番外 シェリー・カレンデュラの最後の審判
断罪の場に居心地の悪い空気が漂う。
それでもカルロスから反論の声はあがらない。つまり、これでカルロスの叫んだシェリーの罪は冤罪であることが確定したのだ。同時に、シェリー・カレンデュラの名誉も守られたことになる。ほっと息を吐いた姉に柔らかく微笑んでから、エルザは深く膝を折って視線を下げると、安堵の表情を浮かべる二人の女性達に謝罪の姿勢をとった。
「マリアンヌ様、ユリシーネ様。無関係なお二人を巻き込んでしまったことを、この場で深く謝罪いたします」
「謝罪は受け取りますわ。ですが、この件はキルギリアに報告せねばなりません。ご理解いただけますね?」
「もちろんです」
報告対象には、当然シェリーの婚約者であるカルロスとグリフィン侯爵家も含まれる。カルロスの顔色が一気に青から白へと変わった。そして険しい視線をシェリーに向ける。
「どうして教えてくれなかった!」
「家族でもない第三者に身を守る術があることをどうして教える必要があるのですか? それこそ危機管理がなっていないとラングレア王国の信用と評価を落とすことになるでしょう」
淡々としたシェリーの反論にカルロスは言葉に詰まった。
「うかつにもグリフィン侯爵子息が目立つことをしなければ報告書に名前が載ることもなかったのです」
全くもってそのとおりだった。何もせずにおとなしくしていればよかっただけなのだと、エルザは扇の内側でひっそりと唇を歪める。護衛官のことだって、別に婚約者になら教えても良かったの。ただシェリーお姉様は軽率なところのあるこの男を今ひとつ信用できないと判断していたのだろう。ならばこのまま一気に追い詰めてもいいか。そう判断したエルザは証拠品の一覧を、もう一度眺めた。
「損壊されたという持ち物の商品名を拝見いたしましたが、全て高級品ですわね」
「それがなんだ、私が贈ったものに文句があるというのか⁉︎」
「いいえ、ですがこれではっきりしました。つまりグリフィン侯爵家は彼女の支援者になるということでよろしいのね。そのためにカレンデュラ家との婚約を解消したいと」
場に沈黙が落ちた。男性が女性に経済的な支援をするということは、そういうことだろう。
「委細、承知しました。のちほどカレンデュラ家の当主にはそう申し添えいたしますわ。ちなみに証言と証拠に対する当方の反論と反証はすでに当主の手に渡っております。父は娘達には厳しい人ですが、家名を傷つけられて黙っているようなお人好しではありません」
「……」
「グリフィン侯爵家当主ご夫妻が婚約を解消するため、当家へ向かわれていることは家令より聞き及んでおります。でしたら小説のように運命の恋人であるイザベル嬢をお連れになって、その切なる想いを伝えてみてはいかがでしょうか? 愛妻家で有名な父ですから、きっとお二人の運命で結ばれた恋を理解してもらえると思います」
理解の先に幸せがあるかはわからないけれど。
まるで物語の終幕を飾るように、イザベルの瞳から涙がこぼれ落ちた。
エルザは警備担当者に視線で合図を送る。宴席から連れ出そうとする彼らに反発するカルロスは焦りを浮かべた顔でシェリーを振り向いた。
「違うんだ、シェリー! この女にそそのかされただけで私は悪くないんだ!」
するとイザベルは愛らしいと評される顔立ちを歪ませて叫んだ。
「何言っているのよ、あんたが誘ってきたんでしょう! この女が悪役令嬢と呼ばれている今がチャンスだと。この女が悪いことにすれば侯爵家は賠償金が手に入るし、貸しを作っておけば婿入りした後でカレンデュラ公爵家を好き勝手にできるからって。そうすれば悪役令嬢をお飾りの妻にして、私を愛妾にできるって言ったじゃない!」
「バカ、そんなことは言っていない!」
「言ったじゃないの!」
人々は、ポカンとした顔で罪をなすりつけ合う二人の背中を見送った。これが運命で結ばれた恋だと?
