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8――わからない


 ウルと同様だった。

 マリーも大勢の人間に取り囲まれて、語りかけられる幻を見た。

 最初のうちは抵抗した。

 彼らの<火>と自分の<火>とが無意識のうちに結ばれようとしているのに、おぞましいまでの恐怖をも抱いた。


 しかしいったん<火>が触れあって、『彼ら』の記憶が流れ込んでくると、大切なものを奪われた体験が一巡したのち、記憶ばかりか、感情をも共有するようになった。

 頭と胸を、復讐の一念が染めた。

 それができる<火>を手に入れたいと願った。


 いますぐ、手の届く距離にいる王国人すべてに、この大陸へ渡ってきた祖先を呪わせてやりたかった。

 そしてその<火>はマリーのもっとも身近にあった。

 簡単なことだ。

 彼らとひとつになりさえすればいい。


 マリー個人の<火>はちっぽけでも、同じ血族である彼らの<火>に自らを投じれば、巨大な<火>を構成する一因子になれる。

 理解がそこまでおよぶと、抵抗する意志も恐怖もすっかり失せて、むしろさえぎるもののなにもない広々とした空間に手足をどこまでも伸ばしていけるような、そんな心地よさをも味わいはじめた――そんな矢先のことだった。


「わっ!?」


 大勢の人々と共有しかけていた視界に、なにかちっぽけな影が降り立ったかと思うと、その影から放たれた一閃の光がぐんぐん迫ってきた。

 刃だ!


 しかもそれは、『彼ら』ではなく『マリー』個人を狙っていた。

 結果、『彼ら』の一部でしかなかった『マリー』個人の生存本能が、ばちっと火花を起こすほどの勢いで目覚めると、結びあいかけていた<火>を分断してまでも、迫りくる刃からわが身を守ろうとした。


 しかし光は<火>とマリー個人を素通り。

 背後で燃えさかっていた『彼ら』のほうへと斬撃を与えたのだった。

 獣の咆哮と、『彼ら』の訴える痛みの感情とが、マリーの心身を激しく揺さぶった。


「なっ……、なに? なんだよお!」


 せっかく、うとうとと気持ちよく眠りかけていたところへ、冷たい井戸水をぶちまけられたようなものだった。

 『彼ら』と分断されたマリーはやはりちっぽけな存在でしかなく、復讐を果たすどころか、マリーの怒りを共有してくれるこれ以上もない仲間たちとのつながりを断たれた世界はもう、凍えるほどに寒々しいものでしかなかったのだ。


 マリーの視界が戻ってくる。

 すぐに、刀を構えた少年の姿が飛び込んできた。

 マリーの頭がかっと白熱した。


「こ、この大馬鹿野郎! 味方だとかいいながら、こっちを殺す気かよ!」

「目が覚めたかよ、大馬鹿野郎」


 互いを同じ言葉で罵りながら、空中でいまだ固定されたままのマリーと、刀を正眼に構えた地上のウルとが対峙する。


「あたしに構うな! あたしは、これからすごく気持ちいいことをするんだ。あたしの<火>を踏み消そうとする奴ら全員を、逆に燃やし尽くしてやる。いいか、次に邪魔をしたら承知しないぞっ」


 マリーの金切り声に対して、


「あっちに戻るな!」


 ウルも喉が割れるほどの大声を返す。


「奴らに取り込まれたら、今度こそ戻れなくなるんだぞ」

「戻れなくったっていい!」


 二人が叫びあい、ガカルハイデが身悶えしているのを、クレハは半ば自失状態で見つめていた。

 ウルの放った<風断ち>は、マリー本人の肉体を正面から捕らえていたはずだ。

 だというのにマリーを傷つけず、マガツ神のみに痛手を与えている。

 いや、そもそも刀身のない刀で<風断ち>を起こすこと自体、クレハには信じられないことなのだ。


(あれは……あれこそ、父上のみが、そう、父上が<剣聖>だからこその……でも……)


