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6――あいにくと


 ミツルギが蛇廻じゃかい教の巫女から語られた『魂の融合』とは、すなわちこれを意味したか。

 マガツ神が生贄や犠牲者の心を取り込んでいくとは、こういうことか。


 無論、この場の誰にもわからない。

 クレハにはそもそも、ウルを縛りつけた黒い光は見えなかった。

 彼女に見えているウルは、刀を半分抜いた姿勢で身動きを止めてしまっているだけ。

 が、その表情は<火>のなかに閉じ込められたマリーのそれと共通していた。

 苦痛と無とが代わる代わる浮上してきては、次第に無の頻度ひんどが高くなっていく。


 しかしクレハは、長いこと二人に注目していられなかった。

 ガカルハイデにも変化が生じつつあったのだ。

 クレハが左目を庇わなければいけないほどにひときわ強く照り輝くと、肉体を構築する<火>が激しく上下にのたうった。

 獣の形がいったん溶け崩れたほどの動きであり、そこにはただ<火>の大きな塊がそびえるばかりになった。

 ここへきて、クレハはまだ周囲に尻餅をついた兵たちがいることに気づいて、


「避難を!」


 鋭く警告の声を発した。

 兵士たちがわれを取り戻して、泡を喰ってこの場から離れていく。

 隊長も同じくガカルハイデから距離を置いたが、しかし持ち場を放棄するわけにもいかず、


「き、きみたちは?」


 と聞く。


「わたしたち、わたしは――」


 マガツ神を討つ、と胸を張って宣言できたらよかったのだが、いまのクレハに自信は持てない。

 それ以上なにもいえずにかぶりを振ると、兵たちの背中を守れる位置へと移動しざま、刀を構えた。

 <火>がふたたび形をととのえて、獣じみた四肢で大地を踏みしめたとき、以前よりもさらに巨大化しているように見えた。


 <火>の力がより増しているのは確実だろう。

 ガカルハイデは形容しがたい唸りを発すると、クレハひとりに向きなおった。

 それだけで、しゃっと<火>の鞭を顔面へ浴びせられた気持ちになって、知らず、クレハは後退させられてしまう。


「くっ――」


 おのれを恥じて唇を強く噛みしめると、クレハはじりじりと前進を開始した。

 正直、勝てるとは思えない。

 しかし、マリーを置き去りにするわけにはいかなかった。

 ウルという少年も同様だ。

 父の仇ではあるものの、だからこそ、すべての事実をその口から吐かせるまで、殺させるわけにはいかない。

 だから……、


「やるとしたら、ひと太刀」


 クレハは細い呼吸を意識して、体内に酸素を取り入れつつ、全身に血が巡っていくイメージを描いた。

 次のひと太刀で、反撃が来る前に獣の息の根を止める。

 どのみち、いまのクレハでは何回も技を振るうことはできないから、中途半端な技で時間を長引かせるよりは、一撃にすべてを賭ける。

 あとのことは考えない。

 失敗すれば死ぬだけのこと。


 クレハの表情にふと影が差したかと思うと、もう次の瞬間には、唇に淡い笑みが浮かんでいた。

 それを見ていた城門守備の隊長は、一瞬、恐れも焦りも忘れた。

 異国の刀術のことなどまるで知らない彼だが、だからこそというべきなのか、クレハがすっと腰を沈めて刀の柄に指を這わせた、その動きのしなやかさ、優美さに、惚れ惚れとしたのだ。