「どこがか弱いのだか……」
「人は見たいものしか見ない生き物ですもの。姉を見た目だけで悪役令嬢だと決めつけているのですから、それらしいあの方の見た目に騙されるのも仕方ないことでしょう」
さらりと周囲の呟きを皮肉ったエルザはドレスの裾をひるがえした。
優美な仕草で人々の視線をさらい、深々と膝を取って壇上に首を垂れた。感謝の意を表す最上位の礼、その向かう先にいるのはどこか面白くなさそうな顔をした第二王子殿下だった。
それもそうだろう。来賓として華々しく登場したのに、そこでは予定にない断罪劇とやらが繰り広げられているのだ。そのせいで自分は放置されたままなのだから、面白く思わないのは当然だった。
巻き込まれた側であるシェリーに罪はないが、彼の表情からここはエルザに倣うべきだと判断して同じように最上位の礼をとる。それを確認してからエルザは頭を下げたまま、凛と響く声で口上を述べた。
「第二王子殿下のご威光をお借りして、無事に家族の冤罪を晴らすことができました。深く御礼を申し上げます。そして慈悲深き王家と第二王子殿下にカレンデュラ家はこれからも忠誠を捧げましょう」
「うむ、それは良きことだ。カレンデュラ家の献身に免じて、この場での不敬は許そう」
先ほどまで自分よりも目立っていた婚約者が、今は自分を褒め称え、最上位の礼をもって感謝の意を表したのだ。自分にだけはどこまでも控えめなエルザの姿勢に満足したらしい第二王子殿下は機嫌を直したようで鷹揚にうなずいた。なんとか丸くおさまりそうで周囲には安堵したような空気が流れる。するとシェリーの隣でエルザがひっそりと息を吐いた。
なかなか癖のある方なのね、これからのエルザは大変かも。
悪い予感は二年後に的中するのだが、このときのシェリーはエルザの未来に自分と同じ悪役令嬢と呼ばれる未来が待ち受けているなど思いもしなかった。まさに王子妃候補としてふさわしい器量と貫禄を見せつけた彼女を人々は口々に称賛する。
それなのに、私はだめね。結局最後までエルザに手をかけさせてしまった。そう思うとシェリーは居た堪れない気持ちになる。私が家を継ぐのだ、このくらいは自分で処理できるようにもっとしっかりしないと。気ばかり焦るシェリーの隣で、エルザは一際華やいだ声を上げた。
「さあ皆が心待ちにしております。第二王子殿下、開会のお言葉を!」
気がつけば卒業生の手にグラスは行き渡り、誰もが期待に胸を弾ませて壇上を見上げた。美しいと評判の顔立ちに満足げな微笑みを浮かべて、第二王子殿下がグラスを掲げる。
「おめでとう、諸君! 存分に楽しんでいってくれ!」
先ほどまでの堅苦しい空気が嘘のように、そこかしこで賑やかに杯を交わす音がした。尽きないおしゃべりと、笑い声。湯気を立てたおいしい料理がテーブルを満たし、第二王子殿下の合図に楽団が優雅な音楽を奏でる。
「さて、行かなくちゃ」
「ごめんね、エルザ。それからありがとう」
「いいのよ、後始末はしておくから心配しないで」
ああやっぱり、エルザは軽やかに私を越えていく。姉なのに頼られることもなく私は助けてもらってばかりだ。エルザの後ろ姿を見ながらシェリーは呟いた。
「……私、あの子に追いつけるのかしら?」
「その考え方は、少し違うかもしれませんね」
ただ一人、熱に浮かされていない声がして、そっと顔をあげると見守るような優しい眼差しと視線が合った。
「追いつく必要はないと思いますよ。あなたは、あなた自身にしかなれない」
「そう、そうですわね」
「誰かになるのではなく、あなたの信じる道を真っ直ぐに進んでいけばいいのです。断罪の場で一人立ち向かう勇気のあるあなたならば、それができると確信しています」
エルザにはエルザの道があって、私には私の進むべき道がある。
シェリーは小さく笑った。そうか、それなら焦らなくてもいいのね。
「マックス・カーター様、助言をありがとうございます」
「もし良ければ名前で呼んでください。堅苦しい呼び方には慣れないのです」
「では私も名前で呼んでいただけませんか? それから私の友人になってください」
「ですが私は身分の低い子爵家の人間です」
「身分は関係ありません。この雰囲気に飲まれることなく手を差し伸べてくださった方は信頼に値します」
「光栄です」
二人は笑顔でグラスを掲げた。
「シェリー嬢、卒業おめでとうございます」
「マックス様もおめでとうございます。これからのご活躍を楽しみにしておりますわ」
流れる音楽がワルツに変わって、掲げたグラスの泡がにぎやかに弾けた。
――――
「……ずいぶんと懐かしい夢を見たわね」
ぼんやりと天井に焦点を合わせて、シェリーはゆっくりと目を開ける。どうやら子守唄を歌って寝かしつけている間に自分が先に寝てしまったようだ。
「おはよう、シェリー。よく寝ていたね」
少し離れた場所で、マックスが書類に目を通しながらゆりかごを揺らしていた。籠の中からは規則正しい寝息が聞こえる。
「おかえりなさい、出迎えできなくてごめんなさいね」
「気にしていないよ、たぶんいろいろあって疲れているんだろう」
たしかにいろいろあったわね。エルザが国から出て行き、父親は引退して、マックスが当主を継いだ。シェリーも育児の合間に家内を差配しながら公爵夫人として社交にも出かけるようになった。失ったものもたくさんあったけれど日々充実していて幸せだ。
