのか。


「憎んでいるのなら早々に見限っておりますわよ。宰相の地位とカレンデュラ家当主から、あなたを蹴落とす手はいくらでもありました。後継もマックスお義兄様とシェリーお姉様がすでにいますもの、問題なしです」


 冷ややかな眼差しでエルザは言い切った。王子妃でもないのに、王子の仕事を肩代わりしてきたのだ。情報も、そして手段だって持ち合わせている。それを与えたのは他ならぬ、この父だ。娘だからって甘く見ないで欲しい。


「とはいえ、愛はなくとも衣食住には不自由ありませんでしたし、教育も十分に施していただきました。悪役令嬢と呼ばれ、婚約破棄されようとも、放逐して見捨てるようなことはなさらなかった。だから恨みはしても、憎むまでは……。それにお母様とも約束しましたのよ」

「ケイトリンと?」

「血を分けた家族なのだから、せめて憎まないであげてと」


 ケイトリン・カレンデュラ。元気だったころの母は子供のように無邪気で闊達な人だった。エルザとは真逆の性格の人で、この父の最愛。父の腕の中で、守られるように生きてきたような人だ。エルザは侯爵家の領地で家事をしたことにより荒れてしまった己が手を見つめる。常に美しくありたいと美容にこだわっていた母に、この手を見せなかったことが唯一の親孝行だったかと思う。

 一度目の婚約破棄のあと、病で細くなった母の手がエルザの手を握り、涙を浮かべながら言い置いた。恨んでもいい、でも憎まないでと。今にも命が尽きようとする母の願いをエルザはなかったことにできなかったのだ。初めて語られた母と娘の約束に、家族はさまざまな表情を浮かべた。


「せめてレオニス侯爵子息との婚約が破棄された時点で、私を自由にしていただけたら、ここまでのことはしませんでしたわ。ですが、王弟殿下はいけません。あなたにとって私はそこまで価値のない人間ですか?」

「……」

「これ以上、お父様を憎むなというのは無理です。悪役令嬢にだって心はあるのですから。そして母の願いを守るためにも、この国を捨てさせていただきます」


 父は完全に沈黙した。昔は大きな人だと思っていたのにな……。父は心だけでなく体もずいぶんと小さくなってしまった、今はそれが残念でならない。父は呆然とした表情で呟いた。


「ケイトリンだけでなく、おまえも私を置いて行くのか?」

「お父様から離れるという意味ではそうですわね。あなたの用意した未来で私は幸せになれません」

「っ、そんなことは……。苦労はあるかもしれないが、何不自由なく暮らせるではないか!」

「ねえ、お父様。もしお父様が第二王子殿下から婚約破棄されたときに、かの方の責任を追求して私の名誉を守ってくださっていたら。レオニス侯爵子息のときも私の苦境に気がついて横暴から守ってくださっていたら。王弟殿下との婚約に反対してくださって、それでも力及ばず履行を迫られていたとしたら……。無理やり王命などで縛らずとも、私は王弟殿下に嫁いでいたでしょう」


 誰もが呼吸を忘れ、息を呑んだ。


 不幸になることも承知で、それでも父のために。姉夫婦のために、生まれたばかりの姉夫婦の子のために。そしてこれから幸せになるだろう妹達のためにも。父の苦悩に愛があったのなら、求められるがまま家族への愛に殉じただろう。それほどにエルザは愛に飢えていた。家族以外の他人が自分を愛することはないのだと思い知らされるには、二度の婚約破棄で十分だった。


「ですがこうなると、もう無理ですわね。きっと私は結婚そのものに向いていないようです」

「そんなことはありません!」

 

 姉と、妹二人の否定する声がきれいにそろって聞こえた。そして背後に立つシシルと、そして微妙に聞き取り辛いけれどレナルド様の声が混じっているような気がしてエルザは目を丸くする。


