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7――追想の波


 かつての<剣聖>は狼狽ろうばいの呻き声を発した。

 光がやんだかと思うと、唐突に、いま見えているものとはまったく別の風景が浮かびあがってきたのだ。


 山を切り拓いたと思しき集落が見えた。

 家々がまばらに建ち並んでいる。

 小雨が降りしきるなか、家の軒下では婦人たちが世間話をしていた。

 近辺ではごくありふれた村の風景だろう。

 ミツルギ自身、こうした村にはいく度となく立ち寄ったが、しかし奇妙なのは、この風景が過去のどの場面とも一致しないことだ。


 通りの向こうから、泥を跳ねあげながら少年たちが歩いてくる。

 年恰好は、全員、ウルと同じくらい。

 先頭にいた少年がこちらを見つけて、すぐさま駆け寄ってきた。


「おい、ウル。薪拾い終わったんだな。じゃあ、さっそく訓練といこうぜ」


 その名前を呼ばれたことで、ミツルギもようやく看破した。


(これは、小僧の記憶か!)


 身体を共有したことで、ウルの脳に積み重ねられていた記憶までもが覗けるようになったらしい。

 なにがきっかけかというと、ミツルギが発見した硬貨だろう。

 ミツルギに、硬貨の出所はわからない。

 しかし、所有者であるウル本人は、もちろん知っているはずだ。

 だから、ミツルギが硬貨を不審に思ったのをきっかけとして、肉体がひとりでに記憶の糸を手繰たぐりはじめたのではないか――と、ミツルギは推察した。


「ご、ごめん」


 ウルは無理に笑顔をこしらえると、か細い声で謝っていた。


「今日は、別に用件があるんだ。帰ってからでいいんなら、つきあうから」

「用件? そうか。雨降りのなか、ご苦労だな」


 ウルの記憶から、相手の少年がザナという名前であることもわかった。

 ウルが厄介になっている村長の息子だ。

 ウルはなおも笑いかけながら一団の傍らを通り過ぎようとしたが、ザナに足を引っかけられて前のめりに転んだ。

 顔から泥に突っ込む格好となる。

 ザナと取り巻きの連中が、どっと笑った。


「恩知らずめ。おまえを養ってやっているのはおれの家族だぞ。おまえに、おれの命令以上の用件なんてないんだよ、小間使い。ほら、立て。立って訓練開始だ」


 ザナはウルを無理やり立たせると、その辺に落ちていた棒切れを手にして、また同じようなものをウルにも渡した。


「もうちょっとで秘技がひらめきそうなんだよ。さあ、かかってこい。好きに打ち込んできていいんだぜ」


 そういってザナは適当な構えを取った。

 前後にステップを踏みながら、時折り、棒切れを突き出してウルの手足を軽く打つ。


「ほらほら。かかってこいって。おまえが本気にならなきゃ、おれの訓練にならないだろうが」

「いいや、ザナ。ウルは必殺の一撃を狙ってるのさ。油断していると痛い目見るぜ」

「おお、この前の大回転斬りか! あれは凄かったな。まわっているうちに『剣』が手をすっぽ抜けて、ジタンの禿げ頭に見事命中したからな!」


 少年たちはげらげら笑いあう。

 同じく声を揃えて笑っていたザナだが、そのうち表情に険が出てきた。


「なにが必殺の一撃だ? こいつ、おれの顔を見もしないじゃないか。ほら、ウル、おれを見ろよ。怖いのか? おい、こいつ、おれより年上のくせに震えるほどおれが怖いってよ!」


 ひときわ強い一打でウルの手もとから『剣』を叩き落とすと、返す一撃がウルの額に当たった。

 痛みでよろめいたウルが尻餅をつく。


「おい、立てよ。もう一度だ。訓練にならねえだろ」

「む、無理だよ。ザナは、つ、強いからさ。おれじゃなくて、ほかの奴と訓練したほうがいいよ」


 ふん、とザナは鼻息を吹くと、面白くもなさそうに自分の『剣』も投げ捨てた。


「だっせえ。おまえ、そんなんで生きてて楽しいかよ」


 あとはウルを一顧いっこだにせず、また取り巻き連中といっしょに歩き去っていった。


(はん?)