「そういえば、とても懐かしい夢を見たの」
「どんな夢?」
「私が送別会で婚約を解消されたときのことよ」
するとマックスは一瞬言葉を失って、深く息を吐いた。
「エルザのことで記憶が揺さぶられたのかな?」
「たぶんそうね。でも悪いものではなかったのよ。エルザと一緒にあなたが私を守ってくれた」
「ああ、あのときか」
するとマックスも当時を思い出したようで小さく笑った。
「実はあのあとエルザに呼び出されてな。シェリーの件を上手く後始末ができたら、義父に婚約者として認めるよう後押ししてあげると言われた」
「えっ、そうだったの⁉︎」
「そのぐらい余裕でできなければ、公爵家の当主も君の夫も務まらないと言われたらやるしかないだろう」
「エルザったら、てっきりあの子が後始末してくれたものだと思っていたのに」
「だが自分の名前は出さずに俺の実績として伝えてくれたから義父も無視できなかったんだ。それがきっかけで君の婚約者となることを承諾してくれたところもあるからね。まあ、一種のテストだ。結果的には婚約者となれたし俺はそれでよかったと思っているよ」
『おほほほほほ、マックス・カーター様がシェリーお姉様を好きだと丸わかりでしてよ?』
『ならば、やるべきことはわかっておられますわよね?』
そしてからかうようにニヤリと笑ったのだ。クレアが言うには悪役令嬢はなんでもお見通し、らしい。それじゃあ凡人では勝てないわけだよな。
「そういえばあの一件が片付いた後、カルロス様は除籍されたそうですわね。同じ平民となってイザベル様と身分差はなくなったわけですから、物語のように二人は真実の愛を貫かれて、今もきっと幸せに暮らしているのでしょう」
現実には家の罪を全て負わされたようなものだからな、どうだか。何気なくつぶやいたシェリーの言葉に、マックスは無言のままあいまいな笑みを浮かべた。
シェリーに甘いマックスだが、この件に限れば多くを語らないようにしている。エルザの許可を得て公爵家の権力を存分に使った彼は後始末に一切手心を加えていなかった。カレンデュラ家を侮る人間には容赦しないこと、それがエルザの出した条件だったからだ。
『賢明な家の当主なら、この意味がわかるでしょう』
今思い出しても身が震える。きっと物語に登場する悪役はこんな表情をしているに違いない。
イザベルの言ったとおり、グリフィン侯爵家はシェリーのことでカレンデュラ公爵家の弱みを握ったつもりだったらしい。婚約破棄をちらつかせれば、どうしても婿の欲しい立場にある公爵家は折れるしかないだろうと甘く見た。こちらが優位の状況で婚約を結び直せば権力でも資産でも思いどおりにできるだろうし、ついでに愛妾としてイザベルを受け入れることも可能だろうと。
だが実際蓋を開けてみればシェリーの瑕疵というのはカルロスの思い込みに過ぎなかった。エルザの用意した反証と反論で武装したベンジャミンに素手で挑んだようなものだからエルザの予想どおりに手ひどく返り討ちにあったそうだ。結果、婚約破棄と名誉毀損で賠償が発生し、侯爵家は資産をずいぶんと減らしたらしい。その怒りがカルロスにそのまま向いたのだから、手切れ金もわずかで着の身着のまま追い出された。彼の姿はうらぶれた一軒家でイザベルと口論しているところを目撃されたのが最後で途絶えている。
「今思うと、この国が傾いたきっかけは悪役令嬢だったのかもしれないな」
終わりのはじまりは悪役令嬢と共に。恋愛小説の登場人物になぞらえてシェリー・カレンデュラを悪役令嬢と呼んだときにはすでに、この国はゆるやかに狂っていたのだろう。
呟くようなマックスの言葉にシェリーは社交の場へ復帰したときのことを思い出した。かつてカレンデュラ家の娘を悪役令嬢と揶揄した娘達は皆結婚しているが、エルザの件が明らかになってずいぶんと肩身の狭い思いをしているらしい。
彼女達の親族なのだろうか、私達が悪役令嬢と呼ばれた過去は不幸な事故のようなものだから早く忘れたほうがいいと諭す人がいたことを思い出した。時は流れてシェリーも公爵夫人となり、母親にもなったのだ。終わったことと割り切って昔の恨みつらみくらい飲み込め、と。
納得できるわけがないでしょう。
家族まで失う羽目になったというのに、そんな綺麗事で納得できるわけがないじゃない。エルザとの思い出は過去にしかないのだから過去を切り捨てるわけにはいかないの。言ったほうは忘れていても言われたほうは一生忘れない。シェリーは聖母のように光を浴びながら、ゆりかごをゆらす。
「私は悪くないわ、そうでしょう?」
じゃあ、一番悪いのは誰かしら。
小説に登場する悪役令嬢さながらの台詞をつぶやいて、うっすらと笑った。
途中まではエルザのお話の前幕となるシェリーの物語です。本編を書き終わって、元祖悪役令嬢と呼ばれていたシェリーのお話は書いておいたほうがいいかなと思い追加しました。優しい人ほど怒らせるとこわいとか、他人が許せというのは残酷ではないのかしらとか、そんなお話です。これで一旦完結とします。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!




