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2――捕縛


 マリーは上空から目の当たりにしていた。

 あの、井戸に叩き落としてやった少年がガカルハイデめがけて剣を抜き、<月十文字>で斬りかかるのを。


 彼が<剣聖>の関係者だと名乗るのを聞いたとき、ミツルギの孫か弟子だろうと思って罠にかけてやったわけだが、正直、まともに剣を扱えるようにも見えず、落としてやったあとになってから、「はてな」と首を傾げたくらいだ。

 そんな彼が、目を見張るような動きで、あのマガツ神に痛手を与えた。


「やった!」


 思わず声をあげたマリーだったが、いったんのけぞった炎獣も、業火のゆらめきとともにすぐさまウルのほうへと向きなおった。

 対するウルの動きは鈍い。

 マリーは決断を迫られた。

 <剣聖>の関係者が気に喰わないのはいまも同じだが、さすがに自分ひとりでは勝てないと思い知っている。

 『神』を負傷させる腕前も技も、自分にはない。

 つまり、ひとりでは祖母を守ることができない。


 ――恨み、憎しみが、なにより大事ですか? 勝つことよりも? お婆さんを守ることよりも?


 クレハの言葉が脳裏にこだまする。

 そのクレハはいまどうしているかというと、かろうじて刀を手に構えてはいるが、ウルと同様かそれ以上に、素人目にも腰が重そうだ。


「偉そうなこといっちゃってくれたわりには、だらしないな!」


 怒りよりも、むしろ励まされた思いがして、マリーは鉄鞠に宿した<火>の出力をあげた。

 いったん鉄鞠を浮上させた直後、身を反転させる。

 急降下の勢いを駆って、マリーはまっしぐらに炎獣めがけて突っ込んだ。

 獣が顔を上向けた瞬間、その鼻先をかすめ飛ぶ。

 さっきから散々このやり方で獣の注意を乱しつづけてきた。

 ある意味で翻弄ほんろうし、動きを操ってきたといっていい。

 さしものマガツ神もこの速度にはついてこられないのだ、とマリーは信じていた。


 ……が、それは事実ではない。

 その証拠に、双方がすれちがうこの刹那、マガツ神の四つの目玉は正確にマリーの姿を追いかけていた。

 <剣聖>が指摘していたとおりに、ガカルハイデは自分の末裔に当たる<火>の存在に知覚を乱されていた。

 戸惑っていたともいえる。


 そして、おそらくはここに来て、ようやくその戸惑いを解消させる道筋を見出した。

 炎獣はウルめがけて振りあげていた爪の軌道を変えて、マリーが想定していたのとはまったく異なる角度から振り落としたのだ。

 すなわちマリー本人へと。

 炎の色を面貌に投げかけられて、


「あっ!?」


 マリーが思わず身をすくめた次の瞬間、その身が空中に放り投げられた。

 ガカルハイデの爪は、鉄鞠をはるかかなたへと弾き飛ばしていたのだ。

 マリーを傷つけずに鉄鞠だけに命中させたのは恐るべき精度だが、マリーはまだ自分の動きでかろうじてかわせたのだと信じていた。

 上空およそ十メートルの位置から落下。

 鉄鞠を呼び戻すには時間がない。


 仕方なしに、マリーは「くわっ」と声を発して、自分の身体から直接<火>を放った。

 少女の小柄な身体をそっくりそのまま、オレンジ色の光が包む。

 鉄鞠のような、目に見える形での『枷』がないと、マリーはまだ<火>の出力を自由にできないのだが、ここは迷っていられない。

 放った<火>を身体の下へと集めるイメージで、落下の衝撃を殺そうとした。


 ぐんっ! とその身体を強烈に引かれて、一瞬、マリーは息が詰まりそうになった。

 この光景を、ウルも、クレハも見ていた。

 そして同じ表情になった。

 マリーの身体を包んだ<火>。

 そして、ガカルハイデが絶えず身体から放っている――というよりも、身体そのものを構成している――<火>とが、まるで手を結びあうかのように、空中で一本につながっていたのだ。