 あまりに多岐たきにわたる感情がせめぎあって、クレハが混乱を極めている一方で、ウルとマリーはいいあいつづけている。


「『奴ら』なんていうな。あたしの一部だ。あたしそのものなんだ!」

「ちがう、おまえなんかじゃない。マガツ神に復讐心だけをあおられた、人間の成れの果てでしかないんだ」

「侮辱するな」


 マリーの声のトーンが変わった。

 とともに、マリーを包みあげていた<火>の色までもが白く変わったように、ウルの目には見えた。

 マリーからすれば、ウルとのこの会話そのものが、つながりを失った、寒々しい世界の象徴であったろう。

 無為で、無理解、そして一方的でしかない言葉の応酬。


 感情から生じたそれら単語のひとつひとつは口から放たれた途端に、世界の冷たさにさらされて凍りつき、それら氷塊は誰に届くこともなく、ぽとりぽとりと地面に落ちていくばかり。

 やはり、マリーには誰かの<火>が必要なのだった。

 その<火>で常にあたためられて、あるいは熱せられてこそ、念願の復讐も果たせるのだ。


「おまえなんかが知ったようなことをいうな。なにも知らないくせに! あたしの本当の心なんて知りもしないくせして!」

「どうして、おれは知りもしないんだよ?」

「当たり前だ! おまえは、おまえらは血族じゃない、なにも奪われていない。おまえらにはあたしたちの気持ちなんてわからない! だって、おまえらはお婆ちゃんを苦しめた<剣聖>の――」

「そうだ、おれは<剣聖>だ!」


 マリーが『それ』を口にするタイミングを計っていたかのように、ウルはこれまで以上の勢いで吼えた。


「なにも知らないくせに? おまえらにはわからない? ああ、知らないね。わからないね。おれはさ、『おまえがわからないでいる』ことが、いっちばんわからないんだよ!」

「な、なにっ?」


 この不思議なやり取りを、<剣聖>ミツルギはというと、黙ったまま耳にしている。

 なにを考えているか、それこそウルには『わからない』。

 だが、構ってはいられなかった。

 マリーが、マガツ神としてでなく、個人としての注意をこちらに向けているいまこそが最大の好機なのだ。


「おれは<剣聖>なんだぜ、知らないはずがないだろ。おまえのお婆ちゃんといっしょに戦ったんだ。おまえがいまいっしょにいる醜いマガツ神を、何体も、何人も狩ったんだ。毎日毎日、汗まみれになって、血みどろになって、肩を並べて戦いつづけてきたんだ」

「醜いなんていうな――。嘘をいうな――。お、おまえが、<剣聖>のはずはない……いや、<剣聖>その人だからって、なんだっていうんだ。それなら、むしろ……ああ!」


 マリーの意識も混濁しつつある。

 感情が八方に散っているためか、おそらくガカルハイデがいまも呼びかけている誘いの声に応じようとはしていない。


「認めたくないからって、目を背けるな、耳を閉ざすな。おまえが『あたし自身』だといったマガツ神を、おまえの大好きなお婆ちゃんが狩ってきた事実から! 『わからない』のかよ? それがなんのためだったか。本当におまえには『わからない』のか?」


 マリーの目が引き裂かれそうなほどに吊りあがった。

 知ってか知らずか、いまウルの放った言葉こそ、マリーが胸に抱いてきた怒りの源泉なのだ。

 それをマリーの表情から察したクレハは、


(逆効果だ)


 と思った。

 ウルがマリー個人の怒りを引き出そうとしていることも、その理由も、なんとなく理解できるものの、これではむしろ、マリーとマガツ神との一体化の速度を促進してしまうのではないか。

 果たして、


「なんのためかだって? ふざけるなよ! 世界のため、大勢の人のために、苦しんで、犠牲を払って戦ってきたっていうのに、そのお婆ちゃんをいじめたのは誰なんだよ。助けを求めたのに手を振り払ったのは誰だよ! だからあたしは……」


 マリーの怒りはまっすぐにウルにぶち当たる。

 と、


「復讐するっていうのか?」


 ウルは不意にぎらっと敵愾てきがい心剥き出しの目つきで怒鳴ると、もう一度ぼろぼろの刀を腰溜めにした。


「だから『わからない』っていうんだ、だから大馬鹿だっていってんだ。アネッサがなんのために命を懸けたのか、もう一度考えてみろ。少なくとも、自分の愛する孫が復讐だとかいって、大勢の人を焼き殺すためじゃないだろ。そんなこともわからないのかよ!」


 ウルの腰からほとばしる気配を察したか、ガカルハイデが後ろ足に体重を移すような仕草をした。

 後方へマリーもろとも飛び去ろうとしたのだろうが、しかしつながりが弱まっていたためか、マリーの移動が一瞬遅れた。

 その一瞬をいて、もう一度ウルは<風断ち>を放ったのである。

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