カレンデュラ四姉妹の暗躍
ブレンダ・カレンデュラ、十六歳。
彼女もまた社交界にデビューする前からずっと悪役令嬢と呼ばれていた。その理由は至極簡単だ。姉二人が悪役令嬢と呼ばれていたからである。姉の評価が自分の評価に直結していた彼女は、十代を過ぎたころにはすでに周囲の人間からありもしない悪評をたてられて敬遠されていた。ある意味で一番の被害者は彼女だったかもしれない。普通ならば生活が荒れるか、追いつめられて閉じこもるかしそうなものだが、ブレンダはひと味違った。
「人類滅ぼそうかしら?」
悪役令嬢を通り過ぎて、もはや悪だった。
「ふふ、うちの姉様達に手を出すような愚物は滅するのみ……」
しかも姉達の愛情に包まれて立派なシスコンに育っている。ちなみに彼女は、『本人を知りもせず評価をくだすような愚か者のレベルに合わせてさしあげる必要性などカケラも感じませんわ』ということで、公爵令嬢という高い身分をフル活用し、陰ながら自分を悪役令嬢と呼んでいるご令嬢だけを綺麗さっぱり無視している。上位の人間から話しかけられなくては下位のご令嬢方も話しかけられないということで、表面上はなんの問題もない。……表面上は、だが。
「首尾はどうでしたの?」
「エルザ姉様が放出したレオニス侯爵家の借金の証文は全てしかるべきところに回収を依頼いたしました。近日中には借金で侯爵家そのものの首が回らなくなるでしょう。あとはじわじわと自滅するか、速やかに他者から滅せられるかの二択ですわね。アルセン伯爵家については、したたかで不正の証拠を掴ませなかったのですが、レオニス侯爵家と繋がりがあったことが我々にとっては幸運でした。残された彼らとの手紙のやりとりから尻尾を掴みまして、非公式ルートから不正に関わる情報を司法局に流出させましたので、これまた近日中には査察の手が入りますわ」
査察が入ることが見込みではなく決定事項というところがブレンダのこわいところだ。彼女の視線がマックスを捉える。マックスは深々とため息をついた。
「明日、情報とやらを部下から聞かされる俺の身にもなってみてほしいものだな」
「ふふふ、マックス義兄様は姉様達を裏切りませんもの」
「下手をすれば情報提供元である君やエルザにも捜査の手がおよぶかもしれない。それをわかってやったという理解でいいな?」
「無論ですわ。肉を斬らせて骨を」
「エルザ、どうして肉を斬られないやり方を選べないのかわからん。まあいい、これ以上は何も言わないよ」
「マックス、いつもありがとう」
「ああ、妹達を見守るシェリーの微笑みは聖母のようだな!」
「……マックスお義兄様は溺愛の限度ってものを知るべきよね」
全く痛くも痒くもないが、目の前には二度目の婚約を破棄されたばかりの人間がいるのよ?
若干、呆れた表情を浮かべるエルザの隣に、そそっと近づいてきたブレンダが耳元で囁く。
「アルセン伯爵家とは商圏が被っていたのよ、ルークが感謝していたわ」
「ブレンダの未来の旦那様のお役に立てたのなら、婚約破棄されたかいがあったというものね」
ブレンダの婚約者はルーク・ベルジェット。彼は伯爵位を持つ大きな商会の跡取り息子だ。公爵家の出入りの商人の一人であった父親に連れられて、カレンデュラ家を訪れた際に意気投合してブレンダの婚約者となった。黒目黒髪の異国情緒漂わせる知的な雰囲気の美男子である。
表向き、公爵家が伯爵家の豊富な資金を求め、伯爵家は公爵家の名声と人脈を求めたという立派な政略結婚に見えるけれど実情は全く違った。恋愛感情は別にして、二人はいわゆる類友だ。
二人が出会った日のことを、エルザは忘れもしない。挨拶が終わったあと、時間を持て余した二人は、肩を並べて紙に落書きをしていた。それが非常に楽しそうで、なんだろうと覗き込んだエルザの目が点になる。
テーマにはいかにして世界を掌握するかと書いてあったのだ。若干引いたが、これはある一定の年齢になると発症する病で、将来的には黒歴史になるやつだなと微笑ましく思ったものだが、時折笑い声を挟みながら紙に書き足されていく情報の分析と今後の展望、作戦内容を読み込んで今度は青くなった。
――――やばいわ、本気で天下とれそう。
