カレンデュラの悲劇
今宵は現国王の生誕祭。
他国から来賓を招き、国の威信をかけて盛大に行われる宴の最中のこと。
「エルザ・カレンデュラ! 貴様との婚約を破棄する!」
人々の視線が、エルザと呼ばれた豪奢で妖艶な空気を放つ女性に集中する。金の髪に紺碧の瞳を持ったエルザ嬢は歴史あるカレンデュラ公爵家の次女。御年二十歳、口さがない貴族社会でいうところの立派な売れ残りである。それなのに彼女には全く悲壮感がない、それどころか品よく美しい顔立ちに余裕たっぷりの微笑みを浮かべた。
「非常識ですわ」
「は?」
「わかりやすく言い直すと場を選ぶべきだと申し上げたのですよ、レオニス侯爵家ご子息オスカー様」
「貴様に名を呼ぶ許可を出した覚えはない!」
問題はそこではないのに。ついぞ進捗の見られなかった教育の成果に繋がるようでエルザはため息をついた。
「そうでしょうね。最愛の恋人がいるにも関わらず、公爵家からの金銭的支援を受けるために口実として無理やり私との婚約を結ばされたのですもの。名前すら呼ばれたくないほどに嫌われていても仕方ないですわ」
さらりと暴露された婚約の裏事情に会場の空気が揺れる。エルザの婚約者であるオスカーは十八歳、燃えるような緋色の髪が特徴的な美男子である。その隣には同じ歳で幼なじみであり、美少女と名高いフローラ嬢が彼の背に隠れるように立っていた。榛色をした彼女の瞳には、怯えと少しばかりこちらを嘲笑するような色合いが浮かんでいる。首をかしげながらエルザが視線を向けると、フローラ嬢は怯えた表情で肩を震わせた。もともと血気盛んな質のオスカーは、さらに激昂する。
「私に執着していた貴様が虐めたせいでフローラは傷つき、こんなに怯えるようになってしまった。それだけでなく、ついには嫉妬に狂って彼女を階段から突き落としたそうだな! こんな悪女が由緒正しい侯爵家にふさわしいとは到底言えない! よって貴様との婚約は」
「婚約破棄、承知しました。今後の手続きは当主を通してくださいませ」
エルザは全く表情を変えないで口元を隠していた扇子を音を立てて閉じる。淀みなく流れるような仕草は優雅で、迷いもためらいもない。婚約破棄という一大事をあっけなく受け入れたエルザに拍子抜けした様子で、オスカーは皮肉げに口元を歪めた。
「さすが悪役令嬢と呼ばれるだけある。婚約破棄も二回目ともなると手慣れた様子だな」
会場がシンと静まり返る。誰もが触れなかったエルザの過去を、この男はあっけなく口にした。
そう、エルザは十八歳のときにこの国の第二王子からも婚約破棄されているのだ。後日、婚約は解消と修正されたけれど、当時の状況もほぼ同じ、第二王子に人前で盛大に婚約破棄を宣言された。
エルザは微笑みを張り付けたままで深々と息を吐く。婚約とは契約だとどうして思い至ることができないのかしら。それとも、この国の男は婚約破棄を人前で宣言しないとすまない病気にでも罹っているのか? 心底呆れ果てて言葉を失ったエルザの様子を都合よく解釈したオスカーが、さらに煽った。
「あのときのように、多少でもうろたえて見せれば可愛らしいものを!」
そう、それだけがエルザの心残りだ。王子妃教育で厳しく鍛えられた表情筋も、あのときばかりは何の役にも立たない。でも、とエルザは言葉を重ねる。あのときも今も、重ねてきた努力と経験と知識は決してエルザを裏切らなかった。人々が固唾を呑んで見守るなかで顔を上げたエルザは、にこやかに微笑んでいた。
「いくつか訂正させていただいてもよろしいかしら?」
「フローラに謝罪するなら受け入れよう! だが貴様に瑕疵がある以上、婚約破棄は決定事項であり、どれほど見苦しくすがろうが覆らないぞ! それに慰謝料と違約金を払うのは公爵家だというのは変わらんがな!」
なるほど、公爵家に払わせた慰謝料と違約金で借金を返済するつもりですか。彼のいう真実の愛とは、ずいぶんと欲にまみれた醜いものらしい。
「まず、アルセン伯爵家のフローラ様を虐めたり階段から突き落としたという事実はありません。己が名誉にも関わりますので、はっきりと否定いたします」