「この国の男の見る目がないのです! 美しく優しい姉様のどこが不満だというのでしょう!」

「ふふ、そうだといいけれど」


 ブレンダの歯切れのよい啖呵に、エルザは微笑んだ。


「でも、これからは不自由と思うことはあっても義務に縛られることはない。それだけで幸せだわ」


 最後まで認めてもらえなかったけれど、私はできる限り父を尊重してきたつもりだ。

 でももう、そばにはいられない。私は父と視線を合わせ、深々と礼の姿勢をとった。

 

「お世話になりました。どうぞお元気で」


 言葉にすると同時に、柱時計が鐘を鳴らす。

 告知からちょうど一刻が過ぎ、別れのときがきた。


「荷物はどうされますか? これからまとめるようならシシルがお手伝いいたしますが?」

「不要です。必要な荷物は旅行鞄にまとめてあります。公爵家で買ったものは全て残していきますわ」

「あなたの思い切りの良さには賞賛するものがありますね」


 懐中時計を確認したマストリーク様が、にこやかに微笑んで手を差し出した。この部屋へ来たときと同様、エスコートするために伸ばされた手にエルザは自分の手を重ねる。すると彼は私の手を優しく引き寄せて、指先に口づけを落とした。


「なっ、なにを……!」

「ご挨拶です。本当はお会いしたときにこうしたかった」


 突然の仕打ちに真っ赤になった私の手を握って彼は耳元で囁いた。私の隣でキャアという歓声が湧き、視線の先には瞳を輝かせた姉と妹二人がいた。ちょっとクレア、あなたにはまだ六年早いわよ! 

 その横ではシシル様が手を伸ばして、侍女長は彼女の手に私の旅行カバンを渡そうとしていた。それをエルザはあわてて止める。


「その鞄は私が持ちます」

「いいのですよ、荷物くらい私に任せてくれても?」

「いいえ、平民ですもの。荷物くらい自分で持ちたいのです!」


 シシル様は笑って、侍女長があいている私の手に旅行カバンを渡す。涙ぐんだ執事長が頭を垂れた。


「エルザ様、どうかお幸せに。使用人一同を代表いたしまして、私からご挨拶させていただきます」

「私の部屋の机の上にお菓子を置いてきたわ。お世話になったお礼よ、みんなでわけてね!」

「いつもいつも、ご自身よりも私達を……どうか、これからはご自身を労ってくださいませ」

「あなた達もね、長生きしてちょうだい!」


 もう会えないだろうから、笑顔でお別れしようと決めていた。悪役令嬢が国外追放になる場面では殺伐として湿っぽくなるけれど、そうならなくてよかったと心から思う。馬車に乗り込むまえに、すっと息を吸った。

 

 エルザ・カレンデュラは、ここでおしまい――――。

 カレンデュラ家の人々の前でエルザは地面に膝をつき、首を垂れた。


「カレンデュラ家の皆様。最後に一言だけ発言をお許しください」

「許そう」


 もう呼ぶことはできないが義兄――――マックス・カレンデュラ様が鷹揚にうなずいた。


「カレンデュラ公爵家の皆様の幸せを心よりお祈り申し上げております」


 そして今一度深く腰を折って、公爵家の人々の気配が消えるのを待った。これが身分差というもので、私が真っ先に学ぶべきものだ。立ち去る気配がして、気配が絶えて……エルザはようやく顔を上げる。


「申し訳ありません、最後まで付き合わせてしまいました」

「かまわないよ、それで君が納得するのなら。では、行こうか」


 マストリーク様に手を取られて馬車に乗り込む。

 馬のいななきと共に、ガラガラと音を立てて馬車は動き出した。


お楽しみいただけるとうれしいです!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 義兄さん凄いな、こんな足手纏いもとい足枷つけて仕事してんだ。 能無しパパは早く義兄さんに爵位譲った方が良い。ちょうど家に罰が必要らしいし
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