 網にかかった魚よろしく、マリーの身体がガカルハイデのほうへ引き寄せられていく。


「は、放せ、バケモノ!」


 マリーは必死の思いで体内の<火>を掻き集めて、敵の引力に抵抗しようとした。

 が、<火>の力はマガツ神のほうがはるかに上まわっていると見えて、宙を引きずられる一方。

 ばかりか、つながりあった<火>を通して、複数の思念がこちらへ伝わってくるのを感じて、マリーはぞっとなった。

 赤らんだ夜空にマリーの金切り声が響く。


 他人の意識に触れるというのは、まさにウルが現在体験していることなのだが、この場合は複数であり、しかもマガツ神のものだ。

 身をよじろうにも、逃げようにも、マリーの身も心も<火>にとらわれて動けない。

 この一瞬、しかし獣の巨体もまた身動きを止めたのを、クレハは見逃さなかった。


「いま!」


 疲れきった肉体に鞭打って、最後の力を振り絞るつもりで、大きく踏み込みざまに<風断ち>の姿勢に入る。

 クレハも父から応用技を教わってはいたが、やはりこのような土壇場においては、もっともスタンダードな<風断ち>が放ちやすい。

 ガカルハイデとマリーをつなぎあわせた<火>めがけて刀を振り抜こうとした瞬間。


「なっ」


 クレハの喉から予想外の呼吸が洩れた。

 <火>が不思議な角度で波打ったかと思うと、マリーの身体をクレハの正面へと移動させたのだ。

 あわやマリーの肉体に斬りかかるところだったクレハは、あわてて踏み込んだ足に急停止を命じた。

 前方へつんのめりかかるところを、鍛えぬかれた足腰でなんとか制動する。


「マリーを盾にした?」


 ウルは愕然となって大声をあげた。


「ど、どういうことだよ。あいつ、マリーを仲間だと思ってるんじゃないのか?」

(そうだ、現に、あの娘をおのれの一部にしようとしている。あるいは生身を<核>にしようとしている――)

「じゃあ、なんで盾なんかに!」


 いまは落ち着きはらった<剣聖>の声にすら腹が立つウルだったが、


(奴にとっては、マリーの命などどうでもいいのだ。いやむしろ命を失ったほうが、肉体の『枷』から解き放たれて、その心を、魂を、怨念を、取り込みやすくなる。忘れたか? マガツ神とは、そうした<念>の集合体なのだ)


 ウルは名状しがたい感情に吹かれた。

 命を奪ったあと、その<念>さえ喰らう。

 そして喰らった<念>そのもので動いているというマガツ神への――つまりはこの世ならぬ、命ならぬ存在への――本能的な恐怖と、畏怖と、そして嫌悪とがこみあげてきた。


「あああっ!」


 マリーがあげた悲鳴に、ウルもクレハもはっとなる。

 ともあれ、まだ彼女は生きている。

 しかしながらミツルギは苦々しそうに、


(力が同調しつつあるということは、あの娘が、マガツ神の放つ怨念に心も同調しつつある証だ。放っておけば、肉体が生きていたにしても、魂のほうが先に取り込まれるぞ)


 またもウルの心胆を寒からしめるようなことをいう。

 ほとんど考えもしないままウルは刀を構えたが、それがぼろぼろになっているのを思い出して、思わず舌打ちした。

 と、ガカルハイデが、ウルのほうへと素早くマリーを向けてきた。

 先の一撃を覚えていて、警戒しているのだろう。

 注意を引ける、とウルはとっさに思いついた。


(ようし、なら、今度はおれが囮になる)


 ウルはクレハに目配せを送った。

 女剣士は汗まみれの顔で顎を引いて、ウルがじりじりと獣に接近している隙に、城門の脇から巨獣の背後にまわろうとした。

 しかしその途中で、クレハは腰を落とした。


 <風断ち>の発動を断念したとき、より大きな負荷が下半身にかかっていたのだ。

 クレハの額から落ちた汗が、地面をぼたぼたと濡らす。

 今日だけで、どれほど父秘伝の技を放ったか。

 疲労が隠せない。


「く、くそっ」


 ウルは毒づいた。

 そもそも囮となるウル自身、ガカルハイデが跳びかかってきた場合にそれほど時間を稼げる自信がないから、切り込み役のクレハがあの状態では、作戦が上手くいきようもない。

 尻餅をついた兵たち、その隊長が唖然と見守るなか、巨獣と相対したウルは、打つ手がなくなったのを自覚した。

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