 ただ目撃したというだけなら、ミツルギにとっては取るに足らない場面でしかないが、しかしいまやウルの肉体は他人のそれではない。

 痛めつけられれば腹も立つ。

 ただしミツルギが腹を立てた相手はザナではなく、


(事情があるとはいってもだ。男子たるもの、もう少し気概を見せねば)


 当のウル本人だ。


「ウル? 帰っていたの?」


 ミツルギが気づいたときには、記憶はもう次の場面に移っていた。

 関連する場面が次々と掘りかえされているのだろうが、しょせんは他人の記憶、ミツルギに前後の関連性はわかりようもないから、取捨選択ができない。

 次々と記憶が展開されるのを止められずにいるのだった。


 今度は屋内――慣れ親しんだようなウルの感覚からすると、彼が過ごしている村長邸と思われる。

 声をかけてきたのは、ウルより若干年上の娘だった。


 くすんだ金色の髪をした、なかなかの美人だったが、その声やウルを見る目つきからして、いかにも鼻っ柱が強そうな雰囲気が見て取れた。

 彼女にまつわる記憶の表層に触れたとき、ウルの感情が小さからず波打つのがわかった。

 そんな感情の動きを悟られまいとするように、ウルは顔を背けた。

 が、かえってそれが彼女――名前はエリンで、ザナの姉に当たるようだ――の関心をひきつけたらしい、


「待って。おまえ、怪我してるじゃないの」

「あ、いえ」


 ウルは額のあたりを隠して身を引いた。

 ザナにやられた痕だ。

 となると、この記憶は先ほどのつづきで、つまりは、ウルがミツルギの依頼で最初に酒を取りにいったときのものだろう。


「い、いつものことなので。かすり傷です」


 エリンはウルに近づこうとして、はたと足を止めた。


「ザナにやられたのね」


 ウルは肯定も否定もせず、ただうつむいた。

 はーっとエリンがため息をつく。


「あの子も大概だけど、おまえもやられっぱなしのままで悔しくはないの? 一度くらいやりかえしたらどう? そうしたらあの子だってもっと大人しくなるわ」


 その指摘は、ミツルギには正しいともまちがっているとも思えた。

 男なら気概を見せろ、とミツルギとてそう思ったが、あの関係性では、一度くらいやりかえしたところで、報復が激しくなるだけだ。

 女には、腕力が少なからず関係性に影響する男の子の世界はわからない。

 ウルは、


「ザナとは、遊び仲間みたいなものなんです。だからおれは、大丈夫なんです」


 そういって笑ってみせた。

 なぜか、エリンの息を呑むような気配が伝わってきた。

 そこでいったんこの場面での記憶は途切れたが、しかし記憶はとめどなく、連続的に、あるいは同時多発的に展開されていく。

 すべてを追いかけることなど不可能だ。

 あまりにも情報が多すぎる。


 たとえば今日は昼過ぎから雨が降っていた。

 ウルが村長宅の窓から外を見ている。

 すると、同じような風景を見た記憶が、十も百も、連なって押し寄せてくる。


 去年はこれが何日もつづいて村はずれで土砂崩れが起こったな、とか、もっと前は、隣の家の軒下で野良犬が雨宿りをしていたな、とか。

 そうなると今度は、土砂崩れで被害を負った人々が村長に救援の陳情にあらわれた場面やら、隣の家の夫婦喧嘩の声が大きいことなどが自然と思い出されてきて、またその新たな記憶に関連づけられた別の記憶が、何層にもわたって押し寄せてくるのだ。


(ええい!)


