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5――別れ


 ウルは<剣聖>の返事を待つあいだ、鬼吼に視線を落としていた。

 鞘は冷たく無機質に光っているが、内部には黒々としたあのおぞましい刀身が眠っている。


 葛藤というなら、この刀にもあった。

 ガカルハイデに止めを刺すべく引き抜いたこの刀は、敵に打撃を与えるどころか、むしろ敵の<火>と結びあうような真似をして、ウルを窮地に陥れたのだ。


(まるで、マガツ神が人を取り込むのを手助けしたみたいだった)


 樹木のマガツ神と戦った際もこの剣を振るったはずだが、このような現象は起きなかった。

 では、なぜ、あのときに限って? 

 <剣聖>ならぬウルが自身の意志で抜こうとしたからか、それともガカルハイデからなんらかの呼びかけがあったのか? 

 かつて、ミツルギもいったはずだ。

 もはや、この刀そのものがマガツ神だと。

 刀そのものに意志が宿っていると考えても、不思議ではない。


 敵を斬るどころか、肝心なときに敵へ『寝返る』可能性のある剣など、ウルだってこれ以上持ち歩いていたくなどなかった。

 しかし、ミツルギにとっては数々のマガツ神と戦った愛剣だ。

 長いあいだ肩を並べて死線をともにくぐった戦友に近い感情を抱いていることは、たとえ魂を隣りあわせていなくとも十分に想像がつくことだ。


(どうするんだ?)


 <剣聖>はいまだ無言。

 しかし、考えているのは伝わってくる。

 問いかけたウル自身も、まだ考えている。

 マガツ神のような剣であるなら、その辺に捨てることもできない。


(あ、そうか。それなら、ここに置いていくのだって危険じゃないか)


 急にウルは思いついた。

 せっかくのことマガツ神から解放されたばかりのアネッサのもとに、こんな危険なものを置いておけば、また彼女を苦境に陥れかねない。

 だから、


「……そのつもりだったのですが」


 ウルは、<剣聖>の返事を待たずして、刀を掴んだ。


「いろいろあって、思いなおしました」

(――)


 腰に鬼吼を戻しながら、ウルは、おや、と心中で首をかしげた。

 さっきも述べたように、鬼吼に関してはウル自身にも葛藤がある。

 危険なものだと認識している。

 怖いとすら思う。

 なのに、テーブルに置かれていたこの刀に手を差し出したとき、なんというのか、必要以上に動きがスムーズだった気がした。

 まるで、誰かに背中を押されたかのように。


「そう、わかったわ」


 アネッサは深く追及はせず、にこりと微笑んだだけだった。

 ただ、


「それで、あなたはこれからどうするの?」


 と、<火の魔女>はまさしく、ウルの抱えるもうひとつの葛藤に切り込んできた。


「わかりません」


 ウルの口は自然と開いていた。

 すると、アネッサがまた微笑む。


「まあ」

「本当に、なにも決めてないんです。ミツルギは剣の持ち方こそ教えてくれましたが、人生の決め方までは教授してくれませんでした」


 どうしてこう率直に言葉が出るのだろう、とわれながら不思議に思う。

 <火の魔女>の持つ、おおらかな雰囲気によるものなのか。

 人は思っている以上に、ただ目の前にいるというだけの他人に、そのときそのときで大きな影響を受けているのかもしれない。


「ミツルギのように、剣を極めたいという気持ちもないわけね?」

「もちろんです。極めたって、モテモテになるわけでも、不老不死になるわけじゃないし」


 あははっ、とアネッサは声を出して笑った。


「そのいいよう、ミツルギに対するイスルギにそっくりだわ」

「そ、そうなんですか?」

「彼はもっと、からかうみたいにいっていたけれどね。明日極めたとて、この世の財や美女すべてをひとり占めできるわけでもなかろうに、それなら明後日でも構わんじゃないか、って」

(――)


 ふっと、ウルの脳裏を若かりし二人の姿がよぎった。

 汗みずくになって、ひとりきりで剣を振るうミツルギ。

 そこへ、にやつきながら声をかけるイスルギ。

 それは本当に<剣聖>の記憶にあった一場面なのか、それともこれまでの情報から派生しただけのウルの妄想なのか。

 後者にしても、きっとまちがいじゃないと思えた。


「ミツルギが常から気を張りすぎているのを思いやったんじゃないかしら。剣ひと筋もいいけれど、それで自分自身を見失っては意味がないもの。だって、剣で世界そのものを変えられるわけでもないだろう、ってイスルギはいいたかったのね」

(買いかぶりすぎだ)


