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3――取り込まれる


 マリーは耳を塞ぎたくなるような悲鳴をあげていた。

 しかしその声が、時折り、表情ごとに消えるときがある。

 ウルはアネッサの言葉を思い出した。

 『彼ら』は夜な夜なあらわれては、誘いかけてきたと。


 ――何人もユーフォリー人に殺された。

 ――おまえも恨んでいるだろう。われらがすえよ、ともに立ちあがれ。


 そんな声の群れが体内にまで浸透してくるような苦しみのなか、


「理性では抗おうとしていても、わたしの体内にある<火>はそうではなかった。わたしは自分の<火>を制御しきれなくなっていた」


 <火の魔女>ともあろうアネッサさえもが、その戦いにもがき苦しんでいたというのだ。

 おそらく、マリーも同じ状況にあるのだろう。

 いや、直接ガカルハイデの<火>と結びついている以上、祖母が味わった数倍もの苦悶、痛みがあるのかもしれない。

 ウルにも多少ならず、わかる気がした。

 怨念となった『彼ら』とともに心を共有するということは、ミツルギとウルの関係性にも共通するものがある。


 推測するに、マリーは心底にあるユーフォリー人への感情を刺激されて、『彼ら』とともにすべてを燃やしつくさねばならない、というほどに恨みや憎しみの念が増幅されているのではないか。

 ウル本人が<剣聖>に対して危惧しているとおりに。


「少しは抵抗しろっ」


 ウルは考えもしないうちに叫んでいた。


「そいつらに乗っ取られたら、もう自分じゃいられなくなる。お婆ちゃんにだって会えなくなるんだぞ。それでいいのかよ!」

「うるさいっ」


 マリーの口から叫びが放たれると同時に、体内からあふれていた<火>が、ばっと四方に散った。

 ウルはあわてて身をかがめた。


「あ、危ねえなっ、味方になにするんだ!?」

「<剣聖>の知りあいと味方になんてなった覚えはない! なにも知らないくせにっ」


 マリーから放たれた<火>を右に左にくぐりながら、しかし結果としては後退せざるを得ないウル。

 刀の射程からは遠のいていく一方だ。


「殺されたんだ、みんな殺されたんだ――」


 <火>の中央で、そう訴えるマリーの頬を涙が伝っていた。


「お父さん、お母さんも……わたしの赤ちゃんも……みんな、みんな、あいつらに奪われた……殺された……。ひ、<火>、火が燃えて……全部、全部が。いったい、どちらが邪悪で……神にあだなすものか……教えてやる……」


 両方の手を宙に差し伸べると、<火>はその細っこい腕にまとわりついて、とぐろを巻くごとに大きく膨れあがっていった。

 ウルの喉仏が上下するのと時同じく、


(いかん、かわせっ)


 <剣聖>の強烈なイメージが脳裏で炸裂した。

 考えている間もない。

 ウルはそのイメージに沿って身を投げ出した。

 頭上と背中を、<火>が多量の熱気をともないながら擦過さっかする。

 かろうじてかわした<火>の群れは、ウルの背後で城門に激突。

 反射的にウルが振りかえると、もうもうとした煙の向こう、人間が余裕で通り抜けられるサイズの穴が空いていた。


「うわっ!?」


 さらに恐ろしいのは、<火>が舞い戻ってきたことだ。

 ウルは必死で身を転がして、直撃をふたたび避けた。

 もう一度振り仰ぐと、やはり空中に固定されたマリーの姿。

 表情はまたも消えている。


(取り込まれかかっている)


 ミツルギが指摘するまでもない。

 先ほど、マリーが涙ながらに発した言葉からも、それは知れていた。

 マリー自身は、『王国人』に家族を殺されたことなどはない。

 しかし、幼いころから何度となく聞かされてきた<血族>の歴史と、怨念の集合体が伝えてくる感情とが交じりあい、複数の心を共有することで、マリー本人が経験してきたことのように錯覚しているのだ。


 記憶を共有するということは、つまりは感情をも共有するということ。

 ウルがミツルギの、ミツルギがウルの心を、他人同士よりははるかに近くで感じているのと同じく。

 そして繰りかえしになるが、それこそが、ウルがもっとも危惧しているところなのだ。

 いつかはミツルギの根っこで燃えさかる大火のごとき記憶の感情に呑まれてしまい、個人の人格ごと塗り替えられてしまうのではないか――という。


 目の前のマリーは、ウルが辿るかもしれない道筋そのもの。

 だからなのか、他人の魂と同化しつつあるマリーに対して無性に腹が立った。

 といって、いまのままではらちが明かない。

 結果、ウルはどうしたか。

 勢いよく身をひるがえしたかと思うと、マリーにもガカルハイデにも背を向けて、城門に沿う形でその場から駆け去ったのだ。


「あ、待て――」


 クレハは思わず声をあげたが、足止めしたところでなんになるのか、とすぐに思いなおした。

 武器もなく、技も尽きたかのようなウルに、もうこれ以上の作戦があろうとも思えない。

 ということは、逃げたのだ。

 非難したい気持ちはあったが、同時にそれは正しい選択だとも思えた。


(しょせん他人のことなど)


 クレハ自身に逃げるつもりはないものの、いまの体力で斬りかかれば、炎獣の手痛い反撃を受けるのみだということもわかりきっている。

 斬るも逃げるもならず、クレハは奇妙な停滞を余儀なくされた。

 際限なく汗を落としながら、ただ構えのみを維持する時間。


 自分が強いと思ったことなどほとんどない。

 自分が惨めだと感じたことは数限りなく。

 しかし、実際の命をやり取りする戦いの場において、<剣聖>の娘がこうも無力だとは。

 クレハが下唇を噛みしめつつ、それでも力を振り絞って一歩を踏み出そうとしたとき、


「待て!」


 ウルが舞い戻ってきた。

 手に、鞘入りの刀を握っている。

 彼は逃げたのではなく、奇襲の際に置いてきた鬼吼を取りに戻っていたのだ。


(やめよ。おまえには扱いきれん!)


 <剣聖>がさっきから怒号に近い警告を発していたが、


「もう手持ちの武器がないんだよ。戦うんならこいつを使うしかない!」


 ウルはわめいた。

 これまで口にしてきたとおり、ここでの戦いは『勝つ』以外に道がない、とウルは思っている。

 どんな方法を用いようともだ。

 剣士としての誇りなど不要ともいった。

 ウルは剣士でこそないが、口にした以上は、自分もわだかまりや悩みは捨て去るべきだと決めた。

 『勝つ』ためになら。


「だから、あんたに預けるよ」

(なに?)

「マリーとあのお婆さんを救いたい。そればっかりは、おれもあんたも同じだろう。ほかのなにがちがったとしてもさ。だから抜く。だからあんたに身体を貸すんだ。いいか、必ず返せよな!」


 いうなり、ウルは鬼吼に両手をかけて、右手で刀身を引き抜きにかかった。

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