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7――“斬”


 ガカルハイデが矢玉に撃たれたかのように後方にのけぞったのを見て、クレハが驚きの声を発した。

 とともに、


「がはっ」


 ウルが激しく咳き込みながらも、よろよろとガカルハイデから距離を置くのも見えた。

 クレハに詳しいことはわかりようもないが、マリーと同じような状況にあったはずのウルが、マガツ神の力を振り払ったのだろうとは想像がつく。

 しかし――どうやって?

 なぜ?


 思うに。

 別の魂と間近で触れあうという異様な経験を、ウルがすでにしていたためではなかったか。

 そのうえで、憎しみと復讐を願う心が同化させられそうになったとき、自分がもうそれ以上の力を手にしているという実感が、本来抗いがたいはずの誘惑を、実に味気ないものに変えてしまったのではないか。


(――おお!)


 魂を震わせるほどに近くで聞こえるのは、ふたたび<剣聖>の声。

 ウルはぼやけていた視界が回復した瞬間に、鬼吼を鞘に戻している。


「なんなんだよ、この刀! お、おれをマガツ神に売り渡したみたいだったじゃないか」

(だからまだ抜くなといった、阿呆めが。いまだ、いまのうちに身体を代われ!)


 <剣聖>が、これまでになく切迫した声をあげている。

 炎獣が活動を再開したのは、ウルの体内にあっても感じていたのだろう、それがマリーの魂をほとんど取り込んでしまったあとだと直感してもいるようだ。

 しかしウルは聞く耳を持たなかった。

 髪をぐしゃぐしゃに掻きまわして、ガカルハイデのほうをまっすぐににらみつけている。

 気が立っていた。


(……何事だ?)


 <剣聖>が呆れたようにいった。

 それはそうだろう。

 心に直接働きかけるマガツ神の異能を味わって、そこから脱出してきただけでも奇跡に等しいのに、ウルは恐れるどころか、なにやらちょっかいをかけてきた男友達に喧嘩を吹っかける寸前のような顔をしている。


「あいつ! おれを自分たちの一部にしようとしやがったんだ」

(それがマガツ神だ)