 殉教者にも似た、女剣士の清冽せいれつに引きしまった頬を、熱風がひと撫でした。

 これまで身動きを止めていた巨大な炎塊が、ふたたび獣としての命と本能を得てか、聞き苦しい唸りを発しつつ、巨体をもたげた。

 マリーとウルの表情は消えたまま。

 もはや、その魂は取り込まれたあとなのか。

 クレハは、細く細く、蜘蛛の糸よりも細く紡いできた呼吸をぷつりと切断。

 一気に解き放とうとした刹那のこと。

 動きを止めていたウルの身体から、黒い稲光が四方に放たれた。



「おお、よい<火>だ。強く、まぶしい<火>が、おまえにも宿っているのが見えるぞ」


 ウルの手を引いてくれた男が笑いかけた。


「まことに」


 ウルに<火>の存在を気づかせてくれた老人も笑う。

 さらに、ウルを取り囲んだ大勢の人々が祝福をくれた。

 ウルは満面の笑みでそれらに答えた。


「これで、おれもやっつけられるんだね?」

「そうよ。憎むべき敵を」


 浮き浮きとしてウルが尋ねると、正面にいた火傷だらけの女性が顎を引いた。


「奴らから奪えるんだね?」

「もちろん。奪うだけ奪ってきた奴らから、逆にとことんまで奪ってやればいい」


 別の男。


「これは、それほどに強い力ってことだね」

「ああ。われわれは大勢にして個。個にして大勢。その<火>を束ねれば、人間など物の数ではない。構わず燃やし尽くすべし!」

「そうか。なら――」


 ウルは弾む声でつづけた。

 皆、<火>を手に入れたばかりの高揚感には覚えがあるのか、そんなウルを微笑ましく見やっていたが――、


「なら、いらねえよ」


 男の手を放してウルがそういうと、全員が、ぎょっとした顔になった。


「――なに?」


 呆気に取られた男の声。

 ウルは黒焦げになったその顔を正面から見つめながら、


「やっつけられる、奪える、大勢にして個――、これはそんな力なんだろ?」

「そうだとも。きみとて実感したはずだ。きみとて、王国人から奪われたはずだ。やっつけたい、奪いたい、と願ったからこそ、<火>はきみに応えたのだ」

「ああ、わかるよ。わかる。きっとこのまま身も心も<火>にゆだねれば、おれはあんたたちとひとつになって、死ぬまで――いいや、あんたたちみたいに死んでからも、王国人を目につく端から殺そうとするんだろうね」


 ウルは正面を見ながらも一歩だけあとずさった。

 同じぶんを男が詰めてくる。

 周囲にいた老若男女もまた。


「そんなの、ごめんだよ」

「なにをいう?」

「なぜだ?」


 語気が鋭くなるにつれて、正面の男をはじめ、皆の姿が霧がかかったようにぼやけてきて、代わりに<火>がひとつずつ揺らめいているのが透けて見えてきた。


「憎い奴らがいるよ。殺したいほど恨んでいる奴だっている。でもそれは、おれが生きたままやりたいんだ。それも大勢で寄ってたかってじゃない、できるなら、おれのこの身体で、おれひとりの意志でやりたいんだよ」

「できるものか!」


 老人らしき声が叫んだ。

 いや、いまとなっては姿も声も意味をなさない。

 それは確かに『個にして大勢であり、大勢にして個』なのだ。


「おまえだけでは<火>は発動しない。おまえひとりの身体と心でなにができる!」

「そうだとも。しかとこれを見よ」


 人間としての身体が完全に掻き消えると、残された<火>が移動をはじめた。

 隣の<火>とぴったりと重なりあう。

 そしてひとつになった<火>が、また隣りあった別の<火>と結合。

 それを繰りかえしているうち、ただひとつになった<火>は、ウルが見あげるほどの大きさにまで立ちのぼった。


「これがわれわれの、いやさ、われの力だ。こうして広くを見わたせば、その一面が<火>に包まれよう。われと同じになれ。われとひとつになれ。これ以上の力を、おまえていどの心身で得られようものか」


 人間ひとりなど圧倒せずにいられない力の顕現けんげんを前にして、さしものウルも口を閉ざした。

 ただの数秒。


「あいにくと」


 とウルは、小刻みに震える手足を押さえつけるようにしながらいった。


「おれの身体と心には、先客があるんだ」

「なにっ?」


 <火>が上下左右にと激しく乱れる。


「本当、おあいにくさまだよ。もっと早くに出会えればよかったんだけど。でも、おれは、もうとっくにさ、もっと凄い力に出会っちゃったんだよ」


 ウルは腰に手をやった。

 そこにはなにもないはずだ。

 が、それをいうなら、ウルがおのれの内側に知覚した<火>とて、最初からそこにあったはずはない。

 すべてはイメージのなせる業であり、それを証明するかのように、ウルの腰に光の束が収縮すると、一本の刀が生まれ出ていた。


「あんたたちはいったよな。王国人をやっつけられる、王国人から奪える力だって。確かに凄いよ。でもね、おれにもともと押しかけていた先客は、()()をもやっつけられる力を持っているんだよ。だったら、いまさら弱い力に乗り換える必要なんてないと思わない?」


 <火>がそのとき柱が瓦解がかいするみたいに中央から折れ曲がると、上の部分がさらに上下に掻き開いて、獲物を丸呑みする蛇そっくりにウルへ躍りかかった。

 寸前、ウルの腰からひらめいた光が、<火>の蛇を丸ごと吹き消していた。


「うわあああっ」


 人々の苦鳴がいくつにも折り重なって聞こえてくる。

 光はなおやまず、ウルの四辺で波打っていた黒い稲光をも吹き飛ばしていく。

 最後にちらりとウルは頭上を見あげたが、こちらを見おろしていた少年の姿はいつしか掻き消えていた。

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