3――ベルトール伯
中庭に面した細長い部屋。
ベルトール伯が出入り口にもっとも近い席に腰をおろしたのは、万が一にでもウルが凶行におよんだ際、扉の外を固めた兵士たちにすぐ助けを求められるようにだろう。
庭のほうにも、やや距離はあるが武装した兵たちが直立不動しているのが見える。
寸鉄も帯びていない少年に過剰な用心のようだが、マガツ神を倒したアネッサを、マガツ神そのものと同じくらいにおびえたユーフォリー人の過去を思えば、それも当然だ。
ウルは勧められるがままに、対面の椅子に腰をおろした。
「……して」
伯爵は間を挟むのも恐れるみたいに、早口で切り出した。
「先ほど話に出た、そなたの『師』というのは……。いや、わかる、わかるつもりだが、まずは『どちら』であるかを、あきらかにしてほしい。そして……」
「密命を帯びております、伯爵閣下」
ウルはわざとバナージの言を中途で遮るように、小声でいった。
「な、なに、密命?」
伯爵は怒りもせず、目を白黒させる。
ウルを恐れているのは明白だ。
「そ、それはどなたから?」
「わが師ミツルギから」
「やはり! その名、懐かしいぞ」
伯爵は膝を打ったが、はたと考え込んで、
「……し、しかし、<剣聖>は<剣鬼>と刺しちがえて亡くなったと聞かされている。それも、四、五十年も前の話だ」
「生きております。反逆者の<剣鬼>をあと一歩のところまで追い詰めましたが、討ち果たすことあたわず。それを国王陛下にご報告したのち、武者修行の旅に出た師は、表向きは自分が亡くなったように見せかけることにしたのです」
「なんと」
純粋な驚きに打たれて、伯爵は言葉を失った。
ウルはつづけて、
「わたしは、その旅の途上にあった師に拾っていただいた身です。師いわく、わたしをひと目見た瞬間、後光が射している錯覚を起こされたとか。わたしに眠る、飛びぬけた剣の素質、才能に気づかれた師は、『おまえならばわたし以上の剣士になれる。であれば、<剣鬼>をも一刀で討ち果たすほどの、剣の極致にも辿り着くことができよう。ついてくるがいい、いや、どうかついてきてほしい。わたし自身がおまえの身体を通じて剣の極致をこの目で見てみたいのだ。ぜひわたしに教授させてくれ』といって、あまりに聞かぬので、わたしも不承不承――」
と、まあ、好き勝手に話をでっちあげる。
てっきり、
(勝手なことを抜かすな、愚か者)
などと<剣聖>が口を挟んでくるかと思っていたが、ミツルギは終始無言だった。
では呆れはてているのかというと、
(……!)
<剣聖>が息を詰めるような一瞬をウルは感じた。
なぜだか、ひどく動揺している。
が、いまは目の前の伯爵に集中すべきだったので、気にしないことにした。
「な、なるほど。それで、密命というのは?」
「詳しいことは申しあげかねますが、マガツ神への対処、という説明でご容赦いただきたく」
「ふ、ふむう」
と伯爵はまたも考え込んでから、
「……今回のこと、それに、以前より王都から聞こえてきた話とあわせて考えるに、ミツルギどのは、マガツ神が三度よみがえる危険性を考えられていた?」
ウルは返事をしない。
ただ目配せするみたいに、伯爵と視線をあわせるのみ。
バナージは大量の唾を飲んだ。
「そ、それがまことならば、またも各地で、邪神、悪霊のたぐいが暴れはじめるということを意味するのではないか。へ、陛下はこのことをご存じなのか?」
またもウルは無言。
が、先ほどの『マガツ神への対処』という説明があるから、
「そうか。……まずはそのための調査に、<剣聖>はそなたら弟子を遣わせたということか」
バナージは自分で結論を導いた。
国王に報告するほどの、つまりは国を巻き込むほどの事態になるかどうかを、前もって確かめる、もしくは未然に阻止するため、<剣聖>は各地に人を派遣したのだろう、と考えたのだ。
無論、これはウルがあらかじめ予想していたとおり。
「かつて、ライバーン王は勇者を募って世界を救われました。マガツ神が三度猛威を振るうかも知れぬいま、ぜひ、伯爵さまにも、われらのひそかな後ろ盾になっていただきたく」
そういって、ウルは微笑んだ。
これがとどめのひと言だった。
伯爵と面談するに当たって<剣聖>からあれこれと話を聞いた結果、このバナージという男、典型的な『王国人』貴族に思えた。
それならば、いまのようにウルが申し出れば、
(マガツ神を討つ剣士の後ろ盾だと。かつてのライバーン王とそっくり同じではないか。自分が同じ立場になれるというのか)
などといって、餌に飛びつく飼い犬さながらに承諾してくれると思ったのだ。
ベルトール伯は実際、目をきらっと光らせた。
しかし、急にうつむいて、長いあいだ黙りこくったかと思うと、肩や背中を小刻みに震わせはじめた。
(え、あれっ?)