教育の一環で周辺国の情勢も学んでいたエルザだからこそ気がついた。将来、王子妃となる予定のエルザには危険分子になりそうな二人を引き離すという選択肢もあったが、超狭い特定の分野でとても気が合いそうなのに離すのも可哀想だ。婚約する気があるかと聞けば二人は瞳を輝かせてうなずいた。会話に毒だの武器だの飛び交うが、実害がなければ無視だ無視。そこまで気が合うのなら、しょうがないので二人まとめて面倒見よう。相手の身分が低いと渋る父親に王子妃になった暁には二人が助けになるからと婚約を結ぶようにエルザが頼み込んだのだ。
結果的にはエルザは王子妃になれなかったけれど、悪役同盟は爆誕した。以降二人は順調に仲を深めている。時折、勘違いしたご令嬢が「悪役令嬢に無理やり婚約を結ばされてルーク様がお可哀想」という主張のもと、解放軍を編成してブレンダに突撃しているらしいが、完膚なきまでに叩きのめしているらしい。
『学年首席で公爵令嬢でもあるブレンダよりも自分達がふさわしいなんて、言ってて恥ずかしくないのかな?』
毎度、見せつけるように愛おしいブレンダを膝に乗せたルークが呆れた眼差しでトドメを刺すそうだ。なんてえげつない。むしろやられたほうが哀れだわ。殺る……失礼、やるなら徹底的にが信条の悪役令嬢は、婚約者と手を携えて飴と鞭を使い分けて順調に小さな国家である学園を掌握しつつあるらしい。今回の婚約破棄で、エルザはそんな彼らの情報網と商会の伝手を草木も残らないことを承知で使わせてもらったのだ。
「敵の敵は味方って、先人達の素晴らしい知恵ですわよね!」
ブレンダは頬を赤らめて、うっとりとした表情を浮かべる。なんでかこの子は物騒な駆け引きをしているときが一番幸せそうだ。そしてルークにとってブレンダの幸せそうな表情が一番のご褒美なのだとか。くっ、これっぽっちもうらやましくなんてないからね!
「それにしても納得いきませんわね、どうしてエルザ姉様ばかりが不良物件を押し付けられるのか」
「ブレンダ、それはね親心が元凶なのよ」
シェリーお姉様は憂い顔で、ほうっと息を吐いた。それを見たマックスお義兄様が心配そうな顔で手を握った。う……うらやましくなんてないからね! 大事なことだから二回言うわよ!
「親にすれば自分の子はかわいいものよ。でも将来的に国や家の運営に関わると考えると、子供の能力だけでは不安なこともあるでしょう。そういうときに一番簡単なのは出来のいい嫁を娶って代わりに仕事をさせることなのよ。そうすれば家も領地も子供の将来も安泰、万事丸く収まるでしょう?」
「エルザ姉様は容姿端麗で作法も完璧だし、社交もこなせる。お勉強もできますし、館の差配や領地の書類仕事も余裕でできますからね。そのうえ、王子妃になるために勉強したから国内外の情勢にも詳しいし、近隣国の言語にも堪能……このハイスペックでなぜ婚約破棄を二回もされたのか謎ですわ」
「それが親心の罪なところですわ。親にすれば足りないところを補うためにあてがった婚約者が、子供からすれば自分に足りないものを全て持っているのですもの。知れば知るほど嫉妬と憎しみしか感じないでしょうね。宰相を務められるくらいだから決して頭は悪くないはずなのに、お父様ったらどうしてもそういう機微がおわかりにならないのよ」
「さすがに今回は学んだのではないかしら? 元婚約者が二人共、エルザお姉様よりも格段に能力の劣る令嬢を選んでおりますもの」
誰もが努力すれば、それなりにできることすらできない彼女達は男性を誉めて持ち上げることには長けていた。エルザは出だしから能力を求められていたし、あまりの仕事量に能力の出し惜しみもできず全力で立ち向かうしかなかったから、愛想に振り分ける余力はなかった。その結果、婚約を破棄されたけれど、どうしても自分に非があるとは思えない。悪役令嬢と呼ばれたからって、物語と同じように内面まで劣ると蔑まれるのは心外だった。
そして、そう思うのは自分だけではないらしい。巷では物語の悪役令嬢の評価がずいぶんと向上しているそうだ。再びマックスの背後にある扉がドカンと開いた。
「エルザお姉さま、婚約破棄をされたというのはほんとうでございますか!」
「クレアッ! どうして君達公爵家の令嬢は揃いも揃って扉を静かに開けないのか!」
「おほほほほほ、それはわたくしのまえに立ちはだかる扉がわるいのですわ!」