 ミツルギは大きくかぶりを振った。

 このままでは記憶の波にさらわれて、溺死してしまいかねない。

 ひとまず、手にした硬貨に焦点を絞ることにした。

 これにまつわる記憶だけを、つとめて拾いあげようとする。

 ――と、ウルの顔をしたミツルギの眉間に険しい皺ができた。

 ウルの記憶は、これまで何度となく死線をかいくぐってきた<剣聖>にしても、思いもよらぬ展開を見せたのだ。



 まず、これまで触れた記憶の断片からしても、ウルの境遇が、ウル自身の語ったとおりだということがわかってきた。

 彼は、この山中の小さな村落にとって、いわばよそ者だった。

 生まれ故郷を火で追いたてられたウルは、村長の家で暮らしてはいたが、家族の一員というよりは下働きも同然の扱いだった。

 掃除、洗濯、炊事に、買い出しから、豚小舎、蜜蜂の世話にいたるまで、まったくといっていいほど自由な時間がない。


「村長は、逃げてきた子供を保護する振りをして、ただでこき使えるいい召し使いを拾った」


 と陰口を叩かれる始末だった。

 さらには、仕事の出来がよくないと村長から怒鳴られたり、その息子ザナから『ごっこ遊び』でしこたまに痛めつけられたりしていた。

 ザナとその仲間がかつての『英雄』たちに扮して、マガツ神の役を押しつけたウルに棒切れを振るう光景は、ミツルギに複雑な思いを抱かせた。


(いかん)


 痣のほうに焦点が移ってしまい、記憶が脱線しそうになったので、ミツルギは急いで軌道修正しようとしたが、


(――ん?)


 家の裏庭で、ウルが石を拾いあげている場面があった。

 どうして、こんな関連もなさそうな記憶があらわれたかわからない。

 さらに不可解なことに、ウルはその石を持ったまま、村はずれにある池のほうに歩いていくと、やおら水面に自分の顔を近づけた。

 丸い瞳の童顔が揺れながら映し出される。

 微笑む、上目遣いになる、伏目がちにしてみる――、といろいろ表情をつくりかえていた。

 まるで恋する乙女がどんな表情で相手の心を射止めようか、と苦心している様のようであり、


(男のくせに気色の悪い奴だ)


 ミツルギが舌を吐きそうな声を出したとき。

 ウルはさらに不可解な行動に出た。

 拾ったばかりの石で、突如、自分自身の額やら頬やらを殴りはじめたのだ。

 皮膚が裂けて血が滲み、鬱血うっけつした痕が痣になる。

 そんなものをいくつもこしらえて道を歩けば、


「ウル、その顔はどうした?」


 当然、顔見知りの村人たちが声をかけてくる。


「また、長にやられたのか。あいつ、普段は気弱なくせに、酒を飲むと妙に気が荒くなるところがあるからな」

「いや、ザナのほうだろ? あいつ、なにかというとおまえをいじめて楽しんでいるみたいじゃないか」

「子供は親の真似をするものさ。しかも加減を知らないから、だんだん親より過激なやり方になっていくんだ」


 よそ者とはいっても、ウルも十年はこの村で過ごしている。

 彼とは距離を置いている人々もいれば、なかには親身になってくれる顔馴染みも多少ならず存在したようだ。

 が、それよりも、


(こ奴、どういうつもりだ?)