「なにが! 人の心を勝手に覗いて、好きに利用しようとして。あんなのが神さまかよ!?」


 ウルがはじめて心身を触れあわせて実感したものといえば、恥辱と、おぞましさと、それらをひっくるめた怒りでしかない。


「なにが神だ。ただのバケモノだ。怨霊だ。いや……」


 ウルは激しく首を左右に振った。

 正直にいうなら、心中で自分に語りかけてきた無数の人々を、嫌いにはなれない自分がいた。

 同じ境遇の人々だ。

 同じ痛みを味わい、同じ熱さをこうむって、そして同じ復讐の気持ちを抱いた。


 だからこそ、ただの一瞬とはいえ、同化してしまいかねなかったのだし、振り払ったいまでも、どこか共感めいたものは肌身に残っている。

 あとがつくほどに。

 しかし、いいかえるなら、だからこそ許せないのだった。


「ああ、許せない……」


 うっすら目に涙を浮かべながら、ウルは吐き捨てた。

 亡くなった人とて、生前は当たり前の人々だった。

 ただひとつの想いが人を人たらしめることなどない。

 例を挙げるまでもなく、ウル本人がそうだ。


 姉に助けられた命を、おまえらのためになんて捧げてたまるか、とばかりに村から脱出の準備をした。

 だが、同時に、ここから逃げてはあのときの自分のままだとも思っていた。

 長の一家にひと泡吹かせてやるのはさぞ気持ちいいだろうけれど、実際にエリンやその弟が生贄いけにえになるかと思うと、足がすくみあがりもした。

 だったら、刀を握ってマガツ神に立ち向かうほうがましだとも思った。


 矛盾している。

 当然だ。

 ただひとつの言葉や、一本まっすぐに引いた線のみで、人の気持ちはあらわしきれない。

 それがそもそも心というものではないのか。


 だというのに――。

 ウルの目線が上向くと、<火>の連なりが形をなしている獣の姿がある。

 生前は、複雑で、矛盾した人間らしさを保っていたであろう人々が、いまや、たったひとつの言葉で、ただ一本の線だけでつながりあった、人ならぬ人、獣ならぬ獣。

 ウルが許せないのは、人間が抱く無数の想いが、もっとも醜悪なひとつに束ねられて、もっともいびつな形で顕現けんげんしたことだ。

 マガツ神という存在、現象そのものだ。


「あんなものに、おれは、あの人たちは……」


 ウルは叫ぶや否や、なにを思ってか、先ほど打ち捨てたばかりの刀を拾いあげた。

 あちこちが<火>に喰われて、すでに剣としての役には立ちそうもない代物を、さらに地面に叩きつけた。


 ぼろぼろになっていた刀身が端微塵ぱみじんに砕ける。

 刃の根元だけがちんまりと残った柄を握りしめたまま、ウルはそれを腰溜めに構えた。

 <風断ち>の型だ。


 そのときにはもう、ガカルハイデも反応していた。

 <月十文字>の痛手は覚えているらしく、今度もマリーを盾にしようとする。

 ウルは引かなかった。

 刀身がすっかり失われた、いわば刀の残骸でなにをしようというのか?

 ウルは見たことがあった。

 いや、『見る』というより『体感』していた。


(小僧、貴様、まさか――)


 <剣聖>が低く唸った。

 そう、<剣聖>がウルの肉体を操っていた際に、ソーヤに『手向け』として見せた技。

 刀身のない刀から起こす<風断ち>。

 それこそ、ミツルギが編み出した刀法の極意のひとつ。

 クレハが心底から驚かされたのは、今日でもう何度目か。


「まさか!」


 クレハは見たことがあったのだ。

 ソーヤとちがい、後継者に定められていた彼女は、父から一度だけこの極意を見せられていた。

 『それ』をウルができるというのか? 

 クレハにもソーヤにも不可能だ。

 しかし……これまでのことを思うと、できるはずがないと一笑に付すこともかなわず、


「ま、待ちなさい」


 クレハが制止の声を放った。


「マリーさんに当たります!」

「当たらない」

(小僧、貴様――)


 <剣聖>も悟って低く声をかけたが、


「刀身のないこの刀が、マリーを傷つけるはずがない」


 一歩ウルが進めば、ガカルハイデはマリーをその正面に位置させたまま、一歩あとずさりつつも首を伏せる。

 いつでも跳躍に移れる姿勢だ。


「しかし、<風断ち>は――」


 身を揉みながら<剣聖>の娘がなお声をあげるのを、


「おまえはなにを教わってきたんだよ、クレハ」


 気安く呼びかけたのは、『父』としての記憶が少なからず影響したためだろうか。


「なっ」

「<風断ち>は、刀で触れた世界を掻き乱す技だ。人の影も、心をも斬る技なんだ。肉体の概念を無視してまでも。そうだろう、ミツルギ?」


 ウルはいまこそ実感している。

 心中でマリーと同じ血族に語りかけられたとき、確かに彼は<火>を意識した。

 いままでその存在すら知らず、概念さえ理解できなかったそれを。


 同じことなのだ。

 あり得なかった、形すら見たことのないものであっても、他人がやすやすとそれを成し遂げるところを見れば――体感すれば、実感すれば――自分の内側にも同じものが芽吹く。

 実際に成し遂げられるかどうかは、それからの人間次第なのだろうが、ウルには自分以外の体感が常にある。

 ありつづけている。

 だから、できると思った。

 できないはずがないとも断言できた。


「あのときの記憶をよこせ、ミツルギ!」


 おれにだって影が斬れる、心のみを斬れるのだと。


(!)


 <剣聖>の目を剥くような驚きが突き刺さるとともに、ウルは動いた。

 腰を回転させる、地面にめり込ませた爪先をひねる、刀を横一文字に振り抜く。

 これらの動作をただひとつの言葉であらわすなら、ウルは『折れた刀を振った』だけだ。

 そんなものがマリーに傷ひとつ負わせようはずがないし、ましてやマガツ神に効果があろうはずもない。


 だが。

 巻き起こった風は、刀身そのものよりよほど強靭な刃の集合体となって、ウルの腰から正面めがけて迸っていた。

 ごうっという、ずぶとい音をともなったそれが、マリーの肉体を粉々に吹き飛ばさんとした寸前、マリーの目が大きく見開かれた。

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