まるで物語に出てくる悪役令嬢のような台詞を口にしたのはクレア・カレンデュラ、十歳。愛読書の悪役令嬢に憧れるカレンデュラ家の末娘だ。人形とも評される愛らしい容姿に、姉達とよく似た吊り目がちな目元と金の髪。ただ姉達はカレンデュラ家の特徴である紺碧の瞳を持っていたが、クレアの瞳だけは姉妹で唯一、空のような青い瞳をしている。突然変異で色素が薄くなるのはこの国ではよくあることだが家族で唯一の澄んだ青は熱狂的に愛された。それは家族にも、家族以外からもだ。それこそ甘やかされてわがままな正統派悪役令嬢に育ちそうなものだが、幸か不幸か彼女は悪役令嬢のもうひとつの面に強く影響を受けていた。
「彼女達はとても努力家なのです。お勉強もお作法も完璧なのですよ! もちろん豪遊しますし、おしゃれもしますが慈善事業にも熱心なのです! ヒロインも素敵ですが私は悪役令嬢派ですわ!」
時代が変わったというだけで、ずいぶんと評価も変わるものだ。物語に出てくる悪役令嬢も時代と共に進化しているらしい。恋愛小説の悪役令嬢とは、わがままで甘ったれた嫌われ者だったのが、今では個性のひとつとして一定の評価を得ているのだとか。
まだ社交に出る年齢に達していないクレアは姉達が悪役令嬢と呼ばれていた過去を知らなかった。シェリーもだが、エルザも正直なところ複雑な思いを抱えている。私達は、呼ばれたくてそう呼ばれていたわけではないのに。私達がクレアと同じ年代に生まれていたら不当な評価を与えられることはなかったのではないか。かといって、幼い彼女に気遣いを求めるというのもなんだか違う気がする。だからあえて私達は何も言わない。
「今日は慈善事業に行っていたのかしら?」
「そうなのです! 悪役令嬢シリーズの最新刊で教会に嫌がらせで食材を差し入れるシーンがありまして、私はさらに嫌がらせの度合いを上げて食材だけでなく日持ちのする根菜の苗を寄付しましたわ! そしてこういったのです、もっと食べたいのなら苗でも育てなさい、と!」
食材の代わりに苗だと嫌がらせだろうが、食材と苗なんてむしろ手厚いのにね。
わかっていないのだろう、ドヤ顔がかわいい。
「苗だけあっても育て方はわかるのかしら?」
「はい、私も思ったのでそう言いましたら彼がさらなる嫌がらせとして農業専門の業者を手配してくれましたわ……ってエルザお姉さま? かすかに肩が震えているようですが、どうなさいましたの?」
「ダメだってわかっているけれど……できればそのままのクレアでいてちょうだい」
「おほほほほほ、エルザお姉さまは私の嫌がらせに慄いているのですわね!」
皆に悪役令嬢みたいと呼ばれて喜ぶ妹は、実のところ天使だった。世間からの彼女の評判はすこぶるいい。それはきっと強力な演出家が背後についているからだろう。
「今日はセオドア様もご一緒に?」
「はい、テディと一緒にいくつかの教会を回ったのです」
セオドア・リシュリュー。リシュリュー侯爵家の次男で、将来は侯爵家の持っている伯爵位を受け継ぐ予定になっている男の子だ。クレアの二歳上で、ふわふわの茶色い髪と金の瞳をしていて見た目は天使のように可愛らしいけれど、齢十歳にしてあらゆる手を使いクレアを自分の婚約者にしたという猛者だった。しかも悪役令嬢の真似をしたがるクレアを否定することなく上手いこと軌道修正して上位変換させていた。
「悪役令嬢は散財するものです、ですからお小遣いを教会にたんまりと寄付しますわ!」
「でも一箇所だけだと散財したように思われないから、寄付を三箇所に分けたほうが派手じゃない?」
「いいですわね!」
「そうそう悪役令嬢は礼儀作法も完璧なのでしょう? だからシュタイン家のお茶会でメリッサ夫人に認められたらご褒美に散財するというのはどう?」
「ご褒美というのは気が利いていますわ! 褒めてあげましょう!」
「ふふ、おそれいります」
万事、この調子である。単純で素直な質のクレアは手の上を転がされていることに気づいていなかった。だがクレア本人はすこぶる楽しそうだし、ブレンダ達とは別の意味でのクレアとセオドアの相性の良さのようなものを感じて放置していた。それでもエルザは過去に一度、セオドアにクレアが悪役令嬢を卒業したらどうするのかと聞いてみたのだ。すると彼はにっこり笑ってこう答えた。
『そのときは、クレアがなりたい自分になる手伝いをするだけです。だってどんなクレアも可愛いですから』
ちなみに彼は、クレアのことを僕の悪役令嬢と呼んでいる。……勝手にしてよ、もう。