 ウルが村長の一家にこき使われているのは事実にしても、痣の大半は自分でつけたものだ。

 声をかけてくれる村人たちに対して、ウルは、


「これは、おれが転んでしまってついた傷です。長も、息子さんも悪くありません」


 と、しおらしく返事していた。

 池に映していた、あの伏し目がちの笑顔で。

 村人たちはなんともいえない顔になって、ウルの肩を叩いて慰めたり励ましたり。

 女性のなかには、収穫したばかりの甘い果実をくれる者もいて、また、年配の婦人などは、


「長が怒っているんなら、今日はうちに泊まりなよ」


 とすら提案してくれた。


(まさか)


 ミツルギは、ある種の戦慄とともに悟った。

 ウルは自傷して、それを村長一家のしわざだと思わせることで、村人たちから優しくしてもらい、さらには村長たちの評判を貶めようとしているのではないか。


 よそ者として十年を過ごした彼が身につけた、彼なりの処世術か、あるいはこき使ってくれている村長たちへのちょっとした復讐のつもりか。

 水面でのあれは、人々の同情を集めるための、彼なりの『鍛錬』だったのだろう。

 若かりしころのミツルギが、毎日、汗みずくで剣を振りたくっていたのと同じく。

 いずれにせよ、


(この小僧、どうも、わしが思っていたとおりの奴ではなさそうだな)


 ミツルギは心中で唸った。

 また、例の、生贄に関することもわかってきた。

 ウルがいっていたとおりに、この村は、人ならぬ、獣ならぬ、この世ならぬ存在――、すなわちマガツ神の庇護下にあるらしい。


 数十年前、ミツルギたちが『英雄』ともてはやされたのは、これらマガツ神を狩っていたからにほかならないのだが、『神』と名づけられているとおり、マガツ神とはただ単純に、人間の命や生存領域をおびやかすだけの存在ではなかった。


 人間とは異なった知性と理性をそなえており、そもそも大陸中が王国の版図になる以前は、各地で信仰されていた、まさしく『神』に近しいものであって、人間に知恵や力を授けたり、また区域に住まう人々を守護したりといったこともある。

 ウルの住む村もマガツ神に守られていた。

 それゆえ、村は、民俗信仰を根絶やしにしようとする一派にも害をおよぼされず、ここ何十年と、外敵らしい外敵は近寄らせていなかった。


 ――しかし、神とは代償を要求するものだ。

 数十年に一度、村の人間たちのなかから生贄を要求していた。

 最初に生贄となったのは、『神』に庇護の契約を持ちかけた村長の縁者だったという。

 以来、村長は世襲制となった。

 村をあらゆる外敵から守護してもらう代わりに、この忌まわしき契約を結んだ彼の血族が、必要とあれば身を捧げる。

 そのような覚悟ゆえだったのだが、今回は事情が異なった。


 ウルがミツルギに語ったとおりだ。

 現在の村長は、十年前、この村にウルとその姉が逃げ込んだときから画策していたのか、あるいは、生贄の期日が迫ってくるにしたがって、そのような考えに思いいたったか。

 慣例を破って、ウルを生贄に捧げようというのだ。

 どのような交友関係が生まれていようとも、しょせん、ウルは村にとってのよそ者だった。

 親類縁者はひとりとしていない。

 生贄にはうってつけだった。


 村長が公言していたわけではないものの、村人たちも暗黙のうちにわかっていたようだ。

 先ほどのウルの記憶に、多少は親身になってくれる村人たちも登場していたが、ひょっとするとそれはここ最近のことなのかもしれない。

 やりきれぬものを感じているだろうことは想像がつく。

 だからといって、


「ここは慣例どおり、村長か、村長の家族から生贄を出すべきだ」


 などと表立ってもいえない。

 村の人間とほとんどかかわりのない人間が犠牲になることでこれから数十年の平和が約束されるのなら、それに越したことはない。

 ウルの境遇を哀れむ気持ちを抱きながら、同時にそうも思う。

 ミツルギにその弱さは責められなかった。

 村長とて、嬉々としてそんな決断をしたわけではあるまい。

 窮余きゅうよの策だ。

 ……と、ここまではウルが語っていた内容と一致する。


「おれが生贄になることで村が救われるなら、それでいい」


 そんな風にいっていたウルだったが、記憶に触れているうちに、どうやらそれもウルの本意ではないらしいことが、次第にわかってきた。


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