予想外の反応に、ウルは混乱した。
ひょっとして、他民族の小僧がライバーン王の名を出したり、後ろ盾になってほしい、とあつかましいお願いをしたりしたので、意外なほどの怒りを呼び込んだのではあるまいか?
そう考えて、席から腰を浮かしそうになったところ、
「そうか。<剣聖>どのは生きておられたか」
バナージ伯はいまさらのようにいって、それから大量の涙を流しはじめたのだった。
(え、え、え?)
ウルが仰天している前で、伯爵はさめざめと泣きながら、
「……そなたもいったように、わたしは身のほど知らずにも、ミツルギ、イスルギどのに挑みかかったことがある」
という。
「その直前、わたしがアネッサどのに平手打ちを見舞われた件は知っているかな。わたしの不明ゆえの出来事であったが、それで手前勝手にも頭に来たわたしは、『なにを、ユーフォリー人でもない蛮人どもが。英雄の化けの皮を剥いでやる』などと息巻いて、お二人に決闘を申し込んで、そして何度となく敗れた。打ち据えられた手足の痛みと、頭のてっぺんから火が出そうな悔しさはいまでも覚えている。が、わたしが決死の思いでつづけた挑戦は、そのうちに、お二人から剣の手ほどきを受ける時間へと代わった。そう……、これも身のほど知らずと叱られるやも知れぬが、お二人は、わたしにとっても師であられたのだ」
「…………」
「ともに戦場に立ったこともある。これも、そなたのいったことに嘘はない。わたしは心底おびえきっていた。涙ながらに『敵のいないところに配してくれ』とお願いした。お二人はそんなわたしの背中を叩いて、『張りきりすぎるより、臆病になりすぎるくらいが、初陣にはちょうどいい』といってくださったのを覚えている」
バナージ伯爵は顔をあげた。
と――、泣いている現在の伯爵の顔に、いまのウルより年下の少年の顔とが重なりあって見えた。
<剣聖>の記憶が自然と引き出されたのだろう。
伯爵の面影をしたその少年もまた、眉を八の字にして泣いていた。
「お二人との記憶は、わたしの恥の記憶だといっていい。ふたたびアネッサどののことになるが、あれからだいぶ経ったあと、わたしの所領でマガツ神が暴れまわる事件があった。それをアネッサどのが討ち取ってくれたと聞いたとき、わたしはまるであの若かりし日々がよみがえったように感じた。だから思わず仕官を誘ってしまったのだ」
伯爵は泣きながらも、かすかに微笑んだ。
(そういえば)
いまにして、ウルは思い出したことがある。
バナージはあえて話題にしなかったようだが、確かこのときのマガツ神騒ぎで、伯爵は可愛がっていた養子を失っている。
あのとき憧れた『英雄』にそばにいてほしいと願ったのは、それも原因であったかもしれない。
「……問題はそのあとだ。アネッサどのがわたしの仕官を断ったと聞いて、家臣たちが過敏に反応してしまった。マガツ神がまだ滅んでいないと思い知ったからこそ、魔術や呪術のたぐいを必要以上におびえてしまったのもあるだろう。わたしは彼らを抑えきれず、<火の魔女>に監視をつけることを承諾してしまった。しばらく放置していれば、やがては彼らも気が晴れるだろうと思ってのことだったが、そのことでアネッサどのが村を離れておひとりで暮らしていると聞かされて、わたしはまたも自分の不明を恥じたのだ」
ウルは無言。
というより、驚きに打たれて、過去と現在、二人の伯爵の泣き顔を交互に見ているだけだった。
「ああ、愚かなり、ベルトール伯バナージ。そんなわたしを叱ってくれるお二人はもう、この世にないというのに――。しかし……そうか、<剣聖>どのは生きておられて、こんなにも立派な弟子を育成されて、われわれの危難をまたも救ってくださったのだな。ウルよ、どうか、いまの情けないわたしをそっくりそのままお師匠に伝えてくれぬか。きっと、『仕方のない奴だ』と笑われるか、『進歩のない小僧だ』とお怒りになられるだろうが、それでも構わぬ。生きておられたというなら……ああ……」
「え、ええ。必ず」
どこか居心地の悪いものを感じつつも、ウルは首を縦に振った。
「そして、アネッサどのにも詫びを入れておいてくれ。今度こそ、悪い噂が立たぬよう、わたし自らつとめるとしよう」
伯爵の言葉と表情に、ウルは目をみはった。
なにか思うところはあったものの、
「それも、必ず」
とだけバナージに約したのだった。