「それにしても納得いきません。どうして婚約破棄された側のお姉さまが怒られるのですか⁉︎」
怒られる? ああ、タヌキに……っと父に謹慎を言い渡されたことを誰かから聞いたのね。
「そうですわ、こうしてのほほんとしている間にも次の婚約者を決めているかもしれません!」
「クレア、いいことに気がつきましたね」
真顔になったブレンダがパチンと指を弾く。すると天井から人が降ってきた。
「王城から速やかに父を捕獲してきて。生死と手段は問わないわ」
「ちょっとブレンダやりすぎ。無傷で生かして連れてきなさい」
「ちっ……手荒くしても傷はつけないで。あとは呼吸さえしていればいいわ」
「御意に」
瞬く間に人の姿が消える。
「な、な、な……」
「ブレンダったら、舌打ちは淑女にふさわしくないわ!」
「ごめんなさい、シェリー姉様。あの迷惑千万なタヌキのドヤ顔が浮かんだらつい」
「ななななななんだ、今のは! 不審者か!?」
「あ、マックス義兄様は今日初めて会ったのですね!」
ブレンダが明日の天気を語るよりも軽い調子で答えた。
「ルークの経営する商会の従業員です」
「は、従業員? だが天井から湧いて、しかも降ってきたぞ!?」
「落ち着いてください、マックス義兄様。従業員が天井から湧いて降ることを禁じる法律はありませんわ」
「たしかにないが、今家族をドナドナする指示を出していなかったか? 本人の意志に反する連行は法律に」
「――――ねえ、マックス?」
場にそぐわない艶やかな声が響いた。まるで天啓を告げる御使いのような美しい調べだ。ぎくりとした顔で声のするほうへ振り向いたマックスお義兄様の視線の先には、切なげな表情を浮かべるシェリーお姉様がいた。悪役令嬢と呼ばれる由縁となった意志の強さを感じさせる光を宿した瞳が悲しそうに伏せられる。
「私を見てくださらないのは、寂しいわ?」
ピシャンと稲妻が落ちる音をエルザはたしかに聞いた。するとそれまで厳しい表情を浮かべていたマックスお義兄様の表情が途端に優しいものへと変わる。
「そうだな、君より大切なものはなかった」
そしてシェリーお姉様をすっと抱き上げる。
「身体にさわるといけないから部屋に戻ろう」
「ええ、そうね!」
シェリーお姉様はお義兄様の首に手を回して抱きつくと、肩越しににっこりと微笑んだ。確信犯ですか、グッジョブです。なんとなくうやむやにしましたね!
「いいか、エルザ、それからブレンダも。法には触れるな、それとやりすぎるなよ? あとで何をやったかきっちり話してもらうからな」
「かしこまりました!」
ブレンダと揃って満面に笑みを浮かべる。法に触れず、しかも私達目線でやり過ぎなければ何をやっても許されるのね! ふふ、そんなの余裕だわ! 悪だくみを知らないマックスお義兄様はウキウキとした足取りで部屋を出て行った。そういえばあの人、司法局の鬼とか、取締りの神とか呼ばれていなかったかしら?
「これでシェリーお姉様最強説が裏付けられましたわね」
「あ、タヌキが……じゃないお父様が回収されましたわよ」
「お父さま、よくぞおめおめと生きて帰ってこれましたわね!」
「こら、クレア! 首を強く締めすぎよ、息止まっちゃう!」
「ですが、最新刊にこういう場面が出てきたのです!」
傷つけないよう分厚い真綿に包まれた父親が足元に転がされる。呼吸は……ある。大丈夫、生きてるわね。
「さて、お父様。城で何してきたか洗いざらい話していただけますかしら?」
「おまえ達、父親を何だと思って……!」
「ま、さ、か、私に押し付ける次の婚約者を決めてきたとは言いませんわよね?」
父親であり、この国の宰相でもあるベンジャミン・カレンデュラが、ぐっと押し黙る。……ほう、今までも不良物件を押しつけてきた認識はあるようね。その父親が語った次の婚約者候補は王弟殿下。二度の結婚と二度の離婚歴あり、子供は認知されているだけでも五人いて、認知されていない子供も入れると両手では足りない。今までは婚約破棄ですんだが、今度はダイレクトに貞操の危機だった。
しかも今回は破棄できないように王命で婚約を命ずることも検討されていたとか……。私にだって公爵令嬢としての義務があることくらい知っている。でもなぜ私ばかり、そう思うとどうにも納得がいかない。
もう限界だった。
お楽しみいただけるとうれしいです。