「言い訳か、往生際の悪いことだな!」
「そして第二王子との婚約は破棄ではなく解消です。これは王家より正式に発表された回答ですわ」
すると小馬鹿にしたようにオスカーが笑った。
「皆様、お聞きになられたか! この悪女は第二王子殿下に見限られたことをどうしても受け入れがたいようだ!」
無様だと、そう吐き捨てたオスカーと背後でひっそりと嘲笑うフローラにエルザは紺碧の瞳を瞬かせる。
「言いたいことはそれだけでよろしいかしら?」
「は?」
ブレもしないし、揺らぎもしない。顔色すら変えることのない彼女の自信はどこからくるのか? 成り行きを見守っていた人々は違和感を覚えた。そこでようやく気がつく。この場には王族がいるのに、誰も口を挟まない。人々の視線が第二王子殿下に向くと、どういうわけか彼の顔色は真っ青だった。
「今宵は王を言祝ぐ宴。他国からはるばるお越しになった来賓の皆様もおられます。皆様の御前で、我が国の恥をさらすのははばかられますわ。全ては後日にあらためましょう」
最後通牒、そう言わんばかりのエルザの態度にオスカーはカッとなる。逃げる気かと怒鳴りつけようとした口元を扇子の先が軽く押さえた。扇子から、ふわりと甘い香りがして一瞬意識がとんだ。
「私、納得いかないことがございますの」
「……なに?」
「あなたのされていることは、立派な浮気ですわ」
オスカーはぐっと言葉に詰まる。言葉にするとしないのとでは聞き手の心象は大きく異なる。たった今婚約破棄したばかりの相手の目の前に現在進行形で恋人が立っているのだ。絵面だけ見れば他国の人間からもそう見えるだろう。あわててオスカーは叫んだ。
「それは違う! 私とフローラは真実の愛で結ばれていたのだ! それを身の程知らずにも横恋慕したこの悪女が資金援助をネタにして婚約者の座を横から奪い取ったのだ!」
どこからかミシリという扇が歪むような不穏な音がした。おそるおそる音のする方を見ると、それまで曖昧に微笑んでいたエルザが素の表情に戻っている。冷え冷えとしたその表情は……この上なく恐怖を煽った。
「やはり納得がいきませんわね。そもそも私、あなたのことが嫌いですの。ですから横恋慕することも嫉妬に狂うこともございません。完璧な冤罪、むしろ名誉毀損されたのはこちらのほうですわ」
「……は?」
「婚約して以降、我が家はレオニス侯爵家へ資金援助をしておりますでしょう? 資金援助のための婚約、完全に政略ですわね。そこに私からの愛情までも求められるのは正直言って迷惑です」
「……え、だが貴様がどうしても婚約したいとわがままをいうから仕方なく婚約したと」
「誇張どころか、完全に虚偽ですわ。欠片も好意を口にしたことはございません。しかもあなたからは義務である贈り物もなく、お茶会にも顔を出さないというのに、どうやって好きになれるというのですか? そのうえ婚約者であるにも関わらずパーティのエスコートは断られる。仕方ないから一人で入場すれば浮気相手と共にすでにその場に居られて、無様だと嘲笑した。もはや人としての資質に問題があると言わざるを得ませんわ。そんな利益だけ享受して義務のひとつも果たせない殿方はこちらから願い下げです。それを私が好きだから許されるとか……むしろその発想が気持ち悪いですわ」
口調と表情のあまりの冷ややかさに周囲の人間すら凍りつく。しかもオスカーやフローラは顔色を真っ青にして否定の言葉も出ない。……まさか本当にやったのか? それは別の意味で人々を戦慄させたのだ。そして最後に、エルザは心底清々したという顔で祝福の言葉をかました。
「ですがこれでもう邪魔者はいなくなります。二人でどうぞ末永くお幸せに?」
なぜか疑問形。呆然と立ちすくむ二人に背を向けて、エルザは粛々と王に退出を願い出る。苦々しい表情を浮かべた王はもはやうなずくしかなかった。彼はこの場を荒らしたオスカーとエルザに強い怒りを覚えている。だが、自分の息子が先にやらかしているだけに、きつくは咎められない。
「ご安心ください、さすがに三回目はありませんわ」
