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11――若人よ


 ウルに、明確な考えがあったとは思えない。


 マリーに<風断ち>を二度放ったのも、<剣聖>がやってのけたあの芸当ならばマリーを傷つけずにガカルハイデに打撃を与えられるのではないかという、ある意味で単純な思いつきによるものだから、マリーがマガツ神の心を同化させたらしい現象を予測していたはずもない。

 ウルにとっての判断材料などは、目に映る現象がすべてであったはずだ。

 ミツルギはほとんど反射的に、寸前のウルの記憶を引き出した。


 マリーから放たれた<火>は白を交えつつも赤々と燃えて、ガカルハイデのそれと拮抗きっこう

 ぶつかりあった地点で、風が巻き起こった。

 上昇気流だ。

 激しく炎が揉みあった拍子に生まれたものだろう。


 先ほど穴を穿うがたれた城壁のほうから大小の石くれが吸いあげられて、くるくると竜巻状の風に乗って飛ばされるのをウルも目撃していた。

 ウルの足が地面を蹴ったのはその瞬間だ。

 ミツルギが現実の時間に回帰したとき、ウルはすでに十分助走の勢いを得ており、そこから一気に跳躍した。

 足が宙に浮いたまさにその刹那、ウルが<旋風>を放つのを、ミツルギは冗談ごとのように受け止めた。


(足場が安定しておらぬ――どころか、足場のないところで技を放つなど?)


 汗血でもって築きあげたきざはしをのぼった末、上級の域に達してなければ、とてもできない芸当だ。

 まだ初心者ともいえぬウルがやってのけたのはもちろんのこと、それを『できる』と信じて駆け出した決断力は何事だろう?


(こ奴)


 <旋風>と炎の衝突による二種の上昇気流に乗って、ウルの身体が高く、さらに高くと舞いあがった。


(こ奴、本当に『ウル』その人なのか?)


 <剣聖>の胸に、その疑念がふたたび首をもたげてきた。

 どう考えても、剣を取ってまだ数日の、それも剣の素質などまるでなさそうだった少年のやれることではない。

 空中で<旋風>を放った技術はミツルギの記憶から引き出したものだとして、炎の上昇気流に<旋風>を重ねてさらなる跳躍力を生み出そうとした発想は、どこから生まれた?

 そして敵めがけて駆け出す以上、失敗すれば致死率も高いこの行動にいたった決断の根源は?


 自分ならばわかる。

 自分ならば、いかにもやりそうなことだ。

 決断にいたったのも、それが勝利への道だと本能で嗅ぎ取ったゆえだろう、とあとからでも補足できる。


 だが、ウルの本能とは?

 実戦を数回ほどしか経験していないウルが、ましてやマガツ神相手に、『こここそ勝機』と即断できるほどの材料などあろうはずもない。

 それも、やはりミツルギがあまたと経験した戦いの記憶を引き出し、おのれのものとした上でのことならば、ウルはもはやウルのままではない、と断言できないだろうか?


(これが精神の融合とやらか? 待て、であるならば――)


 ミツルギがわずかならず戦慄したときには、もうウルは城壁を越えて、炎獣を眼下に見おろす高さにまで達している。

 ガカルハイデは気づいていない。

 マリーを取り込もうといまだ懸命になっている。

 <血族>の恨みを結集させた、『獣』の本能ゆえに。

 ウルは空中で体をひねって、落下運動に回転を加えると、ほとんど柄のみとなった剣を肩から後ろに引いた。


(やれるのか?)

「やれるさ!」


 ごうごうと渦巻く風の中心地でウルが叫んだ。

 無意識だったにちがいない。

 <剣聖>ミツルギはこの瞬間、ウルに抱いていた疑念以上に、ある種の強烈な感情を自覚しないわけにはいかなかった。


(道半ばの求道者ぐどうしゃ、こと若者にとっては、なにがもっとも困難か?)


 ウルの身体が螺旋らせんを描いて落ちていくのを『肌身』で感じながら、ミツルギはひとりごちる。


(それは、自分が、いつか必ずや達人の域に到達できる――と信じつづけることだ)


 たとえば剣を取る前、たいていの若者は、自分に無限の可能性があると信じている。

 したり顔をしておれに剣の取り方を指南しているあんなじじいなどは簡単に追い越して、そしていつかは国の誰もが畏敬のまなざしを注いでくるような大剣士になるだろう、という未来を容易に想像する。


 しかしいざ剣を取って数か月、いや早ければ数日後にも、その未来は瓦解する運命にある。

 あれほどたやすく想像できていた未来は、もう頭の片隅にも留めおくことができなくなり、厳しく、寒々しい現実に取って代わられた挙句、未来であったはずのそれは過去の妄想、その遺物にまで成り果てる。

 自分はきっとこの分野では何者にもなれない、と見切りをつけて剣を置くのがたいていの若者の辿る道であり、掃いて捨てるほどにありふれた挫折ざせつというものだ。


 いわんや、ミツルギの放つ技のような、常人離れしたものを身につけようとするのであれば、なおのこと。

 ミツルギ自身が、ふとした拍子にひらめいた着想から、<風断ち>を実際に身につけるまで、どれほどの挫折を味わったことか。

 それを実現できる未来がどうしても信じることができなくなる期間が、どれほど長かったか。

 だから子供たちにこれを伝授しようとしたとき、ミツルギがまず最初にやったのは、幼いソーヤたちに<風断ち>を実際に見せることだった。


 目の前で父親がやって見せることで、自分たちにも『これ』ができると信じさせる。

 決して人間に不可能なことなのではない、毎日の訓練の果て、もしくは過程に必ずや『これ』があると、無意識のうちにも信じ込ませる、ということをミツルギは徹底した。

 そしてこのときミツルギは、


(羨ましい)


 と感じていた。

 剣を取る最初の段階で『これ』を信じられるとは、なんと羨ましいことか。

 もし自分が『これ』を少年期に信じられていたなら、全盛期以上の剣を身につけていたのは確実だ。


(羨ましい、ねたましい)


 実の子にそうまで思うミツルギだったのだが、この瞬間、剣を掲げて落下していくウルに対する感情は、おそらくその比ですらなかった。

 実際に目にする――どころではないのだ。

 ウルは、ミツルギが放った技のすべてを記憶で体感できる。

 乗り越えてきた死線の数々を振りかえることができる。

 血と汗をともなう鍛錬、そしてマガツ神にまつわる人智を超えた、あらゆる事象を実感できるのだ。


 これほどまでに恵まれた剣士が――若者が、古今、あるだろうか。

 <剣聖>は、ウルが刀身なき剣で空中から<風断ち>を起こしてガカルハイデの中心部へ叩き込むのを『傍観』しながら、


(ウルよ、わしはおまえが羨ましい)


 心の底からの思いを込めてつぶやいていた。


(いますぐにおまえを殺して、乗り代わってやりたいほどに)


 『剣』は、あやまたず怨念の中心を貫くと、凝集していた<火>もろとも四散させた。

 つながりを断ち切られた数々の念は、断末魔の叫びも、恨み言のひとつすら残す余地はなく、この世にあらわれた痕跡など一片たりとも許されないという風に消え失せていった。


 傍目には、炎の連なりがばらばらに弾けた瞬間、巨大な獣があちこちに吹き飛んでいったようにも見えたろう。

 間もおかずして、地表に降り立ったウル。

 と同時に両膝を折って、少年は深い息をついた。

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