 ミツルギは吐き出すように、ウルの胸中でいった。


「だから、あなたが剣ひと筋ではないと知って安心したわ」

「あ、安心ですか」

「まだ若いのだもの。いろいろなところへいけばいいし、その道の途中で何度迷ったっていい。そのうち道幅も細くなっていて、気がつけばお爺ちゃんお婆ちゃん。あれれ、わたしはここへ来るまでになにかを選んだっけ、って首を傾ける羽目になるわ」


 ウルが注意深く頷くと、アネッサは、


「そんなあなたに、実は、わたしのほうからお願いがあるのだけど」


 と切り出した。



「よかったのかい?」


 家を出て、見送りに立ったアネッサに手を振ってから数歩。

 開口一番、ウルはそう聞いた。


(なにがだ)

「わかってるくせに」


 アネッサの『お願い』を耳にしたあと、ウルは席を立った。

 「マリーが帰ってきてからでも」と引き止めるのを丁重に断ってから、いよいよ別れ際に、


(おい、<剣聖>さん。最後に、アネッサさんにいいたいことはないの?)


 と、ウルは身体の同居者に聞いていた。


(身体を貸すとはいわないけどさ、いいたいことがあるんなら、おれが伝えてやれるから。遺言でも言伝ことづてでも、それらしい形にして)


 今生こんじょうの別れというにはまだアネッサも若いが、いまの時代、なにが起こるかわからない。

 それに『今生』というなら、ミツルギはとっくにこの世を去っているのだ。

 この先、二人が言葉を交わす機会があるとも限らなかったから、ウルなりに気を遣ったのだが、


(ない)


 とミツルギの返事はにべもなかった。

 アネッサの姿が見えなくなったいまも、


(いうたはずだ。もはや言葉はない。ともに戦っていたときに、いうべきことはいってきた。たとえ不足していたにしても、いまさら言葉を継いでなんになる)

「はいはい」


 年寄りの説教じみてきたので、ウルは手をひらひらと振った。


(自分からいっておいて、その態度はなんだ)

「おれ、段々わかってきたんだよ。つきあいは短いけど、これだけ距離が近いんだからさ」

(おまえに、わかられたくもない)

「アネッサさんから手紙が届いたとき、あんたは無視したよな」

(またその話か)


 <剣聖>はもう終わったことだといわんばかりに、苦々しそうな声を出した。


「もちろん、おれはいまでも、あんたが自分から出向くべきだったと思っているよ。弟子だけ向かわせてさ、なにかあったらどうするつもりだったんだ、って思っていたんだけど。でも……」


 陽が沈みかけている。

 風もじょじょに冷たくなってきていた。


「あんたは信じてたんじゃないかな、って思うようになった」

(アネッサのことをか? それは無論、あれほどの<火>の使い手なら、よほどのことがあったとて……)

「いいや、あんたが向かわせた弟子とは、また別のお弟子さんのことをだよ」


 <剣聖>は、本気で意外そうに言葉を呑んだ。


「ベルトール伯バナージは、家臣の意見を抑えられなかったみたいだけど、でも、いざとなったとき、決してアネッサさんに手出しするようなことはない、ってあんたは信じてたんだ」


 じかにバナージと会ったときのことが思い出された。

 『王国人』の貴族など、ウルには嫌悪と憎悪の対象でしかない。

 バナージはさらに、ウルからすると相当の年寄りであるにもかかわらず、どこか腰の定まらない、いうなれば頼りない部分とて見受けられた。

 が、ミツルギが生きていると知ったとき、そして若かりし日を振りかえったときの涙や、最後に<剣聖>の弟子だと信じるウルをまっすぐに見つめた視線には、その人間の芯の部分が垣間見えたように思われたのだ。


(……あれが弟子なものか)


 ウルのいわんとしているところが伝わってか、<剣聖>は舌打ち混じりにいった。


(剣の取り方を教えてやったのも、たかが数日ばかりのことだ。初歩の初歩だというのに、いまのおまえに似て、痛い、疲れた、もうやめたい、とまあうるさいこと。呑み込みも勘も悪い。どうしてその目で見ているのと同じ構えさえできなんだと、不思議で仕方なかったわ)

「人に教えたのは、そのときがはじめてなんだ?」

(そうかもな。いっそ身体に乗り移って、構えや型を叩き込んでやりたくなったくらいだ)


 それを実践しているのが、いまというわけか。

 数歩歩いてから、背後のほうで、「ただいま」というマリーの声が小さく聞こえた。

 ウルがいち早く家を出てきたのは、あの家での最後の夕食を邪魔したくなかったからだ。

 いったんウルはベルトール伯の城下町へと戻って、宿で一夜を明かしたのち、少ない荷物を背負って、早朝、城を北へと発った。

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