捨て台詞を吐いたエルザは、忌々しいくらいに晴れやかな笑顔だった。
まだまだ宴は続くのに、この微妙な空気をどうしてくれる! 王は後始末の苦労を思い描いて胃のあたりを押さえた。礼儀作法だけは完璧にきめて退出するエルザ・カレンデュラ嬢。史上最悪に盛り下がった宴は後世にカレンデュラの悲劇として語り継がれたという。
――――
「というわけでしたの」
「エルザ、というわけでしたというわけではすまないよ?」
「あらお義兄様、言葉遣いが乱れていますわ」
「いやもう途方もなさすぎて。後始末するにしても、どこから手をつけたらいいのやら」
「まあ、頼りないことをおっしゃられますのね。私は家のために婚約者としての義務は果たしましてよ?」
「破棄するにしても、やり方っていうものがあるよね」
「悪を滅ぼすためならば肉を切らせて骨を断つ覚悟ですわ!」
「うん、これからは肉を切られないで済むやり方を覚えようか?」
義兄のマックスは頭を抱えているが、エルザは解放感でいっぱいだった。散財しか能のないアホな侯爵家に振り回されないで済むと思えば、これからの苦労など蚊に刺された程度の痛みしか感じない。深々と息を吐いたマックスの背後にある扉がドカンと開いた。
「エルザ、大丈夫!?」
「あああああシェリー、産後の人間が扉に体当たりするんじゃないよ!」
「やあね、ちょっと強く扉開けただけじゃないの」
「あ、シェリーお姉様! 起き上がって大丈夫なの?」
焦った顔で駆け寄るマックスに姉のシェリーが抱き上げられる。心配性のマックスは天真爛漫な姉の尻に完全に敷かれていた。それでもケンカひとつせず仲が良い。子供も産まれて、理想の夫婦そのものといった二人の姿が微笑ましくてエルザは小さく笑い声を立てた。しぶしぶ腕の中から床に下ろしてもらった姉がエルザに手を伸ばしてなでる。
「大変な目にあったわね、怪我はない?」
「ええ、心身共に絶好調ですわお姉様!」
「それにしても、この国の人達は相変わらずなのね! どうしてエルザの良さがわからないのかしら?」
相変わらずと、姉がいうには理由があった。
「悪役令嬢という存在に囚われすぎるのよね」
そう、かくいう姉もかつて悪役令嬢と呼ばれていたのだ。むしろこの国においては元祖悪役令嬢と呼んでもいい存在だった。
ことのはじまりは、とある有名な作家の書いた恋愛小説だ。その小説は爆発的に売れて、ベストセラーとなり増版を重ねた。おそらく誰もがタイトルくらいは知っていると言っても過言ではないだろう。身分も同じ公爵令嬢だったし、その小説に描かれた悪役令嬢と姉の容姿や雰囲気がよく似ていたというのが、呼ばれはじめたきっかけらしい。姉も最初は気にしていなかったけれど、空想の産物だったはずが、いつのまにか姉自身も悪役令嬢として扱われるようになっていったのだ。
噂とは恐ろしく、何をしても悪い方向にしか解釈されない。誰もがあの人は悪役令嬢だから悪いことをしているのだと姉を厳しい目で見るようになっていった。本当の姉は心優しい人であるのに、噂の中に登場する姉は愚かで冷酷無比な悪役令嬢そのものだ。面白半分に、ありもしないことで悪口を言われる環境に耐えきれなかった姉は次第に追い詰められていった。ささいなことでも疑心暗鬼になり、語調が荒くなる。それが余計に悪い噂を助長して、結果的には噂に踊らされた相手の男性と婚約解消となってしまった。
当時、エルザは姉が相当追い詰められていることに気がついていた。だから必死になって家の外でも姉の良さを語ったものだ。けれどそれを姉に無理やり言わされているのだと解釈する人すらいる始末。それでも当時のエルザは第二王子の婚約者でもあったから、なんとかしようと使える権力や手段は全部使って悪い噂を払拭しようとしたのだ。ところが、そんなエルザの行動が第二王子は気に食わなかったらしい。
「エルザ、君は罪のないこの令嬢を陰でいじめていたそうだね。まるで物語に出てくる悪役令嬢そのものじゃないか。そんな君は王子妃にふさわしくない」
――――君との婚約を破棄する!
正義を成したかのような得意満面の彼の背後には、姉のありもしない悪い噂を広めていた運命のお相手とやらが控えていた。そのご令嬢は彼の死角に隠れていることを良いことに口元には醜いうす笑いを浮かべている。私はただ彼女が広める姉の噂は嘘であり、噂を広めるのは品がないと窘めただけだったのにね。彼は令嬢の言い分だけを信じて、長年の婚約者である私を心象だけで断罪した。そのとき私は悟ったのだ、頭の中がお花畑でできている人達に正攻法は通じないと。
だから骨を断つために使える手を遠慮なく使ったまでだ。それがたとえ婚約者の破滅に繋がるようなことであろうが、オブラートに包み隠す義理もないので正直に話した。そしてそれと同時に、もうひとつの最終手段を使うことにしたのだ。直接手をくだすわけではないが、その手を使ったら最後、草木すら残らなそうで最後まで使うか迷った。だが害しかない花畑を一掃すべく私は迷わず使用することを選択したのだ。
マックスの背後で、再びドカンと音を立てて扉が開く。
「エルザ姉様、ただいま戻りましたわ。事前に準備しておいた証拠を関係各所にバラ撒いたところ、皆様、大層喜んでおられました! 特にオスカー様が個人的にこしらえた借金の証文は高く売れまして、ステキなおばさま達に骨も残さず回収してくださるとお約束いただきましたの」
「ブレンダ、扉は静かに開けなさい! 君も公爵令嬢だろう!」
「あら、マックス義兄様もいらしたのですね? 些細なことを気にしすぎるとハゲますわよ?」
「ハゲっていうな!」
頭髪気にしてたんだな、マックスお義兄様。
「あら、でもマックスだったら頭つるつるでもステキだわ」
「……シェリー、君は天使か?」
うっ、愛がまぶしい……相変わらずマックスお義兄様のシェリーお姉様至上主義はブレないわね。マックス義兄様は、とある子爵家の令息だった。ずっとシェリーお姉様に恋焦がれてきたけれど、姉には別の婚約者がいたし、身分違いだからと恋心を封じてきたそうだ。でもどうしても諦めきれなくて、奮起した。実力だけで国の司法の一角を掌握し、ちょっとのことでは揺らがない地位と名誉を手に入れて婚約解消となった姉様にプロポーズしたのだ。
シェリー・カレンデュラの名誉と、あなたが愛するカレンデュラ家を守らせてください。
身分にこだわりのある父は渋ったけれど、悪評の立った姉にこれ以上の縁談を望めず、地位と名誉を手に入れてまで姉を求めた熱意を知って最終的には認めた。
率直にいって、うらやましい。エルザにだって結婚に対する憧れはあったのだ。今まで婚約者はいてもそういうことを言ってくれる人はいなかったけれど。第二王子は外面を気にしてエルザには自分に恥をかかせるなとしか言わなかったし、オスカーは言わずもがなというところだろう。
私には結婚なんてもう無理だろうな……。相手有責にするとはいえ、二回も婚約破棄されたとなれば事故につながる確率の高いエルザには誰も手を出さないだろう。ふと、脳裏にほわっとした父親の顔が浮かぶ。泣きつかれたからってレオニス侯爵家との婚約なんか承諾するから私がこんな目にあうのよ!
今ごろ王城で、メンツをつぶされた王様にネチネチといじめられているに違いない。これに懲りて不良物件との婚約を拾ってくる悪い癖をなんとかしてただきたいわ。
「ちょっと姉様、聞いていらっしゃるの?」
「ごめんなさいね。タヌキの顔思い出したら怒りが込み上げてきて……」
「ああ、父様ですね。あの方は壊滅的に人を見る目がないから」
かわいそうとばかりに、妹にまで頭をなでられる。
ブレンダ・カレンデュラ。彼女こそ、我が家の最終兵器である。
毎度のことなので誤字脱字があるかもしれません。ご容赦ください。